序章(2)
でも、同じ志を持った仲間達とともに励まし合いながら、学ぶから何とか習得できたのである。この研修では時間のこともお金のことも気にせずに、勉学に励めることもすごくありがたい。実にすばらしいシステムである。
スペイン語の講師にも大変恵まれた。日本語が大変流暢で英語も話せるペルー人で、教え方もとても上手であった。リスニングが苦手な私のために授業の後、時間を割いて個別指導もしてくれた。
物覚えの悪い私は何回も同じことを聞いて、レオ先生を困らせたはずなのに、先生は一度も嫌な顔をしなかった。それに、中間試験で思ったほど成績がよくなかったため、私は別のクラスに移ることになっていたが、
「私が最後までカナの面倒を見たい」
と、訓練所の語学チーフにかけあってくれた。そのおかげで私は最後までレオ先生のクラスで学ぶことができた。その話を聞いてからはレオ先生に報いるために一層勉強にも熱が入った。
レオ先生のおかげで私達のクラスはスペイン語のクラスでは唯一、最初から最後まで誰も入れ替わることなく同じメンバーで学ぶことができた。そのため、六人とも違う国へ行ったにも関わらず、今でも何らかの交流が続いている。最低限、年賀状のやり取りだけは続いていた。
これは語学クラスでは大変珍しいことである。このような関係が築けたのは、レオ先生と他の五人のメンバーのおかげであろう。私のような引っ込み思案の人間にも深く関わってくれた事を心より感謝している。
さらに治安対策として、現役の警察官や外交官から海外における身の守り方も学ぶことができた。これも私にとってかけがえのない財産となっている。
何よりも大きな財産となっているのは、この六五日間、寝食を共にした仲間である。ここで出会った仲間とは今も何らかの形で交流がある。ここで共に学び、共にそれぞれの派遣国やそれぞれの将来について語り合った。
時にはお酒を片手に互いの悩みや不安について語り合うこともあった。そうやって、それぞれが赴任の日までお互いを高め合っていたのである。
訓練所には生活班というのがある。訓練所には毎回約一五〇〜二〇〇名のいろんな国へ赴任予定の訓練生が集められるが、その訓練生を派遣国の違うメンバー十名ごとに十五〜二十の班に分けて、食事当番や集会運営などの業務を交代で担うことになっている。
また、週に一回は班会議があり、そこで訓練への反省や赴任に対する思いなどを語り合う。こうして、いろんな形で仲間を作るシステムが確立しているため、派遣国を超えた友情や愛情が芽生えるようになっている。
どう言う訳かよく分からないが、猫釜訓練所には旧・国際協力機構の時代から猫釜マジックなる言葉がある。ここで生まれも育ちも仕事も異なる約二百人の大人が一同を会して、同じ目標に向かって勉学に励んでいるからか、やたらとカップル成立する。それを古くから猫釜マジックと呼んでいるらしい。
まあ、引っ込み思案で何をやっても不器用なカナには、スペイン語を覚えるのに一杯一杯でそれどころではなかったが…。どこに行っても、器用に要領よくこなして、そっちの方までそつなくこなす人には正直脱帽させられる。これが持っている人と、持ってない人の差なのか? いやいや、そんな訳がない!
やがて、時は経ち、無事に六五日間の訓練を終えることができた。晴れて、私達は正式に「日本を代表するボランティア集団」として、世界各地の発展途上国へ派遣されることとなった。
このとき、誰もが「これから二年間、どのようにボランティア活動を進めていくか」の青写真を思い描いていた。よく言えば、理想に燃えていた。悪く言えば、現実を何一つ知らなかった。
誰一人として、そのために払われるべき犠牲のことなど微塵たりとも考えていない。そのことを行った先々で思い知らされることになろうとは誰も知りもしなかったのだ。それは語学力や企画力云々以前の問題である。
こればっかりは実際に経験しない限り、消して分からないことである。事実、これから幾度となくおそったトラブルは全て想像の範疇を越えたものばかりである。これを言葉にしたところでどれだけ伝わるか分からないが、できる限り伝わるように言葉を選んで書き記す。