さよならまでのカウントダウン
さらに挨拶回りの合間をぬって、最後の旅行に出かけた。今までずっとサルドノにいたのに、一回しかスキューバ・ダイビングに行ったことがなかったので、最後の記念に行くことにした。
日本へ帰れば、このようなマリンスポーツもここにいるときのように簡単にできなくなるだろう。どこまでも広がる青い空と青い海。この熱帯地方特有の青の原色の世界とも、もうすぐお別れだ。
悔いの残らぬようにこの光景を目に焼き付けたい。久々のダイビングは思ったよりも難しく、またとても体力を使う。その上、それなりの技術が求められる。なかなか、うまくいかずに途中で止めようかと思ったほどだ。
一回、うまくできたからと言って、二回目がうまくできる保証などない。それでもどうにか、オープンウォーターライセンスの一つ上のアドバンスライセンスを取ることができた。
オープンウォーターライセンスとアドバンスライセンスの違いは潜れる深さと行ける場所の違いによる。オープンウォーターライセンスでは潜れる深さの目安は18メートルまでで、洞窟などの頭上に障害物のある場所には行くことはできない。また、夜間潜水は原則できないことになっている。
それにたいして、アドバンスライセンスでは潜れる深さの目安は30メートルまでで、安全が確認された洞窟などにも入ることが許される。また、夜間潜水もできる。夜の海は昼の海とは違った意味で神秘的であった。
さらに運がいいことにウミガメが泳いでいる所を見ることができて、最終的には大満足である。これで心おきなく青い空と青い海に別れを告げることができる。
六月十日、とうとうサルドノを去る日がやってきた。この日は朝からシトシトと雨が降る嫌な天気であった。この時期は雨期なので仕方ないと言えば仕方ないが、前日晴れていたのでそれだけに恨めしい気分になる。
それでも雨の中、集団事務所のワゴン車にスーツケースを積めてから、私達はアプラヒク国際空港へ向かった。
空港に着くと、後輩隊員や事務所職員の多くがすでに空港へ駆けつけていた。とてもありがたいことである。私達は荷物を預けたり、チェックインをしたり、お金をサルドノ・ピーラから米ドルに両替したりなどの作業に追われた。
ちなみにこのときの交換レートも一ドル=一八・八五ピーラに固定されていた。ただ、残念なことに二年前は一ドル=百二十円ぐらいだったのが、一ドル=九〇円と大幅に円高が進んだことである。これはかなりの損失である。
そんなことを考えてながら作業したせいか、やっと終わった時にはもう出国審査の時間が迫っていた。仲間達やアドバイザーなどの事務所関係者達などともっと話したいことがあったはずなのに、ろくに話すことができないまま、別れのときを迎えてしまった。
本当は一番しっかりと別れの挨拶をしないといけない人々なのに…。どうして、私はいつもここ一番のときに何かを踏み外してしまうのだろうか…。ほんの少しだが、心残しを残したままの出国審査となる。
さらに運の悪いことに飛行機へ乗り込んでから雨と霧が強まり、出発が二時間も遅れた。実に後味の悪い出国となった。それから、行きと同じようにアメリカを経由して、丸二日かけて日本へ帰ることになる。
そんなこんなでアメリカに着いたのは夜八時を過ぎていた上に、宿泊予定のホテルとの連絡がうまくとれずに、ホテルに着いた時には夜十時を過ぎていた。二年間ずっとスペイン語を使っていたため、思ったように英語が使えない。英語を使おうとしてもすぐにスペイン語になってしまう。
カナは夕食もろくに食べることなく、そのまま寝てしまった。帰国間際の準備や送別会の連続の日々で心も体も疲れきっていた…。
翌日、アメリカからの出発であったが、今度はカナダの火山が噴火して太平洋の空の視界が悪くなっていたため、やはり出発が遅れた上に、かなり遠回りの航路を取らないといけなかった。おかげで十五時間で日本に着くはずが、十七時間もかかってしまった。




