第1章 ウソっ! なんでこうなるの? 4
「なんにも無いけど、自分の部屋だと思って寛いでね」
って、お気楽にミサキは言うが、ガチガチに緊張している優希に寛げというのは無理な話だ。
密室で男と女。しかも相手はかつて知り合いだったとはいえ、超美人の人気アイドル。十年を越えるブランクがあれば初対面と大差ないだろう。
「一応、初公開。かな? メンバー以外では優希クンが初めてよ。この部屋にお客さんをお通しするのは」
「!」
刺激的なミサキのセリフが、優希の緊張をさらに増大させた。
もっとも、緊張しつつもその辺は男の子。好奇心に駆られきょろきょろと見回す。
広さにして八畳位だろうか? カーペット敷きの清潔な部屋は、壁際にベッドとドレッサーが配置され、ベッドの奥には衣装箪笥とおぼしきクローゼットの扉がある。もう一方には、女の子らしいデザインのローテーブルと座り心地のよさそうなクッションが置かれており、小さいながらもトイレと一体になったユニットバスまで備え付けられた本格的な個室だった。
それにしても贅沢な。と、優希は思う。
ミサキの襟章に付いている階級は中尉。学生の身分なのでそれほど詳しくは知らないが、空間に制限がある宇宙艦船でユニットバス付の広い個室を与えられるのって、確か佐官クラス以上からではないだろうか? 一介の尉官クラスにこれだけの厚遇は、通常では絶対に考えられない。改めてミルキー・エンジェルの凄さを、まざまざと見せ付けられた恰好だ。
「どうしたの? さっきから突っ立ったままで」
部屋に入ってずいぶん経つというのに、座ろうとしない優希に痺れを切らしミサキが声をかける。
「どうにも落ち着かなくて。女の人の部屋に呼ばれたのって、初めてだから」
緊張しているからと素直に答えたにも拘らず「えーっ」とブーイングが返ってきた。
「そんなこと無い筈よ。隣に住んでいた時は、わたしの部屋に来たことがあるはずなんだから」
そんなのカウントするな! と、小さく悪態をつくと「それは別カウントとしても」と、見透かしたかのようにスル―して、ジト目で言葉をつなぐ。
「こんだけの美少年なんだから、女の子たちが優希クンを放っておかないでしょう?」
「買いかぶり過ぎだって。誰も相手なんかしないし、彼女もいないから!」
「またまた~ぁ」
「本当だって!」
疑いの眼のミサキに向かって力いっぱい否定する。
「学校でも家でも、浮いた話なんか、これぽっちも無いんだから」
確かに女の子連中は色々構ってくれるが、異性としてではなく、おもちゃ扱いなのでノーカウントだろう。
「まぁいいわ。そういうことにしてあげる」
一応は納得? したのだろうか。甚だ疑問だが、藪蛇を突くのはもっと不安だ。
「それよりさ、このままじゃ気持ち悪いから、先にシャワー使わせてくれない?」
怪しい方向に進みそうなので、慌てて話題をそらす。実際この恰好でずっといるのは我慢ならない。シャワーが出来るのなら、何とかしたいのが今の心境だった。
「あ、そうね。その格好のままじゃ座れないか。シャワーの使い方は分かるわよね?」
「あのねぇ……」
幼稚園児じゃないんだから。という言葉を頭に浮かべながら、優希は逃げるようにユニットバスに入り、シャワーを浴びた。
コックをひねると熱いお湯が全身に染み渡り、立ち上がる湯気が心地よい。彼が通う士官学校の練習艦「うみかぜ」のシャワー室とは雲泥の差だ。
なにせあちらは二十人でひとつのシャワーを共用。しかも齢百年越えの退役ビンテージ艦のためか、あるいは経費削減でボイラーをケチっているのか、シャワーの出もひどく悪く、訓練の後のラッシュアワーは半端じゃない。ひとり五分の制限時間で満足に汗を流せたためしがないのだ。
「うん、うん。この勢いだよ。ノブを捻ればたっぷり出てくる熱いお湯。これがホントのシャワーだって」
あまりのご機嫌ぶりに、ついつい鼻歌のひとつでも歌いたくなる。
「着替え、ここに置いておくからね」
扉越しにミサキの声がかかった。
「はーい」
軽く返事をして、優希は再びシャワーに没頭した。
たっぷり十分間は浴びただろうか? 身も心もさっぱりして、ユニットバスから出た優希はバスタオルで濡れた身体を拭い、用意されていた着替えを着ようとして、その場で固まってしまった。
「み、ミサキ姉っ!」
脱衣場で場違いな大声を出す。
「な~に?」
「こ、こ、こ、これ………………………………………………………………………………なんなの?」
のほほんと答えたミサキに対して、置いてある衣類に指を指す。
「ん、替えの服だけど?」
それがなにか? ことなげにミサキが言う。
替えの服。
確かにその通りだ。新品でこそないが、きれいに畳まれたそれは洗濯もきちんとできており、着替えといっても十分通用するだろう。ただ一点の問題を除けば、だが。
「替えの服って? こ、この服、女物じゃないですかー!」
ミサキの用意した着替えは、純白のブラウスにタイトスカートという、どっからどう見てもレディース物。これを着ろとでも言うのか?
「そりゃそうよ。わたしの着替えっていうか、少尉時代の士官服だから」
優希の抗議にあっけらかんとミサキが答える。言外に「何か問題でもある?」と匂わせているが冗談じゃない。これじゃ悪夢の再現だ。
記憶の中に完全抹殺されたはずの、忌わしい黒歴史が、まさか復活するなんて。
子供の頃のミサキは本当は妹が欲しかったらしく「優希クンは可愛いんから」と、なにかというと自分の服を優希に着せたがったのだ。どこかのお姫様のようなフリルいっぱいのブリブリのドレスは言うに及ばず、学校の制服から水着まで「なに着ても似合うから可愛いの」と優希を着せ替え人形にして遊び倒していたのである。
もの心のつかない2~3歳の頃ならともかく、幼稚園に入り男の子としての自我が発生した後でも、ミサキの態度は変わらなかった。
否、外出時にまで女装させる始末で、道行く人に「見て見て、わたしの妹よ」と紹介するなど、アップデートに拍車がかかっっていた。
おかげで近所から「優希クンは本当は女の子?」などと、あらぬ疑いをかけられたことも1度や2度ではない。結局、男の子だと完全に認められたのは、家庭の事情でミサキがこの町を離れた随分後のことである。
「だから、安心して……」
「着れる訳ないでしょう!」
「どうして?」
「どうして。って、ミサキ姉ぇの服だよ!」
「大丈夫、汚れてないわよ。ちゃんとクリーニングして保管してあったし、優希クンならサイズも同じくらいだから、キツイとかそんなことないと思うよ」
だから、そういう問題じゃないって! そう言いたい優希だったが、一点の曇りも無いミサキの視線に、反論しても無駄だという答えが見えていた。
「もういいから、ボクの服を返してよ!」
汚れた服でもあれよりはマシだ。
「ムリよ」
優希の希望をミサキはあっさり拒否する。
「どうして?」
「どうして? って。あの服、生クリームがべっちょりで、とても着られないわよ」
「じゃあ、洗濯して着るから」
「乾くまでどうするの?」
「う~っ」
「諦めて着ちゃいなさいよ。いくら空調の効いた艦内といっても、そんな格好でずっといたら風邪ひいちゃうわよ」
さあどうだと言わんばかり。どうしても女性士官服を着せたいらしい。優希は大きくため息をついた。
「わかったよ。着ればいいんだろ? 着れば!」
とうとう諦めて優希はブラウスに手をかけた。
「ブラウスだけじゃ物足りないわね。ブラジャーもいる?」
にこにこしながらミサキが突っ込む。
「いらない!」
もちろん、即座に断った。
「え~っ? 可愛いのがあるのになぁ~。これなんか似合うと思わない?」
そう言うと、フリルがいっぱい付いたレモンイエローの物体を差し出す。
「却下!」
「ちぇっ。つまんないの」
ミサキの意見は当然無視する。
いつものドレスシャツと違い、ブラウスはボタンの止め位置が逆なので、ちょっと戸惑ってしまったが、まぁなんとかなる。ネジメタルタイを締めるにしても、プレーンノットならばなんの苦痛も無い。が、ネイビーグレーのタイトスカートを手に持つと、優希は再び固まってしまった。
これを穿けっていうのか~?
ちらりとミサキを見たが、期待に満ちた視線で見つめているだけで、止めようという意思は全く無い。
いや、むしろ、早く穿けと言わんばかりの勢いだ。
えーい、ままよ!
最後まで抵抗していたプライドを心の隅に封印すると、意を決してスカートを身に着け、ジッパーを締めた。
「穿いたよ。これでいいんだろ!」
恥ずかしさから不機嫌に答える。顔は完全に横を向き、両手の拳は固く握られたままだった。
見る見る真っ赤になる優希を見てミサキは思った。
か、可愛いいっ!!
自分でさせておきながらその似合いっぷりに驚く。元々華奢であまり背が高くないという要素があるにせよ、ここまで「美少女」になるとは……
まるでミルキー・エンジェルのメンバーになるために、ここに来たのではないかと思えるほどだ。
でも、折角ならね。
「ダメよ、それだけじゃ。その格好をしたのなら化粧もしないとね」
敢えてダメ出しをする。
やるからには徹底的にやる。ミサキの中でなにかが火がついた。もっとも優希にとっては迷惑以外の何者でもないだろうが。
「化粧って? 口紅とかアイシャドーの、あれ?」
「当然よ」
どこが当然? という突っ込みを入れる間も無く、無理矢理小さなソファーに座らされると、ミサキの手により顔を剃られ眉を整え、薄く化粧を施された。勢いですね毛や腕の毛までも剃られてしまい、彼の手足はつるつるになっていた。
「脇の下は今度やろうね」
「しないって!」
「うっそー? 脇の手入れはレディーのたしなみよ」
「あのね……ボクはレディーじゃないって」
「あら、この艶姿を見せ付けといて、そんなこと言える?」
仕上げに淡いピンクのルージュを付けると、隠し持っていた手鏡を差し出す。
!!!
優希が絶句する。
鏡の中に彼の姿はなく、代わりに髪をベリーショートに切り揃えた美少女士官が映っていた。
「こ、これが……」
「これが優希クンのホントの姿よ。どう、可愛いでしょ? 問答無用の美少女じゃない? この可憐さにはどんな女の子だって嫉妬しちゃうわよ」
「嫉妬って、どういうことだよ?」
「言った通りよ」
言った相手が男だというのに、軽く言い流す。
「とにかく自信を持ちなさい。見ての通り優希クンは完全無欠の美少女よ。誰よりもこのわたしが保証するわ」
「そんなこと保証されてもなぁ」
「いいから、いいから。悪いけど優希クンの服はクリーニングに出しておくから、乾くまで暫らくの間そのままでいてくれる? 風邪ひくといけないしね」
そう言うと、汚れた服をひったくりミサキは部屋から出ていった。
後に残されたのは女装姿の優希ひとりだけ。
傍から見れば絶世の美少女が、途方に暮れた表情で扉の先を見つめているのだが、当事者である優希にとってはそんなどころでない。
「この格好でなにをしろって言うんだよ!」
ネイビーグレーのスーツにタイトスカート、華奢な体躯にすらりと伸びた脚。これでもう少し胸があったら……って、何を考えているんだ! ボクはっ!
ぶんぶんぶん!
思いっきり左右に首を振りあらぬ妄想を振りほどくと、部屋の隅に置かれた鏡が視界に飛び込んできた。
うっ…………優希の動きが止まる。
学校の連中が「男装の麗人」と言い切る理由が痛いほど解る。憂いを秘めた美少女がそこにいるのだから。
「うそっ? これが……ボク? な、可愛い……」
意味不明な言葉を呟く。
鏡の中の美少女が、優希に見つめられてうっすらと頬を紅く染める。あろうことか一瞬見とれてしまったのだ。
次の瞬間、この美少女が己の女装姿であることを思い出し、恥ずかしさにさらに真っ赤になってしまった。
とにかく、こんな恥ずかしい格好を、他人に晒す訳にはいかない。
優希とて人並みの羞恥心はある。素っ裸で出歩くのもご免こうむりたいが、女装姿を晒すのも遠慮したい。ミサキが帰ってくるまで大人しくここに篭っていようと、固く誓ったのだった。
が、そんな時に限って、往々にアクシデントはやって来る。
「ミサキ~っ、いるぅ?」
ノックも無しに突然扉が開き、肩までのショートワンレングスが印象的な、女性士官が入ってきた。たぶんミサキと同い年かひとつ上下くらい。身長はやはり高い。おっとり(天然?)美人系のミサキと違い、鋭利な刃物のような雰囲気が漂う酷薄な美人だ。
「えっ?」「なっ!」
優希とワンレングスの士官は、視線が合うと同時に、表情が凍りついた。
一方は個室に入ったら予想外の人物がいること、もう一方はいきなりの乱入者に己の恥ずかしい女装姿を見られたことで、意識がフリーズしてしまったのだ。