ブランカさんとの出会い、スキューバ・ダイビング
アソラナスの先輩隊員である桜島さんからブランカさんを紹介してもらったのも、ちょうどこの頃である。
ブランカさんはアソラナスに入って来るボランティア集団の隊員との交流を昔から続けている方である。それこそ、旧・国際協力事業団が青年海外協力隊を派遣していた頃からであるから、もう二〇年近くも日本人との交流を続けているのである。
だから、サルドノに来た日本人がどんなことで悩むのかよく知っていた。また、スペイン語の先生として、また理解のある友人として、常に我々を支えてくれる。
最初こそ、ぎこちなかったが、サンホセで何かあれば、私はすぐにアソラナス行きのバスに乗り込んで、ブランカさんの家に遊びへ行った。ブランカさんとは仕事の利害に関わることなく、なかよくなれた数少ないサルドノ人の一人である。この出会いが私をピンチから何度も救ってくれることになる。
例えば、スペイン語の書類を作った時の文章チェックをいつもやってくれた。この文章チェックのおかげで、カナは肝心な時にきちんとした文章をボランティア集団在外事務所やナコク県の教育委員会に出す事ができた。
また、スペイン語の会話力を鍛えるために、遊びに行くといつもたわいのない話をしていた。そして、動詞の活用や前置詞を間違えた際には、さりげなく間違えを指摘してくれる。そのおかげで正しい文法を実践的に身につける事ができた。
ブランカさんにはファビアン(三歳)の息子がいた。カナのスペイン語はファビアンと同じぐらいね…と毒舌を言う事もしばしばだったが、客観的にこれぐらいのスペイン語を話しているんだなと分かって、かえって勉強意欲が沸いた。
もちろん、語彙や文法的なことが三歳と言っているだけであり、話している内容や話す話題は大人の会話であったに違いない。
年末年始は同期全員そろってエビラック海の孤島・グワナハ島へと向かった。エビラック海は世界でも有数のスキューバダイビングの有名スポットで、我々は長期休暇の時はよくエビラック海に行っていた。これといった娯楽もないこの国で、エビラック海のどこまでも澄んだ青い海と、どこまでも広がる濃い青空は、究極の娯楽施設であった。
私達は二年間の任期中、一回だけ二〇日以内で日本に帰ることができる。自費で日本へ帰るためには三〇万ほど必要なので、よほどのことがない限り帰れない。中には日本へ帰った先輩隊員もいたが、それは身内の不幸や結婚式などの冠婚葬祭の時ぐらいである。
しかも、隊員の現地生活費ではとてもではないが賄えないので、日本にいる身内に出してもらうことになる。そして、後ほど日本の積立金から返すことになるに違いない。
仕事のない年末年始や現地の長期休暇中は任国やその近辺の国で過ごすこととなる。首都の隊員宿泊所で過ごすこともできたのだが、あそこは隣に集団事務所があり、アドバイザーや所長が出入りするので、なかなか落ち着かない。
それで、グワナハ島にやってきたのだ。どこまでも広がる青空と青い海…。今、目の前に誰もが憧れる熱帯の空と海がある。それを見るだけで心が癒される。仕事のつまらない、いざこざが、バカバカしく思える。
心のどこかにこんな所で遊ぶためにサルドノへ来たわけではないという後ろめたさもあった。しかし、いつも遊んでばかりいるわけではないし、時には息抜きも必要である。
後ろめたさを感じるのは仕事がうまくいっていないからである。仕事さえうまくいっていれば、きっと心の底から楽しめたと思う。
私はここで生まれて初めてスキューバ・ダイビングを体験した。始めはなかなかうまく耳抜きができずに耳や鼻が痛くてたまらなかった。しかし、慣れてくると、魚のように水中を自由に動けるようになった。
あれは陸上では味わえない、とても不思議な感覚だった。慣れるまで無理をしたのか、頭が痛くなって、一人だけ先に陸に上がったこともある。でも、水中で亀が気持ち良さそうに泳いでいるのを見て、「ああ、みんなとここへ来てよかったな」としみじみと思った。
みんなと一緒にオープンウォーターのライセンスが取れてよかった。次はスキューバダイビングの指導員がいなくても、二人一組で潜れるらしい。でも、指導員がいない中、潜ることなど私には恐くてできそうもない…。




