第1章 ウソっ! なんでこうなるの? 5
「えっ、えっと……ミサキ……いえ、永井中尉の個室で間違いないわよね? ルームナンバーは間違いないはずなんだけど、彼女はいないの?」
実際に固まっていたのは一~二秒間だろうか? 先に解凍した女性士官の方から優希に向かっておずおずと話し掛けてきた。
「ミサキ姉ぇ……いえ、永井中尉の個室で間違いないです。今は外に出ていて、いませんけれど」
戸惑いながらも優希も答える。
「いない? 冗談でしょ! この忙しいときにリーダーは何しているの?」
リーダー? そういえばそうだった。あまりの出来事にすっかり失念していたが、ここにいる女性クルーは、ミサキも含めミルキー・エンジェルのメンバー、目の前にいる彼女もそうだった。
一瞬の戸惑いの後、ワンレングスの美女がミルキー・エンジェルのサブリーダーであることを思い出した。
「ミサキ姉ぇ。じゃなくて、永井中尉は、野暮用だと言ってましたけど」
さすがにホントのことは言えず、優希は言葉を濁した。
「野暮用? って、どうせろくな用件じゃないでしょう。ドジの後始末とか……そんなことはどうでもいいわ。それよかアナタの名前は?」
瞬時に真実を言い当て、苛立ちを抑えながら、女性士官は優希の名前を尋ねる。
「お、沖田優希ですけど」
勢いにつられて優希も答える。
「ふ~ん、沖田さんね。新人さんかな?」
人差し指を自分の額にあてながら思考をめぐらせ「聞いてないんだけどなぁ……」、「まぁ、いきなりってのはよくあることだし」、「それでミサキの部屋に呼ばれたのかな?」などと、意味不明な言葉をひとりぶつぶつ呟くと、改めて優希に向かいなおす。
「ここにいるのだからそういうことね。沖田さんね? 憶えておくわ。ワタシの名前は今井涼子。ネームタグ見れば分かるわね?」
ネームタグを見なくても分かりますよ、超有名人なんですから。さすがにそれは言えないが。
「寛いでいるところを悪いけど、ちょっと手伝ってくれないかな?」
言うや否や、彼女は優希の腕を掴み、ずんずんと引っ張っていった。
「ちょ、ちょっと、ボクは!」
突然の出来事に優希は叫ぶが、涼子はお構いなしに引っ張っていく。
「ぐずぐず言わないの。この艦の人手は足りないのだから、出来ることを出来る人がやるの。ルーキーの事務士官みたいだけど、コンピューターの操作くらい出来るでしょ?」
いや、だから、ボクは事務士官じゃないし、ルーキーどころかデビュー前の士官候補生なんです。それに専攻は操艦なんですってば!
引っ張られながら優希は声にならない抗議を呟く。
だが、女装した上にヘンな事を口走ったら、ヘンタイのレッテルを張られてしまうに決まっている。そのことが優希の心を縛り、反論の言葉を封じたのだ。
涼子にずりずりと引っ張られ、無理矢理エレベーターに乗せられると、優希は正面に巨大なスクリーンの広がる指令所のような部屋に連込まれた。
「ここに座って」
そう言って末席のひとつに座らされると、問答無用でワイヤレスのインカムを手渡された。
「早くインカムを着けて。システムは起動しているから、オペレーションのガイダンス通りにやればいいのよ。それとシートベルトはちゃんと装着してね。加速重力を打ち消すゼロGシステムは正常に作動しているけど、不測の事態には対処できないからね」
一方的にそれだけ言い放つと、彼女も隣のデスクに座り、同じようにインカムを頭に付けた。
改めて辺りをきょろきょろ見渡すと、正面スクリーンは外部の風景が、側面のマルチスクリーンには艦内外の主要箇所が映し出されており、ここがシルフィードのブリッジだということに気が付いた。
どうしてこんなところに? 改めて頭の中を疑問符がかけめぐる。
「きょろきょろしないでモニターを見る!」
「は、はい!」
叱責されて慌ててモニターを凝視する。
彼女が言う通り、デスクのモニターは既に起動しており、発進プログラムが実行中であった。
発進プログラム?
ちょっと待て。こままじゃ家に帰れないどころか、宇宙の彼方に連れて行かれるじゃないか!
「大変だ! ボ、ボク降ります!」
「なに言ってるの! 降りれる訳ないでしょ! いきなりブリッジに座らせたくらいでパニックにならない!」
慌てて席を離れようとした優希に、涼子の雷が落ちる。
「ルーキーでも、いえ、ルーキーだからこそ与えられたことはきちんとやりなさい! 私もミサキも、いいえ、全てのクルーはそうしているわよ!」
そう言われたら座るしかない。優希は渋々座りなおした。
「納得したらデーターを読み上げて」
考える間も無く指示が飛ぶ。言われるままにデーターを読み上げた。
「プログラム21まで実行、全て正常。22のグランドチェック起動中です」
「了解。エンジン予備駆動に入りました。臨界まであと600秒」
「各ブロックの気密確認急げ」
ブリッジ内に次々と指示が飛ぶ。
なし崩しとはいえ、優希も言われた箇所のチェックリストを読み上げる。と、エンジンが起動を始めたのか、微かな振動がシートに伝わり、発進前の心地よい緊張に、自分が学生なんだと言う気持ちを忘れさせていた。
「船台ロック解除。カタパルトレールに移動」
「ロック解除確認。レール移動します」
「シルフィード移動中。発射位置まで90秒」
「最終セーフティー解除」
「予備システムチェック完了。カウントダウン開始します」
オペレーターのひとりが準備完了を読み上げる。
カウントダウンが1分を切り、後は艦長が最後の一言を発するだけで発進プログラムは完了する。
正にその時。
ブリッジ後方のリフトドアが開き、長い黒髪を揺らしながら、ミサキが慌てて入ってきた。
「遅くなって申し訳ありません!」
「リーダーのクセに遅いわよ!」
涼子がモニターを見つつ非難する。
「ゴメ~ン。ちょっとアクシデントが発生しちゃって。後でデザート奢るから、許してよ。ね、涼子」
怒り顔の涼子に向かい、両手を合わせてミサキが懇願する。その風貌に中尉の威厳は全く無い。
「もぅ、いつもそれで逃げるんだから……少しはリーダーとしての自覚を持って頂戴! アンタの代わりはこの娘にやってもらっているから、後でちゃんとお礼をしてときなさいよ」
涼子がデスクを指差す。そこには、緊張でひきつった顔をしながら、必死にモニターを凝視する優希が座っていた。
「優希クンがどうしてここに?」
「どうしてって? 呼びに行ったらミサキはいないし、発進の時間は迫ってくるし、代わりにこの娘……失礼、沖田さんがいたからお願いしたのよ」
「お願いしたって、優希クンは士官じゃないのよ!」
その言葉に涼子の表情が凍る。
「ウソ?」
言うまでも無いことだが、艦船ブリッジの各シートは、正規軍人以外座ることは出来ない。宇宙祭などで艦船内部を一般公開してもセキリュリティの関係から、ブリッジやCICルームは立入禁止を貫いており、その不文律が破られたことは無い。涼子が驚くのはむしろ当然なのだ。
「ウソじゃないわよ! 彼が着ているのはわたしの少尉時代の制服だし、あの子の身分は士官学校の生徒さんよ!」
かれ?
ミサキの言ったそのひと言に、涼子の表情だけでなく、動作までも固まる。
かれ、カレ、彼。英語で言うとところのhe。どんな呼称で呼ぼうと、その人称で呼ぶ性別はひとつしかない。
「お、男の子?」
ウソでしょ? どう見たってあの娘、女の子よ。
その事実に涼子は驚愕した。
確かにベリーショートのヘアスタイルはボーイッシュで、そこだけを見れば男の子に見えなくはない。とは言えあの程度の短髪は、船外の無重力下でも活動することもある連邦宇宙軍の女性兵士なら、それほど珍しくない髪型だ。何よりもその姿かたち。溌剌と伸びた四肢に細い腰回り、指先もしなやかで、例えどんな美少年が女装したとしても見え隠れする骨太さなどは全く無く、どこから見ても真性の美少女そのものだ。
涼子の思考がループしているところに、唐突に通信席から声がかかった。
「お取り込み中ですが、士官学校教諭の荻久保という方から緊急連絡が入っています。沖田優希という生徒が行方不明で、ひょっとして本艦に迷い込んでいないか? という内容なんですが……」
「沖田優希って、……まさか?」
震えた声で涼子が指差す。
「だから彼のことよ!」
さっきから言っているのに。と、ミサキがぼやく。まぁ、見かけで判断しろというのが無理な注文なのだが……
「どうしてそんな子が、女装してブリッジにいるのよ!」
「アンタが引っ張ってきたんでしょうが?」
「引っ張ってきたのはアタシだけど、女装なんかさせてないわよ!」
「わたしが彼の服を汚したから、乾くまで代わりに着せたの!」
「そんなことするから間違えるんじゃない!」
「だって代わりの服がないんだもの!」
「だからって化粧までする? ふつう」
「いいじゃない。可愛いんだから」
「それは認めるけど……それじゃぁまるで、彼がヘンタイさんじゃないの!」
「この姿を見てヘンタイに思える?」
「見えないわよ。というか、メチャクチャ可愛いけど……だからって、やって良いことと悪いことがあるでしょう!」
ふたりの言い合いはますますヒートアップする。しかもだんだん論点がずれた上で。
「あ、あのぅ……」
何とかやめさせようと優希は声をかけた。が、興奮しているふたりには通じない。
「アンタは黙ってらっしゃい!」「優希クンは黙っていて!」
止めるどころか、あっさり一蹴されてしまった。
「事の真相がよく判らん。とにかくその荻久保という教諭に回線を繋げてくれ」
ヒートアップするふたりを無視して、静観を決め込んでいた壮年の士官が通信士に命令した。言うまでも無く、巡洋艦シルフィードの艦長その人である。
数秒後、フロントスクリーンいっぱいに、荻久保の脂ぎった顔が映し出された。
「初めまして。で、よろしいのかな? シルフィード艦長のエバンスです」
『ど、どうも。士官学校の教諭を務めている荻久保という物です。突然のご連絡の無礼、お許しください』
険悪だったブリッジの空気が一変、ほのぼのとした挨拶の風景に変わる。時候の話から始まりモニター越しの名刺の交換に、趣味の話に昔のドラマの思い出と続き、果ては昨日のスポーツの結果まで。あまりの日常的会話に、発進前の緊迫した雰囲気が音を立てて崩れていく。
『…………という訳なんですよ』
「ほほぅ、私もやってみたいですな。機会があれば、今度是非ご一緒に」
『いやいや、こちらこそお手柔らかに』
「ところで。荻久保さんのお話ですと、貴校の生徒が本艦に紛れ込んでいるかも知れない。ということですが、もう少し詳しく教えていただけませんかな?」
通り一遍の世間話からすっと本題に差し入る。その辺りはさすがに年の功の賜物だろう。
『そ、そうなんです。本校の学生で、沖田優希という生徒なんですが、冗談でそちらにいる永井ミサキさんのサインを貰って来い言ったのを真に受けて……ご迷惑をかけていないかと』
「わ、わたしのサインですか?」
びっくりしたようにミサキが自分の顔を指差す。そういえば、ぶつかったときに色紙を何枚か持っていたような? あれってひょっとして、この先生の差し金なの?
「わたしのサインでよろしければ、後で広報を通じてお届けしますわ」
『それは光栄です♪』
破顔一笑する荻久保。広報を介するとはいえ、本人から直接貰えるのは嬉しい限りだろう。
『で、沖田はいましたでしょうか?』
「沖田…………という生徒さんですか?」
荻久保の質問に女装した優希を見つつ、ミサキの表情がひきつる。
『ぱっと見、士官候補生とは思えない軟弱そうな雰囲気ですので、すぐに見つかると思います。ところで……』
通信にかこつけてブリッジを遠慮会釈無く覗いていた荻久保が、目ざとく優希の姿を見つけた。
『そちらにいる女の子は、見かけない方ですが、新人さんですか?』
「え、え、え、え………………っ。とっ………………」
「そ、そ、そ、そ………………っ。その………………」
荻久保の中年丸出しの視線に優希はうろたえたまま硬直し、話を振られたミサキは答えにつまり、しどろもどろになっていた。
「彼女は新人ではありません。言ってみれば新人見習い体験乗艦です。それとお探しの沖田優希候補生ですが、ちょっとした経緯から、今航海は実習生として当艦に乗艦させています。事後連絡で遅れましたが、そういうことでご理解頂きたい」
有無を言わせぬタイミングでエバンスが割って入り、強引に決めてしまった。
「地球には十日後に戻る予定ですので、荻久保教官には必要なテキスト類の送付と、学校への諸手続きをお願いいたします。サインの方は私から、責任を持って届けさせるよう手配しておきましょう。
我々は出港準備で多忙ですので、これにて失礼します」
それだけ言うと一方的に通信を切り、優希たちの方に向きなおした。
「これでよし。万事解決した」
「万事解決って?」
涼子が異論を唱えようとすると、エバンスが「まぁ、まて」と制する。
「当艦は既に発進プログラムが起動中だ。それを今更中止する訳にはいかない。となると、彼を地上に降ろすことはもはや不可能だ」
「しかし……」
「それに今回の騒動は、永井中尉のイタズラと今井中尉の勘違いが原因なんだろう。ならば便宜を図るのは我々の責任ではないかね?」
「でも、艦長。そんな前例は……」
「無ければ作ればよい。退役寸前とはいえ、私も一応中佐の身分だ。それなりの裁量は与えられている。それにこの艦は戦闘をする訳でもない、彼を実習目的で臨時に徴集することにそれ程の問題は無いと思うがな?」
エバンスが親指を立てて小さくウインクした。その決定に異論を唱えるものはいなかった。
「よろしい。これで問題は解決した。発進プログラムを再開したまえ」
「了解しました」
まだちょっと不満げだが命令は絶対だ。言われた通り涼子も席につく。
が、ミサキと優希は……ひとつの席にふたりは座れない。
「永井中尉は本来のオペレーター席で自身の任務を遂行したまえ。沖田君は副操縦席に座って見学だな」
戸惑うふたりにため息をつきつつ、エバンスが指示を出した。
そうこうする間にも発進プログラムは滞りなく進行し、管制塔の許可も全て下りた。
「全システムオールグリーン。発進準備完了しました」
グランドチェックが終了したのを確認して、ミサキが復唱する。
「よろしい。では、巡洋艦シルフィード発進!」
エバンスの命令の後、ごく軽い浮遊感がフロアに伝わり、シルフィードは優希を乗せたまま宇宙めがけて飛翔を始めた。
でも、いいのか? ホントに。