Part 6 -Loving You Forever-
優雅に色づいていた木々たちはすっかりその葉を落とし、どこか寂しい冬の季節の到来を告げる。
秋とは季節の移り変わりが最も現れる時期である。ついこの前まで残暑ばかりが残っていたというのに、今ではすっかり肌寒い。街ゆく人々はみな防寒具を身に纏い、ポケットにはカイロを忍ばせているのだ。
そんな十一月も半分が過ぎた頃のある日。夜美は悩んでいた。
「……はあ……」
朝から何度目か分からないため息。最近はあまり授業に集中できていない。時々空を見上げて、雲を眺める。曇り空が多いこの季節だが、それ以上に夜美の心には靄がかかっていた。
「……はあ」
またため息。無意識に何度もついてしまうから、ため息と言うのは非常に厄介である。
やがて授業終了のチャイムが鳴り響く。それが合図となったかのように生徒たちは各々背伸びをしたり、腕を広げたりとリラックスモードに入る。だが夜美はずっと頬杖をついて窓に映る自分とにらめっこをしていた。
「どうしたの? 夜美」
「えっ……?」
気がつくと、目の前にあの三人組が立っていた。今ではすっかり打ち解けた存在であり、このクラスでの夜美の話し相手だ。最近上の空の夜美を心配して、話しかけてくれたのだ。
「朝からずっとため息ばっかりだよ?」
「何か、困ったことでもあるの?」
「もしかして、今度は別のひとにいじめられてたりする?」
夜美は悩んでいるからと言って、別に苦しんでいるわけではなかった。嫌なことをされた覚えもないし、傷ついてもいない。夜美は心配そうな表情の三人に笑顔で答える。
「いえいえ、そんなことないです。元気ですよっ」
しかし、なかなか言い出せないという夜美の性格を知っている三人なので、それでもまだ納得できていなかった。
「んー、じゃあ、もし何かあったら言ってよね。力になったげるから。……それが、私たちにできることだから」
以前、夜美をいじめていた人間とは到底思えないような頼もしい言葉だった。その言葉に夜美は力強く頷いた。
「はいっ」
しかし三人が元いた席に去っていくと、夜美はまた空を見上げる。空は変わらず、灰色だった。
やがて時計の短針が頂点を通り過ぎると、午前中の授業は終わりを告げる。夜美はお弁当を持って食堂へと向かった。
混んでいる食堂を縫うように進み、三つの顔を探す。そこには和麻と充、そして円が席に座っていた。夜美に手を振って、待っている。
夜美も手を振り返してその席に向かうのだが、少しだけ胸が高鳴っている。今日の弁当は喜んでもらえるだろうか。ドキドキしながら、夜美は席に着いた。
「よし、それじゃ食べようぜ」
最近は和麻は自分の弁当を持って来ていない。その理由は、夜美が弁当を作らせてほしいと願い出たからである。夜美に迷惑だからと当時は断っていたが、毎日必ず夜美が弁当を持ってきたため、母親に楽をさせてやりたいという思いも含めて、夜美に弁当を作ってもらっているのだ。
「きょ、今日は豚キムチを作ってきましたっ」
「マジか。美味そうだぜ」
和麻の好反応に、夜美はいつも安心する。作ってよかったという安堵感と、また作ろうという自信になってくれるからだ。実際和麻は夜美の手料理を残したことは無かった。
みんなでワイワイ食べる昼食。いつしかそれは夜美にとって当たり前のものになっていた。一年生だったころは入ることなどできないと思っていた温かい空間。そのなかに、確かに夜美はいるのだ。
「和麻、俺にもよこせ」
「無理な相談だな」
「いいじゃないか少しくらい」
「やだね」
和麻と充が夜美特製の弁当のおかずの争奪戦を繰り広げていた。昼休みはいつも楽しい。そばに仲間がいてくれるから、大切な人が、いてくれるから――。
だから夜美は、ランチタイムが終わったその時、和麻に内緒で充と円に相談することにしたのだった。
「どうしたの? 夜美ちゃんが俺らに用事だなんて」
和麻はすでに旧図書室へと向かってしまったので、夜美は二人を呼びとめた。いつも通り二人は気軽に夜美の話を聞いてくれる。
「あ、あのですね……」
なかなか続きが出てこない。二人は話の続きを聞こうと聞き耳を立てている。
「そ、そのっ、笑わないで、聞いてくれますか?」
「え? ああ、もちろんだよ。どうしたの?」
意を決して、夜美は事の次第を説明することにした。
「あ、あの、私、天崎さんのことが、ですね、その、す、好き……なんです……。でっ、でも、それを伝えるのが怖いんです。もし振られちゃったらどうしようって考えると、いつも言えなくて……。あのっ、私、どうしたらいいんでしょう?」
やっとそれだけ言うと、夜美は顔を真赤にしてうつむく。二人は微笑んだ。
「知ってたわよ、それくらい」
「……はい?」
円の言葉に戸惑う夜美。知ってたというのは、夜美が和麻を好きだということだろうか。
「見てたら分かるわよ。いつもお弁当を作って来ては、天崎くんの食べてる時の顔見て喜んでるじゃない」
「そ、そうなんですか?」
充にもすでに感づかれていたが、夜美は周囲にあまりにバレバレな恋心が急に恥ずかしくなった。同時に和麻にもバレているのではないかと気が気ではなくなってしまった。
「和麻だったら、絶対に振ったりなんかしないって。思い切って告白してみなよ」
「こ、こここ、告白……ですか?」
正直に言うと今の夜美には到底出来そうにないことだった。やっぱり怖い。今まで散々のけものにされてきた夜美なのだ。告白が容易にできるほど、人間関係を築けているかどうか、夜美は不安でいっぱいだった。
「もう半年以上一緒じゃないか。和麻だってきっと、夜美ちゃんのこと好きだと思うよ?」
「本当に……そうでしょうか……? 半年と言っても、入院中は実質天崎さんとはお話もできませんでしたし、それに私といると、昔からみんな去って行ったんですよ? 天崎さんも、今までは仲良くしてくれましたけど、他に好きな人がいる、とか言われてしまったら……」
「その時は、俺が夜美ちゃんを幸せにしてあげるよ」
「え……?」
充の意味ありげな言葉に、一瞬夜美はドキッとする。しかし次の瞬間には充はいつもの顔に戻っていた。
「なんつってな。大丈夫だって。和麻を信じろよ」
こんなときでも夜美を励ましてくれる充。その姿勢は嬉しいが、それでも夜美には勇気が持てない。このままでいるべきか、一か八か賭けてみるのか、夜美は凄まじい葛藤の中に身を置いていた。
「うーん……」
「どうしても、怖いの?」
購買で買ったパックのイチゴジュースを飲みながら、もう一度円は訊いた。出来ることなら、力になってやりたいが、夜美から告白しなければ、何の意味もない。夜美に勇気を持たせてやることが、今自分に出来る精いっぱいのことに思えた。
「……あうぅ……」
夜美は困った顔をしていた。いつもの夜美にはみられない反応なので、少しだけ新鮮である。
「うん、わかったわ。私たちも、霧野さんが告白できるように力を貸してあげる」
「ほ、ほんとですか……?」
少しだけ夜美の顔がほころぶ。一人では無理なことでも、みんなでやればできる。
「じゃあ、まずは何をするんだ?」
充も協力してくれるようだ。夜美はつくづく、二人と友達でよかったと安堵する。
「そうねえ……。天崎くんに直接聞いてきてあげよっか?」
「そ、そそそれはちょっと、恥ずかしいです」
「あくまで自然に会話の中で話すから、大丈夫だって」
「でっでも、そのっ、やっぱり、私からちゃんと言いたいですし……その、でも、えーっと」
言いたいけど言えない。夜美の心は複雑だった。
「あれ、みんな何してんだ?」
「はい?」
声がした方を振り返ると、和麻が立っていた。夜美は瞬間的に体をこわばらせ、ピクッと背筋を伸ばす。欠伸をしながら、和麻は続けた。
「図書室行ったら鍵が閉まっててさ。珍しいな、昼休みに恵梨奈先生がいないのは」
円は夜美の背中をピンと人差し指で軽くつついた。
「ほら、今がチャンスじゃない?」
「ふぇっ? あ、えと」
夜美は思わず顔を伏せる。今まで何ともなかったのに、好きだと思い始めた時から、まともに和麻の顔が見れなくなってしまった。
「ああ、ああああ、あのっ!」
少し力が入り過ぎてしまったのか、やたら大きな声で和麻に向き直った。ビクンと和麻は身じろぎする。なにやらおかしな迫力が夜美にはあった。
「な、なんだ? どうした」
「じ、実はっ! ですね、あの、その、あ、ああああ、あまっ、ああっ」
「あま?」
「甘酒さんが好きなんですっ」
「「はいいっ!?」」
隣にいた二人が盛大にズッコケる。いま夜美は何と言ったか。
「夜美、お酒は二十歳になってからだぜ?」
「へっ? ……あ、ああ、はい。そうですよね……っ。エヘヘ」
「しかし甘酒をさん付けで呼ぶ人間がいようとは」
和麻はケラケラ笑っていた。とりあえず悟られはしなかったようである。夜美は何故だか安堵感に包まれた。
「というわけで、作戦を発表するわ」
時は変わって放課後。それぞれ一旦家へと帰宅し、今はとある喫茶店に三人で集合している。もちろん和麻には内緒だ。
「作戦って、何の?」
百パーセントオレンジのジュースをストローですすりながら充が聞き返す。作戦と言うのはもしかしなくても夜美の告白を成功させるためのものであろうが、何となく嫌な予感を充は感じていた。夜美はきょとんとしている。
「まずは、映画作戦ね」
「映画?」
「作戦……ですか?」
親指をぐっと突き立てて円は笑う。充の嫌な予感は更に増していく。昔からこういうことは好きなのが円だ。こう見えても和麻と充は円とは幼馴染で、よく幼稚園のころから振り回されてきた。そして結果的に損害は和麻たちに返ってきたのだった。
「霧野さん! 頑張って!」
「は……はい」
「で、具体的にどんな作戦なんだ?」
充の問いに、円は自信満々に答える。
「簡単よ。霧野さんは天崎くんを映画に誘うだけ。まあデートよね。それで、映画のクライマックスシーンで、その映画の主人公と一緒に天崎くんに告白するのよ!」
「デ、デデデ、デート……!」
『デート』という言葉に過剰に反応する夜美。だが、充は、円の案にしては悪くない方だと思った。少々クサい芝居になることはこの際目をつぶるべきだ。
「一回和麻とはデートしたんだろ? じゃあ今回もそんなに緊張しなくていいんじゃないかな」
だが夜美はいまいち自信なさげに首を横に振った。
「あの時は……ですね、その、天崎さんの方から、お誘いを頂けたので、その、デートできたんですけど……、私のお誘いで、一緒に行ってくれるでしょうか?」
「大丈夫だって。最近和麻も映画見に行ってないから、チャンスだぜ!」
充は親指を突き出してグッドラックのサインを送る。夜美は自信なさげだったが、頷いた。
「天崎くんに伝えることから始めるのよ?」
「はい。……不安ですけど、頑張ってみます」
夜美自身、映画に行くことも少ないので楽しみなのだが、何しろ理由が理由であるし、そばに和麻がいるのでは、全く映画には集中できないだろう。
「そうね。それじゃ今度の土曜日に決行しましょ。私たちも行くわよ、黒木くん」
「へいへい。って土曜って明日じゃねーか!」
それがどうしたの、という顔をする円。夜美としては心の準備が必要なはずだし、何より急に明日映画に行こうと言われて簡単にOKするだろうかという問題がある。予定も聞くことなく、明日突然映画に行こうと誘われたら、行くのは難しいはずである。
「約束は電話でね。時間は……そうね。一時にしましょうか。映画館集合ね。私たちはバレないように、二人が入ってから十分後に入るわ」
きっちりと約束を決めて、やる気満々の円を止めることは不可能である。充が一番よく知っている。
「分かりました。では明日ですね」
日程と内容が決まると、三人は喫茶店を後にした。夜美はまるで遊園地に行った時のような気分で、ドキドキしながら家路をたどったのだった。
その夜、夜美は慎重な面持ちで和麻の携帯番号を入力していた。既に電話帳登録はしているので番号を直接入力はしなくてもいいのだが、今の夜美は気が気ではないのだ。無駄に三回も見直してから通話ボタンを押す。四コールほどで和麻の声が聞こえた。
『もしもし。夜美か?』
「あ、あのっ、天崎さん」
『こんな時間にどうかしたか?』
「いえ、あのっ、えーと……明日、時間空いてますか?」
『明日か? ああ、特に用事は無いけど?』
和麻の返答を聞いて、ほんの少し安心する。どうやら誘えそうだ。
「あの、でしたら、映画とか、一緒にどうですか?」
『映画かあ。よし、いいぜ。行こう』
「ほ、本当ですかっ。嬉しいですっ」
とりあえず、映画作戦の第一段階はクリア出来た。あとは映画を見て、その時に告白するだけ。言葉で言うのはたやすいが、そう簡単にできることではない。
「じゃあ、明日の一時、映画館の前で待ってますねっ」
『了解。んじゃ』
「はい。おやすみなさいですっ、天崎さん」
パタッと携帯電話を閉じると、緊張の糸が切れたように夜美はベッドに倒れ込んだ。衝撃でベッドの上に乗っていたテディベアーがころんと倒れる。よくやったと笑っている気がした。実際、夜美も十分満足だった。
「がんばって。あと少し」
無意識に、自分でそう呟いていた。
翌日。
「じゃ、行ってきます」
夜美は財布をポーチに入れると、お気に入りのベージュのダウンコートを羽織って玄関を出た。突然の誘いだったが、和麻は快く了承してくれたので、夜美はウキウキ気分で映画館へと向かっていた。外は冷え込んでいるものの、もう正午を過ぎている。雲ひとつない快晴の空で、太陽は輝いていた。寒さがなければピクニックができそうである。
「来てくれるかな? メールしてみようっと」
きっと和麻のことだから、来ないはずはないと分かっているのだが、それでも夜美は注意深く和麻への連絡を怠りはしなかった。少しばかり心配性なのが夜美なのだ。
『今映画館へ向かっています。天崎さんはもう支度はお済ですか?』
大分文字を打つのにも慣れてきた。テキパキと入力して、送信。じきに和麻から返事が来た。
『後方、百八十度後ろを向いて、横断歩道の向こうを見てみよう』
夜美は一瞬、何のことか分からなかった。送り主は間違いなく和麻である。言われるがままに後ろを向いて、信号の先をみる。夜美はようやくメールの意図が分かった。
信号がちょうど青になり、和麻がこちらへと走ってきた。
「天崎さんっ」
「よっ。いい天気だな」
和麻は澄んだ笑顔で夜美をみる。夜美は少し恥ずかしくなってしまい、下に視線を揺らす。
「どうかした?」
「へっ? あ、いえっ、なんでもないです」
悟られてはいけない。いや、悟られた方がかえっていいのだが、恥ずかしいのでやっぱりダメだ。
「後姿だけで、私だって分かったんですか?」
「もちろん。帽子とポーチは、夜美のトレードマークみたいなもんだからな」
なるほど、と夜美は納得する。さすが和麻、夜美が知らないうちに夜美の特徴を把握しているのだ。
歩きながら、二人で他愛もない話をする。
「今日は、どんな映画を見るんだ? やっぱり、女の子は恋愛系がいいのか?」
「恋愛系も好きですけど、基本的にはどのジャンルもオッケーですよっ」
「そうなのか?」
少し意外だった夜美の返答に和麻は驚いた。ハリウッドのアクションのような爆撃系でも平気なのだろうか?
「あ、でも、一つだけ」
「ん?」
「ホ、ホラー映画はどうしても見れないです。怖いです」
「そりゃそうだよな」
やはり女の子である。もちろん和麻もその辺はわきまえているつもりなので、ホラーを無理やり見たりはしない。
「天崎さんは、どんな映画がお好きなんですか?」
「俺か? うーん、そうだな。……ってよくよく考えたら、俺最後に映画観たのは小学生だったな」
仮面ライダーを親と見に行った記憶がある。なぜか母さんはえらくはしゃいでいたのだ。
「そうなんですか。でしたら、どのような映画が見たいですか?」
「んー、ホラーとか?」
「う……が、頑張ってみます」
「冗談だよ。俺もわざわざそう言うのは見たくないって。感動できる映画がいいかな」
「感動ですか。いいですね」
感動もののストーリーならば最後に告白が待っている可能性が高い。これはチャンスと言える意見だろう。それも本人からの要望ならば否定する理由がない。今回のテーマはこれで決まりのようだ。夜美も喜んで賛成する。
「しかし、なんでまた、急に映画見ようなんて思ったんだ?」
和麻の質問に、夜美は答えが探せなかった。告白したいからなんてもちろん言えないし、何より計画が和麻にバレては水の泡になってしまう。五秒くらい悩んだ後、緊張で声が裏返りつつ答えた。
「えーと、それは、ですね、あのっ、この前の遊園地が楽しかったので、また天崎さんと遊びに行きたいなって、思ったんです」
パッと浮かんだいいわけだったが、うまい具合に和麻は納得してくれた。
「迷惑じゃなかったですか?」
「まさか。俺も楽しみにしてたんだぜ?」
「わあ、本当ですか? そう言ってもらえると嬉しいですっ。最初は、私のお誘いなんかで来ていただけるか不安でしたから……」
電話のときだって心臓は早鐘のようにものすごい速さで動いていたのだ。夜美は嫌われることが何よりも怖いので、すぐに神経質になってしまう癖があった。
「俺もちょっと驚いたかな。夜美の方から電話してくれるなんて、思わなかったからな」
だが映画だってデートの定番コースだ。夜美と一緒に過ごす時間が増えたものの、学校以外ではそれほど会わないので、こういうことはとても新鮮である。
そんな話をしていると、映画館に到着した。駐車場は今日も満車のようだ。相変わらずの大盛況である。夜美は目を輝かせていた。
「どんな映画をやってんのかな」
「あっちに案内があるみたいです」
夜美の指さす方には絶賛上映中の案内板が立っていた。
「へえ。結構いろいろやってるもんだな」
全シアターでそれぞれさまざまな映画が上映されている。和麻はざっと目を走らせた。
「上から二番目の映画、いかがですか?」
夜美が指をさしながら見たい映画をチョイスする。どうやら冬物のラブストーリーのようだ。女の子が好きそうなジャンルである。
「わかった。じゃ、あれにしよう」
夜美一押しの映画で決定。早速映画館の内部に入る。
と、映画館の外、駐車場に止めてあった車から、二人の人影が降りてきた。
「なるほど。この映画を選んだのね。愛と感動。美しいじゃない」
なぜか映画を前に熱くなっている円を隣でやれやれという表情で見つめる充。
「ったく、『冬のカナタ』とか完全にディスってんじゃねーか」
「うるさいわね。ちゃんと日本の映画なのよ。韓国人は出てこないわ」
「タイトル的におかしいと言ってるんだ」
「つべこべ言わない。もう少ししたら私たちも入るわよ」
やっぱりなぜか楽しそうにしている円。
(こいつ、一緒に見ようとしてやがるな)
和麻たちの隣に座るかもしれないという可能性が考慮できていない。やはり円が何かを企むと常識というか鉄則というか、あらゆる「あたりまえ」が完全に無視されてしまうのだ。困ったものである。
「ほらはしゃぐな。入るのはエントランスだけだぞ」
「えー、何でよお。意味ないじゃない」
駄々をこね始める円。よくこんなのが委員長になれたものだ。
「和麻たちと同じシアター入ってどうする。気づかれるじゃねーか」
「…………ケチ」
「どうとでもいいやがれ」
「じゃ、じゃあ、せめて他の映画が見たいわ」
「和麻たちの方が先に終ったらどうする?」
「ほらっ、あれ! 上映時間、一緒よ?」
「……ったく、まあエントランスにいてもヒマだしな。しょうがない」
「やったー!」
隣で四歳児くらいの女の子が唖然としているのは見なかったことにしよう。我がまま委員長ってのは終始我がままなのだ。
「奢って」
ついに暴走し始めた円。もちろん充には奢る気などさらさらない。
「帰る」
「ひどーい」
「金ないもん」
「男でしょ。それくらいはたきなさい」
奢ってもらう身でなんちゅうこといってんのかなこいつ。
「なんで奢んなきゃいけないんだよ」
「財布持って来てないもの」
「お前一体何しに来やがったあああああああああ!」
充の叫び声で子連れの家族に白い目で見られたので円を連れてエントランスに入った。
「ポップコーン、キャラメルでいいですか?」
「ああ。いいよ」
「はいっ。天崎さんのお飲み物ですっ」
「おう。サンキュー」
チケットを買った後と言えば、ポップコーンとジュース。二人で一つLサイズのポップコーンを購入した。
「それでは、シアターに行きましょう」
休日であることもあって、館内は人であふれていた。
楽しそうに前を歩く夜美。確か『冬のカナタ』はシアター3で上映されているはずだ。席は前過ぎず後ろ過ぎずのジャストミートな位置を獲得している。
「エヘヘ。楽しみですっ」
ポップコーンのたっぷり詰まったカップを両手に持ち、シアターに入る。
大画面のスクリーンに館内での注意書きや新しい映画の宣伝が広がっている。まだ上映まで数分あるので、足下の誘導灯は光っていた。
「席はここですよね?」
「ああ。いい位置だな」
ど真ん中にフルスクリーンを望める位置である。大分客の入りが多いので、そう簡単には取れない席だ。
映画上映前の独特の雰囲気が漂う中、瞬く間にシアター3は満員になった。それなりに人気のある映画らしい。
やがて非常灯や誘導灯が消え、劇場内が闇に包まれる。壮大なスクリーンに映像が映し出される。和麻と夜美は携帯電話の電源を切り、映画に没頭したのだった。
「ええーっ、寝ちゃったのー!?」
円は素っ頓狂な声をあげた。店内にいた客や店員が一斉にこちらに注目する。
翌日、日曜日。夜美と円の充の三人はまた例の喫茶店に集まったのだった。
「すいません。あの日の夜はなかなか眠れなくって、映画の途中で寝てしまいました」
映画の後半、夜美は熟睡してしまい、目覚めたときにはちょうど主人公が告白をしていた時だった。和麻がその時になって夜美の熟睡に気付いたため、結局夜美は告白のタイミングをすっぽりとぬかしてしまったのだ。
「本当に、すいませんでした」
「夜美ちゃんの謝ることじゃないって。やっぱり変な作戦だったんだよ」
充の言葉に円はムッとしたが、よく考えればあれだけ人がいる中での告白は余計に難しいものだと納得する。
「でも、せっかく作って頂いたチャンスが……」
夜美はしょんぼりうなだれてしまった。自分を責めているのだ。もともと自分の優柔不断の所為でみんな助けてくれているのに、それさえも無駄にしてしまったのだから。
夜美を励ますように、円は言った。
「まだよ。まだまだだわ。作戦の一つが失敗に終わっただけ。私の中では予想の範疇よ」
充の背中にまたヒヤリとした汗が流れ落ちる。この委員長、まだ常識はずれなイベントを隠し持っているのだ。恐るべき女である。
「そうなんですか?」
「ええ。第二の作戦を実行するわよ」
そういうと円は怪しい光をメガネに宿した。それが見えるのは充しかいない。
「第二の作戦って、なんですか?」
夜美が不思議そうな顔をしている。円は得意げな表情して、自信満々に言い放った。
「お弁当作戦ね!」
「お、お弁当作戦?」
充がなんだそれ、という顔をする。
「お弁当ですか? それなら、いつも天崎さんに作ってますけど……」
円は指を立ててチッチッチと左右に振っている。では他に何をするのか、充と夜美は顔を見合わせた。
「霧野さんのお弁当に、工夫を施すのよ」
「どんな工夫なんだ?」
「そうね。海苔とか、錦糸卵で文字を書くの。お弁当を開けたらいきなり『大好きっ』なんて書いてあったらもう和麻くんはメロメロね」
夜美は一瞬それを想像する。とたんに顔が真赤になった。
「ちょっと、恥ずかしいです……」
「でも、口で言うよりはずっと楽じゃないかしら」
それは確かにそうであるが、何というか、和麻の反応を見るのがとても恥ずかしいのだ。
しかし方法としては他にはない。夜美はまたもや葛藤する。
「……わかりました。やってみますっ!」
「大丈夫かい?」
「お弁当は、唯一天崎さんに喜んでもらえる私の特技ですから。頑張ってみます!」
心配そうな顔を浮かべる充だが、それでも夜美の決断を応援してくれた。
「そうだな。夜美ちゃんのお弁当なら、きっと和麻も答えてくれるぜ」
「はいっ。では、早速明日のお弁当は、頑張って可愛く作ってみますね!」
いつも見た目は美しくきれいに飾るのが夜美の料理スタイルだ。可愛さを重視して作ったことはあまりないので、難しいかもしれない。
しかしそれでも和麻のために、お弁当を作るのだ。この思いを届けるために。
第二次打合せも終わり、店を出ようとしたその時、夜美の携帯が鳴った。このメロディは和麻からのメールである。
「だれから?」
「天崎さんからです」
携帯を開いて、受信したメッセージを表示する。普段あまり和麻からメールを受け取ることは少ない。夜寝る前にはほぼ毎日夜美から少し電話したり、メールしたりとおしゃべりしているのだが、こんな午後からメールをもらうのは初めてだった。
『今ヒマか? ヒマなら、暦川のほとりに来てくれ』
「これは……」
和麻のメールは明らかに呼び出しである。暦川はここから五分ほどでいける、街を流れる川だ。あまり広くないが、長い面積で流れている。学校からは反対なので、普段はあまり近寄らない。
「いいじゃん、行ってきなよ」
「ちょうど打合せも終わったしね。行くべきじゃないかしら」
「分かりました。行ってきますっ」
勘定を済ませると、夜美はメールを返信する。
「分かりました。今から行きますね(^^)」
風のように喫茶店を飛び出し、歩道を駆け抜けていく。冬の冷たい風が夜美の髪をなでた。
五分ほど走ると、暦川の土手が見えてきた。肩で息をしながら、和麻を探す。
枯れ切った大きな木の下に、和麻が立っていた。夜美には気づいていない。
「天崎さーん!」
力いっぱい叫んでみると、和麻が振り向いた。笑いながらてを振っている。夜美はその優しい笑顔に向かってもう一度ひた走る。なんだか、いつかの夢を見ている気分だった。
「何をされているんですか?」
和麻は黙って微笑むと、木の向こう側を指さした。ほんのり煙が立ち並んでいる。
「わーっ、これって焼き芋ですよね?」
「うまそうだろ。さっきここを通ってたら、おじさんが焼いててさ。俺にも二、三個くれたから、一緒に焼いてたんだよ。もう帰っちまったけどな」
夜美は外で焼いた芋を食べるのは初めてだった。たまに通る軽トラックの焼き芋は食べたことがあるが、たき火をしてまで作ったことはない。
手袋をした手を、煙にかざす。ほんのり暖かい。
「そろそろ、焼きあがるころかな」
和麻が太い枝で薪の中を掘り起こす。火を消さないようにして、中から二つ、形のいい焼き芋を取り出した。
「熱いから、気をつけてな」
「はいっ、頂きます。とっても美味しそうですっ」
二つに割ってみると、中からたっぷり湯気が立つ。鼻をくすぐる甘いにおいがたまらない。
喫茶店ではジュースを飲んだだけだったので、夜美はお腹がペコペコだった。皮ごと思いっきりかぶりつく。
「ふわっふ。おいひいれすっ」
「暖かいな」
「ふぁいっ」
和麻も一口かぶりつく。熱くて吐きだしそうになったが、なんとか耐えた。
「外で食べると、美味いんだよな」
「本格的で、いいですね」
夜美も笑顔ではむはむと食べている。外は寒いが、体の中はぽかぽかである。
「私、初めてお外で焼き芋食べました」
「へえ、そっか。食べたことなかったんだな」
まあ、今までは友達がいなかったのだから無理はないだろう。あまり深く掘り起こすとまた夜美の苦い過去を突きつけることになるので、ここで留めておく。
「…………あ、あの……」
焼き芋を一つ食べ終わった時、夜美は控えめに口を開いた。
「ん? どうした?」
「え……えと、その……」
夜美は思い切って告白することにした。しかし、やはりというか、言葉が出てこない。自分では決めたつもりでも、心のどこかで、まだ受け入れてもらえないかもしれないことに怯えている。
和麻は疑問を抱いた顔で、夜美が話すのを待っている。夜美は自分から話そうとしたことを後悔した。このままでは変な子だと思われてしまう。どうにかしないと。しかしどうすればいいのか分からない。
「あ……雪だ」
「えっ?」
和麻はふと、空を見上げた。灰色に濁った空から、白い粒が舞い降りているのが見える。
「初雪か。運がいいのかもな」
「初……雪」
かじかんだ唇で、夜美は呟いた。そう。もう雪の降る季節。夜美は雪の日も、晴れの日も、部屋の中か、教室の中にしかいなかったので、降り積もった雪にしかふれたことがなかった。
手を差し出すと、その中に一粒の雪が落ちてきた。体の体温で、すぐに溶けてなくなってしまう。
「きれい……」
「雪ってさ、不思議だと思わないか?」
唐突に和麻が、そんな事を問いかける。夜美には、どう不思議なのか、分からなかった。
「どうして、でしょうか」
「雪って、簡単にいえば雨が凍って落ちてくるものだ。でも、雪はまるで自分を暖かく包み込んでくれるみたいに、ゆっくり降ってくるだろ? 雨と雪の違いは、それだと思うんだ。雨だって冷たいけど、雪に比べりゃ温度は高い。でも、雨って本当に冷たく感じるんだよな。まあ、こんなの、心の持ちようだけどな」
普段は和麻の口からは聞かないような言葉に、夜美は驚いた。とても、大人びていて、まるで、どこか遠くへ行ってしまった和麻が、何年もたって目の前に現れたかのような、そんな気がしたのだ。だが、次の瞬間、和麻はいつもの微笑みに戻っていた。
「なんてな。ちょっと、かっこつけすぎだよな。忘れてくれ」
雲がほんの少しだけ切れ、太陽が顔を出す。粉雪が太陽の光に反射して、煌めいた。
「私も、そんな気がします。案外冬で冷えた体を温めてくれるのは、雪かもしれませんね」
夜美もちょっとだけ、かっこつけた言葉を言ってみる。しかしそれを言ってすぐ、結局和麻が言ったことを繰り返しただけだということに気付いた。
私は、背伸びしても、大人にはなれない。そう思った。和麻は笑っていたが、夜美は心の奥で、そっと呟いた。
「だって、天崎さんに、この思いを伝えることも、出来ないのだから」
翌日。さすがに雪が降り積もることはなく、あちこちで水たまりになっていた。
今日は、勝負の日。夜美特製の、名付けて『告白弁当』である。命名したのはもちろん円だった。
時刻は七時五十二分。もう十分もすれば、和麻が来てくれるはずだ。
しかしその十分も、最近では結構辛いものである。手袋をしてはいるものの、手がかじかんでうまく動かない。一限目の授業でペンを持つのが一苦労なのだ。
しかしそれでも、夜美は和麻を待っている。和麻と同じ道を通ることができるなら、一緒に会話しながら登校出来るなら、これくらい安いものである。
小鳥のさえずりが聞こえだした頃、和麻が現れた。
「おはよう、夜美」
「おはようございますっ、天崎さんっ」
いつものように元気な笑顔であいさつする。こうして和麻とともに朝の道を歩くのも、今では当たり前となっている。
ゆっくりと歩幅を合わせて、枯れ切った並木の道を進む。
「はあ。あと十日で期末試験だぜ。困ったなあ」
和麻が気だるそうに呟く。十二月の頭に、期末考査が実施されるのだ。
「早いですね。ついこの前中間考査だったんですけど」
二学期の中間考査と期末考査はたったの一ヵ月半しか空きがなかった。めまぐるしく勉強しなければならず、充は毎日悲鳴をあげている。サッカーの練習にも身が入っていないようだ。
「今度、数学教えてくれ」
「は、はいっ。私でよろしければ、いくらでもお力になりますよっ」
夜美の纏めたノートが功を奏し、時々和麻はこうして夜美と勉強するようにもなった。夜美のノートの方が黒板の板書よりも分かりやすいのだ。
「ところでさ、夜美」
「はい、なんでしょうか?」
「昨日言いかけてたことって、何だったんだ?」
和麻の問いに、夜美は目を泳がせる。そう言えば、言い損ねていたのである。
「あ、あの、えと」
「いや、良いんだよ。言いたくないことなら、無理に言わなくてもいいぜ」
夜美は首を横に振りたかった。言いたくないわけではない。言いたくないなんて、そんなはずがない。言いたくて、だけど、ただ自分の決心が甘く、踏み出せないだけなのだ。
「あのっ!」
「おはよ、お二人さん」
「今日もいい天気ね」
夜美が口を開こうとした瞬間、前から円と充がやってきた。和麻が「よう」と手を振り返す。
夜美の発言も尻すぼみになってしまい、結局和麻には聞こえないまま終わった。
四人は信号へとたどり着く。空は晴れているが、夜美の心は曇っていた。
昨日和麻が言った、雪の温かみの話。何故だか、夜美にはあれが、まるで自分の心を見透かされていたような発言に思えるのだ。君には、勇気がないのか? 和麻に言われたわけではなく、その言葉に直接問いかけられているような気がする。
和麻が大人びて見えたのも、そのせいなのかもしれない。なのに自分は、ちっとも和麻みたいにかっこいいことが言えなかった。別にだからといってそれに意味はないし、言えなかったからどうというわけでもない。けれど、夜美は、なんだか自分がずるいような気がしたのだ。お弁当という媒体を使ってしか、思いを伝えられない自分が。そんなものを使って思いを伝えようとしている自分が、である。
校内に入っても、授業が始まっても、一向に夜美の心の靄は晴れなかった。またいつものようにため息で始まる日常。それはまるで、和麻に好きと言えない自分を、誰かに助けてほしいと体が言っているようだった。
「それじゃ、授業おわり。起立」
「気をつけ、礼」
『ありがとうございました』
四限目の授業が終わりを迎え、いつもどおりにまた昼休みが始まる。夜美は食堂に行くのを躊躇った。
本当に、こんなお弁当で喜んでくれるだろうか。お弁当には白ご飯の部分に、『大好きです』と刻み海苔で文字が書いてある。
「…………」
だが、やると決めたこと。夜美は自分と和麻、二つのお弁当を持って、食堂へと向かった。
「おーい、夜美」
少し教室で突っ立っていたため、和麻は腹をすかせていた。緊張した面持ちで、しかしそれを悟られないように和麻たちのところへと向かう。
「少し授業が長引いてしまいました。ごめんなさいです」
「いいんだよ。それくらい気にしないって。さ、食べようぜ」
「…………」
「? どうかしたか、夜美」
席に座ろうとしない夜美に、和麻は心配そうに尋ねた。
「体の調子でも、悪いのか?」
「あ、エヘヘ。い、いえ、そんなことはないです。はい、どうぞ。私ちょっと職員室にプリントを取りに行かなければいけなかったので、先に食べていてください」
そう言って、和麻に渡したのは、自分の分の弁当だった。量は和麻の分に比べて少ないが、女の子らしいデザインの箱ではないし、大きさも一緒である。和麻はいつものように、それを受け取った。和麻の箸箱をそこに置いて、夜美は食堂を出た。
「変ねえ。あの子、今日は確か……」
和麻に聞こえないように、円は呟いた。和麻の弁当箱はいつも通りの、白ご飯。本当ならここに文字を入れる約束だったのだ。円と充は首をかしげた。
夜美はというと、食堂を出た後、その足で近くのトイレへと入った。
「やっぱり、自分の力で伝えよう。こんなのじゃ、ダメ」
自分の口から伝えないと、きっと和麻は振り向いてくれない。こんなものをいきなり見せられても、困惑するだけだ。こんなずるいやり方じゃなくて、ちゃんとストレートに好きという方が、絶対いいに決まっている。
夜美は個室に入り、弁当を開ける。海苔の部分だけを箸でつまみ、先に食べた。これで和麻の弁当と何ら変わりはない。
「よしっ」
夜美は両手で拳を握ると、トイレを抜け、二、三分待ってからまた食堂へと戻った。
「お待たせしました」
「お、きたきた」
「よ、待ってたぜ」
「おつかれね」
三人とも、口々に言葉を振りかけてくれる。あとで二人には謝っておかなくちゃならない。せっかく自分のためにおぜん立てをしてくれたのに、それを無視して、自分のやりたいようにしているのだ。だけど、これでいいと、夜美は思っている。
「お味はどうですか?」
「もちろん美味いさ。また料理の腕上げたか?」
「エヘヘ。毎日、特訓してますからっ」
いつか、和麻の朝ご飯や、晩御飯も作りたい。それが、夜美の夢だ。そのために、もっと料理の腕を磨くのである。もちろん、今の和麻には内緒だ。
円には、夜美の意図が分かった。お弁当なんて使わなくても、ちゃんと思いを伝える。もう夜美は決心したのだ。現に夜美の弁当の白ご飯には、ほんの少しだけ、海苔がのっていた跡がある。きっと職員室ではなく、どこか人目につかない場所で、食べたのだろう。
「頑張りなさいよっ」
席を立つ時、円は夜美の背中をポンとたたいた。
もう冬が到来しているが、風は吹きすさぶほど吹いてはいない。穏やかな夕焼け空だった。
「ったく、正面に太陽ってのは本当に眩しいぜ」
「エヘヘ。綺麗な夕焼けです」
二人は放課後の通学路を歩いている。いつもなら充と円がいるのだが、今日はいない。夜美にはその理由が分かっているが、きっと和麻は知らないだろう。
「夕焼けが綺麗ってことは、明日は日本晴れかな」
「そうなると、いいですね。この季節、日の光がないと、寒いですから」
「日の光があっても寒いけどな」
朝にはあった水たまりも、今は小さくなったり、消えたりしている。夜美の心の靄も、大分晴れ切っていた。残るは――そう。告白が成功するのかどうかだ。
もし振られてしまったら。そんなことはもう考えないようにした。考えれば考えるほど、告白の言葉が出にくくなってしまうからだ。和麻を信じて、決心したのだ。きっと和麻は答えてくれる。自分でそう言い聞かせて、心を少しでも落ちつかせた。
だが、言いだすタイミングがつかめない。いつ言ったらいいのだろうか。それを考えながら、夜美は歩く。だがそうしているうちに、日はどんどん傾き、分かれ道が迫ってくる。
「どうしたんだ? 今日の夜美、なんか変だぞ?」
歩いていると突然和麻が話しかけてきた。いや、きっと何度か呼ばれたのだろう。自分が気づかなかったのだ。
「そ、そうですか?」
「なんていうかさー、思いつめてるって言うか、悩んでるって言うか」
やはりこういうことを考えると、顔に出てしまうのだ。自分では平然としていたつもりなのに、周囲にはバレバレである。
「もしかして、また新しいいじめが起きたんじゃないのか?」
「いえ、それは大丈夫です。もし起こったら、きっと一番初めに天崎さんに言うと思いますから」
「本当か? ならいいんだけど」
和麻はまた前を向いて歩きだす。その先には――分かれ道があった。
「じゃ、また明日な。何かあったら、俺に言えよ?」
そう言って和麻は去って行こうとする。手を振って、分かれ道の向こうへと進んでいく。
ここで止めなければ、また言えなかったままになる。今しかチャンスはない。
「ま、ま、待ってくださいっ、天崎さん」
体の中の全精神力を使って、和麻を呼びとめた。和麻は歩を止め、振り返る。
「ん? なんだ?」
心臓が破裂しそうなほど高鳴っている。言い終わるまで、耐えてほしい。
夜美は慎重に言葉を選び、ゆっくりと話す。
「昨日、言いそびれたこと、言ってもいいですか?」
「言いそびれたこと……ああ、あれか。教えてくれるのか?」
「はい。やっと、決心がつきましたから」
もう、誰の力も借りない。自分で、最後まで、告白して見せる。そう決心した。
「ずっと、言おうと思ってて、でもいざというときになると、どうしても言えなくて……だけど、だけど、このままではダメだと思ったので、ここで言います」
夜美の言葉に、黙って耳を立てる和麻。もう告白すると分かってしまったのだろうか。
しかしそんな事を気にしている場合ではない。意を決して、夜美は言葉を紡いだ。
「い、今、現在、天崎さんが、その、お、おお、おつ、お付き合いをされている方はいますかっ?」
夜美はじっと目を瞑って、和麻の答えを待つ。ゆっくりと冷たい風が吹き抜け、やがて和麻はこう言った。
「ああ、いるよ。今付き合ってるやつ」
「…………え……っ……!」
一瞬、時が止まったかのような錯覚に陥る。たった一瞬の出来事なのに、夜美にはそれが永遠のように感じられた。
和麻には、既に付き合っている人がいたのだ。
「そ、そう……だったのですか」
かろうじて、そう返すことができた。立っているのがつらくなった。夜美の瞳には夕焼けのオレンジを受けて光る大粒の涙が、今にも流れ落ちようとしていた。
和麻の答えが、延々と頭の中でループする。今まで培ってきた、想い出、記憶、笑い話、何もかもが音を立てて崩れようとしていた。
「う……っ、ひぐっ」
感情が心の奥からこみ上げてくる。涙とともに流れ落ちている。
「あ、いや、ちょっと待った、何で泣くんだ?」
「ひぐっ、いえ、あうっ、ひっく、すいっ、ません。なんでっも、ぐすっ、ないですっぅく」
やはり、ただの片思い。夜美の恋は儚く散ったのだ。そう思った時である。
「俺が付き合ってるのは、今年の四月、偶然出会った女の子なんだよ。そいつ、クラスでいじめられててな。毎日泣いてたんだ」
「ぐすっ、……へっ?」
「けど、案外話してみると結構明るいやつでさ。笑った顔とか、すげえ可愛いんだよ」
「ひっく、ぐずっ、その子って……?」
「それでさ。俺が事故に遭って、入院してた時、一日も欠かさず、お見舞いに来てくれたんだぜ? ノートを纏めてくれたり、俺の学校生活に、不自由がないようにって、いろいろやってくれたんだ」
そこまで和麻が話して、夜美の涙が止まった。
「そんな顔してないで、笑ってくれよ。……俺も夜美のこと、大好きだからさ」
「!……今、なんて……」
「だから、俺はすでに夜美と付き合ってるんだって、言ったんだよ」
夕焼けが、空が、光が。すべてが夜美を包み込んだ、そんな気がした。夜美はまたもや、うまく笑顔が作れなかった。口を横に伸ばしても、顔の筋肉が震えて、うまく動かない。
「す、すい、ません…………私、今……笑えないです。それでも、いいですか?」
声まで震え始めた。和麻は「はあ」と一つ息を吐くと、言った。
「しょうがねえ。特別だ」
夜美は湛えていた涙を溢れさせ、和麻の胸に飛び込んだ。夜美の体を、和麻は強く抱きしめる。夜美は思い切り声をあげて泣き出した。
「天崎さん、ひぐっ、ぐすっ、天……崎…さん……っ」
「ずっとこれを言おうと思ってたのか?」
「……私、怖かったんです。振られちゃったら、もう一緒にいる人がいなくなっちゃうって……ぐすっ、だから、ずっと言えなくて……」
「一緒に登校して、一緒にお弁当食べて、一緒に遊園地行って、一緒に映画見たら、誰がどう見たって、そいつを嫌いだろうなんて思わないって。俺はずっと、夜美と付き合ってる気でいたけどな。まあ、好きだって言いそびれてたけど、夜美もそう思ってるんだろうな、って思ってたからさ。けどまさか、そんな葛藤をしてたなんて、気づかなかったよ。ごめんな」
「いえ、でも、よかったです……。私も、天崎さんのこと、誰よりも大好きですからっ」
夜美の頬には、いくつもの涙が流れた筋があった。そんな夜美がいとおしくて、和麻は更に夜美を強く抱きしめた。
「天崎さんに、抱きしめられると、とても……安心してしまいます」
「そりゃそうだろ。夜美が安心できるように、抱きしめてるんだからな」
「これからも、私のそばにいてくれますか?」
「あたりまえだ」
冬の凍てつく風の中でも、夜美を抱きしめるととても暖かい。白く浮かぶ吐息が、互いの顔をそっと撫でる。そして、夜美はこんなことを言いだした。
「……私、まだ、ファーストキス、したことないです」
心臓が飛び出そうなほどドキドキしているが、平静を装って、和麻は答える。
「奇遇だな。俺もだよ」
「じゃあ、えっと、その、……キス、してもいいですか?」
「目を閉じろ。ゆっくりでいいから」
夜美が目を閉じると、そっとその唇の上に、和麻は自分のそれを重ねた。
「いつから、付き合ってるって思ってたんですか?」
帰り際。分かれ道を通り越して、和麻は夜美の家に向かっている。夜美がどうしても和麻を晩御飯に招待したいと言いだしたので、ご相伴にあずかることにしたのだ。
「さあ、いつだろうな。夜美があることに気づけば、答えは見えるかな?」
「あること、ですか?」
「俺が夜美のことを『夜美』って呼ぶようになったのは、いつからだろうな」
「あ、そういえば、本当にそうです。今の今まで気づかなかったです。いつからですか?」
「さーて、そいつは秘密だな」
「えー、天崎さんずるいですよー」
「あっはっは。さあ、早く行こうぜ。腹が減って死にそうだ」
夜美が先導しなければ辿り着くことは出来ないが、和麻はすたこらと歩き始めた。
夜美はというと、今日の献立を考えていた。一緒に食べられるご飯ということで、なべ料理がいいだろうか。体も温まるし、良いアイディアだ。
「おーい、夜美、早く行こうぜ。まずは買い物だ」
和麻が呼んでいる。夜美は鍋の材料を頭の中で整理する。そして、これからの事を考えた。
私の名前を呼んでくれるひとが、そばにいる。ずっと、これからずっと、一緒にいてくれる。もう私は、一人なんかじゃない。孤独なんかじゃない。寂しくなんかない。
出会った日から今まで、そうだったけど、これからだってずっと一緒。私の、世界で一番大切な人と、一緒。だから今日から先は特別な日々の連続なんだ。なぜならもう二人は友達なんかじゃなく、恋人なのだから。
私も区切りをつけて、これからもっと好きでいるために、呼び方を変えることにした。
「待ってくださーい、和麻くーんっ!」
夕焼けの空に、また雪が散り始めた。




