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1週間もすれば周囲も落ち着くだろう。
楽観的に考えていたけど、どうもちょっと様子がおかしい。
「あれ、透くん? ……違った、ごめん、馨くんの方だね」
なんて声が未だにちらほら聞こえてくる。視線を向けると、もう半年近くクラスメイトをしているはずの女子とやり取りをする馨がいた。
馨は特に怒った様子はない。だけど、間違えたほうは、やっぱり気まずげだ。
同じ教室にいるのに何故? と私は首を傾げるのだけど、有美曰く、これも最近の噂が原因らしい。透が彼氏として私に会いにくるのは自然のことなんだそうだ。そんな認識の時に黒髪になった馨がいると、透と錯覚するらしい。
何故。私と透は彼氏彼女の関係ではない。故に人前でそんな態度を取ったこともない。どこで間違えた? 分からない。
「何、変な顔してんだ?」
唸っていると、いつの間にか私の席の前に馨が立っていた。
「唐突に失礼ね……」
「眉間の皺、すごいぞ」
馨の人差指が、皺が出来ているであろう部分をつっつく。私は馨の指を軽く払って、意識して笑顔をつくる。
「いや、ドヤ顔されてもな」
「ドヤ顔じゃなくて、いい笑顔でしょ?」
自信たっぷりに返したのに、馨は首をひねっている。黒髪がさらりと揺れる。確かにパッと見だと、透に見えないこともないかもしれない。双子だし、それは不思議なことではないのだけど、透だと思って見ようとしても違和感あるんだよね。
「ねぇ、馨、ちょっと真面目そうな顔してみて」
「なんで。てか、俺はいつでも真面目な顔しているだろ?」
「それはどうだろう?」
「おい!」
言葉では怒っていても笑顔だ。
「じゃあ、特進にいそうな顔してみてよ」
だけど、馨の顔が一瞬固まる。すぐに笑顔に戻ったけど、不自然さが見え隠れする。
「馨?」
小さく、注意していないと聞き逃しそうなほど小さくため息が聞こえた、気がした。
「特進にいそうな顔ってこんな感じか?」
「えっと、うーん……」
真摯になった馨の瞳は、どこか不機嫌そうにも見える。いつもより目がつり上がったように見えたからかな……。でも、透の顔とは重なりそうで重ならない。
「なんだよ、また唸って」
「うん、双子と言っても、やっぱり違うもんだなと思って」
「そうかよ」
馨が笑みをこぼす。日を受ける黒髪はアッシュブラウンの時とは異なるきらめきを見せる。幼い頃の記憶を刺激されるような……。何かが過りそうになったけど、上手く思い出せない。
「しっかし、見慣れないとやっぱ透に見えるのかね」
馨は毛先をつまみながら、訝しげな声を漏らす。サイドの髪を流し目で見る馨は、透とは異なる大人っぽさを醸し出す。双子だけど、成長する速度と方向は、少しずつ変わってきているのだと思う。
「やっぱり透と間違われるのは嫌?」
「うーん。その辺は特に気にしないな。むしろ懐かしい感じ」
「懐かしい?」
特進にいそうな顔をリクエストした時に見えた表情はやっぱり見間違い? と首を傾げながらも別のことを尋ねていた。
「小中の頃は、よく間違えられていたからな」
そう言われてみるとそうだ。馨が透に、透が馨に間違われることはかつての日常だったのだ。私にも懐かしい気持ちが伝播してくる。ほんの少しの苦い気持ちとともに。
「馨が好きな先輩たちに呼び出されたものの、その先輩が本当に好きになった相手は透だったこともあったね……」
「って、まず思い出すのがそれかよ!」
「かなり強烈な思い出だったから」
放課後、人通りの少なくなった廊下の隅に呼び出された私は数人の女子の先輩に囲まれていた。馨と付き合っているのか、という何度となく聞かされた質問ではあったけど、こんな風に取り囲まれるのは初めてだった。こんな少女漫画みたいなことが実際にあるなんて! と思ってしまった所に、先輩からあれこれ聞かされる内容がどう考えても馨ではなく透なのだ。先輩が馨と接点を持ったという図書委員になったのは透だった。どうしよう……と困っていたら馨と透が通りかかって、先輩たちの勘違いは決定的な形で晒された。
私は間違って呼び出されたけど透とも幼馴染みだから完全に間違いとも言いきれず、先輩は誰に恋して失恋したのか混乱しているし、気まずい空気だけが残った。
「まぁ、あんなこと、そうそう起きないだろ」
「そうだと、いいな」
馨が黒髪に戻してからの周囲の様子を見ていると、何とも言えない部分はある。
透と付き合っているという噂が根付き始めているのもあって、不安が顔を覗かせる。
不安なのは、私の中にまだ言葉がないからなのかな。透がちゃんと言葉にしてくれた時、私は答えを用意できているのだろうか。
私は透の彼女になりたいのだろうか……。
目の前の馨は、私の葛藤に気付くことなく柔らかな表情を見せる。黒髪が懐かしさを刺激するけど、やはり言葉にはならなかった。