現実逃避
新鮮な気分も束の間…。サルドノでの生活に慣れるにつれて、カナは途上国の悪い現実に直面する。
そんな現実から逃れるようにカナは現実逃避をするようになる。
二ヶ月もの長期休暇なんて、大学時代以来である。日本であれば、いろいろとすることもあるだろうが、ここは中米列島に浮かぶサルドノ共和国である。日本と違って、何もすることがない。
インターネットもあることもあるのだが、ようやく普及しだしたばかりで、大きな町までいかないとネット屋もない。普段住んでいるサンホセからアソロナスまでバスで一時間…。
村の人と話そうにもスペイン語がうまく話せないし、よそ者扱いして本音を語ってくれない。たまに本音を語ってくれたと思ったら、
「カナがいるおかげで、日本から援助資金が入って来るのよね。この町って何も産業がないから、そう言うのをみんな当てにして生きているのよ」
などといった話ばかりばかり…。村の人の多くはろくに仕事がないので、いつもサッカーかビリヤードをしながら、暇をつぶしていた。
何もせずにぼんやり村を歩いていると、
「カナ、ダ・メ・ディネロ!(お金ちょうだいよ!)」
と言われる。こんなことを言われるたびに、私は銭形平次でもなければ、ネズミ小僧でもなく、日本からサルドノの算数教育を改善するためにやってきたことを説明していた。しかし、きりがなかった。どうすれば、私の存在をきちんと認めてもらえるのだろうか?
「こんなことをするために地球の裏側に来たわけでないのに…」
とか、嫌でも考えてしまう。しまいにはもう日本へ帰ろうかなと思うのであった。
こんなときは家にアボガドを売りにきたロベルトとよく話した。しかし、ロベルトはアボガドを毎日売って回らなければ、明日の生活もできない少年である。一日に話せる時間は長くても五分ぐらいである。
アボガドをたくさん買うと、十分ぐらい話せるときもあったが、さすがに毎日大量のアボガドを買えるはずもない。当然、アボガドを買えない日もある。そうすると、ロベルトはさっさと次の所へ行ってしまう。それは仕方のないことと分かっていても、ロベルトが現金な奴に思えて仕方なかった。
誰かに相談しようにも電話代は高くて、おいそれと電話できない。それにネットもバスでアソロナスの町まで行かないとできない。毎日、ネットサーフィンで時間をつぶせたら、どんなに楽だろうか?…そう思った。
どんどん気が滅入ってくる。このままでは本当におかしくなる。そうなる前にとにかく旅に出よう…。そう思った。
まず、初めに一七〇〇mの山中にあるエスペランサの町へ行った。ここは山の中にあるため、赤道近くなのに年中涼しい。冬は十度を下回るので、熱帯の年中暑いイメージを見事に裏切ってくれる。ここに同期の里子がいる。
私は里子の家に泊めてもらって、一晩中語り合った。久々に日本語が話せたことで、彼女も私もほっとしたようである。彼女も看護士の仕事を現地の人に指導していくなかで、私と同じような悩みを抱いていたようである。誰にも相談できずに一人で苦しんでいたようだ。
「プライドだけで飯は食べれないんだよ。せっかく、私達ここまで来たんだから、ここでおめおめと泣いて帰るわけにもいかないでしょう?」
「里子の言う事はよく分かるよ。でも、もうサルドノに来てから半年が経つんだよ。それなのに何もできずにいる。しかも、ここの人々ってさ、ろくに働かないし、ストライキが大好きだから、いつもストをやっている。だから、全く予定通りにいかない。ドタキャンなんて朝飯前でしょう。こんな仕打ちを受けるために、私達はここに来たわけじゃないんだよ」
私はそうつぶやきながら、ビールをちびちびと飲んだ。気を許せる友人とのガールストーク。私達はどうすることもできないモヤモヤした気持ちを夜が深まる静かな部屋でぶつけていた。
「確かにそうよ。でも、私達、ここに来るために今までがんばって来たんでしょう? ボランティア集団の募集に応募して、合格するために必死に頑張ってきた。合格したらしたで、次は訓練所で一人前の隊員になるためにしごかれて、やっとつかんだ派遣でしょう?」
「そりゃ、そうだけどさ…」
「とにかく、ここには自らが望んで来たはずだよ。無理矢理、ここへ連れてこられたわけじゃないんだから、もっと頑張らないと…」
「だから、つらいんじゃないか! 自分で望んで、ここに来たはずなのに、心が折れそうになっているから…。ここに来れば、楽しいことや素敵なことが待っていると…、そう思っていたのに…。それなのにさ…。それなのにさ…」
もう言葉にならなかった。私はこらえ切れなくなって、泣き出していた。どうにもならない思いが、言葉や涙になってあふれる。里子も泣いていた。しばらく、二人で嗚咽を漏らしながら、ひたすら泣いた。真夜中の静かな部屋に、ただ嗚咽が響いた。
それがまた、涙を誘うのだ。ああ、情けない…。大の大人が集まって、何をやっているのやら…。
「カナ…。ボランティア集団って、一体、何だろうね?」
「……?」
里子が突然、不思議なことを言ったので、それにキョトンとしてしまった。流れていた涙も止まってしまった。
「集団は何も知らない人から見れば、とても素晴らしいことをしているように見えるわけでしょう?」
「まあ、そうだけど…」
ここに実際に来るまで、私もそう思っていた一人だし、里子も、いや、大半の隊員は任地で活動をするようになるまで、そう思っていたに違いないだろう。
「それが、いざ内部に入り込んでみると…。現地の人にふり回されたり、何もできずにいたりするわけでしょう。また、何もできないことをいいことに遊びほうけたり、仕事をさぼったり、ひどいのになると出張にかこつけて、平気で旅行したりする。本当にやりたい放題だよね」
「でも、里子。そう言うのはどこの組織でもあるでしょう? どんな組織でも外面はいいよ。でも、中身は多かれ少なかれぐちゃぐちゃしているものよ」
「それにしても、この組織はギャップがあり過ぎる…」
「私達、『ボランティア』と言う言葉の響きに騙されていたんだと思う。最近、そう思うようになった」
「おそるべし、ボランティアの魔力…」
里子が急に変なことを言ったので、思わず笑ってしまった。そして、そのボランティアの魔力に引き寄せられて、ここへ来た自分たちが悲しくなった。それを見て、里子が大げさに笑った。
泣いたり、笑ったりと端から見ていたら、本当に不気味だと思う。それぐらい、私達は追い詰められていたのだと思う。泣いたり、笑ったりしながら、私達はどうにかして人間らしさを取り戻そうとしていたのかもしれない。




