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勝手知ったる水野家ではあるけど、さすがに留守中に押しかけることはできない。透も外に出ているみたいだし……。おじさんも夕方に仕事を切り上げて帰ってくることはないだろう。
馨の部活が終わるのは何時なんだろう。
陽が落ちてきて、ほんのり朱色を滲ませ出した空をベランダから見上げる。日中に比べると気温も落ちて、風が心地いい。洗濯物もぱりっと乾いていて、気持ちいい。
せっかくだし夕飯のおかずを何か作って持っていこうかな?
洗濯物を取り込みながら考える。肉じゃが、きんぴらごぼう、かぼちゃの含め煮……。お裾分けできるようなものって、どうしてこう所帯じみた感じがするんだろう。かと言ってハンバーグとかを作って持っていくのは何か違う気がする。
今日は和恵おばちゃんはもう仕事に行っちゃっているし、お母さんは例によって何時に帰ってくるか分からない。煮物系なら1人分作るのも4人分作るのも変わらない。肉じゃがでいいかな?
なんて結論づけていたら、馨が家の前の道を歩いているのが見えた。
あれ? 今日はもう部活終わったんだ!
私は抱えていた洗濯物を放り出すと、慌てて水野家に向かった。
しかし、出迎えた馨の顔は疲れ切っていた。
「どうしたんだよ、明日じゃダメな用か?」
どうしたんだよ、はこっちの台詞だよ。試合まで体力持つのかな。
「部活、そんなに厳しいの?」
「厳しいつーか、気合い入っているからなー」
「その割には今日帰り、早くない?」
「ああ、気合い入りすぎて怪我しそうな奴がいたから、早めに切り上げたんだよ」
それは馨自身のことじゃないのかな。って思ったら顔に出ていたのか、俺は違うぞ、と先に言われてしまった。
試合前の調節に留めておきたいメンバーと、試合前に気分上げるために気合いが入っているメンバーがいて、馨はどちらかというと前者らしい。何だかまとまりがないみたいに聞こえるけど、大丈夫なのかな……。実際、馨は普段の練習より疲れているように見える。
「で、今日はどうしたんだ? 帰宅早々に来たけど」
ダイニングで麦茶を飲んで一息ついたらしい馨が改めて尋ねてくる。
「あ、そうそう、メイド喫茶の載っている漫画見せてよ」
馨の目の前の椅子に座りながら切り出した。
「なんだ? 突然?」
「ほら、文化祭でメイド喫茶するでしょ。それで提案者の馨がどんなメイド服を考えていたのか知っておこうと思ってさ」
「随分、真面目なんだな。適当でいいと思うけど」
「いや、実物見たことないから、全然イメージ湧かなくてね……」
馨はくすりと笑みを漏らす。
「まぁ別にいいけど。その前に着替えていい?」
言われてみると、馨はまだ制服のままだった。急いで来すぎたな、とちょっと反省する。
「あ、ごめん、じゃあ適当に見とくよ。本棚にあるんだよね?」
「おう。荒らすなよ」
「むしろ掃除してあげるよ!」
軽口をたたくと、馨は洗面所の方に行ってしまった。一応、女子が部屋に入るというのに、何と言う大雑把な対応。今更、変に気を遣われても困るけど。
それでも、形式上、ノックをしてから馨の部屋に入った。もちろん中から反応はない。あったらホラーだ。
ベッドの上に上着とかが放ってあったけど、割と綺麗に片づけられている。透と馨の両親が離婚して、もう7年になる。何だかんだで家事能力は備わっているのかもしれない。
さて、目当ての漫画を……と思った所でタイトルを聞くのを忘れたことに気付いた。何やってんだ私。思わず溜め息が漏れてしまう。
メイド喫茶が出てくる漫画なら現代ものだよね?
本棚を見てみると、少年漫画と青年漫画がひしめき合っていて、正直どれなのかよく分からない。漫画以外だとサッカーの雑誌もある。ワールドカップの特集号とかを大事にとっているみたいだ。
眺めているだけでは仕方ないので、試しに1冊取ってみた。可愛い女の子がセクシーなポーズをとっていた。本を閉じた。
いや、しかし、こういう女の子がメイド喫茶をするのかもしれないと思い直し、再び手に取った。意外と面白かった。何かとちょっぴりえっちなハプニングに遭遇するユウくんが、ヒロインのミスズちゃんの為にがんばるラブコメ! 一途なユウくん、かっこいいね!
でも、メイド喫茶はもちろんメイド服も出てこなかった。別の作品かな?
「何してんの?」
どれか悩んでいると、背中越しに声がした。
「いや、どの作品か分からなくてさ……」
振り返る途中で、舌が回らなくなった。馨は上半身裸だったから。私は急いで顔を前に戻していた。
「何で服着てないの!」
「軽くシャワー浴びたから。てか、ちゃんとズボン履いているし」
「上は!」
「洗面所に着替え置いてなくてさ、取りに来たんだよ」
しれっと答える馨は全然動じてないみたいだ。そりゃあ、幼馴染みだから小学生の頃は勿論、中学生の頃だって上半身の裸を見ることなんてあったけどさ。
でも、高校生は違う。違った。一瞬しか見なかったはずなのに、馨のがっしりした体格が焼きついている。
「何? 意識しちゃってんの?」
馨には珍しい含み笑いをした声に、すっと平常心が戻ってきた。
「何言っているのかしら? 全然意識していませんが?」
ちょっと目が据わっていたのかもしれない。
「なんだよー。そんな怖い顔しなくてもいいだろー」
「これがデフォルトの顔だし」
「さっきの照れた顔は可愛かったのに」
カウンターで入ってきた言葉に、むせてしまった。本当何言っているの、馨。
「あ、また赤くなったし」
「うっさい!」
思わず怒鳴ってしまうと、馨の部屋の扉が開いた。ひょっこり顔を出したのは、今帰宅したらしい透だった。
「何騒いでいるの?」
「何でもねぇよ」
さらっと笑顔で答えると、馨はもう特にからかうことなく、シャツを着ていた。その間に私も息を整えた。透は困惑していたけど、あえて気にしないことにした。
「でさ、メイド喫茶の出てきた漫画ってどれ?」
「ん? これだよ」
馨が手に取ったのは意外とファンタジーものだった。半獣の猫耳娘がふりふりのエプロンドレスを着ていた。えっと、猫耳もつけなきゃダメかな? これを着た自分がまるで想像できない。
「メイド喫茶の衣装? 参考になりそう?」
透は、何も言っていないのに私の用事を察したらしい。何故か楽しそうな顔をしている。でも私は渋い顔しか返せない。
「うーん、難しいかも……」
「まぁ他にも参考になるものを探した方がいいかもね。馨は残念がるかもしれないけど」
「何でだよ!」
馨の反論にも透は涼しい顔をしている。
私は半獣猫耳娘の露出高めの胸元に目を落としてから、そっと本を閉じた。他の資料を探そう。
「ところでさ、駅前でチラシ配っていたんだけど、今年はどうする?」
透が鞄から取り出したのは、花火大会の案内だった。近所の神社を中心に出店が軒を連ね、提灯が揺れる景色は、高校生になってもやっぱり高揚するものがある。何より空一面に広がる花火を見ると、夏! と感じられて好きだ。
「開催は来週末かぁ。馨は部活の方はどうなの?」
「試合ない日だから行けると思う」
「じゃあ、今年も3人で行く?」
「うん!」
透の提案に私は2つ返事していた。だけど、はたと考えてしまった。こんなふうに3人ですぐに出かけてしまうから、付き合っているという噂が絶えないのかな、と。でも、昔からの恒例行事みたいなものだし……。
そういえば先日熱中症で倒れた時に見た夢……。あの時の男の子はどっちだったんだろう。馨なら覚えているかな、と思ったけど、透の淋しげに伏せられた瞳を思い出すと、何となく口に出すのは憚れた。
「どうかした?」
私の顔が曇ったことに目ざとく気付いたらしい透が首を傾げる。
「ううん、何でもない!」
馨も怪訝な顔をしたけど、私は見なかったことにした。
その後、私は3人と並んで水野家で夕食を作っていた。メニューは肉じゃがではなくビーフシチューになっていた。夜になって帰宅したおじさんも喜んでくれたので、ほっとした。昔から変わらない空気が食卓にはあったと思う。
尚、メイド服の衣装は、翌日外村くんから連絡があって、映画研究部で過去に使用したものを参考することになった。先輩に交渉してくれた外村くんに感謝。……でも映画研究部ってどんな作品を撮っているんだろう。