ep3
「知らない天井だ」
俺が意識を取り戻すと、今度こそ知らない天井の下にいた。
このセリフが言えただけでも転生させられて良かったと思える俺は単純なのだろうか。
「あら、ようやく起きたのね」
「ここは? 力を使ったら気絶したところまでは記憶にあるんだが」
「ここは月の女神であるあたしを祭る神殿よ。あんたが急に倒れたから、ここに運んであげたの。感謝しなさい」
「そうか、それは助かった。しかし、なぜか全身痛いんだがこれも力を使った反動なのか?」
殴られたところが痛むのはまだわかる。
だがそれ以外の場所、特に足やら腕やらがズキズキ痛む。
「力の反動じゃないわよ。痛むのは単に、眷属にあんたを運ばせたときに引きずっていたからじゃない」
事も無げに言い放つ彼女。
俺が倒れたところからここがどの程度の距離があるのか知らないが、犬に引きずられてここにきたのなら全身痛むのは当然だろう。
擦り傷で……。
「運んでくれたのはありがたいだがな、もう少しなんとかならなかったのか?」
「別にあのままあそこに置いてきてもよかったのよ? 運んであげたことに感謝されこそすれ文句を言われる筋合いはないわ。まあ、とりあえずこれを着なさい。わたしの神殿でまた倒れられても迷惑だから。昔ここに仕えていた神官の着ていた服よ」
確かにいつまでも全裸とはいかないからな。
大人しく受け取った服を着る。
しかし、わりと露出の多い服をきているくせに全裸をみたぐらいで殴るとは初心なやつめ。
それにしても、肉体年齢の変更は確かに情報量は多かったが、気を失うほどではなかった。
だが、服を作ろうとした時はその比ではなく、到底人間の処理能力で対処できるものではない。
元々犬というものは一定の意味を持つ情報を書き換えるものであり、情報そのものを作り出すものではない。
文章作成に例えるなら、肉体年齢の書き換えという行為は文章の一部分を書き換えるだけだが、服を作るという行為は一から文章を書き上げることに相当するだろう。
どちらが難しいかは言うまでもなく、あの情報量からして気を失うのも当然のことだ。
「正直助かる。俺の力じゃ今のところ服を作るのは無理そうだからな」
そう、今のところは。
一度元となる情報さえ手に入れてしまえばコピーペーストの要領で作ることも可能だろう。
要はやり方しだいだ。
この世界でこれから先どんなことをするのかはまだ何もわからないが、自分のもつ力の発展性について早い段階で気づくことができたのは僥倖だろう。
「ん、少し大きいみたいだけど大丈夫そうね。まあなにもないよりはましでしょ」
「ああ、確かに少し大きいかな。サイズ変えるか」
犬を起動し、情報を書き換える。
「へえ、今度は気を失わないのね。それにしてもなかなか便利な力ね」
俺が犬を使い作りだしたのはズボンとシャツ、そしてコートだ。
色は当然黒、せっかくの異世界だしとことんまで厨二臭くいってやろう。
「一度素材を手に取ればある程度なんでもできるみたいだな。まあ力だけで一から作ろうとするとまたぶっ倒れるだろうけどな」
「十分強力な力なんだから当然ね。そんな便利な力なんだから、倒れるぐらいむしろ小さすぎる代償なんじゃないの? それにしてもあんた、そんなに着込んで暑くないの? まだ夏には遠いけど、そんなに着込む季節じゃないわよ」
月の女神の服装は白い布を巻きつけただけのような、所謂貫頭衣とよばれるもので、確かにそんな露出過多の服装をしているほうから見れば黒のコートは暑苦しく見えるだろう。
余談だが、時代考証的にこの服装をしていた時代では、下着をつける習慣がなかったはずなのだが、この目の前の女性は一体どうなのだろうか。
ドリス式とよばれる彼女の服装は、右側が大きくスリットになっており、露出している右足が眩しい。
「ああ、そのことか。力を使って温度を固定しているんだ。気温の変化に関係なく一定の温度で保たれるから暑くないぞ。そんなことよりもまずはお礼を言わせてもらうよ。運んでくれてありがとう。まあ擦り傷だらけだけどな」
「別にいいわよ。創造神様に頼まれただけだし。あんたが捨て子になったことを報告したんだけど、すっごく笑ってたわよ。あんなに笑ってる創造神様始めて見たわ。それでね、ついでにちょっとだけあんたのこと頼まれたの。気にしなくていいわ」
お前さっき感謝しろとかいってたじゃないか。
まったく持って適当だな
そして神。
お気に召していただけたようでなによりです。
なかなかのうざさだけどな。
いや、それよりも。
「あいつと連絡がとれるのか?」
「あんたのいうあいつって創造神様のこと? まったく失礼やつね……。まあいつでもとは言えないけれど、あんたのことを送り込んだから今はこの世界に興味をもってるみたいだし、まあ今なら連絡はとれるじゃない」
「じゃあ頼みがある。俺が元々いた世界の嗜好品、酒と煙草がほしい。どうにかしてこっちに送ってくれるよう頼んでくれ」
「創造神様になんて低俗な頼みごとをするのよあんた……。まあ聞くだけは聞いてみてあげる。ちょっとまってなさい」
赤ん坊からこの世界で過ごしていたら酒はともかくニコチン中毒は治っていただろう。
だがしかし、体感的には一日もたっておらず、体は求めていないかもしれないが心がニコチンを求めている。
「楽しませてもらった礼に送ってくれるみたいよ。銘柄? とかいうものを教えろっていってるわ」
「ア○スピのメンソと瓶のコ○ナを頼む。ついでにライムも」
この世界がどんな世界かは知らないが、テンプレ通りならエールとしてのビールはともかく、紙煙草はまず存在しないだろう。
嗜好品である以上やはり慣れたものが欲しい。
「情報で送るから力を使って勝手に作れって。ついでに、また楽しませてくれたらラノベとやらの新刊も送ってやるって言ってるわよ」
あなたが神か。
いや、実際神だな。
「お、送られてきた。んじゃ早速っと」
善は急げとばかりに神から送られてきた情報をもとに煙草とビールを作り出す。
目の前の空間情報を神から送られてきた煙草とビールの情報に書き換えるだけなので、簡単な作業だ。
「おお、なんという節約術」
この力を手に入れて心底よかったと思える瞬間だ。
正直、食費と煙草代を天秤にかけたとき、余裕で煙草代を優先する程度にはニコチン中毒であった俺である。
金の心配をせずに煙草を手に入れられるという力の使い方は、これ以上ない有意義な使い方だろう。
「それがあんたの国の酒? それで、それどうやって飲むの?」
「正確には俺の国じゃないけどな。これはこの果実、ライムを搾ってから飲むんだ。ちょっと飲んでみるか? って、犬に柑橘類はだめなん――」
ガツ
「よくもわたしを犬なんかと一緒にしたわね。ほんと失礼なやつね、まったく」
「いってえな。犬じゃな――」
「どうやらもう一回殴られたいみたいね?」
「ごめんなさい。何もいってません。ごめんなさい」
背後からただようオーラがやばい。
二次元だとよくあるシチュだが、実際に自身に降りかかるとそれが誇張などではなく、本気のやばさなのだと本能で理解できる。
頭ではなく、心で理解した瞬間だ。
「はあ、まあ無知なあんたに特別に教えてあげる。わたしはセレネ・アルテミス。狼を統べるものにして月の女神よ。セレス様と呼んで敬いなさい。ちなみに次に犬なんかと一緒にしたら殺すわよ」
狼も犬もそんなに変わらないだろ、とか言ったら殺されそうなので心にしまっておくとする。
「了解いたしましたセレス様。そういえば自己紹介してなかったな。俺の名は……」
あれ、俺捨て子だから名前なくね?
「名前はまだない」
「マダナイね。変な名前ね」
テンプレな反応有難うございます。
「いや違うから。つーか、どうやったらそんな名前だと思うんだよ」
「何、違うの? なら最初から言いなさいよね」
勝手に勘違いしたくせに逆切れとはずいぶんと身勝手なやつである。
「ほら、今はこんなだから忘れてるかもしれないが、俺は一応捨て子だったからな。名前なんて当然ないぞ」
「そういえばあんた捨て子だったわね。忘れてたわ。まああんたみたいに無知で失礼なやつの名前なんてなんでもいいわよ。無いんなら適当に自分でつければいいんじゃない?」
適当にって……。
確かに名前など個人を特定すること以上に意味などないと常々思っていた。
最悪数字でもいんじゃね? などと言って前世で周りをドン引きさせたのはいい思い出だ。
「適当にと言われてもな……。そうだ、セレネは女神様なんだからなんか俺にいい名前をつけてくれ」
「セレネ様と呼びなさいって言ってるのに……。まああんたにそんな礼節求めるだけ無駄ね。仕方ないからそれでいいわ。それにしてもあんた、神から名を授かるってのがどれほどの意味を持つかわかってんの? すっごい名誉なことなのよ?」
じとっと見られても反応に困るのだが……。
「いや、俺の世界には神様なんかいなかったからな。それがどれだけ名誉なことなのかなんて正直想像もつかない。まあ、報酬は異世界の酒ってことでいいだろ?」
「じゃあ犬ね」
「却下。つーかさっきの根にもってるのか?」
なんという即答。
女神という割りに心の狭いやつだな。
まあ俺のもらった力の名を考えれば犬という名はある意味的確だが。
「まったく贅沢なやつね。……そうだ! オリオンはどう? いい名でしょ」
腕を組み、自分の思いついた名前に百点満点をつけたかのように太陽みたいに輝く満面の笑顔で頷くセレネ。
月の女神なのに太陽とはこれ如何に。
「その名前は……。最終的にセレネに射殺されるフラグが立つ気がしてやばい……。それ以外にはないのか?」
「フラグってなによ? それ以外ならやっぱり犬ね。それか次点でアクタイオンはどお?」
アクタイオンとか、オリオン以上に危険なフラグが立ちそうな名前がさらっとでてきたよ……。
「仕方ないか。オリオンでいいよ」
「で、いいよ、ですって?」
「ありがとうございますセレネ様。あなたから賜った名を大切にさせていただきたいと存じますですはい」
すっごい勢いで睨まれた。
まあ射殺されることなんて早々ないだろうし問題ないだろう。
……ないと信じたい。
「じゃあ俺の名前は今日からオリオンだ。改めてよろしくな、セレネ」
「よろしくね、オリオン。創造神様からも頼まれていることだし、精々よろしくしてあげるわ。さて、早速だけどオリオン、わたしに異世界の酒を献上しなさい!」
「あーそれはいいんだが、なんかツマミはないのか? どうせなら一緒に飲もうぜ」
「確かにツマミも無しでは味気ないかもね。まあいいわ、今回は特別にわたしが用意してあげる。少し待ってなさい」
そういっていそいそと部屋を出て行くセレネ。
酒好きなんだなあの女神は。
この世界がどんな世界なのかはわからない。
だがそれは少しずつ知っていけばいいことだし、最悪煙草と酒があればどうにでもなる。
某ヒーローの友達が愛と勇気だけだったように、俺は酒と煙草だけが友達だったしな。
そういえば、あのヒーローの調理場には犬がいたのだが、あれは食品衛生上もんだいないのだろうか。
普通に考えたら一発で営業停止だと思うのだが。
と、答えのでないようなことを考えているうちにセレネがツマミをもって戻ってきた。
随分とはやいがどんだけ酒が飲みたいんだよ。
「準備できたわよー」
「おお、うまそうだな。それじゃあ――」
先のことなど考えてもわかるはずもない。
それよりも、今は目の前の酒を楽しもう。
「「かんぱーい」」
まず一つ、俺はこの世界にも乾杯する習慣があることを知った。