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文化祭の賑わいは校舎にも校庭にも広がっていて、カップルらしき人達もそこそこにいる。だから手を繋いでいても誰も見咎めない。たとえ文化祭実行委員の腕章をつけた2人でも。
……いや、もしかしたら文化祭後に噂になる案件なのかもしれない。
透はやっぱり目立つ男子だと思う。
馨と透が説明して回る女子がどこかにいるのかもしれない。誰かに睨まれているのかもしれない。そんなことを思ったら、もう後ろを振り向くことなんてできない。透の後を素直についていくだけだ。私を引っ張っていく透の背中は、意外と広いと感じた。
やがて、校舎の裏、焼却炉の近くまで来たところで透の足が止まる。ここまで来ると、文化祭の喧騒も遠い。
手は握られたままだ。少し引っ張ってみたけど、却って強く握り返されて、離すことはできそうにない。
「透?」
繋がれた右手に視線を落としたまま名前を呼ぶ。透の肩がびくりと跳ねたのか、手のひらも少し上下した。
何を尋ねようとしたのか、何故馨の前から逃げるようなことをしたのか、何故手を繋いだままなのか。その両方だったのか。……いや、でも、本当に聞きたいこととは、何だか少しずれている気もする。
どう言葉を繋げたらいいのか分からない。
「……ごめん」
不意に透の声が落ちてきて、私は顔を上げた。見慣れた幼馴染みの顔があるはずだった。
でも、そこにあるのは苦悶に満ちた表情で、戸惑った。そんな顔で謝罪されなきゃいけないことはされていないはずだ。
透はこんな顔だったろうか。視界が歪んだような気がした。
「……ツキ?」
反応のない私を窺うようにして、名前を呼ぶ。すると輪郭がくっきりとしたように感じる。
だけど、それってあんまりだ。
私はまだ3人でいたいと思っていた。でも、だからって名前を呼ばれなきゃ顔を認識できない? 区別できない?
私は2人の顔をちゃんと見分けられるようになっていた。そのはずだった。でも、私、今、透に名前呼ばれるまでちゃんと分かっていなかった。
そんな私の混乱を見て取ってか、透はかえって冷静になっていたみたいだ。落ち着いた表情を見せる。
だけど、言葉は残酷だった。
「ツキ、俺の顔分かった?」
「透、私……」
言葉が続かなかった。3人でいたいからって、顔の区別もつかなかった頃に戻ろうとでもしていたのか。それはただの逃避行でしかない。とても身勝手で冷たい。
そして、そのことに透は気づいていた。きっと馨も。
「ツキ、約束覚えている?」
約束? いつの約束だろう。幼馴染みなだけあって、約束は小さいものも大きいものもたくさんしてきた。透の問いは曖昧だと思う。けど、それが大きな約束だったとして、この場面で聞いてくるものだとしたら。
「……初めてツキって呼んでくれた時のこと?」
「うん、そうだよ、ツキ」
「私、ちゃんと覚えていなかったわ」
正直に答えていた。
「うん、でも、ツキは思い出してくれたんでしょ?」
透の口調は穏やかで責めるようなものではない。表情にも落ち着きが見えだしている。
幼い頃にした約束。
――じゃあ、ヤクソクしよう?
――ヤクソク?
――うん、ヤクソク。もしも、いつか――。
「いつかバラバラになっても名前を呼んだら一緒にいようね」
するりとあの日の約束がこぼれ落ちる。どんなに離れても一緒にいられることを疑わなかったあの頃。あれから少しずつ大人になっていって、少しずつかみ合わなくなってきた。ただの幼馴染みがずっと一緒にいるっていうのは存外難しい。
「うん、約束思い出してくれてありがとう。だから言うよ」
透の瞳に激情は見えない。でも意志の強さは宿る。
「俺はツキが好きだよ」
手を握る透の力が少し強くなった。
「でも、ツキの気持ちは分かっているつもりだ。それを認めるまでに時間がかかっちゃったけど……」
「本当は3人でいるのは嫌だった?」
透は静かに首を横に振る。
「寂しいな、と思うことはあったけど、嫌じゃなかった。俺も、結局2人とも好きだからね」
「透……ごめん」
一体、どれほどの想いを抱えていたのだろう。そして私はその気持ちをどれだけ無視してきたのだろう。考えたら、それ以上口を開けなかった。開いたら、きっと涙がこぼれていた。でも、ここで私が泣くのは違う。ぐっとこらえたけど、指先がかすかに震えた。繋いだままの透の手が、励ますように温かさを伝えてくる。
「大丈夫、約束があるから」
透は小さく笑みをこぼした。
その時、小石を蹴飛ばしたような、足音がした。透の手がゆっくりと離れた。そっと振り返ると、肩で息をする馨がいた。




