観光気分が抜けなくて…(1)
海外ボランティア集団協力隊の訓練を無事に終えたカナは、中米列島のサルドノ共和国に派遣された。彼女は熱意にあふれていた。
六月一九日、とうとうサルドノ共和国にあるアプラヒク国際空港にたどり着いた。日本からアメリカ・ヒューストンを経由して、飛行機を乗り継いで丸二日かかってやっと着いた地球の裏側。
本山茂吉【職務:小学校算数教育(当時三八歳)】、健軍圭子【職務:小学校算数教育(当時三〇歳)】、金村カナ【職務:小学校算数教育(当時二四歳)】、佐土原里子【職務:保健看護指導(当時二四歳)】、藤木文生【職務:小学校算数教育(当時二二歳)】の五名は二○×七年第一期隊として、このサルドノ共和国へと赴任することとなった。
中米列島の中央に位置するサルドノ共和国はバナナとコーヒーのプランテーション農場に依存したいびつな経済構造になっている。そのため、他の中米列島の国に比べて、工業化が遅れている。
一部の政治家と農場地主が富と権力を独占している。大多数の民衆はきちんとした教育もろくに受けておらず、快楽的で楽天的な民族性のため、そのことを問題に思う人はいない。
政府もそのことを心得ているのか、国際機関から得た援助資金を計画的に投資せず、民衆に「パンと見せ物」を与えるために使う。いわゆる「援助慣れ」したら、どうなるかを教科書通りに再現した国である。
訓練所ではサルドノ共和国の政治・経済について、いろいろ習ったはずだが、そんなことは全く覚えていなかった。それよりも最初のうちは建物の窓には必ず鉄柵があることや、壁の上にガラス片や鉄条網があること、銀行や役所にいるガードマンが実弾を持っているのを見た。
ここが日本とは全く違う世界であることを全身で感じた。銀行や役所に入る時は、銃などの危険物を持っていないかどうかのボディチェックを必ずされる。また、銃を持っている人々がたくさんいて、慣れた手つきでガードマンに銃を預けてから、ボディチェックを受けている姿に、カルチャーショックを受けずにはいられなかった。
もちろん、モデルガンではなく、紛れもない実弾である。弾もしっかり入っている。安全装置さえ解除すれば、すぐに使えるものばかりである。その気になれば、簡単に人を殺せる環境にある。そりゃ、殺人事件が日常茶飯事に起こるだろう…。
また、人が陽気なのはいいけど、女性と言うだけで男がやたらと声をかけてくる。「HOLA!(元気か!)」とかならまだいいけど、初対面でいきなり「MI AMOR!(恋人よ!)」とか「MI TESORO(私の宝物よ)」などと言われるからたまらない。ピロポと呼ばれるラテンの風習だが、日本の女性にとってはうるさくてたまらない。中にはラテンの男性からの甘いささやきにメロメロになる人もいたが、それはごく一部である。
私は男性隊員がとてもうらやましく思えたほどである。まず、ピロポは言われないし、女性に比べると多少の無茶をしても大丈夫なようである。女性だと昼間でも一人歩きは避けるように言われていたが、男性だと昼間はそんなにやかましく注意されないらしい。
サルドノに着いてから、首都・アプラヒクのボランティア集団事務所でさらに詳しい任国事情や治安対策についての講義を受けたり、大使館やサルドノの政府機関に表敬訪問しに行ったりした。また、集団事務所の職員に連れられて、両替所にも行った。
そこで米ドルからサルドノ・ピーラに両替した。ちなみにサルドノ・ピーラは通貨の下落を防ぐために、一ドル=一八・八五ピーラに固定されている。しかし、米ドルと日本円は変動相場なので、間接的にピーラの相場が変わることになる。このときは一ドル=百二十円ぐらいでいつになく円安が進んだときだったので、日本で米ドルに両替した時、かなり損した気分になった。
訓練所で事前に言われていたことだが、日本円が全く使えないことを目の当たりにして、改めて自分たちがとんでもなく遠い世界へ来たのだと感じた。あとは日常品を買いそろえたり、慣れないサルドノ料理を食べにいったりもした。
その間の一週間、事務所横にあるボランティア隊員連絡所(通称:ドルミ)で寝泊まりした。その間の食事はもちろん自炊である。ただ、事務所の前には中華料理店があり、そこの料理が安くておいしいので、作るのが面倒な時や外へ食べにいくのが面倒な時などはよくそこで食事をすませた。
一週間の赴任直後の研修が終わると、四週間の現地語学訓練に入る日本の訓練所でやった語学訓練はあくまで基本的なものであり、実践的ではない。そこで現地語学訓練で現地の人からスペイン語でスペイン語の講義を受けながら、現地の人の家に四週間下宿させてもらう。そうすることで語学力を磨きながら、現地の人々からサルドノの生活習慣や文化を学ばしてもらうのである。
そうしないと実際に現地の人々と活動する際に思わぬことで問題になる。生活習慣や文化が違うと言うことは、行動パターンや考え方が全く異なることを意味する。例えば、八時集合と約束したら、日本人は八時までに現地に着くだろう。
しかし、現地の人々は八時に家を出る。それはまだいい方である。ひどい時は八時に起きて、九時に朝食を食べて、十時に家を出て、十一時に到着することもある。もっとひどい時は悪びれもなく、約束をすっぽかす。
ただし、お金と食べ物がからむと、とたんに律儀になる。要は現金なだけである。相手はそう言う文化で育っているので、いくら時間を守るように言っても無駄である。それが分かっていても日本人は時間のことで文句を言うし、怒る。
日本人がそう言う文化で育って来たのだから仕方ない。でも、ここはサルドノ共和国。そんなのは無意味である。早くここの文化や風習に慣れるしかない。郷に入れば、郷に従うしかない。
それでも仕事となれば、そうもいかない時もある。そこは粘り強く言っていくしかない。また、現地の人と親密になって、「この人との約束は守らないと損する」と相手に思わせていくしかない。この国の人は意外と日本人っぽい一面もあり、仲良くなった人との約束は意外ときちんと守る。
ラテン系でありながら、義理堅い一面もほんのわずかだが持ち合わせているらしい。私がそのことに気付いたのはサルドノでの活動を終える直前だったが…。その上、案外引っ込み思案な人が多い。それも日本人に誤解を招きやすい。