第1章 ウソっ! なんでこうなるの? 1
「おはよう」
「おーっす」
「おはよう」
…………
校門で繰り広げられる挨拶の光景は、士官学校も一般の学校もそう変わるものではない。
長期化するディラング皇国との戦争のため繰り下がった就学年齢と相まって、その風景だけを見れば、ごくふつうのハイスクールと変わるところはなにもない。教室に入ったところで同じこと、思い思いのグループが談笑している内容なんて、昨日のテレビやファッション、気になる異性など、言ってしまえば取るに足らないことばかりだ。
「沖田~っ。どうだった、アレ?」
教室に入るや否や、挨拶も抜きにクラスメイトの相沢が、ゲームの感想は如何に? と、尋問よろしく訊いてくる。
「いきなりすぎだ。親しき仲にも礼儀だろ」
苦笑しつつ諌めるが、当人は一切気にしないようで「始終顔を合わせてるんだから、今更挨拶なんか必要ないじゃん」とにべもない。
「それよりも。昨日貸したヤツは、どこまでクリアしたんだ?」
むしろ、そっちのほうが一大事とばかり。彼こそが優希を徹夜に駆り立てた元凶だったりする。
「ミルキー・エンジェルの新作ゲームだぞ。当然、気合いを入れてやっただろ?」
「まあ、ふつうに」
あまりうるさいので軽く答えると、頼みもしないのに相沢はゲームについて熱く語りだす。やれオープニングがどうだとか、途中の山場がこうだとか。貸してもらって実際にプレイしたのだから、わざわざ説明なんか要らないのに「聞いていて損はないぞ」と語りを続ける。
「衝動でパケ買いしたけど、ありゃ難易度がメチャクチャ高くてな。レベルをイージーに落として、やっとファイナルステージに辿りついたんだ。沖田はどこまでクリアした? ステージ2か? それとも3か? まさかファーストステージってことはないよな? 士官学生としてはちょっと恥ずかしいぞ」
「えっと、コンプリートしたけど」
途端、相沢の目がテンになる。
「ゲーム貸したの、昨日だったよな?」
「うん」
「たった、一晩で?」
「うん」
「レベルは? スーパーイージーか?」
「いや、プロフェッショナルだけど」
「マジか?」
「ウソついてどうするの? 徹夜でプレイしたんだから、それくらいは終わるでしょ」
「いや、それ、ムリ。ムリ。ムリ。絶対にムリ」
どこから聞きつけたのか、仲間内では理性派の如月までもが話に加わってきた。
「史上最大の作戦は、ゲーマー筋でも難易度がウルトラ級だって、もっぱらの評判なんだぜ。ミルキー・エンジェルのジャケットに騙されて買って、1ステージも進めないなんて輩もごまんといるらしい。たった一晩でコンプリートなんて、快挙と言うより暴挙だって」
「でも、もたもたしていたら課題をしている時間がなくなっちゃうし……」
学生である以上、本分は勉強。とまでは言わないが、疎かにはできないだろう。ましてや単位に煩い士官学校である、下手を打てば留年だって十分あり得る。
「沖田はやってきたのか? 古代海戦史のレポート」
ゲームの時とはうって変わって、へっぴり腰に相沢が尋ねる。
「そりゃ、ね」
課題は帰ったらすぐに片付けるという、小学生以来の習慣が身についているのだが、
「ウソだろ? ゲームより遥に難易度が高いじゃないか! 数世紀も昔の海戦の勝利要因を提示せよなんて」
脳みそ筋肉の相沢にとっては超難問のようで、恨み節もしきり。
「日本海海戦だよ。雑誌の付録みたいないい加減な参考書にだって、「トウゴウ・ヘイハチロウという人物が、当時の大国相手に戦術的勝利を収めた」って載ってるよ。調べるのなんか造作もないだろ?」
「俺、古典が苦手なんだよ」
露骨に顔をしかめて相沢が答えた。
「相沢~っ。そんなこと言っていて大丈夫なのか? 日本海海戦で開発されたT字戦法、今度試験に出てくるよ」
優希に続いて如月が追い打ちをかけると、相沢が「マジ?」と目をむいて驚いた。
「マジだって」
「うそ~っ!」
頭を抱える。実戦肌の相沢はこういった理論や講釈は苦手なのだ。
「そんなことで大丈夫か? あの戦法、実際の宇宙戦でも使ったよ」
「ノストリア宙域のあれだろ?」
見た目はごつく、如月こそ海兵隊候補生のように見えるが、その実頭脳明晰で参謀候補なのだ。その反動故か、精神構造がかなりオタクだが……
「あの時は連邦が勝利したけど、司令官のノーラン少将が古典に長じた人だったのが、この戦法を採用した理由らしい」
優希に代わって如月がノストリア戦のあらましを説明する。彼の説明は細かく詳細に喋らせたら授業以上に濃密だが、さすがにこの場所ではホンのさわり程度で済ませたようだ。
「ふぅーん。そうなんだ」
相沢が興味なさそうに生返事をする。要点を押さえた非常に分かりやすい説明だったのだが、それでも理解するのは困難だったようだ。ひょっとしたら脳味噌まで筋肉で出来ているのかも知れない。
「ふぅーん。って、試験に出るかもしれないのに?」
あまりの無関心さに心配になり優希が問い返す。他人事と言ってしまえばそれまでだが、必修項目をとれずに留年する友人は見たくない。
「別に一問や二問落としたって、及第点をとればいいんだろ?」
「だけど、苦手なのはそれだけじゃないだろう?」
「ぐっ……痛いところを……」
確かに一問二問なら問題ないかもしれないが、全問わからないでは、結果はもはや見えている。
「相沢ももう少し古典を勉強したほうがいいと思うぞ。意外と為になるから」
「必要になったら勉強するさ」
「試験前に。ってこと?」
「そういうこと」
「では必要にしてやろう。今から小テストを行う。全員席に着け!」
よく通る声が三人の会話に割り込んできた。振り返れば軍務教官の荻久保がテキスト片手に教壇で仁王立ちしていた。講義開始の時間は既に過ぎていたのだ。
この状態の荻久保になにを言っても無駄だ。どたどたとみんなが席に着く。
「全員席に着いたな? では、今から行う。始め!」
問答無用でテストが始まった。出題範囲も分からない全くの抜き打ちテストだった。
「古代戦史をバカにしちゃいかんぞ。先ほど沖田が言っていた中世期日本海海戦も、ゼネラル東郷は、彼の時代より更に古代の村上水軍なる海軍の海戦術を学んで体得した。その四十年後に一世を風靡した古代レシプロ戦闘機、ゼロファイターの操縦技術などは今の宇宙戦闘機教本の手本にもなっている。ハードな技術は古びても、優れたソフトは普遍的なんだ。温故知新という言葉はだてではないぞ」
テスト中だというのに一人演説を始める荻久保。実は演説の中に試験の解答が相当数含まれていたのだが、熱く語る荻久保はそのことに全く気づいてなかった。
「こりゃ楽勝♪」
テスト中、そう思った生徒が多数いたことは公然の秘密である。
もちろんその中に優希が含まれているのは言うまでもない。
そうなるとテスト時間は恰好のコミュニケーションの場に変貌する。個人の各デスクに端末が設置された士官学校では、その気になれば生徒同士で教官の目を盗んでチャットをすることも可能だ。荻久保が自分の世界に浸っているのをいいことに、早速生徒同士で情報のやり取りが始まったようだ。
その内容はというと……まぁ他愛も無いようなものばかりだ。昨日のテレビの話題や、好きなアイドルの話、クラスの誰と誰が付き合っているかなどなど。休み時間に話している内容と大差はない。休み時間にやればいいと思うのだが、こういうことは教師に隠れてこそこそやることに醍醐味があるのだ。
早々と答案を書き終えた優希は、テストの画像を閉じると窓の外に視線を向け、その先にある宇宙船ドックに思いをはせていた。今日は確か巡洋艦シルフィードが停泊しているはずだ。
宇宙巡洋艦・シルフィード。
一介の巡洋艦であるが、この名前を知らない者はいないという、地球連邦軍いち有名な艦艇だ。その理由は言うまでもなく、超人気アイドル集団ミルキー・エンジェルが乗っているからである。
『宇宙船ドックにシルフィードが停泊しているのを知っているか?』
案の定、生徒間のチャットでもそのことが話題になっていた。いろんな意味で多感な年頃の彼らにとって、それはとても重要な話題なのだ。
『もちろん♪』
『聞くだけ野暮だろ』
朝のワイドショーでも観ていたのか、大多数の生徒は既に情報を入手していた。
『停泊している、理由は知っている?』
『さぁ……』
『そこまでは……』
『誰か知っている?』
『今日ドックの特設ステージで、ミルキー・エンジェルのイベントがあるからだよ』
生徒のひとりが問いかけに答えた。
『ウソ!?』
『マジッ?』
『そんな情報入ってないよ』
『告知無しの緊急公演らしい』
『イベントって何時から?』
『一時から。今回は次の予定があるからワンステージしかないそうだ』
『一回だけ?』
『それしかないの? 追加ステージは?』
『残念ながら無いんだって』
『どうして?』
『別星系の慰問とプロモ撮影を兼ねて夕方には宇宙に飛び立つらしいんだ。もともと今回のドック入りはそのためで、本来はイベント自体も無かったそうだけど、急きょ一回だけならって決まったんだって』
『ふ~ん。そうなんだ』
『で、観に行く?』
『もちろん!』
『当然でしょ!』
『優希は?』
漫然とモニターを見ていた優希に振られる。一瞬どきりとするが、異論があるはずも無く、即座に行くと返答する。
そうなると、後は具体的なエスケープの作戦だけ。
『いつふける?』
『次の休み時間でどうだ?』
『妥当だね』
『賛成』
悪巧みが次々進行する。士官学生とはいえ年頃の男の子だ。授業よりアイドルのイベントに興味が優先するのは仕方ないのかもしれない。
『それでき………』
と、そこまで打ち込んだところで、キーを打つ優希の手が止まってしまった。その手の先には荻久保が眉間に縦皺を作って仁王立ちしていたのだ。
「試験中になにをしている?」
大声ではないが、怒りを抑えた低い声が、優希の耳元で不気味に唸る。
「えっ、その、あの、なんというか、えーと…………」
ひきつりながら弁明の言葉を模索するが、なにを言ってもどつぼにはまりそうで、冷や汗だけが背筋を滴り落ちる。
「試験中に内職か? いい身分だな」
「まぁ、そ、その。なんというか」
「今勉強したくないのなら、後でゆっくりさせてやろう。チャイムが鳴ったら教員室に来るように。両手いっぱいの課題を用意して待っているぞ!」
そう言うと、試験途中にもかかわらず荻久保は教室を後にした。
ワンテンポずらして教室を出て行く生徒たち。理由はひとつ、ミルキー・エンジェル見たさに授業をエスケープするからだ。
「運が悪かったな」
「ご愁傷さま」
もっともらしい慰めの言葉をかけて出て行くクラスメイトたち。もっとも口先だけで、その表情に一片の同情も無かった。
「悪いけど、後はヨロシク」
とどめに相沢からぽんと肩を叩かれる。
「ボクだけが残ってどうするんだよー!」
優希の叫び声だけが教室の中にこだました。
あーぁ。