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月と太陽と  作者: くさき いつき
第1章 三人
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1

 貼りついたように瞼が開かなくて、手探りで音の出所を探す。ふらふらとしていた手が、やがて慣れ親しんだ固い物体に触れた。

 カチッとベルの音が止まる。訪れた静寂に安堵するのも束の間。


「んー?」

 

 何とか開いた視界に映ったのは、午前7時半を示す時計。


「うそっ!」

 

 びっくりして一気に目が覚める。

 そして目の前の惨状にげんなりした。数学の教科書とノートが開いたままになっていて、シャーペンによる幾何学模様が描かれている。あまつさえ私のよだれ付き。

 苦手な数学のテストだからって徹夜なんてしようとするもんじゃない。

 溜め息1つこぼして、私は慌てて制服に着替えることにした。


「あんた、何回目覚まし鳴らしてんのよ」

 

 1階に下りて洗面所で顔を洗っていると、呆れた声をかけられた。鏡にはコーヒーカップを片手に持った叔母の姿があった。


「ちゃんと止めないと10分置きに鳴るの!」


「めんどくさい時計ねぇ」

 

 スヌーズ機能、全否定された……。だったら起こしてよ、という言葉は飲み込んだ。高校2年でその台詞はちょっと恥ずかしかった。ましてや叔母相手に。


「そういえばお母さんは?」


「もう仕事に行ったわよ」

 

 そりゃそっか。この時間までいたら驚きだわ。母子家庭を支える大黒柱は、今日も通常通りのようだ。時刻はもう50分を回っている。急いで洗顔フォームを洗い落とす。

 うん、今日は朝食、抜いちゃおう。


「陽菜、パン、1つくらい食べてから行きなさいよ」

 

 見透かしたように言われた。顔を洗い終わった私にバターロールが突き出される。


「でも、時間ないし……」


「今日も期末テストでしょ。お腹空いてちゃ、頭回んないわよ」


「うん、分かった」

 

 どうでも良さそうでいて、ちゃんと気にかけてくれている。叔母は私のもう1人の母だ。


「ありがとう、和恵おばちゃん」


「おばちゃん言うな! 和恵お姉ちゃんって呼びな!」

 

 バターロールを無理矢理口に入れられそうになる。


「ごめん、ごめん」

 

 いつものことなので、笑いながらバターロールを手に取って口に運ぶと、間の抜けたチャイムの音が響いた。


「あら、お迎え来ちゃったんじゃないの」


「あ、うん、たぶん」

 

 私は頷いてバターロールを飲み込むようにして食べると、慌てて鞄を持って玄関に向かった。


――そういえば、今朝、懐かしい夢を見ていた気がする。

 

 不意に思い出した夢の中の小さな男の子たちは、玄関先に立つ2人の男子の姿と重なる。あの頃に比べると背は高くなったし、声は低くなった。


「ツキ、寝坊でもした?」


「ヒナ、おせぇよ」

 

 おまけにちゃん付けで呼ばれなくなった。

 月島陽菜。名字を略して呼ぶか、下の名前を呼び捨てにするか。違いはあれど、どちらも愛嬌があるとはあまり思えない。

 だけど、妙にほっとする呼び方なのも確かだった。


「ごめん、数学、徹夜しちゃって」

 

 実際は机でぐっすり眠ってたんだけど……。ローファーを履きながら、言い訳を並べかけたけど、あっさり遮られた。


「あんまり無理しちゃだめだよ?」

 

 温和で優しいのに憂いのある声音で言うのは、私をツキと呼ぶ兄の透。


「どうせ、ろくに勉強せずに寝てたんだろ」

 

 嫌味なのに爽やかで屈託のない声音で言うのは、私をヒナと呼ぶ弟の馨。

 

 一卵性の双子である2人は顔形や背格好は瓜2つなのに、本質的な部分では随分と違うな、と今なら分かる。

 それに馨は高校に入学して髪を染めたので、外見上も全く同じとは言えなくなった。アッシュブラウンの髪色は日光を受けると、より鮮やかに見える。黒髪のままの透がことさら落ち着いた雰囲気に映る。顔のパーツが一緒なだけに、余計に際立つ気がした。


「ん? どうした? ぼんやりとして」

 

 馨が訝しげに眉をひそめたので、慌てて首を横に振る。


「ううん、なんでもないよ」


「やっぱり寝不足で疲れてるんじゃない?」

 

 透が気遣わしげに私の目を覗きこんでくる。目の下に隈はできていなかった、と思う。


「大丈夫だよ」


「本当か?」と馨。


「本当」


「でも心配だな」と透。


「大丈夫だって」

 

 2人が代わる代わる尋ねてきて、思わず笑みがこぼれてしまう。


「あんた達、さっさと行かないと本当に遅刻するわよ」

 

 声がした方を向くと呆れた顔をした和恵おばちゃんがいた。腕時計を見ると、ちょうど8時を示す所だった。


「やばっ! 行ってきまーす!」

 

 外に出ると、日差しの強さに一瞬、目眩を覚えた。これはもう30度越えてるな……。1歩足を踏み出すだけで、じっとりと汗が滲みそうだ。

 だけど、空は爽やかすぎるくらいに青く、雲1つない。あるのは強い日差しを放つ太陽と、静かに漂う有明の月だけだ。


「ほら、ぼさっとしてないで走れ!」

 

 馨の声を合図に、私達は駅を目指して駆けだす。

 目の前に並ぶ2人の背中は、やっぱりそっくりに見えた。


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