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今日も絶賛視線を感じる。なかなかに熱い。夏の気温の暑さとは別物だ。重い空気を含ませている。そのうちドロドロと溶けだしてきそうで怖い。
おかしいな。篠宮さんは第一印象では守ってあげたいお嬢様だったはずなのに。特にこれといった会話もしていないのに、この変化は何故。
恋って本当おそろしい。
こっそり溜め息をつきつつ、今週の文化祭実行委員会終了の合図を聞いた。
私は透とも外村くんとも離れて廊下を1人で歩く。透は最初訝しげな顔をしたけど、トイレに行くと言ったら、なるほどと納得しっていた。なるほどって……。
トイレの鏡に映る私の顔は、若干の緊張を滲ませている。それを隠すように、目に力を入れた。ちょっと充血しているかもしれない。
目薬あったかな、と鞄をあさろうとした所で、ドアが開いた。鏡に映ったのは、予想通りの人物の顔だった。
「篠宮さん」
「月島さん、委員会、お疲れ様」
「うん、お疲れ様」
お互い笑顔。でも、親しみとは無縁だ。私は篠宮さんの顔を正面から見据えた。
「あの、何か話があるなら聞くよ?」
ちょっと高圧的だったかもしれない。でも、今まで透や馨との関係を勘違いして問い詰めてきた子たちの顔がよぎったのだ。彼女たちは下手に出ると神経を逆なでされるらしかった。私にはライバル然とした態度が求められている。実際に恋愛感情があろうともなかろうとも。
……と思ったのだけど、篠宮さんは視線を慌ただしく動かし、おろおろし出した。首を傾げると、目に涙をため出した。
あれ……私、いじめているみたい?
「篠宮さん?」
「ご、ごめんなさい!」
突然謝られた。肩を震わせてうつむく姿には、庇護欲をかきたてられる。滴のたまり始めた長いまつ毛は美少女度を上げる。人によってはあざとく見えたのかもしれない。だけど、篠宮さんは一切打算を感じさせない純粋無垢さがあった。何よりあんなに嫉妬をダダ漏れにしている子なんだから、計算とは無縁だろう。
「こっちこそ、何かごめんね」
思わず謝っていた。篠宮さんは小さく首を振る。その拍子にまつ毛にたまった涙が落ちた。
「でも、聞いていい? 最近、やたら私のことを見ていたのはどうして?」
一瞬、目を見開いてからすぐに唇をぎゅっと結ぶ。1つ1つの動作がいちいち絵になる。やがて、ぽつりと声がこぼれた。
「……しかったの」
小さくてよく聞き取れなかった。ん? と思っていると、今度ははっきりと聞き取れる声で言った。
「水野くんと仲がいいのが羨ましかったの!」
「えっと、ちなみにどっちの水野くん?」
「……馨くんのほうよ」
篠宮さんは恥ずかしそうに「馨くん」と発音していた。あぁ、恋する乙女なんだな、と思わされる。私は小さく息をついた。
「篠宮さん、私と馨は幼馴染みで、それ以上でもそれ以下でもないよ」
何度も言い慣れた言葉をきっぱりと言う。でも、篠宮さんは納得した様子はなかった。
「信じられないわ」
さっきまでの乙女な口調とは違い、断定する物言いだった。どうしたものかと首をひねっていると、篠宮さんはかっちり視線を合わせてきた。
「だって、ただの幼馴染みをあんなに必死にかばったりしないわ」
「かばうって?」
心当たりがなくて疑問符が浮かぶ。篠宮さんは呆れたふうに溜め息をつく。
「全然気付いていないのね。こんなふうに月島さんに関係を問い詰めた女子に、水野くんたちは幼馴染みだからって、わざわざ説明して回っているのよ」
「え、本当に?」
寝耳に水だった。でも、気付くと問い詰められなくなっていたことを考えると、合点もいく気がした。
「本当よ。あんな姿見せられたら、諦めるしかないじゃない。すごく大切にされている月島さんが羨ましくて仕方なかったわ。きっと好きになってくれたら、私のことも大切にしてくれるんだろうなって……」
言いかけて篠宮さんは口をつぐんだ。私も何とも言えなかった。だけど、黙って肯定してしまうと、2人の感情が幼馴染み以上だとも認めてしまうようで、私は慌てて口を開いた。
「でも、本当に言葉以上の思いはないと思うよ? 本当に幼馴染みなだけだし」
篠宮さんの瞳がゆらりと燃えた。
「本当に幼馴染み?」
「う、うん……」
「じゃあ、協力してくれるよね」
「協力?」
「そう。私と水野くん……か、馨くんが付き合えるように協力して」
言い方はきついのに、名前を呼ぶのに照れるからうっかり可愛いと思ってしまう。本当に計算じゃないのかな……。
「協力って言われても……」
消極的な態度を取ると、篠宮さんの大きな瞳がぐっと迫ってくるような気がした。目力怖い。
「あ、えーと……花火?」
「花火?」
「う、うん。毎年3人で花火大会に行っているんだけど、篠宮さんも一緒に行かない?」
「行くわ」
躊躇いがちに言った私の提案に即答された。らんらんと輝きだした瞳には、数分前の涙の痕は見えない。私は一抹の不安を覚えたけど、後の祭りだった。大変スムーズな動きで連絡先を交わしてトイレを後にすると篠宮さんは、絶対よ、と念押ししてどこかに行ってしまった。グラウンドが見える場所に行ったのかもしれない。
私は色々と消耗したものを感じつつ昇降口に向かった。
「これから帰り?」
驚いたことに透がいた。さっき篠宮さんに聞いた話……お礼を言うべきかと思ったけど、黙っている内容に対して言うのも変かな、と思い直して笑顔を浮かべた。
「うん。透は何しているの?」
「ツキを待っていたんだよ」
ストレートに言われる言葉は何だか気恥ずかしい。だけど、次の言葉に絶句した。
「篠宮さんとの話は無事に終わった?」
どう言えばいいのか分からない。篠宮さんの気持ちを分かって言っているの? いやいや、そもそも透がどこまで把握して言っているのか分からないし……。なんて困惑していたら、透の笑い声が聞こえた。
「篠宮さん、普段はクールな感じなんだけど、分かりやすいよね」
私は苦笑した。透は大体何でもお見通しらしい。
「篠宮さんが誰を好きなのかも分かっているの?」
「まぁね。馨でしょ」
あっさりと正解されてまた苦笑いするしかなかった。
今まで陰でかばってくれていたこと、やっぱりお礼を言うべきかな。でも、透だけじゃなくて馨もかばってくれていたんだよね……。透にだけお礼を言うのは何だか違う気がした。代わりに気になっていたことを漏らしていた。
「でも、何で同じクラスの透じゃなくて馨なんだろうね」
篠宮さんの話を聞く限り、私を大切にする2人を見て好きになったみたいだけど、馨の方を好きになった積極的な理由はなかった気がする。外見は同じだしなぁ。今は馨の髪は黒くないけど。
「それは自分の胸に聞いてみたら分かるんじゃないかな」
「篠宮さんじゃなくて私?」
首を傾げたけど、透は意味深な笑みを浮かべるだけで何も答えてくれなかった。透の瞳に一瞬、篠宮さんに似た色が滲んだ気がした。だけど、瞬きをした後には、いつもの透の顔だった。
花火大会のこと、2人にどう切り出そうかな。私は無理矢理頭を切り替えた。
ひぐらしの鳴き声が一足早い夏の夕暮れを感じさせた。太陽にはまだまだ勢いがあり、月は遠くに見えたのに。