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教室には、まだ熱気がこもっていた。
文化祭を前日に控えて、クラスのやる気は十分だ。教室内の飾りつけもなんとか間に合った。テーブルクロスの刺繍がところどころ歪だけど……そこはご愛敬ということで。
飲食を取り扱うことになるので、衛生面も問題ないかきちんと確認する。消毒液や除菌シートの在庫も余裕がある。簡易で作られた調理スペースには、教室内と考えたらまずまずな広さかな。
尚、着替えは各階の空き教室が割り当てられているので、室内に作る必要はない。空き教室から自分のクラスまで帰る間、メイド服で歩くことになるのかと思うと、今から羞恥心で顔が火照りそうになる。いや、出来上がったメイド服の仕上がりは素晴らしいんだけどね?
……クラスの宣伝も兼ねていると思って諦めよう。
裏方部分の確認をしていると、入り口の方が俄かに騒がしい。
「どうかした?」
トラブルでも起きたのかな、と思いつつ、入り口の所にいた外村くんに尋ねてみる。
「ああ、ちょうど看板の飾りつけができた所」
言われてドアの上の方を見ると、「メイド喫茶」というドスレートな看板があった。分かりやすくていいけどね。つい先日まで飾り気のないシンプルな看板だったはずだけど、レースで縁取られ、さらにフリルがあしらわれていて、見た目にも華やかになっている。裁縫が不得手な自分には、一体どういう構造で飾り付けられているのか謎すぎるけど。これも佐々木さんの作品なのかな。
「なかなかの力作だろ?」
感心していると、何故か自慢げに馨が声を掛けてくる。
「力作だけど……」
首を傾げる私に対して、馨は得意そうだ。……って、え、もしかして?
「この看板、馨が作ったの?」
「おう、佐々木との共作だけどな!」
馨は文化祭の準備をするまで、手芸とは全く無縁だったはずだ。そんな馨が共作とはいえ、こんなに手の込んだものを仕上げるなんて、普通にすごい。感嘆がもれる。
「馨って本当に器用なんだねぇ」
「まぁな。自分でもちょっとびっくりしている」
「私にもその才能を少し分けてほしい」
切実にこぼした願いに、馨は笑い声を落とす。楽しそうな笑顔は、胸の辺りをじんわりと温かにしてくれる。
「希望があれば刺繍くらいしてやるぞ?」
言われてみたものの、実際の所、今すぐしてほしいものはない。
「ボタン取れたら直してね」
「いや、それくらいは自分で直せよ」
苦し紛れに言ったお願いは、苦笑で切り捨てられた。うん、私もボタンくらいつけることはできるから大丈夫だ。
その後、全体のチェックを終える頃には最終下校時刻になっていた。明日の段取りを確認して解散となった。
廊下に出ると、普段と異なり、どの教室も賑やかな飾りつけがなされていて、ちょっと別世界に迷い込んだみたいだ。日がもうすぐ完全に落ちる。昼と夜の狭間。文化祭の前日とあって、まだ生徒の数も多いのに。浮足立つ気持ちの中に、妙な心細さを感じるのは何故だろう。
「おい」
2、3歩、足を動かした所で肩を軽くたたかれた。
振り向くと、見慣れた背格好の男子が2人。ほの暗い廊下で、わずかな陽光を背に受けて立つ2人の表情は、よく見えない。
当たり前のように見分けられるようになったと思ったのに。
「あっ……えっと」
不意にどちらの名前を言おうとしたのか分からなくなって、口が中途半端に止まる。
その時、廊下の電気が点いて、2人の顔がはっきりと見える。
「ツキ?」
「ヒナ?」
困惑したように首を傾げる、よく似た2人の顔。
「ううん、一緒に帰ろう」
私は慌てて口を開く。2人は一瞬、視線を交わした後、笑みを見せる。
「そうだな、明日はまた早いしな」
「お化け屋敷の方も準備万端なの?」
「そうだね。なんとかなったかな」
話し出せば、会話はスムーズに流れだす。些細な違和感も押し流してくれる。帰り道を急ぐ生徒の中に紛れ、いつも通りの3人。
だのに、どうしてかな。
幼い頃の記憶が、私の心を占める。まだ2人を見分けることが出来なかった頃。2人に声を掛けられるのを嬉しく思う反面、気まずさも感じていた。
私はどちらと話している?
私はどちらと話したいと思った?
最初は小さな混乱だった。でも同じ時間を共有するほどに、心を重くした。だから、本当に嬉しかった。2人が笑って大丈夫だと言ってくれたことが、とても。
そう、とても嬉しかった。唐突に幼い頃の3人の姿がフラッシュバックする。
――うん、ヤクソク。もしも、いつか――。
あの日の約束。
子供らしい他愛無い、ちょっと矛盾した約束。だけど、それが私の心を軽くしてくれたのだ。
そうして、やがて呼びかけられなくても2人を見分けられるようになったことが、もっと嬉しかった。
だけど、本当に? 本当に見分けられている?
見え隠れする2人の気持ち。3人でいたいと思う私の気持ち。本当に?
私がどちらか片方の手を取ろうとしないのは、未だに気まずさを心の片隅に抱えているからじゃないのかな。いつかの先輩のように、透と馨を間違って認識していないなんて、どうして言い切れる。
傲慢、なのかな。気持ちを受け入れることも、選ばないことも。
足がすくみそうになる。だけど、力を入れて動かす。3人で一緒にいたいと、たとえ自分勝手だとしても願うから。
隣を歩く2人は、明日からの文化祭について思いを馳せている。準備が大変だった分、本番への期待も増す。とても楽しそうな顔なのに、輪郭がぼやける。
――私は、あの日の約束を守ることができているのかな?
私は想いを覆い隠すようにして、会話に乗る。
「文化祭、楽しみだね!」
妙にはしゃいだ声は、するりと夜空にとけた。




