序章(1)
「やった〜! やっと、合格できた…」
やっと決まった。サルドノ共和国に海外ボランティア集団協力隊の青年隊員として赴任することが決まった。この派遣事業を国から委嘱されている団体から六五日間の訓練を受けるように言われた。
このことを父と母に話したら、両親は少し残念そうにしていた。以前から合格したら海外ボランティア集団協力隊に二年間行くと伝えていたのだが…。両親はカナは合格しないだろうから、とりあえず挑戦させておけば、そのうち勝手にあきらめるだろうと思っていたらしい…。
私はそんなにヤワではない! 行きたいと思ったら、どんな手段を使ってでも行けるように算段する。どうせ、後悔するなら、やらずに後悔するよりも、やってから後悔する人でありたい。金村カナはそう思って、これまで生きてきた。
金村カナは合格証書を受け取り、海外ボランティア集団協力隊の青年隊員に選ばれた喜びをかみしめていた。二回目の受験でやっとつかんだ切符。
一回目は書類審査で落ちてしまった。二回目は書類審査は何とか通過したものの、二次試験の面接と健康診断の再検査で引っかかってしまい、合格保留扱いになっていた。健康診断では赤血球の数値が足りないと言われ、再検査の前一週間は毎日レバニラを食べて乗り切った。
そして、偶然にもサルドノ共和国への派遣が決まっていた人が急に辞退したため、枠が一つ空いたのだ。カナは電話面談の末に補欠合格にてあこがれの海外ボランティア集団協力隊の青年隊員になる。
しかし、合格はスタートラインにすぎない。訓練を受けることが派遣の条件であり、訓練を受けなければ派遣内定を取り消すとのことだった。この訓練では派遣国で使われている言語の習得や途上国で現地の人々と共に暮らしていくための心構えなどを学ぶ。私は二つ返事で猫釜訓練所にて訓練を受けることを承諾した。
もともと、この派遣事業は独立行政法人・国際協力機構が青年海外協力隊やシニアボランティアを途上国に派遣するものであった。しかし、度重なる事業仕分けの結果、廃止されてしまったのである。
だが、それでは「国際社会における日本の地位がさらに低下する」と日本を代表する大企業のお偉いさん達が危惧したのである。それを未然に防ぐために、お互いに出資して、かつて独立行政法人で行っていた派遣事業を民間で行うこととなったのである。
まあ、建前上はそうなっているが、実際のところはかつての国際協力機構が行っていたような制度にするためには民間のお金だけでは足りないので、国から多額の補助金が出ていることは暗黙の了解となっている。それでも民間だけで半分以上出資しているので、かつてに比べると国の関与はないとされている。
そのため、以前に比べると「企業の宣伝役」としての意味合いが強まったらしいが、それでも「日本を代表するボランティア集団」であることには変わらないと「日本のボランティア事業の歴史」の講義で聞かされた。
はっきり言ってどうでもいい話である。ボランティア事業で日本がどのような歴史を積み重ねたかよりも、今支援の手を必要としている人が何を求めているかを知ることの方がはるかに大切である。
そう言った意味ではかつての青年海外協力隊員や海外ボランティア集団協力隊のOBなどから経験談を聞く講義や「ボランティア精神」について訓練生同士で語り合う講義は実に有意義なものであった。
また、サルドノ共和国を含めた中南米の多くの国々で話されているスペイン語を体系的かつ集中的に学ぶことができたのも、とてもよかった。ここでスペイン語をゼロから学んだので、初めはとても大変であったが、今となってはかけがえのない財産となっている。
こんな機会でも与えられない限り、大人になってから体系的に外国語を学ぶことは難しいだろう。外国語を学ぶには莫大な時間とお金がかかる。それに大人になってからでは頭も固くなるので、すんなりと新しいことが入ってこない。独学ではすぐに挫折してしまったことだろう。