新しい教科書の行方
十月になり、学校はようやく通常の落ち着きを取り戻したらしい。カナにとって、八月後半に学校に赴任したので、九月の一ヶ月間がとても長く感じられた。通常の状態に戻ったのに、思わず違和感を感じたほどである。
ここからどれだけ授業を進められると思ったのも束の間…。今度は学年末の進級テストに向けての準備に先生方は追われていた。ようやく、日本やユネスコなどの援助でできた算数の教科書が届き、これで子ども達に教科書を配れると思ったら…。職員会で校長先生が
「この教科書は今から使っても、もったいないから、来年使うことにしよう!」
と言うので、カナはそんな馬鹿なことがあるかと思った。
校長先生が、一一月二〇日には学校での一年が終わってしまうから、後一ヶ月足らずのために新しい教科書を下ろすのは馬鹿げている…と言うではないか。しかし、それは約束違反であった。
日本の政府開発援助やユネスコがサルドノの教育環境をよくするために、今まで十年に一度の教科書改訂の時以外、発行しなかった教科書を毎年発行するように資金援助している。
それは学校保管になっている教科書を個人管理できるようにすることで、学習の機会を確実に保証することが目的である。
新しい教科書を来年でなく、今年使ってもらうように働きかけることが、私にとっては初めての本格的な仕事となった。この教科書たらい回しの傾向は私の任地・サンホセだけでなく、全国的な傾向であった。
そのため、事務所も教育省などの国の機関やユネスコ・サルドノ支部などの国際機関に働きかけて、上から活動を支援してくれた。しかし、今まで教科書が確実に配布されたことがなかったため、国の言う事に懐疑的な学校が多く、私の任地では一部を除き、最後まで教科書が使われずに学年末を迎えることとなった。
それにしても教科書一つでこれほどもめるとは思わなかった。日本にいると、毎年四月に新しい教科書が子どもの手元に届くようになっているのが、当たり前であり、またそれが当然だと思っていた。
しかし、世界には国家予算が足りなくて、教科書一冊準備できずにいる国もある。そんな状態が普通になっている国で、これからは毎年確実に教科書が届くから、この教科書は今年使って欲しいとお願いしても、聞き入れてくれないのは当然のことである。
サルドノでは教科書以外でも、来るはずのモノが国や県の都合で突然来なくなることが日常茶飯事なのだ。こればっかりは国際援助機関とサルドノ政府が協力して、教科書がきちんと配布される体制を築き、国民の信頼を少しずつ築き上げるしかないのではないか…。
それと並行して、学校では算数の授業を見るだけでなく、少しずつ、実際に授業をさせてもらうこととなる。一問一答式の古い授業形式や先生が言う事を絶対と言うやり方のせいで、先生が平気で間違いを教えることもしばしばである。
そもそも、サルドノの現地教員にきちんとした数学的な知識があるとは言い難く、指導法に至っては皆無であった。それを改めるため、私の授業を見てもらった。私のやる授業は「子どもが自ら考える授業」である。「子どもが自ら考える授業」をどうにかして取り入れてもらうために…。
また、年に二回ある教員の定期勉強会にて、自己紹介も兼ねて「算数における割り算の重要性」を説明させてもらった。また、「割り算の決まり」についても割り算の問題を使って、分かりやすく説明した。こうしているうちに年度末を迎え、二ヶ月にわたる長期休暇を迎えることとなった。