恩を仇で返された話
どうも変な夢を見たモノだ。街のチンピラとして生きていた俺はある日、町方の役人を誤って殺してしまった。当然、死刑になるのだが、死刑の前日、一匹の蜘蛛を窓から放り出した。俺にとっては、死ぬ前の最後の善行を積んだつもりだった。。そして後日、それが思わぬ形で帰ってきた。
こんな夢を見た。夢の中では俺は悪人だった。生まれ落ちたのは貧しい大都市のスラム街。母親は、覚えていない。父親はどこの誰かも知らない。天涯孤独の身だった。肌の色は浅黒く日焼けして痩せ型。顔は長細く眉毛は黒い。眼は細く唇はやや厚い。そして背はやや低い方だった。
後から知った話では、生まれてすぐに小さな寺の前に捨てられていたそうだ。仏の慈悲があったのか、それとも親の罪の意識がそうさせたのかは分からなかった。俺を拾った寺の住職は典型的な不良坊主で、日ごろの素行の悪さから檀家もほとんどおらず、寺の収入はもっぱら、どこからか運ばれてきた「霊験あらたかな仏の秘薬」を寺の中や時には街のはずれで夜中にこそこそ売って得ていた。何もない荒れ寺の割には人の出入りが激しかったので、おそらく、そいつらの中の誰かが運んできたのだろう。
このようないかがわしい環境で育てられたので、俺も物心がつく頃にはこのいかがわしい薬を帽子や服の中に隠して運ばされたのを覚えている。他にも薬を買いに来た客との交渉の仕方や汚職役人への賄賂の渡し方、人の騙し方など、様々な悪の方法を『実地訓練』という形で叩きこまれた。
経文なんてものは、寺に居る間、一度たりとも習ったことはなかったが、犯罪者として生きる術は、実践を通して徹底的に叩きこまれた。人を殺したことだってある。棒で殴り殺したのだ。薬を売った儲けの取り分を巡って仲間と言い争っている最中に、町方の役人どもが踏み込んできたのだ。
無我夢中で逃げようと立ち上がって走ろうとした時、口論していた女が俺の右足を引っ掻けて、俺は転んでしまった。あの女が足を引っ掻けたことが、故意かどうかは今となっては分からない。
だが、そのおかげで逃げ遅れてしまった。町方役人の一人(確か中年の男だったと思う)のこめかみを振り向きざまに思いっきり側に有った棒っきれでぶん殴った。町方は「がっ!!」とかなんとか声をあげて、倒れた。無我夢中だった。
そして逃げようとしたところを、後ろから十手か何かで殴りつけられ、よろめき倒れ、何発か食らい、頭を割られてからの記憶がない。強烈な痛みが強力な打撃と共に何度も頭を襲い、最後に、一番きついやつを食らい、強烈な痛みを感じた時、目の前が真っ暗になった。
気が付くと俺は独房の中に居た。目の前には数人の町方役人どもが立っており、そのうちの一人が腹に入れた蹴りで目が覚めた。後は、『取り調べ』と称する拷問だった。そして、逃げる時にこめかみを思いっきりぶっ叩いた町方が死んだことをその時に半死半生の状態で俺は知った。
町方どもは殺された仲間の復讐で理性が壊れていた。殴る蹴るの激しいリンチを受けているさなかに、洗いざらい全て白状しても、奴らの『取り調べ』は終わらなかった。精神的にも肉体的にも限界が来たところで、ようやく気が済んだのか、それとも壊れてた理性がようやく修復したのか、町方どもは、ある者は悪態をつき、また、ある者はゼエゼエ荒い呼吸をしながら、また、ある者は無言で、その場から去って行った。
ギーっという独房の鍵が閉まる乾いた音と町方どもの足音が遠ざかっていく音を聞きながら、俺は、深い意識の深い闇の底に落ちていった。
死刑になることを知らされたのは、リンチを受けた翌日の夕方だった。斬首の後、市中でさらし首にされるという。不思議と死の恐怖は無かった。それよりも、奴らから受けた『取り調べ』の後、ろくな手当もされずに放置され、息も絶え絶えの今の状態の方が、よほど身に堪えた。
猛烈な傷の痛みに耐えかねて苦しんでいると、寝床の横で小さな白い動くものを見つけた。小さな小さな白い蜘蛛だった。おそらくまだ子供か、生まれて、まだ、それほど月日の経っていない赤ん坊蜘蛛だろうと思った。そいつが、顔の少し離れた布団の上をちょこちょこ音もなく歩いていた。
ほとんど反射的に手を動かして、手のひらで覆い、逃げないように注意深く手のひらを少しづつ動かして狭め乍ていった。
手のひらを開くと小さな小さな白い蜘蛛が、そのやや透明に近い身を固めて、まるで死んだようにピクリともしなかった。息を吹きかけるとびっくりした様子でピクリと動いた。握りつぶしても良かったのだが、手が汚れる上に、今さら、罪を重ねる気もなかった。
よろよろと起き上がり、ン別の方の手で蜘蛛を摘み上げて、木の棒を差し込んだだけの簡単な格子の入った窓から投げ捨てた。「この方がお互いのためだ」言い終わった瞬間、ほんの少しだけ大きな仕事をしたように思えた。
翌日の朝だった。碌にメシも食わせないまま、俺は外に引き立てられて、その後、市中引き回しにされ、河原で首を撥ねられた。一瞬のことだったが、首の後ろにやけどでもしたような痛みを感じたのが、最後に感じた感覚だった。首を撥ねられた時、なぜか恐怖よりもむしろ安堵の方が強かった。
気が付くと、薄暗い廊下に立っていた。長い列が続く。いつの間にか自分の前にも後ろにも大勢の人間が並んでいた。列は、ゆっくりゆっくりと前に進んでいき、やがて、薄暗い廊下からやけに明るい部屋に入っていった。目の前には、妙なゆったりした着物のようなものを着て帽子か冠か分からないものを被った人物が立っていた。そして本人すら覚えていないような些細な罪まで延々と述べ、「地獄行き」ようやく判決を下した。その横では書記か秘書の様なのが、一心不乱に記録を付けている。
「何か申し立てはあるかな?」「特にない。もうういいか?疲れてるんだ」下らない問いにやや切れ気味で答えを返した時、「お待ちください」横で声が聞こえた。見ると大きな蜘蛛が立っており、先程の判事らしき男と話をし出した。
「よかろう。お前の好きなようにするがよい」そう言うと判事は「次!」そう叫んだ。と同時に、例の蜘蛛が一番手前の前足を器用に動かして糸を造り、ぐるぐる巻きにして俺の身体をひょいと右の前足で掴んで持ち上げた。「おい、どこへ行く気だ?」蜘蛛は何も答えない。ドンドン薄暗い廊下を進んでいく。
やがて、明るくなった。どうやら外に出たようだ。そして、次の瞬間、俺の身体を力いっぱい放り投げた。下には、深く暗い穴が大きな口を開けていた。宙に投げ出された俺の身体は、蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされているため、身動きが一切取れない状態でドンドン下に落ちていく。暗く深い穴の奥を見つめる蜘蛛の眼は無表情だった。漆黒の闇の中を落ちていく中、上から、声が聞こえたような気がした。「この方がお互いのためだ」極めて無機質な響きだけが耳に残った。
今回は、以前見た夢の話に材を取り、書きました。感想を頂ければ幸いです。