第1章 ウソっ! なんでこうなるの? 2
ホーネット型高速機動巡洋艦「シルフィード」
紡錘形のフォルムをベースに、両舷に開いたエアインテークのような密閉型フライトデッキ。そこから張り出す大きなデルタ翼と垂直尾翼。六基のオメガ融合エンジンを備えたその姿は、史上初の超音速旅客機といわれたコンコルドなる機体をほうふつさせる優美な艦である。
大型戦艦サイズの大出力オメガ融合エンジンにものをいわせた圧倒的な加速力と機動性で、敵艦隊をかく乱することを主目的に開発された艦だが、シルフィードに限っては使用用途が大きく異なる。見た目からしてパールホワイトの艦体をベースに、ブルーとピンクのラインの入った派手な塗装をまとっていた。ステルスこそが常識の軍用艦にあるまじき「見てくれ」と言わんばかりのカラーリングなのである。
そして、他と決定的に違う理由。
シルフィード横に特設された、場違いなステージを見れば一目瞭然だろう。
じゃ~ん♪
耳をつんざくBGMとカクテル光線の中、連邦宇宙軍の士官服をベースにした、派手なコスチューム姿の女の子たちが歌って踊る。その数ざっと五十人。
タイプは様々だが、誰もがみんな下手な女優やアイドル顔負けの美貌とスタイルを誇り、プロのダンスユニットさながらに一糸乱れぬパフォーマンスは、なる程人気があるのも当然とうなずける。
もっとも彼女らは芸能人ではない。それどころか彼女らの身分は全て現役の軍人、目の前にある巡洋艦シルフィードのクルーなのである。
彼女らの名前は、通称「ミルキー・エンジェル」。
正式名称は連邦宇宙軍広報部付独立艦隊広報局員。長期化する戦争において逼迫する人材確保と、戦線での士気維持のために結成された異色の部隊である。
堅い話はさておき。
宇宙船ドックの特設ステージは興奮の坩堝と化していた。
フラッシュのように激しく明滅するスポットライトに、彼女たちから迸る汗が銀色に光る。
一挙一動に歓声が被り、ステージが大きく揺れる。
もっと激しく! もっと強く!
ステージの興奮とともに客席のボルテージもヒートアップしていく。
手拍子! 足拍子! 沸きあがる歓声! ステージはおろか広いドック全てが、彼女らとファンの熱気にが覆い尽くされていた。
「うぉぉぉぉぉっ!」
サビの部分にさしかかると、絶妙なタイミングで合いの手がかかる。いくら時代が進もうとも、サイリュームライトを振り回す、ハッピと鉢巻を付けた親衛隊は永遠に不滅なのだ。
ジャン!
決めのポーズと同時にBGMが鳴り止んだ。
間髪いれずに鳴り響く客席から拍手と歓声。このあたりはトップアイドルのライブとなんら変わるところはない。
拍手が鳴り止むと、中央で踊っていた長身の女性がマイクを持ち、再び壇上に立った。踊っていたときの溌剌とした印象と異なり、凛とした雰囲気を漂わせながら、ゆっくりと口を開いた。
「今日は忙しい中、わたしたちの催しに来て頂いてありがとうございました。皆さんもご存知のように、今地球はディラング皇国との長い戦争に突入して四半世紀年余。その間にたくさんのことがありました…………」
軍属の公務員故、このちょっと堅苦しいメッセージが入ってくるのが、一般のアイドルとのいちばんの違いだろうか。それはともかく、彼女らを起用した連邦軍の目論見は大成功で、前戦での士気高揚に大いなる力を発揮し、数年来拮抗したまま膠着状態だった戦争も、徐々にではあるが連邦有利に推移しつつあるほどだった。
「いいなぁ~」
「特に、リーダーのミサキさん最高!」
「超美人なのに、刺々しさが無くて優しいし。俺もあんな人を彼女に欲しいなぁ」
学校をエスケープしてここに来た如月や相沢も、ステージ上のミルキー・エンジェルにやんやの歓声をおくっていた。
「いやいや、サブリーダーの涼子さんも捨てがたいぞ。あの冷たくきつい瞳に射抜かれて、なにも感じないなんて男じゃないぜ!」
なぜか隣の席から反論が出る。
「俺はステファニーだ」
「花梨ちゃん一押しです」
それぞれ自分の一押しを主張し、その想いを熱く語る。
「ふっふっふっ、聞いて驚くな。俺はミサキさんのシルフィード乗り込みの際のフォトを持っているんだ!」
「なにっ!」
「いつ、撮ったんだ?」
「公式写真じゃなくて?」
「う、売ってくれ!」
「ダメダメ。これは俺の宝物なんだから!」
副作用として、こういうコアなファンが増えたのも否めないが…………
なにはともあれ、ライブは大盛況のうちに幕を閉じようとしていた。
「遅刻だ、遅刻だ! 遅刻する~ぅ!」
お約束なセリフを叫びながら優希が走る。
坂の多いこの街で全力疾走するのはかなりの労力を必要とするが、走らずにはいられない。その理由は後で説明するとして、優希がいくら成長期で体力が赤丸急上昇中としても、アップダウンの連続攻撃には勝てず、息絶え絶えになっていた。
「まったく……はぁはぁ……荻久保のバカが……ひぃひぃ……無茶な……ふぅふぅ……ことを……へぇへぇ……要求するから……ほぅほぅ……」
荒い息をしながら愚痴をこぼす。
優希が愚痴るのも無理もない。試験中のチャットを咎められ、教室にひとり残され補習をしていた最中、なにを思ったのか「ミルキー・エンジェルのリーダーのサインを貰って来い」と荻久保がマジ顔で言い放ったのだ。
「それって職権乱用じゃ……」
いきなりのことにあ然としながら問い返す。が、荻久保は全く動じない。
「その通り。思いっきり職権乱用だ!」
それどころか自ら堂々と言い切る始末。ここまですっぱり言い切れば、むしろ清々しさすら感じる程だ。
「今日彼女らのイベントがあることは、確かな筋から入手済みだ」
そりゃそうだ。チャットウインドをしっかり覗いていたのだから。
「しかーし。非常に残念ながら、勤務時間中であるため、私は目の前にあるイベントに馳せ参じることが出来ない! 教師という聖職に就いている以上、それはまぁ仕方あるまい。だが、ミサキさんのサインだけは是が非でも欲しい!」
涙を流す振りまでして好き放題言い放った後、白紙のサイン色紙を数枚手渡し、荻久保は小声で耳打ちした。
「念の為に言っておくが、これはあくまでも教職上の命令ではなく、私の個人的なお願いだ。拒否したところで沖田に不利益なことは公式にはなにもない。が、私も教師である前に人間だ。公明正大に務めるとはいえど、貰ってこなければ、古代海戦史の成績に些細な影響が出ない。とは、言い切れないな」
と、教師にあるまじき脅迫までしたのだ。
もちろん半分は冗談だろうが、残り半分は十分本気だった。だからこうして優希は必死に走っているのだ。
「行きますよ。行きゃ良いんでしょ!」
「沖田は顔が可愛いから、ひょっとしたらサイン以上に美味しいことがあるかも知れないぞ」
「そんなもの無いです!」
「そうか? まぁいい、早いところ補習を済ませて行って来いよ」
「ちょっと……こういう展開なら補習はここで打ち切りでしょ?」
「アホか! 補習は補習だ。教師が公私混同できると思うか?」
言っていることが矛盾している!
で、泣きながら補習を終わらせ、今に至るのだ。
「急がないとイベントが終わってしまう!」
時刻は既に三時半。ステージ終了時刻は二時半。その後のサイン会が、一体どれだけ続いているかは神のみぞと言ったところだ。それゆえに必死になって走っているのだが……
「あれっ、沖田~ぁ。今頃登場か?」
あと少しでイベント会場というところで、ぞろぞろと退場する一団の中に、如月や相沢たちの姿が見えた。
「誰かさんがつまんないログを書いてくれたせいで、課題をどっちゃりもらったからね」
精一杯の皮肉を言うが、彼らには通じていない。にこにこしながら「そうか。運が悪かったな」と言ったきり、さっさと話題を変えてしまった。
原因を作ったのはお前たちだろ。小さく呟くが、舞い上がっているふたりに届くはずも無い。
「その代わり良いもの見せてやるよ」
如月が大事そうに抱えていた鞄から、一枚の色紙を取り出す。
「見て驚け、羨ましがれ! 恐れ多くもミルキー・エンジェルのメンバーのひとり、カレンちゃんの生サインだぞ!」
「こっちもすごいぞ。同じくセラさんの生サインだ」
相沢も得意満面にサインを見せる。
「ミサキさんのサインは貰えたの?」
優希が尋ねる。
「無理、無理。並んでいる数がハンパじゃないって。しかも途中で「急用がある」って、サイン会を抜けちゃったし」
「だからサインを貰えたのは三十人もいないんじゃないかな?」
と、ふたりにあっさり言われたが、理不尽な要求とはいえ優希は荻久保から、彼女のサインを貰って来いと厳命されてしまったのだ。いないから帰ると言う訳にはいかない。そんなことしたら後の内申書が恐ろしい。
「彼女がどこに行ったのか知っている?」
少し考えて尋ねる。
「シルフィードに戻ったんじゃないか?」
「血相変えて行ったからな」
そのときの光景を思い出すように如月が答えた。
なんでもサイン会の途中で、ふと時計を見た彼女が「ごめんなさいっっ!」とひと言謝ると、席を立ってシルフィードに戻っていったのだった。
「何か急ぎの用事でもあったんだろうな」
「ふーん。そうなんだ」
「それはしょうがないとして、サインを貰う方法は他に無いの?」
ここで貰えないと、なにをしに来たのか分からない。
「ふむ……」
優希の問いに二人揃って腕を組む。
「どうしても。て、言うのなら、シルフィードに行ってみたらどうだ?」
相沢が恐ろしいことをあっさりと言う。
「シルフィードに行けだぁ?」
「サインを貰わないといけないのだろ? だったら忍び込んで直談判するしかないわな。イベントが終わったから、警備もそんなに厳しくないんじゃないか?」
それって不法侵入ではないだろうか? 躊躇する優希に二人は悪魔のささやきでそそのかす。
「俺たちだってミサキさんのサインは欲しいし、さ。でもそのためには、シルフィードに入って彼女を探すしかない。行くならひとりよりふたり、ふたりより三人のほうが見つかる確率が高いだろう? だから……さっ」
ぽんと渡された白い物体。数枚のサイン色紙だった。
「分担して探すぞ!」
高らかに宣言すると、ふたりは再び解体の進むイベント会場へと駆けていった。「ミサキさ~ん~~っ!」というドップラー効果を残しながら。
「な、なんなんだ。あいつら……」
あっという間に駆けていたふたりに呆然としながらひとり黄昏ていた優希だったが、やっと我にかえり、ぶつぶつ言いながらもミサキがいる(と思う)シルフィードに向かって歩き出した。
「無事に忍び込めるかな?」
さぁ………………………
その答えは神様だけが知っていた。