7 勝負!
「それでは、ルールのご説明を申し上げます!」
会場に響く、やたらと明るい司会者の声。舞台の上のトスナル達三人を容赦なく襲う、強烈なスポットライト。
やる気満々の坂東と、ブキミに目をギラつかせる北野に対し、トスナルの蒼い瞳には、覇気がちっとも感じられない。
「フィアンセ候補になるには、二つの戦いを勝ち抜いていただくこととなります。一回戦で二人に絞られ、二回戦で残り二人のうち一人が、勝者となるわけであります!」
おおー
どよめく、会場。
(あーあ、やってらんないよ)
猫背のように背中を大きく曲げ、欠伸をかました、トスナル。
舞台のすぐそばのテーブルにいる京子は、当然、トスナルの欠伸など見逃さない。燃える真紅のオーラを体全体にみなぎらせ、トスナルを睨みつけている。
異様なオーラを舞台下に察知したトスナルは、無理矢理に目を見開くようにして、その目を司会者へと向けた。
「なお、挑戦者のトスナル様は魔法使いとのことですが、公平のため、トスナル様の魔法の使用は、禁止させていただきます」
(えっ! 聞いていないわよ!)
京子は頻りと目をぱちくりとさせながら、司会者を見遣った。
「それでは、京子お嬢様、一回戦のテーマをお願いいたします!」
とまどったままの京子の口元に当てられた、一本のマイク。
「第一回戦は、ち、『力自慢』対決!」
上ずった声で、京子がそう宣言した。
☆
二人のボディガードを引き連れ、廊下をのっしのっしと歩く、北の国缶詰株式会社、代表取締役社長の田中野火夫。ボディーガード達は二人とも黒のスーツに黒のサングラスという出で立ちで、片方は横幅が広く、片方は長身の痩せぎすだった。
「ボス、お嬢さんのフィアンセ候補達の戦いは見なくていいんですかい?」
「バカヤロウ! ここでは社長とお呼びしろといったはずだ。気をつけろ!」
横幅のがっちりした腕力の強そうな男の問いに、長細いキツネに似た感じの姿の男が、即座に叱りつける。一瞬、大きな体をびくつかせて震え上がった、がっちり男。
「……まあ、そう怒るな、ズヌーブル。ベシャンも悪気があったわけではなかろう?」
田中氏の温和な顔にはめ込まれた、まるで見たものすべてを凍てつかせるかのような鋭い眼差し。それを一瞬向けられた金髪の痩せた男は、畏まったように、黙って頷いた。
男達の、五メートルほど後ろ……音もなく男達を追う、小さな影。
「じゃあ、君たちはここで待っていなさい。中までついてくる必要はなかろう?」
「へいっ……社長」
トイレの入り口に構えた二人のボディーガードは、廊下をくまなく見渡し始めた。
影が、トイレに近づいていく。けれど、男達はそれに気づかない。
うっ……
とそのとき、小さな呻き声とともに倒れたのは、がっちり男の方だった。
「ん、どうした? 寝ている場合では――うっ……」 キツネ男も、倒れた。
影は、少しだけ開いたトイレの扉から中へと進んだ。と同時に、田中社長が、用を済ませて、洗面台へと向かう。
蛇口をひねり、手を洗いながら鏡を見つめる、田中氏。瞬時に変化した、彼の目つき。田中社長は、ゆっくりと蛇口を閉めると、鏡に向かって話し始めた。
「……どうやら、パーティ会場に私のストーカーが紛れ込んだようだね――姿を見せたらどうだ?」
ゆっくりと、物陰から「影」が姿を現す。
田中氏の見つめる鏡に映ったのは、黒猫が一匹。それは、探偵事務所助手の、クンネだった。
「ほほう――さすがだぜ、よくオイラの気配がわかったな」
「なんだ、ドロボウ猫だったか……入り口の男達はどうした?」
「うん、魔法でしばらく寝てもらってる。もう少し、使えるヤツを部下にした方がいいんじゃないのかな、田中さん。いや、こう云ったほうがいいか……暗黒魔法団ボス、ヤンビフさん」
「……」
田中社長が、ゆっくりと振り向き、クンネと向かい合う。その両眼は、地獄の炎のように、ブキミに赤黒く、光を発していた。
「キミとは、落ち着いて話した方が良さそうだ――私の使っている特別室へと、ご招待するとしよう、ドロボウ猫さん」
「ほほう、望むところだ――御馳走、忘れんなよ」
クンネの目線と田中氏の目線が、激しくぶつかり合った。
☆
「ぬおおお!」
「どぅはあああ!」
クンネと田中社長が廊下で睨み合っていた頃に大広間で繰り広げられていたのは、腕相撲の競技だった。テーブルの上で、大柄な北野の腕が小柄な坂東の腕を絡めるようにして、ぎりぎりと音をたてている。
(ああ、よかったあ。ボク、力なんて無いから、勝つわけないもんね)
トスナルは胸を撫で下ろし、二人の腕相撲をほくそ笑みながら、見つめていた。
がはっ!
坂東の声とともに、ついに北野の腕が坂東の腕を倒して、一回戦・第一試合の勝負がついたのだ。ガッツポーズを決める北野。坂東は、地団太を踏んで悔しがっている。
「次は、坂東さんとトスナルさんの対戦! 坂東さんは連続になるため、五分後に試合を行います!」
トスナルを歯ぎしりしながら睨みつける、坂東。トスナルは、(大丈夫ですよ、ボクは勝つ気ありませんから)という意味の目くばせをしてやった。
けれど、坂東はそんなトスナルの目配せの意味がわからずに、益々、いきり立った。
「あなたには、負けませんからね!」
(だから、負けてあげるって云ってるのに……)
トスナルは、肩をすぼめた。
それから、五分後。
「れぃでぃー……ごおぉ!」
マイクの音が割れんばかりの、奇声。そんな司会者の掛け声とともに、腕相撲が始まった。
ぐぐぐぐっと、ひ弱なトスナルの腕を押し込む、坂東の腕。
(よし、これで負ける!)
にやりと開いた、トスナルの口元。とそのとき、トスナルは、異様な、まさに地獄からやって来た使者が発するような暗黒の視線が、自分の横っ面に直撃しているのをひしひしと感じたのである。
体中が、コンクリートのようにカチンと固まってしまった、トスナル。坂東が力いっぱい腕を押しても引いても、びくともしない。
トスナルが、オソルオソル視線のほうに首を向ける。と、その先には、悪の権化と化したハデハデ女が、トスナルを睨みつけているのが見えた。まさに、鬼の形相とは、これをいうのであろう。
(ひえっ! お京さん、こわっ!)
そのとき生じた、トスナルの体の変化――漲る、腕力、躍動する、筋肉。
(あわわ、勝手に腕が動く!)
それから数秒後、トスナルの意志とは全く無関係に右腕は戦いの劣勢をものの見事にはね返し、坂東の腕をねじ伏せてしまったのであった。
(あちゃあ)
がっくりとうな垂れる、坂東とトスナル。
「トスナル選手の勝利! 二敗した坂東選手は、ここで脱落、退場です!」
司会者の、溌剌とした声が、大広間にこだました。
☆
山奥の巨大な屋敷の、一番奥の部屋――
黄金色の額縁やロウソク立て……目も眩むばかりの、きらびやかな装飾品の数々。
「我が特別執務室に、ようこそ……ドロボー猫さん」
大きな肘掛け椅子にもたれかかり、北の国缶詰株式会社社長、田中野比夫は、余裕有り気に微笑んだ。
「オイラには、クンネという名前があるんだよ。覚えときナ」
「ほほう……クンネ君かね。猫にしては、オシャレな名前だ」
革張りの茶色いソファーにちょこなんと座ったクンネを見据える、社長。
「まずは、素晴らしき来客にご馳走をお出しするなんてのはどう? あ、でも魔法で作った食べ物は、まずいからイヤだよ」
フンッ
田中社長が、「いやしいヤツめ」的に鼻を鳴らし、右手をパチッとやった。
クンネの前に現れたのは、空中に浮いた巨大な皿の数々。皿の上に盛られていたのは、カニばかりでなく、肉や野菜、フルーツまである。
「オイラ、カニだけで充分だけどね」
クンネは、何も云われないうちに空中の皿に前足を伸ばして、カニを貪り始めた。
「お、これは本物だ。ウマイ!」
「なあ、クンネ君とやら――そろそろ、私に近づいた本当の用件をお教え願いないか? ……そもそもアンタ、何物だ?」
ピタリ、動きの止まったクンネ。
ニヤリ、と鋭くニヤついた口から突き出ているのは、先の尖ったカニの爪。
「ははは……ヤンビフ、耄碌したか。実の兄のオーラがわからんとは――」
「な、なんだと?」
カニの足をくわえた黒猫は、一瞬鈍い銀色の光を発した後、その姿をムクムクと人の形へ変えていった。
銀色の光の後に現れたのは、白ひげを生やし、黒光りする杖を持った、一人の老人。
「お、お前は、マドガン!」
「久しぶりじゃな、ヤンビフ。我が弟よ」
マドガン導師は、クチャクチャと口を動かしながら、人生の全てを染み込ませたような温和な目つきで、田中社長を見つめていた。
☆
「二回戦は、のど自慢対決!」
まるで全身がダイヤモンドのように光り輝やかせた京子が、会場の人々に向かい、高らかに、宣言。
自信有り気にガッツポーズをする、北野。トスナルは、やれやれと額の汗をぬぐった。
(自慢じゃないが、ボク、歌はうまくないからね)
ほくそ笑むトスナルに刺さる、強烈な京子の視線。トスナルは慌てて顔の筋肉に力を込めた。
「最初は、トスナル選手からお願いします。トスナルさん、曲目は何にいたしますか?」
(はあ? いきなり云われても……)
マイクを向けられ、どぎまぎ、慌てふためくトスナルの口から出て来たのは、日本人ならだれでも知ってる、あの、「どんぐりが転げ落ちてどうなった、こうなった」とかいう内容の童謡の題名だった。
はああ?
会場全体から発せられた、疑問符。
「そ、それでは、トスナルさん、お願いします!」
部屋の隅に取り付けられた、いかにも高価そうな、巨大で黒光りするスピーカー。そこから勢い良く流れ出す、童謡のリズム。
「――お縄にかかって、もう大変!」
(そんな歌詞だったかしら?)
怪訝そうに彼を見つめる京子には目もくれず、魔法使い探偵は、無雑作に口を動かしながら、歌い続けた。
歌が終了しても、相変わらず静まり返る、大広間。
(やった! これで『負け』確定だ)
トスナルは、京子の顔をなるべく見ないようにして、無表情で舞台を降りた。
「それでは、次に北野さんです。曲目は?」
キラリ、目を光らせた北野が、曲目を告げた。それは、世の親父たちが大好きな、あのカラオケの定番だった。
おおーっ
会場から湧き上がる、期待の声。ライバル心むき出しの北野が、その歓声を味方につけながら、自信に満ち満ちた表情で、トスナルを睨みつけた。
雄大な星空を思わせるイントロに身を任せながら、ゆっくりとマイクを、口へと運んでいく。
北野が口を開いた瞬間だった。
どぅわああ!
あまりのその歌唱力の酷さに、会場のあちこちから、イスやテーブルの倒れる音がした。
(何でこんなに下手くそなんだよ! さっきの自信ありげな表情はなんだったんだよ!)
がっくりとうな垂れるトスナルに、女王の威厳ある笑顔を向ける、京子。
「さあ、勝者はどっち?」
北野の聞くに耐えない歌の終了と同時に、京子にマイクが向けられる。
「勝者、トスナル!」
おおー
京子の言葉に、盛り上がる会場。皆、その判定に納得したように、拍手喝采の嵐。
ただ一人、トスナルだけは肩を震わせながら、愕然とうな垂れていた。
「そんなばかなぁぁぁ!」
トスナルの悲痛な叫びが、大広間に空しくこだました。