1 おとなしいお京さん
その街は今、ジングル・ベル一色。クリスマスの季節だった。
トスナル探偵事務所近くの、商店街。
そこかしこに並べられた小さな『もみの木』たちは、どれもこれも本物の雪のかわりに綿をかぶり、昼間から電球の明かりでチカチカと光りっぱなしだった。
あたりに鳴り響くのは、クリスマスソング。
ちょっと街外れの探偵事務所にも、朝から晩までリンリンシャンシャン、耳にタコができるくらい、聞こえて来るのだ。
「うるっさいなあ……これじゃ、オチオチ昼寝も出来ないぜ」
探偵事務所の助手、黒猫のクンネは、コタツの布団で丸まりながら、音の漏れてくる窓の方向をにらみつけた。
――トスナル探偵事務所――
ここは、魔法使いで探偵のトスナルが所長を務める、探偵事務所。
優秀な魔法使い警察官だった彼の兄を殺めた『暗黒魔法団』という組織を捜すため、彼は魔法使いの修業をした後に探偵となって、この街にいる。
銀色の髪に、蒼い瞳。普段は黒い革張りの魔法使いのローブに身を包んだトスナルは、ぱっと見、二十歳そこそこくらいにしか見えないのだが、それは恐らく彼の持つ魔法の力のせいであろう――本当は、三十八歳のおっさんである。
この探偵事務所には、ほかに二人(正確には一匹と一人)の関係者がいる。
探偵助手であり、ダラダラとコタツに丸まってばかりの黒猫のクンネと、この事務所の秘書、「お京さん」こと田中京子である。
探偵助手のクンネは、見るからに貧相で痩せぎす、艶消し黒の毛で全身を覆われた正真正銘の猫である。が、人間の言葉を操り、トスナルの過去をこの世の誰よりも知っている点は、一般の猫とは大いに違うようだ。そして、トスナルが魔法使いとして独り立ちし、ここで探偵事務所を開いて以来ずっと、その片腕として寄り添ってきた。ただ、その腕は滅多なことでは働かないのではあるが……
「カニ缶」が大好物な、クンネ。それを知ってか知らずか、最近は、秘書の京子がちょくちょく持参する「カニ缶」を頂戴して、何とか食いつないでいる状態だった。
そして一方、お京さんは、何故かこの貧乏探偵事務所の秘書にして、運転手付の巨大なリムジンで通勤をする、謎のお譲様である。その素性が解らないのは、実は、探偵でもあるトスナルが「面倒くさい」いうただそれだけの理由で、よく調べていないからだ。
京子は半年ほど前に、自分の飼い犬である「ナッキー」の殴打事件の捜査依頼のためにこの事務所にやって来た。それがきっかけで、何故かここを気に入ってしまい、突然、「事務所の秘書になる」と宣言したかと思うと、ずっとここに居座っているのだった。
勤務時間は、午前十時半から午後三時。なんと優雅な、秘書ライフ……所長のトスナルや助手のクンネを顎で「こき使って」雑用をこなす、毎日なのである。
――話を元に戻すと――
探偵事務所の中は今、外の季節に合わせて、すっかり冬モードになっていた。
夏の間活躍した、テーブルやソファーはどこかに追いやられ、代わりに大きなコタツが一つ、事務所の真ん中に置かれている。
「まったく……クリスマスまで、あと一週間もあるってのに、ずっとこの格好してろってか?」
黒猫が、不満そうに呟いた。
立派な白い角の付いた、茶色の毛皮服。
それは、探偵事務所秘書の京子が、どこかのペットショップで買ってきたらしい、猫用のトナカイ「なりきり」グッズだった。
いつもの年なら、クリスマスなどまるっきり縁のない探偵事務所も、今年はクリスマス気分一杯だ。
「お京さん、ホント、強引なんだからさぁ」
クンネは、はあっとため息をつきながら、部屋中を埋めつくした金色のモール飾りや、クリスマスツリーのてっぺんについた造り物のお星様を見遣った。
と、そのとき事務所の狭い部屋に出現した、小さな旋風。
クリスマスツリーの枝を揺らしながら瞬間移動魔法で現れたのは、当探偵事務所・所長のトスナルだ。
普段は、真黒な毛皮のローブを着ている彼。だが今日は、何故か赤く染まったキルト地の魔法使いのローブを身に着けていた。頭を覆うフードの先には、白くて丸い、毛糸のかたまりのような玉も見える。
「お帰りー。プレゼント配りは順調かい? サンタさん」
魔法使いをからかう、角の生えたクンネ。
「プレゼントは、クリスマスイブの日に配ると決まっているのだよ、トナカイさん」
赤いサンタ服のまま肩をすくめる、トスナル。
「今日も、情報収集で北関東に?」
クンネの言葉に、トスナルは軽く頷いた。
「ああ……クラーナの『キタカン』という言葉、絶対に北関東の意味だと思うんだ。暗魔団のボスは、北関東のどこかの県にいるんだよ、きっと」
「そうかなあ――」
クンネが、首を傾げた。
「で、今日はどこに行ってきたの?」
「福島県」
「ええっ!」
頭の角をおどらせて、コタツから飛び跳ねたクンネ。
「福島って、東北じゃん!」
「なにぃ?」
慌てて懐からボロボロの地図帳を取り出し、ペラペラめくり出すトスナル。
「しまったああああ!」
がくりと膝を落としたトスナルの肩が、小刻みに揺れた。
「小学四年のときから使ってるこの地図帳を、よく見もしないで福島に行ってしまうとは――ボクは、探偵失格だあ!」
(それ以前の問題だと思うがな……)
クンネは、あきらめ顔で、コタツに丸まり直した。
「……で、今までに何か掴めたのか?」
クンネが、話題を変える。
「いや、それが……まだ何も……」
トスナルは疲れきった顔をして靴を脱ぎ、コタツに潜り込んだ。
そのとき聞こえた、ドアのノック音。
「はい、どうぞ。開いてますよお」
気の抜けたトスナルの返事を聞いてそこに現れたのは、一人の女性だった。
「なんだ、お京さんか……。どうしたの? 突然ノックしちゃってさ――」
少しがっかりしたような、クンネの声。
「いえ、私は……」
「ほら、寒いじゃないですか。早くコタツに入って」
「は、はい……」
トスナルに急かされ、女性があわててコタツに入る。コタツの横にきちんと並べられた、茶色のローヒールの靴。
「お京さん、お茶でも飲みますか?」
すっかり小間使いに慣れてしまった所長のトスナルが、コタツから立ち上がる。
「あら、お茶なら私が入れますよ、トスナルさん。えーと、台所はそっち?」
さっと凍りつく、部屋中の空気。
ええええええっ!
一匹の猫と一人の男が、震えおののく。
「わ、わたしがいれます、だって?」 黒猫のしっぽの毛が、逆立つ。
「と、とすなるさんって、さんづけ?」 魔法使いの顔が、恐怖にゆがむ。
「な、なにか変なこと、いいました?」
目をぱちくりさせる、女性。
クンネが、トスナルの肩に慌てて飛び乗った。
ずざざざざっ
肩に小さなトナカイを乗せ、壁に向かって後ずさりするサンタクロース。
「そ、そういえば、今日のお京さん、変だぜ。口紅はいつもより地味だし、服装も地味なベージュ色のスラックス……。なにか悪いものでも食べたのか?」
トナカイの声が、少しうわずっている。
「いや……さては、お京さんに変身した暗魔団の手先だな? そんな、まともなしゃべり方と服装では、バレバレだぞ! 正体をあらわせ!」
顎鬚のないサンタクロースの目が、オレンジ色に光る。
「あのう、ですから、私は――」
女性がそういいかけた瞬間、事務所のドアが、激しく音をたてて開いた。
派手なピンクの口紅に、ケバケバしい豹柄の毛皮コート。痛いほどに目を刺激する、パステルブルーのスーツ。
「それは、アタシの姉よ」
まぎれもない本物の京子が、そこに立っていた。
「お京さんのお姉さん?」
二人の女性を見比べる、クンネ。
「ほとんど、同じですけど……」
トスナルは悪い夢を見ているかのように、首を激しく振った。
「そりゃそうよ、双子だもん。トスナル、お茶ちょうだい!」
「は、はいっ!」 あわてて台所へと向かう、トスナル。
京子が、姉の正面に座った。
白いハイヒールが、無雑作に床に脱ぎ捨てられている。
「で、なにしに来たのよ、和美!」
京子が、ナワバリを荒らされた犬のように、姉に噛みつく。
「あら、京ちゃん、そんなに怒らないで。今日は、トスナルさんにお願いしたいことがあったものですから……」
呆れ顔で肩をすくめた、姉の和美。
(お願いしたいこと?)
肩の上の小さなトナカイの耳が、ピクリと動いた。
お盆の上に三つの湯飲みをのせ、コタツに戻ってきたサンタさん。
「そちゃ、ですが……」
一番大きな湯飲みを京子の前に、残りの小さな湯飲みを、和美と自分の前に並べる。
「京ちゃん、所長のトスナルさんにお茶を入れさせるなんて、一体、どんなお仕事の仕方をしてるの?」
やや説教モードになった姉の言葉にも、京子は怯まない。
「そんなの、和美には関係ないじゃない」
ずずずっ
湯飲みをかたむける、京子。
「そ、それより、オイラたちに頼みたいことがあるとか?」
金色に光る、クンネの鋭い目。和美がトナカイの黒猫とサンタクロースの探偵を、微笑ましく見つめた。
「はい。実は、これなんですが……」
和美は、手に持った黒のハンドバックから、一通の白い封筒を取り出した。