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やる気を燃やしてみた所で、有美に両肩をつかまれた。
「有美?」
首を傾げると、にっこりと微笑まれた。
「じゃあ、着替えてこようか」
私は静かに首肯するより他なかった。分かってる、分かってるよ。メイド服着てきますよ……。
覚悟はしていたつもりだけど、いざ着るとなると、なかなかに勇気がいるものだ。
「大丈夫よ、割と慣れるものよ」
私の心情を察したように佐々木さんがフォローしてくれる。経験者の言葉は重い。そんな佐々木さんと共に有美に見送られて、空き教室に移動して着替える。教室のカーテンは閉められているし、廊下側の窓には暗幕が取り付けられているので、覗かれるような心配はなさそうだ。電気をつければ教室の暗さも気にならない。
普通に更衣室や女子トイレを使った方が楽なんじゃ? と思わないでもないけど、更衣室は体育巻近くにしかないから距離があるし、衣装や仮装を必要とするクラスは案外多いので、空き教室を使うのが合理的ということらしい。
実際、教室を見回すとお化けの仮装をする人やコスプレっぽい恰好をする人もいる。そのお陰かメイド服もそんな奇抜じゃない気がしてくる。
まぁ自分が着ることを考えなければ可愛いとは思うし。
「どう? 着れた?」
2日連続でメイドをすることになった佐々木さんは、メイド服を着ていても落ち着いた様子だ。本当に慣れてしまったらしい。
「うん。大丈夫かな?」
くるりと佐々木さんの前で一回転してみる。ふわりとスカートが広がる。思ったよりも短い。いや、普段の制服のスカートと大して変わりないんだけど、何故だかことさら短く感じてしまうのだ。
「うん、サイズも問題なさそうだね」
佐々木さんは真面目な顔で頷いている。製作者としてのこだわりを感じる目だ。私も文化祭実行委員として、真摯に取り組もう。気恥ずかしさは横に置くことにする。
気を強く持ったお陰か、人通りの多い廊下も、割と平気だ。文化祭だから制服じゃない生徒も多いしね。案外、浮いていない。堂々としていれば良いのだ。
前を見据えると、見慣れた顔が歩いてくるのが目に入った。
透だ。
間違いない。
ごめん、と返した私に、大丈夫、と答えた透。
言葉通りなのかと考えれば、やっぱり多分違うだろう。だけど、気丈にしているのだとしても、その想いを大切にしたいと思う。私のわがままな気持ちに応えてくれた透に、ちゃんと向かい合いたい。
透も私に気付いたようで、視線が絡み合う。
「おはよう、透」
少し強張ったかもしれない。
「おはよう、ツキ」
透もいつものように穏やかな笑みを浮かべ……うん? って、え、なんか一気に破顔して爆笑されだしたんですけど!
突然、廊下に響いた笑い声に、周囲からちらほら視線が飛んでくる。隣の佐々木さんの困惑も伝わってくる。
「あの、透?」
「本当にメイド服だね!」
笑いが収まってきた所で言われた一言に、すっと真顔になるのが鏡を見なくても分かった。
なんですかね、これ。言外に馬子にも衣裳と言われているような気持ちになるんですけどね。私の勘違いでしょうか。
そんな私の冷えた視線に気づいたのか、透は眉尻を下げた。
「ごめん、ごめん。似合っているよ」
「取ってつけたように言われてもねぇ」
「本当だよ」
「うん、まぁ、ありがとう」
一応、お礼を返したところで、透と気負いなく口をきけていることに気付いた。以前と変わらない気安さだ。透の瞳は穏やかだった。その目を一瞬、教室の方へ向けたかと思うと、ふわりと微笑む。
「あいつならちゃんと褒めてくれるさ」
「え、突然、何?」
透が見た教室は、メイド喫茶の教室。私のクラスだ。教室内には、きっとまだ馨がいる。
「じゃあ、またね」
慌てる私を他所に、透は笑顔のまま軽やかに歩き出した。反応が遅れた私が振り返った時には、背中はもう人込みの向こうだった。
気を遣ってくれたのかな。私が3人でいたいと願ったから。それとも……。考えると、ほんのりと頬が熱くなるような気がした。
「水野君も爆笑したりするんだねぇ」
「え?」
「いや、いつも笑っていても微笑んでいるイメージだったから」
佐々木さんの言葉に、確かに学内で爆笑している所は見たことがない気がした。幼い頃からの記憶から辿ると、そこまで珍しいことでもない気もするのだけど。
「顔がいいと爆笑しても崩れないのね」
イメージと違っても問題ないらしい。冷静に顔を分析していた佐々木さんに、ちょっと笑ってしまった。
でも教室に入ると、強張った。馨と視線がぶつかる。また爆笑されたらどうしよう。少し身を固くした私に対して、馨は気軽な様子で近づいてきた。
「メイド服似合っているよ。かわいい」
さらりと言われて、一瞬理解できなかった。似合っているはまだいいとして、かわいい?
「馨?」
聞き間違い? もしくは人違い?
けれど目の前の馨は、確かに私を見ている。頬がじわじわと赤くなっていく。
確かに馨が私に言った言葉だ。そう実感すると、じわりと背中が汗をかくのを感じた。顔も熱い。
「何いちゃついてんだよ!」
バン! と音とともに大きな声が響く。重田くんだ。どうやら馨の背中を叩いたらしい。突然のことに反応をできず、馨がむせている。
そう、というか、重田くんがいる、ここは教室だ。重田くんだけじゃない。隣には佐々木さんがいるし、有美や外村くんの姿も見える。
クラスメイトの視線が痛い!
私はわざとらしく咳払いをする。なんだか生暖かい視線もある気がするけど、気にしたら負けだ……。
「もうすぐお客さんも来るし、最終確認しよう!」
幸いにも、からかわれることもなく、みんな速やかに動き出してくれる。馨からも視線を引きはがした。今は文化祭に集中だ!
無理やり意識を文化祭モードに切り替えられたお陰か、もうメイド服が恥ずかしいとかいう気持ちもなくなっていた。教室内には私を含めて3人のメイドがいるし、廊下に目をやればドラキュラだとか(お化け屋敷かな)、お姫様だとか(劇の宣伝だろうか)がいるので、文化祭だもんね、という心境になっていた。
なっていたんだけど……。
「あら。かわいいメイドさんがいるわ!」
さして大きくない声。だけど凛と響く声が聞こえた時、私の頬は引きつった。




