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月と太陽と  作者: くさき いつき
第6章 宿題
29/57

3

 他の部員や先生と一緒にバスに乗り込む馨の背中は、一回り小さくなったように見えた。私は、ただ見送ることしかできなかった。


 お疲れ様。

 最後に決まって良かったね。

 また1年頑張ればいいよ。


 言葉は思い浮かんだけど、どれも無責任に思えた。適切な言葉が分からない。

 結局、バスが走り出すまで、馨とは1度も視線が合わなかった。いつもなら負けても明るく振る舞うくらいの余裕は、たとえ空元気だとしても、見せるのに。

 何だか落ち着かないな。

 一旦帰宅したものの、冴えない気分が残る。無理にでも引きとめて、何か話をしていたら良かったのかな。なんて掛ける言葉もない癖に思ったりする。

 篠宮さんならどんなふうに話しかけるのかな。今頃、学校で会っているのかもしれない。試合後のミーティングももう終わるだろうし、篠宮さんも文化祭の準備に一段落ついている頃だろうから。

 励まし合う2人を想像したら、胸の奥がきゅっと締まる感覚がした。息が詰まる。

 1つ、大きく溜め息をつくと、ベッドから立ち上がる。汗で頬に張り付いた髪を払って、歩き出す。

 別にどこかに行きたい訳じゃなかった。ただじっとしていたくなかった。足はいつもの河原に向かっていた。

 夕暮れ時になると、気温も少しましになる。日中に比べれば、の話なので、実際は歩くだけで汗が流れるのを感じる。それでも、水辺は幾分、涼しく感じるのだ。

 土手を下りていくと、一層冷気が増すようだった。夕日を受けて、オレンジ色に染まる水面が優しかった。


「あっ……」


 意外な先客を見つけて、思わず声が漏れていた。アッシュブラウンの髪が夕日に透けて綺麗だ。


「よう」


 声で気付いたらしい馨が振り向きざまに、小さく手を上げる。やっぱり少し元気がないように見える。私は馨の横に並んだ。


「隣いい?」


「って、もう座ってんじゃん」


 苦笑を漏らすけど、座ること自体は拒まなかった。馨と同じ視線の高さで見る景色は、煌めいているのに暗く見えた。川の流れが意外と速いことも分かる。


「部活、もう終わってたんだね」


「今日はさすがにな。明日からまた普通にあるけど」


 川の方に視線を投げた馨の横顔は、ほのかに陰りがあるような気がする。まっすぐ前を向いているのに、どこにも視線が合っていない。

 踏み込んでもいいのかな。

 今までなら深く考えることもなく、さくっと突っ込んでいた気がする。だけど、今日は迷ってしまう。何故だか傷つけたくないと思ってしまう。


「なんだよ?」


 いつの間にか見つめすぎていたらしい。馨が訝しげな顔をしている。


「えっと……、なんて言うか、大丈夫なの?」


 励ますべきなのか、慰めるべきなのか、戸惑った結果、質問していた。馨はきょとんとしている。そりゃ、いきなり大丈夫って聞かれても困るよね。もっと段階を踏んで聞いていくべきだったと後悔しても、遅い。

 馨や透は私が困っていると、いつも手を差し伸べてくれるのに。私はできない。情けないな……。

 くすり、と笑みが聞こえた。ん? 何だ? 改めて馨の顔を見てみたけど笑みの跡はない。気のせいかな?


「ヒナの方が大丈夫か? 眉間の皺、すごいぞ」


「え、そうかな? 大丈夫だと思うけど!」


 眉間の間をぐりぐりと指でこする。皺なんてない!


「何やってんだよ、ばーか」


 声は明るい。だけど言葉に困るのはどうしてだろう。もう思い切って今日の試合のことを聞こうかと思った時、馨はぐっと腕を伸ばして寝転がった。身長の高くなった馨を見下ろすなんて、随分久しぶりだ。高校生になって大人びたようで、幼さの残る顔。


「あーあ、負けちった」


 ため息混じりにおどけた様子で言われた言葉は、ちくりと胸を刺す。私も馨を真似て寝転がる。背中に広がる草の感触は柔らかかった。


「最後のシュート、格好良かったよ」


「最後は、まぁ、なぁ……」


「相手の選手を次々にかわしていくのも格好良かったよ」


「うーん。そうかな」


「うん、今日、もっと早く試合を見に来られていたら良かったって思う」


 褒め殺しじゃない。本当の気持ちだ。フィールドを駆ける馨の姿は、目に焼き付いている。もっと見ていたかったって思う。

 馨は腕で顔を隠してしまった。表情は見えない。でも、微かに震えている。伸ばしかけた手を、そっと引っ込める。私は馨の隣で、ただ空を見上げた。

 言葉は出なかった。でも、これ以上、言葉を重ねる必要はないように思えた。

 馨は自分自身と向き合っている。悔しさを秘めながら。昔だったらどうだったろう。人目も憚らずに泣いたり、怒ったりしていただろうか。いつの間にか馨は気持ちを隠して、明日へと昇華するようになっていたらしい。

 大人になっていっているってことなのかな。それは当然で当たり前のことなのかもしれない。

 だけど、寂しいと思ってしまう。私にくらい、気持ちを隠さないでいてほしいのに。素直に見せて欲しい。

 しばらくすると馨は上半身を起こした。


「そろそろ帰るか」


 馨の目は少し赤かった。でも浮かべた笑みは穏やかだった。夜の帳が下りて、輝きだした月とのコントラストが鮮やかだった。馨の笑顔に惹きつけられてしまう自分が、何だかおかしかった。笑顔なんて、今更のはずなんだけどな。


「うん、帰ろう」


 素知らぬ顔で私は立ちあがる。勢いをつけすぎたのかスカートが揺れる。


「うわ、目の前でいきなり立つなよ。パンツ見えるぞ」


「うわってひどいな! てか見るな!」


「はいはい」


 適当に相槌を打ちながら、馨も立ち上がる。軽口を叩き合える関係が、私たちにはやっぱり丁度良いのかもしれない。夜風が頬に気持ち良い。


「次の試合も応援に行くね」


「おう!」


 快活に響く馨の声が優しかった。


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