表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月と太陽と  作者: くさき いつき
第8章 変化
41/57

5

――ツキちゃん。


――ヒナちゃん。


 声が響く。遠く近く。姿は見えないのに聞こえる。目は開いているはずなのに何も見えない。

 だけど不思議と不安はなかった。


――じゃあ、ヤクソクしよう?


また声が響く。温かく安心感がある。


――うん、ヤクソク。もしも、いつか――。


 ヤクソク。約束とは何だったろうか。問いかけようとするも、言葉を口にできない。パクパクと息が洩れるだけだ。

 次第に周囲が白みだす。相変わらず何も見えないけど、目覚めが近いのだと直感する。

 待って!

 反射的に思った。でも、やっぱり音にはならず空気をかすめるだけだ。私は抵抗する術を持たず、まぶたが軽くなっていくのに身を任せるしかない。


 目に映るのは見慣れた天井だった。若干ぼやけた景色は、何度か瞬きするとはっきりとした輪郭を持つ。


「夢か……」


 思わずつぶやいたものの、あまり実感はない。夢というよりは過去の記憶のような気がする。頭が覚醒するに従い、夢の内容はどんどん薄れていく。


「約束?」


 ぽつりとこぼれた瞬間、思考を阻害するようにけたたましい音が部屋に鳴り響いた。目覚ましだ。起きなくちゃ……。

 まだ眠気の残る上半身を勢いつけて起こす。

 今日はスヌーズ機能を使うことなく目を覚ましたお陰で、いつもより少しだけ朝にゆとりがある。ここの所、文化祭の準備に忙しくしていたからかな。何もせずにぼんやりしているだけで、疲れが抜けていくような気になる。

 だからといって、のんびりしすぎる訳にもいかない。私はベッドから立ち上がる。

 少し早い時間、だけど、当然のようにお母さんの姿はない。今日も早くから仕事に行ってしまったようだ。もうすっかり慣れたことではあるけど、こんなに朝早くから仕事に行く親には感心せずにはいられない。


「あら、おはよう」


 身支度を整え終えて洗面所から出てくると、和恵おばちゃんと鉢合わせした。


「おはよう」


「今日は学校早く行くの?」


「そうじゃないけど、目が覚めたから」


「そう、朝食はできているから食べてね」


「ありがとう」


 ダイニングテーブルにはこんがり焼けたトーストにコーンスープ、それから野菜サラダ。絵に描いたようなブレックファーストだ。何だか微笑ましい気持ちになる。トーストにはマーマレードジャムを塗って食べる。

 そうして、いつもよりゆったり目に朝の時間を過ごすと、玄関のチャイムの音がする。透が今日も迎えにきてくれたのだ。


「おはよう、ツキ」


 微笑む透は穏やかだ。


「うん、おはよう」


 私はローファーを履いて、透と並んで登校する。馨は今日も朝練だ。文化祭1週間前になると、部活は実質休みの状態になる。その前に少しでも長くサッカーに没頭していたいのだろう。


「文化祭の準備は順調?」


 最近はそんなお決まりのことを透はよく聞く。天気の話をするのと同じくらいに当たり障りがない。


「うーん、やっぱりメイド服が手間取っている感じかな。私はあんまり裁縫は得意じゃないし……」


「そっか。まぁお化けの格好も凝りだすと大変なんだけど」


 苦笑する透の顔は、だけど穏やかだ。馨も透も黒髪になった。外見上は同じになったのに、表情は案外違うものだな、と実感する。


「透はお化けの格好するの?」


「それは当日までの秘密」


「えー、教えてくれてもいいじゃない」


 私の抗議を、透は笑ってかわす。もう何年と見てきた幼馴染みの透の顔だ。それだけに、微かな違和感はこぼれてしまう。


――ちゃんと言葉にはする。


 その透の声を、私はきちんと覚えている。でも、触れない。透も私も。

 わずかなしこりは以前にはなかったもの。それでも透の顔も、多分私の顔も変わらない。幼馴染みとしての距離を測りながら、私たちは学校に向かう。

 やがて校庭が見えてくると、サッカー部が朝練を終えて後片付けをしている様子が見えた。馨はサッカーボールを抱えながら、重田くんと何か楽しそうに話しているようだ。


「どうかした?」


「え?」


「なんか笑っているからさ」


 言われて頬の辺りに触れてみる。表情筋の動きは自分では良く分からないものだった。


「変な顔していたかな?」


「変ではないけど……」


 言葉を濁した透は、困ったように笑みを浮かべる。首を傾げながら、私はどこか幼い頃の透と重なるような、そんな気がしていた。


「お化けの顔の参考にしようかな」


「どういう意味?」


 少し怒気を含めてみたけど、透も私も本気じゃないことが分かるから、結局ごまかしたかのような感じになってしまった。気持ちを押し隠すように、校門へと進む歩に力をいれた。

 見上げた青空には、もう夏の残り香は見えない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ