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月と太陽と  作者: くさき いつき
第2章 家族
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5

 これから仕事に行く、という和恵おばちゃんと別れ、私は1人で川沿いの道を歩いていた。遠くに見える橋には、車がひっきりなしに通っているのが見える。でも、この辺りは静かなもので、川のせせらぎの音しか聞こえない。

 河原に下りると、より音が鮮明に聞こえた。

 そっと水に触れると、思ったよりも冷たくて、身体の熱も引くような気がする。目を閉じると、川の流れを感じられるようだった。


「ツキ」


 不意に声がして振り向くと、すぐ近くに透が立っていた。


「透? いつからいたの?」


「今。土手から下りていく姿が見えたから」


 でも、通学路からは外れている道なのに……。疑問が顔に出ていたのか、透は微笑んだ。


「ツキ、毎年、ここにいるからね」


「そうだっけ」


 曖昧に笑って川から手を引くと、指先から水が滴る。


「それに小さい頃から、何かあるとボーッと川を眺めていたから」


 馨といい透といい幼馴染みっていうのも厄介だな、と思う。

 透が差し出したハンカチを断って、私は立ち上がると、自分のハンカチを取り出した。透は、ちょっと困ったような顔をした気がした。


「別に何か思い出がある訳じゃないんだけどね、落ち着くから」


 言い訳めいたことを口にしてみたけど、透は何も言わなかった。


「透は学校からの帰り?」


 制服姿のままであることに、今更気付いたかのように尋ねる。透は柔和な笑みを浮かべた。


「そうだよ。部活の会議が意外と長かったからね」


「夏休みは忙しくなりそうなの?」


「そこそこ。文化祭で文集出すから、その準備があるくらいかな」


 帰宅部である私にはよく分からない感覚だった。


「透の夏休みは文化祭尽くしになりそうなんだね」


「そうなるかもなぁ」


「私も何か夏休みにやろうかな」


「文化祭の準備は忘れずにね」


「分かってるよー」


 何故だろう。

 いつもと何も変わらないのに、気持ちをきちんと言葉にできていない気がする。上滑りしているような、しっくりとこない感じがした。

 逆光のせいか、透の表情もよく見えていない気がしてきた。


「ツキ?」


 思いのほか近くから聞こえた声に驚くと、透が隣に立っていた。


「大丈夫? ぼんやりしてるみたいだけど」


 憂う透の瞳が目に映った。私はこの瞳を見たことがある。


「……大丈夫」


 頷きながら、思い出していた。去年も、一昨年も、その前の年も、私は「大丈夫」と口にしていた。


「別に無理しなくていいんだよ」


「うん」


 頷いたけど、やっぱり涙がこぼれることはなかった。透の困った気配を微かに感じた。

 そっと伸ばされた右手が私の頬に触れた。あったかいな……。と思ったら、ギュッとつねられた。


「いった! 何すんの!」


「うん、これだけ元気があれば大丈夫だね」


 にっこりと微笑まれたら、反論する気力が削がれた。反射的に声を出しちゃったものの、実際はそんなに強くつねられた訳でもなかったし。


「そういえば、透のクラスは文化祭の出し物決まったの?」


 頬をさすりながら、結局、そんなことを聞いていた。笑顔のままの透が、ちょっと憎らしい。


「うん、決まったよ。お化け屋敷」


「え、決まったの? すんなり?」


 朝、話していた様子では今日中に決まりそうになかったのに。


「うん、メイド喫茶を提案したら、女子が色んな意見を出してくれたから」


「……そう。漫画を参考にしたんだってね」


 透も躊躇なく提案していたのか。やっぱり双子なんだなって、変な所で感心した。


「馨に聞いたんだ? 昨日、真剣に2人で話し合った甲斐があったよ」


「決まったのはお化け屋敷みたいだけど?」


「結果的に色んな意見が出たんだからいいんだよ」


 透って意外と策士? と思ったけど、口にはしなかった。双子でも違う所は違うな、と早々に前言を撤回することになった。


「ツキのクラスはどうなったの?」


「今日中には決まらなかったよ。投票で決める感じ」


「ふぅん。透はメイド喫茶、提案しなかったの?」


「いや、したんだけどね……」


 言葉にしあぐねていると、土手の上で手を振っている人物が目に入った。


「あれ、馨じゃない?」


「あ、本当だ」


 透が気付くのと同時に馨は駆け下りてきた。部活の疲れをまるで感じさせない、軽やかさのある走りだった。


「やっぱ今年もここにいたんだな」


 馨の言葉はストレートだった。私は頷くしかない。


「まぁね。恒例みたいなもの?」


「なんだ、元気そうじゃねぇか」


 言いながら馨の手が私の頭を撫でる。でも教室の時のような優しいものじゃなくて、ぐらぐらと首を揺すられる。


「ちょっと! 髪、ぐしゃぐしゃになるでしょ!」


「わりぃ、わりぃ」


 全く悪びれる様子もない。この双子は反論したり怒ったりする気力を削ぐのに長けているな、と褒め言葉とも言えないことを思いつつ、髪を整える。


「てか、部活が終わるには早いんじゃないの?」


 空はまだ暮れ始めたばかり。普段なら部活に精を出している時間のはずだ。特に試合が近いのだから。


「まぁ、今日はその……身内の不幸的な日だから?」


 言われてから、これも毎年のことだった、と思い出す。私たちは何度も同じことを繰り返すほどに一緒の時間を過ごしてきた。

 前進とも、後退とも、言えない。


「弟は2人もいらないなぁ」


 冗談めかして言うと、透がくすりと笑みをこぼした。


「どちらかというとツキが妹だけどね。生まれた順的に」


「そうだな、姉ちゃんって感じじゃないよな」


 たしかに透と馨が6月9日生まれで、私が11月25日生まれなので、生まれた順は否定できない。だけど、馨の言葉は聞き逃せなかった。


「何だか馨の言う姉ちゃんって響きが変ね?」


「はぁ? どこがだよ?」


「卑猥な感じ?」


 さらりと透が加勢してくる。それに対して馨が、何でだよ! と突っかかっていく。透はお兄ちゃんかもしれないけど、馨は弟だな、と思う。

 いつからだろう。私たちの家族が互いに欠けてしまってからかな。兄と妹であり、姉と弟である、そんな不可思議な関係になったのは。

 7年前、透と馨の両親は離婚し、2人は父親に引き取られている。

 小学生の高学年ともなれば、普通は男女の幼馴染みは疎遠になるのだろうと思う。だけど、男手1人では難しいことも多く、2人が私の家に預けられたりもした。結果、私たちの距離は歪になったのかもしれない。

 不意に携帯電話が鳴って、兄と弟の言い合いも中断した。確認するとメールが届いていた。


――今日は早く帰れそうよ。


 お母さんからだった。

 ただの1文なのに、ほっと安心する。ちゃんとメールが来たことが嬉しい。


「じゃあ、帰ろうか」


 私の表情でメールの内容を察したらしい透が、手を差し出す。


「え、手、繋ぐのかよ!」


 馨が驚いた声を上げる。だけど、私は微笑んで透の手を取った。そして、もう片方の手を馨に差し出した。


「いいじゃない。たまには。ね?」


 どうしたものか、と思案した顔を見せる。だけど、馨は1つ嘆息をこぼすと、観念したように私の手を取ってくれた。


「まぁ、こういう日だからな。しょうがねぇよな」


 言葉とは裏腹に、馨の手のひらは優しく、透と同じ温度だった。

 3人で手を繋いで帰る道のりは、懐かしい気持ちを思い起こさせる。でも、手のひらの大きさや、隣に立った2人の背の高さに、確かに年月も感じた。

 私たちはいつまで3人で手を繋いで歩いていられるのだろう。

 ふわりと舞い降りた疑問には、すぐに答えられそうになかった。ただ白く輝き出した月と赤く沈みゆく太陽が、私たち3人の影を伸ばしていた。


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