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月と太陽と  作者: くさき いつき
第9章 前夜
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5

 教室には、まだ熱気がこもっていた。

 文化祭を前日に控えて、クラスのやる気は十分だ。教室内の飾りつけもなんとか間に合った。テーブルクロスの刺繍がところどころ歪だけど……そこはご愛敬ということで。

 飲食を取り扱うことになるので、衛生面も問題ないかきちんと確認する。消毒液や除菌シートの在庫も余裕がある。簡易で作られた調理スペースには、教室内と考えたらまずまずな広さかな。

 尚、着替えは各階の空き教室が割り当てられているので、室内に作る必要はない。空き教室から自分のクラスまで帰る間、メイド服で歩くことになるのかと思うと、今から羞恥心で顔が火照りそうになる。いや、出来上がったメイド服の仕上がりは素晴らしいんだけどね?

 ……クラスの宣伝も兼ねていると思って諦めよう。

 裏方部分の確認をしていると、入り口の方が俄かに騒がしい。


「どうかした?」


 トラブルでも起きたのかな、と思いつつ、入り口の所にいた外村くんに尋ねてみる。


「ああ、ちょうど看板の飾りつけができた所」


 言われてドアの上の方を見ると、「メイド喫茶」というドスレートな看板があった。分かりやすくていいけどね。つい先日まで飾り気のないシンプルな看板だったはずだけど、レースで縁取られ、さらにフリルがあしらわれていて、見た目にも華やかになっている。裁縫が不得手な自分には、一体どういう構造で飾り付けられているのか謎すぎるけど。これも佐々木さんの作品なのかな。


「なかなかの力作だろ?」


 感心していると、何故か自慢げに馨が声を掛けてくる。


「力作だけど……」


 首を傾げる私に対して、馨は得意そうだ。……って、え、もしかして?


「この看板、馨が作ったの?」


「おう、佐々木との共作だけどな!」


 馨は文化祭の準備をするまで、手芸とは全く無縁だったはずだ。そんな馨が共作とはいえ、こんなに手の込んだものを仕上げるなんて、普通にすごい。感嘆がもれる。


「馨って本当に器用なんだねぇ」


「まぁな。自分でもちょっとびっくりしている」


「私にもその才能を少し分けてほしい」


 切実にこぼした願いに、馨は笑い声を落とす。楽しそうな笑顔は、胸の辺りをじんわりと温かにしてくれる。


「希望があれば刺繍くらいしてやるぞ?」


 言われてみたものの、実際の所、今すぐしてほしいものはない。


「ボタン取れたら直してね」


「いや、それくらいは自分で直せよ」


 苦し紛れに言ったお願いは、苦笑で切り捨てられた。うん、私もボタンくらいつけることはできるから大丈夫だ。

 その後、全体のチェックを終える頃には最終下校時刻になっていた。明日の段取りを確認して解散となった。

 廊下に出ると、普段と異なり、どの教室も賑やかな飾りつけがなされていて、ちょっと別世界に迷い込んだみたいだ。日がもうすぐ完全に落ちる。昼と夜の狭間。文化祭の前日とあって、まだ生徒の数も多いのに。浮足立つ気持ちの中に、妙な心細さを感じるのは何故だろう。


「おい」


 2、3歩、足を動かした所で肩を軽くたたかれた。

 振り向くと、見慣れた背格好の男子が2人。ほの暗い廊下で、わずかな陽光を背に受けて立つ2人の表情は、よく見えない。

 当たり前のように見分けられるようになったと思ったのに。


「あっ……えっと」


 不意にどちらの名前を言おうとしたのか分からなくなって、口が中途半端に止まる。

 その時、廊下の電気が点いて、2人の顔がはっきりと見える。


「ツキ?」


「ヒナ?」


 困惑したように首を傾げる、よく似た2人の顔。


「ううん、一緒に帰ろう」


 私は慌てて口を開く。2人は一瞬、視線を交わした後、笑みを見せる。


「そうだな、明日はまた早いしな」


「お化け屋敷の方も準備万端なの?」


「そうだね。なんとかなったかな」


 話し出せば、会話はスムーズに流れだす。些細な違和感も押し流してくれる。帰り道を急ぐ生徒の中に紛れ、いつも通りの3人。

 だのに、どうしてかな。

 幼い頃の記憶が、私の心を占める。まだ2人を見分けることが出来なかった頃。2人に声を掛けられるのを嬉しく思う反面、気まずさも感じていた。


 私はどちらと話している?

 私はどちらと話したいと思った?


 最初は小さな混乱だった。でも同じ時間を共有するほどに、心を重くした。だから、本当に嬉しかった。2人が笑って大丈夫だと言ってくれたことが、とても。

 そう、とても嬉しかった。唐突に幼い頃の3人の姿がフラッシュバックする。

――うん、ヤクソク。もしも、いつか――。

 あの日の約束。

 子供らしい他愛無い、ちょっと矛盾した約束。だけど、それが私の心を軽くしてくれたのだ。

 そうして、やがて呼びかけられなくても2人を見分けられるようになったことが、もっと嬉しかった。

 だけど、本当に? 本当に見分けられている?

 見え隠れする2人の気持ち。3人でいたいと思う私の気持ち。本当に?

 私がどちらか片方の手を取ろうとしないのは、未だに気まずさを心の片隅に抱えているからじゃないのかな。いつかの先輩のように、透と馨を間違って認識していないなんて、どうして言い切れる。

 傲慢、なのかな。気持ちを受け入れることも、選ばないことも。

 足がすくみそうになる。だけど、力を入れて動かす。3人で一緒にいたいと、たとえ自分勝手だとしても願うから。

 隣を歩く2人は、明日からの文化祭について思いを馳せている。準備が大変だった分、本番への期待も増す。とても楽しそうな顔なのに、輪郭がぼやける。

――私は、あの日の約束を守ることができているのかな?

 私は想いを覆い隠すようにして、会話に乗る。


「文化祭、楽しみだね!」


 妙にはしゃいだ声は、するりと夜空にとけた。

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