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隆汐町の奇怪恋愛譚

魔女とブレスレット

作者: 柊木隼人

走り抜けて行く。

世界が自分を置き去りにしていく感覚。僕は今、そんな感覚に襲われている。僕はよくこの感覚を味わう。見ている空に浮いている雲が風に流されて僕を追い抜いていく。僕はその速さに追い付けず、雲はどんどん離れていってしまう。世界は僕をひとり取り残して進む。そんな感覚。

少々悲観的な表現かもしれないけれど、僕はその感覚が案外好きだったりする。隣にいる同じ速度で進んでいるそれを堪らなく愛しく感じられるから。

今隣にいるそれは他のどれより特別愛しい。もう少し速く歩けと急かしてくる。そうは言いながらも僕のことを待ってくれている彼女。僕はそんな彼女に惚れている。彼女にとってはほんの気まぐれかもしれない。でも、少なくとも僕はそれに幾度か救われたし、何よりも嬉しかった。十月九日、十七時現在。僕は彼女に恋をしている。




1.遭遇


僕、夕上(せきじょう)初十(はつと)はひとり、自室のベッドの上に寝転がる。二階にある自室は暗く、電気の明かりは携帯電話だけだ。代わりに部屋を照らすのは月明かり。白く薄いカーテンをすり抜けて淡い光がベッドの上の僕を包み込む。

父が死んだ。優しく威厳のあった父がである。家族を大切にし、働き者で、でもどこか抜けていて、いつも笑顔だった父が死んだ。40歳を迎えてすぐに病に伏した父はもう少しで退院できるというところで、病が再発。治療の施しようが無くなり、宣告された余命は一週間。最後に父は母と僕たちに会えて、一緒にいられて幸せだったと言って逝った。最後まで父らしいセリフで、一方で僕はらしくなく父に礼のひとつも言わず、ただ笑顔だけを返す。父の顔が心なしか笑顔だった気がした。

父との記憶が蘇る。誕生日は5歳の時から覚えている。妹と一緒に遊びに連れてってもらった。8歳の誕生日は水族館に。12歳の誕生日には小さい綺麗な石がついた黒いブレスレットを。僕は紫色の石で、妹は赤色の石だった。ただ大き過ぎて付けられなかったのは父が一目見てサイズを自分に合わせただけですぐに購入を決めたから。

父はずっとどこか抜けていた。でも、そんな僕もブレスレットをどこかに失くしてしまったので父のことは言えない。

僕はベッドから体を起こして窓を開ける。外は綺麗な月夜で、窓に肘を乗せて寄りかかると、静かな夜の町と一階の屋根瓦が視界に入る。窓からは暖かい風が部屋の中を吹き抜けていく。軽いカーテンは風に吹かれて大きく持ち上がり、部屋にそのままの月明かりが入りこむ。春であるはずなのに秋の哀愁にも似た感情が僕の心に流れ込んでくる。部屋の中はただただ無音で、聞こえるのは風の音だけ。

「……」

なんだろう。いつもと違う。なんというか、視線を感じる。それがなんなのかはわからないけど、何かがそこにいるのは確かだ。僕は得体の知れない何かの視線を感じながらも、雲で月が隠れた夜空を仰ぐ。すると……

――見つけた。それは一階の屋根の上にいた。こちらを向いてゆっくりと近づいて来る。雲が風に流れて月明かりが再び辺りを照らす。猫である。それも小さな子猫。綺麗で艶やかな黒い毛並み、真っ直ぐな茶色い瞳。非常に表しにくい不思議な雰囲気を纏った黒猫だ。それがこちらに近づいて来る。猫は僕がいる部屋の窓の下まで来ると僕の目を見て鳴いた。透き通った綺麗な鳴き声が僕の鼓膜に響く。心地よい鳴き声を放つ目の前の猫が可愛くなって、頭を軽く撫でる。嫌がる様子はなく、猫はされるままに頭を撫でられる。人に慣れているのかと思った僕は子猫を抱き上げてみる。猫の小さな身体がいっぱいに伸びる姿は何とも言えず愛らしい。

「……ミルクでも飲むか?」

猫はその言葉に鳴き声を上げる。これは飲みたいと言ってるのだろうか。僕は猫を下ろして小さな皿に牛乳を入れて窓際に置いてみた。猫は颯爽と窓際に飛び乗ると、小さな舌で牛乳を飲み始めた。

十時か。もう寝よう。

ベッドに仰向けに倒れる。父が死んだことに対してはまだ現実感がないまま……

思っていたより呆気なく死んでしまった父は心の中で未だに笑っているというのに。全く僕って奴は本当に鈍い。未だに心の底には痛みが届いていないのだ。きっとこの痛みはじわじわと僕を襲うだろう。僕はベッドの上でそんなことを考えていた。

なんだろう?

何かがベッドに乗る感覚がする。少しだけ身体を動かしてその何かを視界に捉える。

そこには先ほどの黒猫がいた。僕は黒猫に手を伸ばしてみる。やはり黒猫は逃げない。そっと頭を撫でる。猫は目を閉じて、されるままになる。

「お前は利口だな」

こんな猫もいるんだな、なんて考える僕に向かって猫は、小さく、しかしはっきりと鳴く。そして一体何を思ったのか、僕の胸元に寝転がった。

「慰めてくれてんのかな……」

そう一言呟く。僕はもう一度猫を撫でて自らも目を瞑るのだった。




2.気まぐれ


父の葬式は恙無く行われた。ただ、葬式が行われていた数日間、僕の不思議は続いた。いや、正確に言うのであれば、未だにその不思議とやらは現在進行形で、続いている。

父が死んだ夜。初めてあの猫と出会った夜にミルクをあげて以来というもの、猫は毎日僕の部屋に来るようになった。僕はその度にミルクを皿に入れ猫にあげた。

ここまではまだ珍しくないだろう。が、まことに不思議なのはここからだ。猫はいつも僕が寝るまで傍についているのだ。そして朝にはきっちり姿が消えている。部屋のドアを猫が開けた形跡は無く、窓も鍵は開いているが隙間無く閉じているのだ。猫が出ていこうとするなら爪で引っ掻いた痕くらい付きそうなものなのだが、そんなものは一切無く、猫がいた痕跡と言えば、端の方にミルクが若干残った皿くらいだ。猫が部屋を荒らして行くわけではないが、痕跡が全く残らないもので、初めの二、三日は気のせいかとも思ったほどだ。でも、確かに僕はあの猫を抱き上げたし、感覚は今でも思い出せる。夢ではないと、そう断言できる。しかし、だからこそ、証拠と呼べるものが少ないと自信が無くなると言うか、何となく寂しいのである。

「……時間か。行かないと」

僕はそこそこ広い家の庭を通って家の敷地から一歩を踏み出す。父の葬式は先週のこと。未だにクラスメイトからの僕に対する気遣いは解けない。けど、まあ、それでもどうせ長くて一ヶ月だ。

進む。

僕が歩く。いつものことだ。でもそれがたまに、孤独に感じる。あの感覚。あの嫌いな感覚。世界が僕ひとりを残して先に進んで行く。そんな感覚。僕はその感覚に陥る。空を仰ぐ。否、そうではない。空を見る。いいや、そんな感じでもない。例えるのであれば、そう、空中を走り抜ける。視界に映るのは空だけ。周りに風景など無い。目の前はただただ青い空が広がるのみ。自分は進んでいる。でも結局、周りの雲の速さには敵わない。雲に追い抜かれ、置いていかれる。僕はあの速さには追い付けない。僕は、世界に置いていかれる。隣には誰もいない。

――僕はひとりだ。

そう思った瞬間、僕は我に返る。もう学校に着いていたようだ。父親が死んだ直後にこの調子では要らぬ心配を掛けてしまう。気を付けなければ。

「おはよう、夕上君」

教室に入ると僕にそんな声が掛けられる。いつもなら僕に話し掛けるような人ではないのだが、同情からか、最近話し掛けてくるようになった。

「ああ、おはよう。星咲(ほしさき)さん」

僕は挨拶をしてから後悔する。ああ、しまった。何故こう呼んでしまったのか、と。

大体、彼女は嫌っているのだ。

「……夕上初十。何回言ったら解るの?」

「ご、ごめんなさい」

「いいえ、今度という今度は許さないわ。覚悟なさい。私を名前で呼べと何度言ったら理解するの?」

「さあ、呼んでみなさい」と彼女は僕の目を見て言う。そうまでされては仕方がないので僕はしぶしぶ彼女の名を口にする。

「……恋華(れんか)、さん」

「他人行儀。まあいいわ」

「文句を言うな。俺とはただのクラスメイトだろう。名前で呼ばせておいてそれはないんじゃないか?」

「あら、そう?私姓で呼ばれるの嫌いだから、その感覚は理解しかねるわね」

彼女はその顔に微笑を浮かべる。

「それに私が他人行儀だって言ってるのは、何も姓で呼ばれることだけではないわ。さん付けで呼ぶことだって他人であることを強調してるみたいであまり好きじゃないの」

確かに、初対面で名前が気になったからって名前で呼んでしまったのは僕だけど、僕にそれを求めるのは筋違いじゃないのか。今までろくに話もしたことなかったのに。

「私、あなたとは仲良くなれそうな気がするの。だってあなた良い人だもの」

「俺が良い人?」

僕は思わず聞き返す。そんなことを言われるなんて思っていなかった。星咲、いや、恋華は一体僕の何を見てそう感じたのだろう。僕は彼女に何かしただろうか。いや、していないはずだ。

「何も不思議なことではないわ。些細なことよ。あなたは私を名前で呼んでくれた」

いや、僕には十分不思議なのだが、とりあえずそれは置いておいて、それがどうして良い人になるのかと僕は彼女に問う。

「だって、私に言われたからと言って別に名前で呼ぶ必要はないでしょ。私は他の人間みたいに話し掛け易い雰囲気の人間でもないし、名前で呼んでくれる人なんて数える程度しかいないわ。いつもは会話の途中で『星咲さん』にすり替えられてしまうのよ」

まるで気の抜けない先輩か上司を相手するみたいにねと彼女は付け足す。

確かに恋華はどこか近寄り難い印象を受ける女の子ではある。髪は艶やかな黒、茶色の瞳は鋭く、態度は御覧の通り所々高圧的。例えるのであればまるで御伽噺(おとぎばなし)の魔女なのである。彼女自身が持つ迫力のお陰で、実状上司先輩などとんでもない。やり手の女社長だ。

「だからあなたが初めてなのよ。素直に私を名前で呼んでくれたのは」

まあ、僕も努力はしてるからな。

「さっきもわざわざ姓で呼んだ後に訂正して名前で呼んでくれたものね」

「は……?」

「一人称も『俺』より『僕』の方が合ってるわよ。モノローグみたいに『僕』にしなさい」

「ウソ!?口に出てた!?」

「あら。まさか本当に言っているとは」

ハッタリだったのかよ!

「そういうことだから、これからも仲良くしてね。夕上君、いえ、初十君」

春は出会いの季節とはよく言ったものだ。既に桜は散ったというのに、出会いというヤツはまるで遠慮がない。彼女との出会いに僕は翻弄され続けているのである。




3.魔法


さて、季節は変わり梅雨時。僕らの町にも雨雲がやって来た。雨は結構好きではあるが、今はぶっちゃけ参っている。

「今日は降らないって言ってたのに……」

僕は学校一階玄関の屋根の下で立ち尽くす。

傘が無い。普段であれば置き傘やら折り畳み傘があるのだが、今日に限っては生憎持ち合わせていなかったのだ。最近の天気はほとんどこの調子で昨日までの三日間はほぼ降り続けていたのだが、今日になってようやく天気予報で晴れマークが付いたと思ったらこれなのだから困る。梅雨時ももうすぐ終わるというのに。最後の最後にこれではそりゃ途方にも暮れたくなるだろう。

「あら?こんなところに雨に降られて帰るに帰れない憐れな少年がいるわね」

そんなセリフが後ろから聞こえてくる。誰の声かなど想像に難くない。

「あら。誰かと思えば夕上初十君じゃない」

いつもの特徴的な話し方。ちょっと高圧的で、上から目線で、くどい。

「何だよ。僕が憐れだって?」

「ええ、憐れだわ。この梅雨時に傘も無いなんて。お笑い草ね」

「全く同感だよ。本当、忘れた日に限ってこうなんだからさ。バカみたいで笑えてきた」

「なら呼び方を改めましょうか。そうね。《雨に降られたピエロ》とでも名付けましょう」

「笑った僕は最早道化扱いなの!?」

いつの間にか定着したこのやり取りにも僕はもう違和感を感じなくなっていた。感覚の麻痺。慣れというヤツかもしれない。むしろ心地良さすら感じている。

「でもそういうお前だって雨具の一つも持ってないじゃないか」

僕の指摘はきっと誰の目から見ても正しいものであるはずだ。事実恋華は制服姿のままで、バッグ以外に何かを所持している様子は微塵もない。折り畳み傘があるのなら玄関に着いた時点で出しているはずだ。

しかし彼女はこう言う。

「雨具なんて必要ないわ」

「何だよそれ。防水スプレーでもあるのか?」

「防水スプレー?何それ?」

防水スプレーじゃないのか。じゃあ何だ?

「あなたとは違うのよ」

「なんだよ。制服が特注なのか?」

「違うと言っているでしょう。兎に角、私には雨具なんて必要ないのよ」

恋華は自信ありげに言う。ここまで自信たっぷりの嘘だと逆に分かり易い。

「なあ。やっぱり忘れたんだろ?正直に言えよ」

「そっ、そんなことはないのよ」

本当かよ。素直じゃないなぁ。

自分でもしたり顔とわかるほど上がった口角を見られないように口元を手で覆い隠す。

すると恋華は突如として踵を返す。

「私は裏から帰るわ。じゃまた明日ね」

「え?ああ、また明日……」

学校の裏手の方か。いつもはこっちから帰ってるのにな。でもそもそもこの雨の中雨具無しで帰れるのか?それに女の子一人雨の中に放り出して風邪引いたら大変だし……

僕はそんなことを考えているうちにいつの間にか(決して意識的にではないぞ。本当に。)学校の裏玄関の近くまで来ていた。

あ、あれ~。何故かこんなところに来てしまったー。そうたまたま通りかかっただけ。

……通りかかっただけ……

誰に言うわけでもない言い訳を頭の中で考えながら当たりに目を凝らす。

僕の目が求めるものは当然彼女の姿なのだろう。そしてその望むものを僕は玄関の外で見つける。

それはとても不可思議な現象だった。

「恋華!?」

僕が驚きで開いた口をふさぐことができないでいると、彼女は雨が降りしきる中に音も無しに降り立つ。

何故だろうか。僕はそれを割とすんなり受け入れた。

それまで全く信じていなかったものだったはずなのに、僕は一切の抵抗もなく当然のこととした。

「やっぱり初十君だった」

彼女の周りには見えない球体の何かが発生していて、それが雨を弾いていた。

「これは一体……」

「魔法よ」

恋華は少し微笑んだ。いつもと違う、淋しそうなその微笑み。その理由にはすぐに思い当たった。

この町には魔女が住んでいるという話がある。話自体は他愛のないものだが、一部には魔女は昔、町全体に関わる重大な失態を犯しただのなんだのと言われており、そのせいで町の人々に災いが降りかかったために人々の呪いでこの地に縛り付けられているという記述がある。

そしてその魔女が使う魔法。それは水を操る魔法だということ。

時に山の水脈を掘り当て川を流し、時に星を読んで雨を予知したという。

ここで一つ仮説を立ててみる。【星】を読んで【先】を見る。星、先。星咲。まあただの考えすぎかもしれないけど。

でも姓は兎も角、この姿を見れば恋華が何者なのか一目瞭然だった。

「魔法、か」

彼女にしては珍しく目を丸くしている。それがどういう感情なのかはわからないけど、とにかく僕はそれどころではなかった。

「これが魔法。まさか本当にあるなんて……」

「……普通ならもう少し恐がってもいいのに。あなたやっぱり変わってるわ」

彼女はそんな言葉を僕に向ける。でも僕は、

「でもその普通って世で言うところの常識だろ。僕は自分の普通に従うことにしてるんだ」

恋華はぽかんと口を開けている。僕は何も可笑しなことは言ってないはずなんだけどなぁ。

「ふふ、面白いわね。本当に初十君は面白いわ」

「そりゃどうも。何か賞品でもあるのかね」

「そうね。なら傘の無いあなたにぴったりの賞品をあげるわ」

恋華がそう言うと彼女の周りにある透明な球体に向かって雨が避けるようにして直線の道が伸びてくる。まるでビニールを広げて雨を防いでいるかのようだ。

これが魔法なのか……

「どうしたの?入りなさいよ」

「え……、ああ」

言われるままに僕は雨の中にできた道を渡る。変な気分だ。すぐ隣では激しい雨が降っているのに僕はその雨には濡れないでいる。

「じゃあ行きましょうか」

恋華は歩き始める。僕も恋華の歩幅に合わせながら、肩を並べながら歩く。

僕らは少なくとも友達にはなれたらしい。

さて、友達同士が揃えば始まるのは他愛もない話。

「しかし放課後になってから結構時間経っちゃったな。まあ、お陰で見られて誤解招くことにはならないだろう」

「そうね。魔女と一緒にいるなんて知れたら軽蔑の的でしょうね」

自分でそういうこと言いますか。なんて言うか恋華は意外とネガティブだな。

いや、諦めているだろう。

確かにこの町には魔女が住んでいるという噂があるが、僕はそれを忘れていたくらいだしな。僕にはそういうの無しにしてほしいものだけど。

そういう噂はきっと彼女を苦しめたはずだ。わざわざ過去を聞き出すなんて真似はしないが、こういう手の話の予想はしやすい。ただ、彼女の傷の深さまでは分からない。受けている以上は浅いものではないと思う。

「ちょっと、聞いてるのかしら?」

「ん?ああ、ごめん。何の話だっけ?」

「ロリとショタならどっちが萌えるかという討論をしていたのに忘れたなんて言わせないわよ」

「そんな討論をしていた覚えは無いぞ!」

「ちなみに私はどちらでもないわ」

「それじゃ僕が一人で喋ってたことになるだろ!討論していたというさっきの発言はどこ行った!」

「ウソよ。本気にしないで」

「知ってるよ」

「え?知ってたの?」

「なめられているッ!?」

まただ。恋華と話すといつも彼女のペースに乗せられてしまう。恋華と話し始めてから結構経ったが未だに彼女の話には引っ張り回されてばかりだ。

歩く歩幅は僕が合わせているのにな。

でも、こういうのも悪くないと思える自分がいる。

「でも、本当にあなたがいて良かったわ。あなたと同じ学校、同じクラスで……」

そんな恋華の呟きに僕は、

「なんだそれ。らしくないぞ」

「そうかしら。いえ、そうかもね。フフ」

彼女は微笑む。恋華はなにしろ魔法使いだ。その微笑みにだって魔法がかけられているに違いない。

僕は自分の小さな動悸にそう言い聞かせる。

「着いた。僕の家だ」

今朝も見た僕の家。違いなど雨くらいで特に変わったところもない。間違いなく僕の家だ。

「ちょっと待ってて」

僕は恋華を門で待たせて、二階の自室に勢い良く転がり込む。

いやいや、別に本当に転がったわけじゃない。

僕は素早く私服に着替え、玄関に直行、自分の白い傘を手にして再び玄関の戸を開ける。

「お待たせ」

僕の姿を確認した恋華は僕が予想しなかった反応をした。

「初十君……、それって一体どういう……」

おや、珍しい。恋華が驚いている。普段はバレバレに驚いても隠そうとするのに。

「友達に、しかも女の子に送ってもらって何もせずに帰るわけにはいかないのさ」

「……」

恋華は顔を紅くしながら(うつむ)いてしまった。

お、なんだか今日は恋華さんの新鮮な表情がよく見られるなぁ。

僕は玄関から一歩、二歩と踏み出しながら傘を大きく広げる。実際に大きさが変わったわけじゃないけど、文字通りに、それはもう大きく。二人がちゃんと入れるように。

この魔女は、僕に大人しく送られてくれるだろうか。

「傘、入りなよ」

恋華は息も尽かさぬうちに言った。

「イヤよ」

……つまり即答。

「えぇ!?なんで?」

「家に着いたのだからこれ以上一緒にいる理由は無いはずよ。あなたこそ何故こんなことをしているの?」

「何故って……」

理由なんて考えてなかった。だってそうするのが“当然”だと思ったから。

そう思ったからじゃ多分恋華は納得しないだろうし、う~ん。どうしよう。なんて言えばいいかな。

「……友達だから?」

普通の答えですよね。だって友達に風邪引かすわけにもいかないし。いや、確かに恋華は魔法使えるけどさ。こういうのって、きっと、

「入ってくださいな。こういうのって大抵理屈じゃねぇーんじゃねーの」

本当に、心からそう思う。なんだかんだで結局僕は恋華と噛み合ったんだって。

だから一緒にいて心地いい。

ま、つまるところ大切なんですわ。恋華さんが。つーか折角友達になれたんなら送らせてくれてもいいよな。

「――……何にやにやしてるの?」

「え、してる?」

本当だ。気付かないうちに口角がちょっと上がってる。

笑ってたんだ、僕。

「いいわ。じゃ、一緒に行きましょう」

そう恋華はいつもとは全く違う笑みを見せた。それはただ僕に向けられた笑顔だって思うと体から熱がこみ上げてくる。

手に当たった一滴の雨がひどく冷たく思えた。




4.紫水晶(アメジスト)


今日も一日大変だった。でもまあ、結果的には濡れなくて済んだし、恋華も送らせてくれたし、結果オーライってことで。

夕飯を済ませて、また明かりも点けずに自分の部屋にベッドにごろんと転がる。家ではもう暗い雰囲気は無かった。傷自体が癒えたわけではないんだろうけど。

時計を見ると時間は二十時。そろそろ来る。僕はすっかり晴れて月明かりに照らされた窓を見る。

予想通りやっぱりいた。黒い猫が。

「入れよ」

いつも通り窓を開ける。誰が入るわけでもないからいつも鍵は閉めない。黒猫は窓からするりと降りると、あぐらを掻いた僕の目の前にちょこんと座る。最近ではこの時間には既にミルクを用意しているのが日課になっていた。猫が必ずこの時間にやってくるから。

いつもの皿にミルクを注ぎ猫の目の前に置く。黒い猫はその赤い舌でミルクを舐め、ひとつ鳴く。

そんな時、僕はあることに気付いた。

「お前、首輪なんて付けてたのか」

黒かったので分からなかったが、丈夫そうな首輪が付いている。しかし黒猫に黒い首輪などすごいセンスの持ち主らしい。

「わ!よく見たら綺麗なアメジスト付いてんじゃん。お前愛されてんなぁ」

首輪の真ん中には小さくても立派なアメジスト。それでもあまり主張の激しくないもので、全体のバランスに丁度つりあっていた。

こうして見ると飼い主のセンスも中々悪くない。むしろいいかも。

「大事にしろよ、猫」

と、そこまで言って思いつく。

首輪に名前とか書いてないのかな。

僕は猫を抱きかかえ首輪を観察してみる。月明かりで見えにくいがどうにか確認しようと猫を自分ごとくるくる回してみる。

書いてない。どこにも名前は書いてなかった。普通書くだろ、名前。

う~~ん……

「付けようか。名前」

提案してみる。元から会話なんて出来ると思ってないけどさ。でもそれに猫は鳴いてくれた。まるで返事するみたいに。

一回、「にゃ~」と。鳴く。

それは「いいよ」って受け取っていいんだよな。

「じゃあなんて名前にしようかな」

『黒』じゃ普通過ぎる。もっと猫のイメージに合うような名前がいい。

イメージ、イメージ……

ふと思ったのは首輪に付いたアメジスト。確か、和名だと紫水晶むらさきすいしょうだったっけ。

なるほど。『紫水晶』か。

「決めた。これからは“紫水しすい”だ」

猫はまた一つ、「にゃ~」と鳴く。これは承認を得たってことでいいよね。ということで。

「紫水。今日は不思議なものを見たよ。魔法だよ魔法。すごかったなぁ。今年の春に友達になった女の子がさ。その魔法使って送ってくれたんだけど、そこまでしてもらって何もせずに見送るのも違うだろ。だから傘持って送って行ったんだよ。そしたら何て言ったと思う?『ありがとう』だって」

自然と笑顔になっていた。話していたら自然と。自分でも驚いていたんだ。父親が死んでからしばらくは笑えなかった。だから作るしかなかった。しょうがないよな。だって無いんだもんな。

……喜べるわけなんて、無いんだもんな。

それがいつしか笑えるようになってた。どうしてなのか解らない。いつからだったっけ。

思い返してみると何故だか一人しか思い浮かばない。

当然だ。認めてる。恋華のお陰だ。どう考えても恋華との会話が一番の薬になっている。

楽しかったのだ。恋華との毎日が。

「そう言えば、恋華に面と向かってお礼を言われたのって初めてだな」

僕は素直に思ったんだ。

「嬉しかったなぁ。恋華がお礼を言うなんて」

紫水はそれを僕の目の前に座って聞いていた。

分かってる。猫に言葉は通じない。ちゃんと解ってる。

それからはクラスのこととか、友達のこととか、そんなことを話した。そしていつも通りに眠る。これが僕の日常になっていた。


「最近帰りが遅いと思ったら。こんなとこで何してるの」

月に照らされるは漆黒のローブ。それは魔女の証。彼女は黒い猫に語りかける。

「いいじゃない。ちょっと出かけてただけ」

猫は魔女に答える。平然と。

「別に出るなとは言わないわ。でも、一言くらい言っておきなさい。心配するでしょ」

魔女は猫に手を伸ばす。猫はそこから肩に乗り移り、一言「ごめんなさい」と謝る。魔女はそれに満悦したようで、美しい笑みを浮かべて雲を渡って行った。




5.友人の変化


七月に入った。日差しはそれはそれは肌を突き刺すように強くて、これから湿度の高い日本の夏が到来することを示唆しているようで嫌になる。

そんな太陽と晴れた空が笑う朝。僕はやっとの思いで教室に入る。そしてチラリと窓際のとある席に視線を向ける。そこに座った彼女はいつも通りの涼しげな顔で外を見ている。いつでも変わらず。

「おはよう、初十」

朝の挨拶が真後ろから聞こえる。振り返るとそこには五月中旬にまた新たに友人になった転校生がいた。

「ああ、和騎(かずき)。おはよう」

和騎は何故か目の下にクマを作って寝不足モード全開で教室に入ってくる。友人としてかなり心配になるような状態だ。って言うか尋常でない!

「ちょい待った和騎!その目どうしたんだ?昨日何時に寝た」

「ちょっと眠れなかったんだ。一睡も出来なかった……」

「それは不味いだろ。保健室行って来い」

「大丈夫大丈夫。こんなことで(まな)に心配かけられないからね」

またそれかと僕が呆れるのも納得して欲しい。と言うのも最近和騎は何かにつけてはその“愛”という名前を口にする。聞いてみれば一月ほど前にいなくなってしまったらしい。未だにその人のことが忘れられないのだと思う。そして和騎は「休み時間に寝るから大丈夫だよ」と自分の席に座る。

……身体は大切にしないといけないものなんだけどな。

予鈴が鳴り、ホームルームの五分前を告げる。僕は残りの五分をどう過ごすか既に決めていた。窓際の彼女にいつも通りに近付く。そして僕は、

「恋華」

恋華が僕に気付いて振り返る。振り返った彼女の頬に僕が予めそこに設置しておいた人差し指が触れる。指から伝わる弾力は柔らかくって、すべすべで、もう兎に角このぷにっとした感触がもうなんとも言えなくて……

「……わ、わわ、わた、私の……!ほ、ほほほ、ほっぺ……!!」

「へ?」

いつの間にか閉じていた(まぶた)を開くと、顔をこれでもかと紅く染めた恋華がいて、見てるこっちが溶けるんじゃないかと心配になる。

しかしここまで照れた恋華は何とも堪らないものがあるな。

「ちょっと初十君!こんなところで何をしてくれてるのかしら?」

あれ、いつの間にか怒ってる。

頬は紅潮させたままに僕のネクタイを締め上げる。そりゃあもう力一杯締め上げるので、僕は、酸欠になりかけながら掠れ声で、

「す……すみませっ……!」

あ……、意識が……、遠退いて……

いく前に流石に放してもらえました。ちょっと危なかったかも。

そんな時に本鈴が教室内に響く。

「もう時間か。またな恋華」

「ええ」

こんなのが日常、になっている。

でも、今日は少しだけ違った。いつもとは何かが違う。劇的ではなく、それは何気ないものだろうけど、何だか最近恋華にも変化があるような気がする。何かは分からないけど。

そんな考え事は教師が教室に入ってきたことで中断させられてしまう。またテンプレートなセリフを吐くのだと予想していたのに、今日の担任教師はまた珍しいことを口にした。

「今日はまたまた嬉しいニュースだ。入って」

そこに現れたのは女の子だった。なるほど、“また”転校生か。何故このクラスに白羽の矢が立ったのか。多分このクラスが他のクラスより若干人数が足らないせいだろう。この転校生で穴は埋まったけど。

僕は視線を恋華へと移す。興味など微塵もないように窓の外を見ている。

違和感を感じる風景だった。さっきの恋華の様子もだけど、何かがおかしい気がする。

その違和感が何なのか。一度よく考えてみたほうがいい気がする。




6.来客のいない夜


「ねえ、兄さん」

「なんだ妹」

土曜日の夕食後、二十時になったので自室で紫水のためのミルクを用意していたところに初芽(はつめ)が訪ねてきた。初芽は僕の双子の妹で、別のクラスにいる。普段は僕を頼ろうなんてことはしない妹なのだけど、何かあったのだろうか。

「兄さん、最近星咲って言う人と一緒にいるって本当なの?」

初芽は単刀直入に聞いてきた。我が妹ながら直球過ぎるとは思うが、噂が噂なので仕方ない。つまり彼女はこう言いたいのだ。“魔女”を相手にするなんて本気か、と。

事実この町にはそう言った風習がある。町外れの館には魔女が住んでいて関わると不幸になると。この町だけに伝わる伝承というか、古臭い昔話なのだが、町ではどの家でも伝えられている話だ。まあ、僕はそんな話を迷信だと思って忘れてたわけだけど。

図書室の本で調べたことによると、なんでも室町時代から伝わる伝承らしい。もっとも、当時に伝わっていたのは“妖術使い”で、国外の知識が入って絵本が作られた時に“魔女”にされたとか。それ以上は学校の施設では分からなかったが。

「本当だよ」

窓がカタカタと揺れる。きりきりと引っ掻くような鋭い音を出す。

僕は読んでいた本をとじて、静かに初芽に向き直る。もう16年一緒にいるのだから解る。心配してくれているのだろう。僕の妹は人が良く正直者だ。人の言うことをホイホイ信じてしまう。疑うことが苦手なタイプと言えばいいのか。だからそういう噂などもほとんど受け流せない。

「兄さん。星咲と言えば魔女だって言うじゃない。魔女と関わると不幸になるって知ってるでしょ!どうしてそんな……」

「おい初芽。それ以上言うな」

右の手のひらを初芽に突きつけて制止を促す。友達だからだろう。僕はそれ以上先の言葉を許せなくなる気がした。

湧き上がりかけた感情をすぐに治める。危なかった。非常に。

「星咲はお前が思うような奴じゃない。噂に惑わされるな。いつも言ってるだろ。自分の目で確かめろって。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだぞ」

初芽の肩に手を乗せ諭す。これで納得してくれればいいけど。そう思っていたところ、

「……なんで」

予想外。それは問いだった。

「なんでそこまで言えるの」

思いつく答えなど決まってる。そして即答する。迷わず。(たが)わず。一切の躊躇(ためら)いも持たず。

「友達だからだ」

これで話は終わり。これ以上語ることはない。

妹の体を反転させ、部屋から出して僕が戻ろうとした瞬間、

「嘘つき」

ドアノブにかけた手を離し、自分も廊下に出て初芽と再び向き合う。

僕はその言葉に耳を疑った。疑うことが苦手な彼女がそんなことを言うのにも驚いたが、それ以上に、間違いなく僕にそう言ったことが驚いた。

初芽は僕が嘘をついていると。

彼女は固まった僕に視線を向け、互いを見つめあった状態になる。

「兄さんその人のこと好きなのね。だからそんなに楽しそうなんだわ」

僕は何も言えなくなってしまった。言葉が喉から出て行かない。どうしたものか。

心に言葉が刺さる。傷口からジワリと広がる感覚。痛くはない。でも心の核に届いているのが解る。

「そうかもな。いや、そうなんだろうさ」

不思議と妙に納得してしまった。

ああ、そうか。これがそうなんだな。いつからか分からないくらいにいつの間にか。

しかし、これが分かったところで何も変わらない。今までと何も。

「さ、もういいだろ。答えは出した。自分の部屋帰れな」

ようやく妹との会話を終えて自室のドアを閉める。

残った静寂と自分の気持ちに奇妙な一体感と切なさを感じる。時刻は既に二十時を過ぎている。

いつもの来客が来ない。時間に正確な紫水が今まで遅刻するなど無かった。僕は窓を開けて辺りを見回してみる。空は分厚い雲に覆われていた。

大雨が降ったのはそれから数分後のこと。少し前の梅雨を髣髴(ほうふつ)とさせる雨だった。




7.仮説


学校の図書室で分からなかったことを調べるため、町の図書館に来ていた。調べることはもちろん“町の魔女”についての文献や記録。ここにならあるはずだ。

受付のパソコンにキーワードを打ち込む。あまり多くはないが、いくつか引っ掛かったタイトルを片っ端から借りる。十冊にも及ばない程度の文献を机の上に乗せ、一冊ずつ読んでいく。

僕が唯一自慢できる特技に速読がある。お蔭で時間はそう掛からないで把握できるのは便利だ。

何故魔女が嫌悪に値するのか。その理由がどこかにあるはずだ。絵本では確かこの町がまだ村だった頃、魔女が村を凶作に陥れたとか何とかだったはず。それが室町時代の話なら……

そうして調べていくうちに少しずつ書物は多く重なっていった。時間なんて忘れて調べ物に没頭していた。

室町時代、この辺りは酷い日照りが続き、水を引くにも今まで雨水に頼っていたために水を引く技術も知らない。もしそこに恋華のような魔法使い、いや、妖術使いがいたとしたら。水脈を見つける力も、雨を予知する力も、都合を合わせたようにぴったりの人材だっただろう。

だったら何故……

「何故その妖術使いは嫌われたんだ?」

理由が無い。まだ何かある。妖術使いは断ったのか?だったら伝承なんて伝わらない。妖術使いが悪事を働いた?ならさっさと追い出せばいいし、そもそもわざわざ水脈を見つけるなんて仕事をしてくれた奴がそんな追い出されるほどの大きな悪事を働くとは考え難い。

じゃあ、どうして嫌われた?どうしてこの地に住み続ける?何故凶作になんて陥れた?

考えれば考えるほど謎は深まった。きっと全部読めば解る。そう思って文献を読み漁った。読みふけった。

そして全てを読み終わりまとめる。

妖術使いは日照りによる危機を救った。しかし凶作が続き村は潤わない。妖術使いは嫌われ、尚もこの地に住み続ける。そして僕の仮説が正しければ、姓は変わっていないことになる。でも『魔女』と呼ばれるからには女性のはず……

そうして組み立てた仮説はあまりに身勝手なものだった。しかし文献が正しいとなると辻褄があっている気もする。

明日恋華に聞いてみよう。

夕方の図書館を後にして、僕は帰り道を歩く。夕日は赤く燃え上がり、一日の終わりを告げる。今日はあの猫は来るのだろうか。



綺麗な青空の下を登校し、朝のホームルームが始まる。恋華の席は空席だった。いつも十分前には必ずいる恋華が今日はいなかった。

「星咲は欠席だそうだ」

教師は何事もないように吐く。事実問題無いのだろうが、ここにそうじゃない者が一人いた。

僕だ。

飛び出したさ。すぐに。

教師はいきなり僕が出て行ったものだから驚いていたようだけど、そんなのは関係無かった。兎に角走った。町外れのあの館まで。

大きな雲が空を流れていく。僕とは反対方向に雲が流れていく。大きな白が頭上を通り過ぎる中で空に一人取り残される。たった一人で走る抜ける。周りの景色なんて目に入らなくて、ただただ空の向こうだけを見つめながら。ここから見えるあの館へ一直線に。

昨日、あの猫は現れなかった。仮説通りなら理由は分かりきっている。だから急いだんだ。まだ日差しが強くないうちに。




8.心と毒


その家は一つだけぽつんと建っていた。目立つ場所にあったから遠くからでも分かる。

僕は人差し指をインターホンに近付ける。

でも、いいのか?こんな時間に僕が来て。

一瞬指が止まる。これは最善なのか考えてしまう。でも僕は、

「門なら開いてるわよ」

「わっ!恋華!」

そこにはいつもと違う、私服姿の恋華が立っていた。まだ心の準備できてないんだけど!?

僕が驚いているのをよそに、恋華はまた意地の悪い笑みを浮かべながら、

「しかしこんなところで何をしてらっしゃるのかしら初十君?学校をサボって女の子の家に来るなんてとんだ不良生徒ね」

良かった。いつもの恋華だ。そう安心しながらも、御見舞いに来た友達に対してそれかよ、なんてことも考えたり。何にせよ元気そうなのは何よりだ。

でも、

「暑いでしょ。入って」

「……有難う御座います」

夏に差し掛かった空の下で会話は厳しいものがあるよね……

「お邪魔します」

そうして僕は恋華の家に上がらせてもらう。中は綺麗な洋館で中々に広い。

恋華に連なって付いて行くと、とある部屋に案内された。

可愛らしいベッド、綺麗な鉄製の棚、大事そうに布の上に置かれた黒いブレスレット、木製のクローゼット、小さなテーブル。恋華の部屋だった。

いきなり女の子の部屋入っちゃったよ!どうすんのこれ!?

「お茶淹れたわ。どうぞ」

「……頂きます」

出されたお茶をそのまま口に運ぶ。少し心の準備を整えてからでないと話が切り出しにくいから。お茶を飲んで落ち着きたい。半分ほど飲んで、テーブルに湯飲みを置く。深呼吸で鼓動を抑え、切り出す。

「で、何しに来たの」

「え!?ああ、ちょっとな」

タイミングが良いのか悪いのか、ここで切り出されるとは……

いや、もう言ってしまうべきだ。そうでなければ来た意味が無い。今日ここで全部聞いておこうと決めたんだ。だから、言おう。

「御見舞いと、聞いてほしいことがあって来た」

ここからはほとんどが僕の妄想。単なる空想だ。違うところもあるかもしれないし、もしかしたら合ってることが一つもないかもしれない。

だからほとんど独り言みたいなものになるだろう。

でもまずはこの言葉を。

「元気そうで良かった」

恋華が小さく「ありがとう」と呟くのが聞こえた。先に言ってしまうのはずるい。それは僕のセリフなのに。

では、本題に入ろう。諸君にもう一度言っておくが、これはあくまで僕の妄想に過ぎない。しかし、考えられる可能性として留めておいて欲しい話。

「もう、縛られなくていいんじゃないか」

一言。僕は彼女に伝えたいことを伝える。恋華は驚くでもなく、ただキョトンとした顔で。小首を傾げる。言いたいことはなんとなく想像がつく。「あなたは何を言っているの?」とかだと思う。まあ、聞いてくれ。どうか僕の話を。

「調べたよ。この町と魔女のこと」

そう口にすると恋華は察したようで、ロングスカートを握り締め、目に見えて落ち込む。なんとなく分かってしまったんだろう。

この町は昔、魔女によって救われた。山の水脈から川を流し、雨の予知を成功させて村の人々から大いに感謝されただろう。しかし、記録ではその年は凶作だった。その翌年も。理由は土の質の変化だと思う。なかなか雨が降らない気候に変わって土は乾き、今度はいきなり水をそのまま流し込んだ。それに元々川が無かったため、水害にも対策しきれなかったことも不運だったとしか言えない。

さて、そこで事件が起こる。魔女が物の怪であるという噂が村で流れ始めたのである。原因は当然魔女にあった。魔女が動物から人へと姿を変えたのを見た村人がいたのだ。そうなると村人は途端に卑怯になる。魔女の妖術は必要だが、魔女のせいで水難が絶えない。自分たちの技術力を棚上げにして、魔女に罪を着せ始めた。

村の長が出した結論はこうだと思う。

魔女にはこれからも不幸を受け止めてもらう。代わりに村の税の一部を流す。だからこの地で術を使い続けてくれ、と。

何度も言うようにただの妄想だ。実際の記録を元に想像しただけの。

ただ、これなら恋華が『不幸』として見られるのも、代々この地に住み続けるのも、説明はつく。

「多分大体あってるわ。細かいところまでは私も知らないけど、少なくとも私はこの町で自分が“不幸”の象徴のようなものなのは小さい頃から分かってた」

彼女たちを縛り付けていたのは呪いじゃなく、人だった。身勝手な人々によって長い間拘束された魔女の家系。それが恋華なのだと。

だからきっと、ずっと人と関わることを拒み続けてきたのだろう。どうせ不幸として扱われると諦めて。

だから転校生に見向きもしなかった。しかしそれでは一つの疑問が生まれる。

「ねえ、恋華」

気になっていたこと。引っかかっていたこと。今、ようやくそれを紐解く。

「何で僕と友達になろうなんて思ったの?」

だってそうだろう。今まで人と関わることを避けてきたはずなのに、どうして僕には話しかけたりなんてしたのか。これは矛盾だ。何故僕には近寄ってきたのか。

僕には思い当たる節なんて無い。

「前にも言ったじゃない。初めてだったのよ。私を恐れない人は。私を、素直に名前で呼んでくれた人は」

それはどういうことだろう。初対面の時に初めに話しかけてきたのは恋華の方だ。恐れるも何もまだ分からないのに近付く根拠にはならない。

でも、彼女はそれを知っていた。理由はすぐに話してくれるだろう。

「覚えてないでしょうね。もうずっと前のことだもの。4年前、あなたは私の怪我を治療してくれたのよ。最後にあなたはお守りだと言って、そこの黒いブレスレットをくれたの。今でも私のお守りなのよ」

言われてようやく思い出す。4年前に一度そんなことがあったのを、僕はすっかり忘れていた。父さんからもらったブレスレットは失くしたんじゃなくて、恋華にあげたんだ。

恋華は4年前にたった一度会っていたのを覚えていて、忘れずにずっといてくれたと言う。しかも、失くしたと思っていたブレスレットを持っていてくれたなんて。こんなに嬉しいことはない。

「そうか。だからだったのか。お前は、紫水は僕だと知って近くにいてくれたんだ」

恋華は僕を見ながら唇を噛む。頬には一筋の雫が流れ落ちる。

「知ってたのね。私が紫水だって……」

手でどうにか涙を拭おうとするが、それでは足りないくらいに涙は次から次へと出てくる。恐らくこれは知られたくなかったこと。理由はなんとなく解る。最初の魔女が嫌われるきっかけになったのは動物から人に変化するところを見られたからだった。だから物の怪だという噂が立ったのだ。

しかし僕は腹を立てる。それは僕にとっての冒涜だから。僕は手で恋華の涙を優しく払いながら、

「恋華。僕がそんなことで友達を嫌いになったりしないって思ってはくれなかったのかい」

「な!ちがっ!だって、嫌われた!この呪いのせいで、私は嫌われた!何度も!気持ち悪いって……」

星咲の一族は漏れなく呪われていると文献にあった。夜には必ず猫の姿に変わる。化け猫の一族だと。それが物の怪の正体。しかし、村の男がこの家に婿入りした記録がいくつかある。本当に猫なら人との間に子孫が残せるわけはない。

「よく分かんないけど、僕は恋華を人間だって言える。だって、もし猫だったら毎回時間ピッタリに来るなんてできないだろ」

恋華の頭を胸に抱き寄せて撫でる。シャツは暖かい水で濡れていく。この胸でわんわん泣いている彼女は間違いなく人間だ。確信できる。

「ずっといるよ。近くに。友達だろ」

もうすっかり僕は恋華の魔法にかかってしまった。この恋の華の香りはまるで神経毒のように僕をゆっくりと腐らせたのだった。

でもこれ以上は近付けない。きっともっと近付いたら僕は溶けてしまうだろう。この甘い香りの華には、これ以上近寄ってはいけない。

「嫌!」

僕のシャツをくしゃりと握り締めて恋華は叫ぶ。拒絶の言葉を口にする。

「本当は嫌なの!友達なんて!」

拒絶されてたのは僕の方かとも思った。けどそれなら今までの話が嘘になる。そこに考えが至った途端、続く言葉に僕は期待をしてしまう。これ以上はダメだと解っているのにも関わらず。

「私は最初からあなたが好きなの!けどそんなの叶うわけないって知ってた!だから嫌われるかもしれないけど、せめて友達になりたかった!!」

ああ、もう僕は手遅れみたいだ。気が付いたら僕は恋華の頭を両手で包んでいた。本人の、恋華の口から直接聞けたんだし、もう我慢することはない。

そのまま恋華の口を塞ぐ。柔らかい感触が伝わる。時間が流れすら止まって思えた。

どれくらいそうしていただろうか。僕はゆっくりと顔を遠ざける。

「初、十……」

恋華はまた涙をぽろぽろ流し始める。僕はそれにほんのちょっとだけ呆れながら、頭を撫でた。そして言葉にする。はっきりと自分の言葉で伝えるんだ。

「恋華。僕も君が好きなんだよ。ずっと一緒にいよう」

その時の僕は笑ってて、恋華は笑いながら泣いていた。




9.魔女とブレスレット


「ただいまー」

「お邪魔しまーす」

あれから約三ヶ月が過ぎ、現在十月十日。僕は今、恋華の家に来ている。お迎えしてくれるのはいつも黒いローブを着た魔女。恋華のお母さんだ。

「あら。いらっしゃい初十君。ゆっくりしていってね」

恋華よりも魔女らしいその人は確かに妖しい人に見える。けど、割と話しやすくていい人ではある。星咲の一族は皆がみんな黒いローブとか着ていたんだろうか。

この人には星咲について色々教えてもらった。受け継いできた魔法のこと、第一子は必ず女の子になること。それと今まで星咲の姓が変わらなかったのも、村から男を一人婿に入れる条件を出されていたからだった。

呪いについても教えてくれた。子猫の姿には必ず一日一時間以上はならないといけないらしい。そして猫になっている間は魔法が使えないと言う。全部知ってしまえばなるほど可愛い呪いである。

しかし、僕たちが思いを伝え合って以来、恋華の呪いは新たな状況へ移行していた。

「またそれか」

恋華に猫の耳と尻尾が生えるようになった。理由は全く解らず、現在二人で解明に努めているところだったりする。ちなみに、恋華のお母さんには経験がないそうだ。

正直に言うと、可愛いので別に直さなくてもいいかなと思ってたり。でも、せめてコントロールくらいは出来るようにと試行錯誤を繰り返してはいるのだ。

「兄さん。また研究とやらなの」

何故か最近では初芽までついて来るようになっていた。どうにも帰りが遅くなったのを心配して着けてきて、この現象の研究中に遭遇。そしてこれである。

「今日も授業中に飛び出しそうになってしまったわ。どうにかならないものかしら」

「どうにもわからん。兎にも角にも、手当たり次第試すしかないだろ」

「兄さんらしくないわ。そんな適当なのは」

初芽は僕の言うことを素直に受け入れてくれて、今では初芽と恋華は友達同士。仲良きことは良いことだ。

「お茶淹れたから休憩しましょ」

庭で耳と尻尾について色々模索していると、恋華のお母さんがお茶を淹れてくれた。庭のテーブルで四人でお茶を囲む。新しく形成された日常。それは眩しいくらいの日々。


空を仰ぐ。大きな雲が風に流される。追いつけない速さで僕を置いていく。僕は立ち止まったままその雲たちを見つめる。空に立ち尽くす。この感覚ももう嫌いじゃなくなっていた。

「初十」

隣には一番そこにいて欲しい人がいる。ここまで大切になるなんて思わなかった僕の思い出をその腕に付けて。

独りじゃない。魔女は一緒にいてくれている。ずっと一緒に、これからも。

恋華と僕の御伽噺は、これからも続いていくんだろう。

どうも二周年迎えました。柊城隼人です。

今回の短編も恋愛物でした。皆様の御眼鏡に叶ったでしょうか。

これからも連載頑張っていきますのでどうかよろしくお願いします。

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