4 ライバル登場?
クリスマスパーティー当日の、午後三時。
トスナルの愛車、『スーパーウイザード三号』(ごみ置き場で拾った新聞配達用の緑色自転車なのだ!)は、鬱蒼とした森の中の細い砂利道を、じゃりじゃりと音を立てながら、突き進んでいた。
「おい、トスナル! 本当にこの道で合ってるのか?」
激しく揺れる自転車かごの中で、ひげをヒクヒクとさせながら、黒猫が怪しんだ声を出す。何度も頭をかごにぶつけたらしく、耳のうしろが赤く擦りむけている。
「うん。これが、近道のはずなんだ……それにしたってさ、パーティー会場がこんな遠い山奥なんて、反則だよ」
――探偵事務所を出発して、すでに二日。
冬の真っ只中だというのに、魔法使いの黒いフードから滴り落ちるのは、汗だった。
「ホント、こういうとき魔法ってのは役に立たないよね。一度も行ったことない場所には瞬間移動できないんだから」
「魔法にしろ、なんにしろ、完璧なものなどこの世にはないのさ……ん? もしかして、あれじゃないのか、会場」
艶消し黒の毛をなびかせ、突然かごの中で立ち上がったクンネは、木の間から時折ちらちらと覗く崖の上の洋館を、そのピンクの肉球で指し示した。
「うん。きっと、あれだよ。パーティー開始は五時だし、急ごう」
トスナルは、油切れっぽい音をキイキイ鳴らしまくるスーパーウイザード三号のペダルを、勢い良くその両足で回し始めた。
トスナル達が会場の洋館の前にたどり着いたのは、午後四時を少しまわっていた頃。
「ふーっ。何とか間に合ったね」
トスナルは自転車を館の横にとめながら、胸を撫で下ろすように云った。
「ご苦労さん」
クンネが自転車のかごから、トスナルの肩に、ぴょい、と乗り移る。
「それにしても、すんごいお屋敷だぁ!」
黒ずくめの皮ローブを着た童顔の魔法使いが、やや薄い蒼色の空を眺めるかのように、天を見上げた。呆れるくらいの大口を開けた黒猫も、それに合わせて、頷いた。
一人と一匹の目の前には、「これでもか」というくらい窓の数の多い、まるで城のような白壁の建物が、聳えている。
「トスナル様……ですね? お待ちしておりました」
うっひゃあ!
突然人の気配を感じ、思わず背後へとのけ反る、トスナル。先ほどの声の先には、眼鏡をかけた初老の男が一人、ぽつねんと立っている。
「び、びっくりしたあ……あ、はい、ボクがトスナルですが――」
ドキドキと波打つ胸を押さえながら答えるトスナルに、その男は、やや額の広がった頭を見せて、笑いかけた。
「私、当館の執事で脇本と申します。どうぞ、お見知りおきのほどを……。早速ですが、お急ぎ、館の中へお入り願います。他の出席者の皆様は、すでにお待ちですので」
館の執事で脇本と名乗った男は、その肩に一匹の黒猫を乗せた怪しい男にはまったくもって動じもせず、右手全体で、館の入り口の方向を、ゆっくりと指し示した。
ぎいいぃぃ
大きな音をたてて開いた、大きな扉。玄関口。
トスナルが執事に連れられて、館の中へと進んでいく。そこで、トスナルの目前にまず広がったのは、高い天井にぶら下がった、眩しいほどの巨大なシャンデリアだった。
ぎいい――バタン、と重そうな音をたてて、扉がトスナルの背後で閉まった。
「控え室は、この奥になります……」
背の低い執事は、背中を丸めながら、トスナルたちを奥へと案内していく。
そのとき、トスナルはクンネが怯えたように、肩の上で小さく小刻みに震えているのに気づいた。
「どうしたの? クンネ、震えてるよ」
「お、おう。さっきから、なにかイヤな感じがして、仕方がないんだ」
(イヤな感じ?)
トスナルが小首を傾げながらクンネの背中を撫でると、その体中の毛が逆立っているのが、分かった。
「控え室は、こちらでございます……」
廊下を突き当りまで歩いてきた執事が、右手にある部屋の前で立ち止まる。
「時間になりましたら、お呼びに上がります。それまで、ごゆっくりお過ごし下さい」
そのとき一瞬、執事の眼鏡がシャンデリアの光を反射したためか、キラリ、と光った気がした、トスナル。脇本は、深々と頭を下げ、音もなくどこかへと去っていった。
「こ、ここにいればいいんだね――」
トスナルがドアを開けると、丸いテーブルがいくつか並べられた、小さなホールにでもなりそうなほどの広い部屋が、目の前に現れた。
ふと、魔法使いが気づいたのは、キン、と冷たい、肌を刺すような視線。
「なんだ、来たのか……てっきり、逃げ出したのかと思っていたが――」
その視線の主は、左手のテーブルの位置で、にやけながらグラスワインを傾ける男だった。漂白剤で洗ったかのような白い顔に、採れたてのワカメの塊のような髪の毛をぺろんとのっけて、メガネフレームの奥からトスナルを睨みつけている。
「まあまあ、北野さん。そんなことを、おっしゃるものではありませんよ」
トスナルの右手から近づいてきたのは、色黒のスポーツマンらしき、別の男。キラリと白い歯を光らせ、右手を差し出してきた。
「私、坂東満男と申します。これでも、ちょっと有名な料亭の三代目なんですよ。まあ、お店は世界中にありますけどね――えっへっへ。で、あなたは?」
坂東が、爽やかな笑顔でトスナルを圧倒しながら、声をかけてくる。仕方なく右手を出し、トスナルは握手を交わした。
「わ、私はトスナルと申します。た、探偵事務所をやってます」
「ほう、探偵さんですか! どおりでそんなに真っ黒なお姿で……」
坂東は、黒ずくめのフードつきマントを珍しげに眺め回したあと、トスナルに横顔に自分の顔を近づけて、そっと呟いた。
「ほら、あそこでワイン飲んでる人――。IT系の会社の社長さんで、北野完治さんていう、らしいです」
「ふうん、そうなんですか」
トスナルが、北野に視線を向ける。しかし、トスナルと目が合った北野は、ふんっ、とそっぽを向いたまま、グラスの中のワインを、飲み干した。
(感じ悪いな……そんな目でボクを見なくても……)
いじけながら、淋しげにトスナルが肩をすくめた。
「この広い部屋に、ボク達三人だけなんですねえ……他には、いないんでしょうか?」
不安げに呟いた、トスナル。それを聞いた坂東が、目を丸くして驚いた。
「えっ、聞いていないんですか? 私達三人が、どうしてここにいるのかを――」
「へ? ど、どういうことなんですか?」
「そ、それは――」
坂東がそう云いかけたとき、トスナルの肩の上のクンネが、「ぎゃおっ」という悲鳴のような泣き声をあげて、突然、床へと飛び降りた。
「こ、こりゃすげーぜ。トスナル見ろよ、食べ物の山だっ!」
部屋の奥への方へと、四足でダッシュしていった、クンネ。
ほほ? ほっほーっ!
大声を上げ、クンネを追いかけるトスナル。その先には、うずたかく食べ物の積まれた、長方形の大きなテーブルがあった。
言葉を操る黒猫を目の当りにした坂東は、先ほどよりもっと大きく目を見開いて、はしたなくテーブルの上に乗り上げた黒猫を呆れた目つきで眺めている。北野もワイングラスを思わず落として、目をぱちくりとさせるばかりだ。
「こ、これ、全部食べていいんですか?」
肉にフルーツに、オードブル……それと、北の国缶詰株式会社主催のパーティーらしく、立派なタラバガニや毛ガニなど、まるで海底で行われるカニの集会の如く、数えきれないほどたくさんのカニが、所狭しと並んでいた。
「い、いいと思いますけど……ね」
よだれをダリダリとたらす黒服の男と黒猫に向かって、坂東がきょとんとした感じで、答えた。
やったああ!
モーゼンと食べ物をがっつきだした、一人と一匹。まるで、黒いスライムの塊がうようよとうごめきながら、そこらじゅうにある総ての物体を飲みこもうとしているかのように見える。
「そ、そういえば、昨日から何も食べてなかったね」
ぶ厚い肉で、ほほを風船のように膨らませながら、トスナルがクンネに微笑む。
「お、おう。生き返るぜ」
バリバリとカニの殻を歯で割りながら、ごろごろと咽喉を鳴らした、クンネ。
部屋に響き渡る、壮絶なガツガツ、バリバリという、がっつき音。
「……。アイツには、勝ったな」
ニヤリ、と笑いながら、北野がグラスをテーブルに置く。
と、そのとき、部屋の入り口のドアが、重々しくゆっくりと開いた。
現れたのは、先ほどの執事、脇本だった。
「……みなさま、お時間です」
彼は、ゆっくりと頭を下げながら、噛み殺したような聞き取りにくい声で、そう告げたのだった。