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HRの時間になると、朝の気合いは霧散した。
あちらこちらから話し声が聞こえ、笑い声も混じる教室は、一言で言って騒がしい。そして黒板に並ぶ文字には軽く目眩を覚える。
・巨大迷路(どこに作るの?)
・ロボットを作って展示(5メートルくらいの大きさ?)
・教室を花で埋め尽くす(展示?)
・真っ暗にして休憩所(何故真っ暗?)
・教室を1周できる流しそうめん(……1周?)
確かに意見は色々とある。でも、高校生の文化祭でするには、色々と疑問が残る部分もある。ちらりと教室の片隅で成り行きを見守っている先生を見た。我関せずという顔をしている。生徒の自主性を重んじるポーズなのかもしれない。
「他に意見はありませんか?」
教室を見回してみるけど、手が挙がる様子はない。話し声にかき消された気もする。
「どうする?」
隣に立つ外村くんに聞いてみる。チョークで汚れた自分の指先を眺めていた外村くんは、2、3回、瞬きをしてから口を開いた。
「この中から多数決で決めてもいいと思うけど」
「まぁ、他に意見がないなら……」
結局そうなるよね。実現性があるかどうかは別として。
諦めかけた時、不意に大きな声が響いた。
「なぁ、メイド喫茶とかどうだ?」
声の主は馨だった。教室がシンと静まり返っていた。途端に馨の頬が赤く染まる。
「あ、あれ? ダメ?」
「つか女子にどういう格好させたいんだよ!」
有美の怒声が飛ぶと、教室に笑い声が広がった。
「えー? 昨日読んだ漫画では文化祭でメイド喫茶してたぞ!」
馨は何やら抗議していたけど、結局笑いの渦の中に消されてしまった。
メイドはともかく、喫茶に関して言えば、今の所1番現実味がある気がして何とも言えない気分になる。
「で、どうする?」
教室の喧騒を気にする風もなく、外村くんが尋ねてくる。黒板には既にメイド喫茶の文字が並んでいた。
私は即答できずに唸ってしまう。
それを見た外村くんが1つ頷くと、すっと教室を見回した。
「えーと、今日中に決まりそうにないんで、後で各自投票箱にやりたい内容を書いて入れておいて下さい。投票期限は今週末です」
やる気はなさそうなのに、意外に響く声だった。
「投票箱は……放課後までに用意しときます」
教室中から、はーい、と元気な声がこだました。
「で、いいよね?」
外村くんの事後承諾に私は頷くしかなかった。委員会への書類の提出〆切りは終業式の日なので、まだ10日くらいはある。
……大丈夫だよね。
納得したものの黒板を見直すと、嘆息が漏れた。
自分の席に戻って、壇上に立った先生の話を聞くともなく聞いた。明日から午前中授業になるだとか、期末テストの結果についてだとか、夏休み直前のありふれた景色だった。
チャイムが鳴る直前にHRは終わった。
投票箱どうするのかな……と外村くんの姿を探そうとした時には、目の前に大きな影が出来ていた。
「ヒナ、ごめんな!」
馨だった。眉を八の字にして、心底申し訳なさそうな顔をしている。
「え? 急にどうしたの?」
「いやぁ、お前が困らないように文化祭の内容考えてたんだけどさぁ、何か外しちゃったみたいで」
「別に大丈夫だよ!」
そもそも私がちゃんと仕切れなかったのがいけないんだし。
「でも、なんで考えた結果がメイド喫茶だったの?」
「ん? だから昨日透と話してたら、漫画を参考にしようってなってさ」
「何の漫画を参考にしてるんだか」
思わず笑みがこぼれた。漫画片手に真剣に悩んでいたのかと思うと、憎めない。
「てか冗談じゃなかったんだね」
不意に隣から有美が声をかけてくる。
「超マジだよ! どうやったら文化祭成功できるか真剣に考えたからな!」
馨の顔に冗談の隙はなかった。結果はどうあれ真剣に考えてくれていたことは、素直に嬉しい。有美も茶化すことなく馨の顔を見ていた。
「何だよ、黙って見つめて」
戸惑ったように馨の視線が動く。
「どうせバカな顔だなって思われてるだけだよ!」
元気な声とともに、バシッと威勢よく馨の背中が叩かれた。
「いって! 何すんだよ!」
馨の抗議も気にすることなく笑顔を浮かべて立っているのは、重田敏之くんだった。
「ん? サッカーボールにはもっと俊敏に反応するだろ?」
「ボールと手じゃ、全然ちげぇよ!」
そう言えば重田くんは馨と同じくサッカー部だった。試合の応援に行った時も、ベンチの辺りでよくこんな感じでじゃれ合っていて、先生に怒られていたのを何度か見たことがある。
豪快に笑っていた重田くんが、馨に顔を寄せると、にやりと笑った。
「つぅかさ、メイド服なんて、誰に着せたかったんだよ?」
「はぁ? いきなり何言ってんだよ!」
途端に馨が頬を赤らめて、重田くんから距離を取った。すると、今度は有美が隣を陣取った。
「確かに気になるわね~。一体誰を想像してたのよ?」
「別に誰も想像してねーよ」
「怪しいわねぇ」
「……何がだよ?」
有美に答えながらも、馨の視線が一瞬、私に向けられたことを感じる。
ん? 私を想像した……訳ないよね?
「なるほど」
だけど、重田くんと有美が同時に深く頷いていた。馨は赤くしたまま顔を逸らすし。何だか気まずく感じるのは、どうしてだろう。私まで頬が熱くなる気がした。
「月島さん」
不意に声を掛けられて慌てて振り向くと、ダンボール箱を持った外村くんがいた。
「な、何?」
「投票箱これでいいかな? 用紙も適当に用意した」
言われてよく見てみると、ダンボール箱の上の方には丸い穴があった。そして外村くんの右手には、更半紙を長方形に切っただけの紙がある。
「あ、ありがとう。もう用意してくれたんだね!」
「うん」
外村くんは頷くと、教室の前に箱と用紙を持って行った。箱の正面に「文化祭投票箱」と書いている。更に箱の側面には、さっきのHRで挙がっていた案も書き足しているみたいだ。
意外と配慮が細かい。私もちゃんと役目を全うしないとなぁ。
「じゃあ、私は馨くんの夢を叶える1票を投じてきますかね!」
「俺も! 俺も!」
有美と重田くんが駆け出していく。
「ったく、元気な奴らだなぁ」
馨が苦笑しながら2人を見送る。頬の赤みはもう取れていた。
……ただの幼馴染みだもんね。だからきっとメイド服も冗談みたいなもので、そこに何か特別な想いがある訳じゃない。
平常心を取り繕ってみたのに、馨が真面目な瞳で私の顔を覗きこんでくる。
「なぁ、ヒナ。お前、今日は平気なの?」
「え、突然、どうしたの?」
「……だって、今日だろ?」
幼馴染みって、こういう時、ごまかしがきかない。私は視線を逸らしてしまう。窓の外は鮮やかすぎる青空だった。
「もう5年だよ。さすがに大丈夫だよ」
「まぁ、あんまり無理するなよ」
馨はちょっと困ったように笑みをこぼすと、無造作に私の頭を撫でた。思いのほか優しい手つきに、抵抗できなかった。一瞬のことだったのに、手のひらのぬくもりが心の奥にまで触れたみたいに思えた。
それ以上、何をするでもなく馨も投票箱の方へと歩いていく。
私は髪を手櫛で直すふりをしながら、顔を隠した。