Part 5 -First Date-
和麻が入院してから、また季節が一つ過ぎた。夏が終わり、木々は赤く色づき始める季節。だが十月になってからでも、相変わらずの残暑は続いていた。
「それでは、行きましょう天崎さん」
「ああ。どうもお世話になりました」
和麻は一礼すると、病院の自動ドアをくぐる。院長や看護婦さんたちが出迎えに来ていた。
「これからも元気でね」
「はい。ありがとうございます」
和麻は元気よく答える。
今日は待ちに待った退院の日だった。四か月近くになる入院生活に終止符を打つ時が来たのである。軽やかな足取りで和麻は病院を後にした。
「やっと退院ですねっ」
「ほんと。長かったぜ」
夜美は嬉しそうに隣を歩いている。外の気温の高さなど全く気にしていない様子だった。歩きながら夜美は言った。
「また一緒に登校してくれますか?」
「ああ、行きも帰りも一緒だ」
「わーい、ふふっ」
ひまわりのような笑顔で夜美は喜んだ。その答えが返ってくるのは分かっているのだが、つい聞いてしまう。そして安心できるのだ。
「あーあ。ずっと寝てたから、体なまっちまったぜ」
「また一緒にサッカーしたいですっ」
「充に言えばいつでもできるさ」
新学期はすでに始まっている。始業式には出られなかったが、まだ本格的な授業は始まっていないようだった。夜美がまとめてくれたノートのお陰で、遅れた分の勉強もスムーズに済むだろう。
「学校に行くのは気だるかっただけなのに、なんでこんなに待ち遠しいんだろうな」
和麻は自転車をこぎながら呟いた。夜美には聞こえていないようだったが、和麻はいつの間にか学校に対する考え方が変わっていることに気付いた。
やはり気だるいと思っていても、ずっと行かない日が続くと、体は違和感を覚えるのだ。なぜなら、そこにはいつもの日常と、変わらない仲間が待っているから。またみんなと会うために、学校へ行きたいと願うのである。
「新学期か」
春の穏やかな日差しとはほど遠いが、新鮮な気持ちで和麻は自転車を走らせた。日曜日の朝は車が少なかった。
きっかけは一組のチケットだった。
「あ、天崎くん」
「ん?」
退院から一週間ほどたったある日、帰り支度をしていた和麻に突然後ろからかかる声があった。振り向くとそこには日直の仕事を終えた円が立っていた。何か用事だろうかと、和麻は不思議に思う。
「どうした?」
「えーっと、これ、いる?」
あはは、と笑いながら円が差し出したもの。それは二人一組のとあるテーマパークの招待チケットだった。なんでも最近オープンしたばかりで注目度も高いらしい。
「俺にくれんの?」
「お父さんの友人のひとに貰ったんだけど、私忙しいし、一緒に行く人いないから、あげちゃおうかなって」
普段から勉強に勤しんでいる彼女には時間は作れないのだろう。たまには息抜きにこういうところにも行けばいいのに。
「本当に、貰っていいんだな?」
と、言いつつも和麻は実際困っていた。貰えるのは光栄だが、和麻自身一緒に行く人なんていないし、あまりテーマパークのようなにぎやかな場所と馴染みがない。
「うん。あげるわ」
そう言って円は和麻の手にそれを手渡すと、じゃあね、と先に帰ってしまった。呼び止める間もなく、もう廊下にはその姿はない。
「あげるわって言われてもな」
せっかくもらったのだから使わなければもったいない。だが果たして和麻のそばにこのペアチケットを共有する人物はいるだろうか。
母さんは毎日忙しいし、というかいまさらこの年になって母親と二人っきりで遊園地なんてのも虚しい。却下。
充。こいつも論外だ。言えば喜んでついてくるだろうが、何かと面倒である。自転車で街を徘徊する方が楽しいだろう。
「どうすっかな…………あとは、夜美か」
これはペアチケットである。その相手は同い年の女の子。
「恥ずかしい……」
いわゆるデートになってしまう。和麻は迷った。
親や充と行ってテンションの低いまま遊ぶか、少しドキドキしながらの夜美とのデートを選ぶか。はたまた行かずにこのチケットを誰かに譲渡してしまうか。
「天崎さーん」
「ん?」
教室のドアから、夜美が手を振って呼んでいた。気がつけばすっかり夕日が差している。和麻はとっさに手に持っていたチケットをポケットに隠す。
「放課後ですけど、一緒に帰れますか?」
「ああ。今行く」
とりあえず考えていたチケットの事は頭から追い出し、和麻は帰り支度を急ぐ。夜美の元へと駆け寄ると、いつも通り笑って、他愛のない話をする。
「そろそろ秋ですね」
「まだまだ暑いけどな」
木々はすっかり秋模様だが、和麻は何せ、夏の間中病室にいたのだから、夏が過ぎたという実感が全くなかった。
「見てください、ススキが綺麗ですよ」
帰り道。夜美は空き地のススキ畑を指さして、秋の象徴の一つを示す。確かに心地よいサラサラとした音を奏でていた。聞いていると自然に涼しい気分になっていく。
「よし」
和麻はおもむろにススキ畑の方へと歩いていく。夜美は首をかしげたが、和麻についていく。
和麻はススキの上に鞄をドカッと置くと、その横に寝転がった。和麻のやりたいことが分かったのか、夜美も同じように和麻の隣に寝転ぶ。
「気持ちいいですね」
「この季節にはよく充と蛍を見に行ったんだ。その途中、山の中腹辺りに綺麗なススキがいっぱいあるところを見つけてさ、毎日のようにそこに行っては、こうやって寝転んでたよ」
「へえー。いいですね」
「だろ? 風が気持ちいいんだよな」
流れていく雲。紅い空。オレンジの夕日。そして金色のススキ。邪魔するものはなにもない。風にそよぐススキが自分を包み込んでくれる。
二人はしばらく、ススキの平原で空を見ていた。たまにトンボが飛んできて、秋空に映える。
夜美が寝息を立て始めたので、和麻は慌てて起こして、帰ることにする。
「ふあふ。思わず眠ってしまいました。エヘヘ」
「気持ちいいから、気を抜くと睡魔に負けるんだよな。俺もよく寝たよ」
再び自転車を押しつつ、帰り道に戻る。陽は大分沈んだようだ。
「なあ、夜美」
「はい? なんでしょう?」
和麻が突然呼びとめたので、夜美ははてなマークとともに振り向く。和麻は照れながらも、夜美と行くことを決意しポケットからあれを取り出す。
「これ、円に貰ったんだけどさ。よかったら、一緒に行かないか?」
夜美はそれを覗きこみ、最近オープンしたテーマパークのチケットだと理解した瞬間、素っ頓狂な声を上げる。
「あ、あああああの、私と、その、一緒に行っていただけるんですかっ?」
「充と行ったってつまんないし、ほら、夜美には、夏の間ずっと病院に来てもらってて、休みを満喫出来てないかなって思ったからさ。その、どうだ?」
「は、はいっ。ぜひ一緒に行きたいです。嬉しいですっ。ありがとうございますっ」
夜美は顔を真っ赤にしながらも、とても純粋に喜んでいた。誰かと一緒に遊園地だなんてもちろん初めてだし、何より夜美は和麻に誘ってもらえたことが一番嬉しかったのだ。
「そっか。じゃあ次の日曜日でいいか?」
「はいっ。もちろんですっ」
夜美は輝かしい笑顔ではしゃいでいる。それを見て和麻も自然に顔がほころんだ。
「わー、うふふっ、楽しみです」
夜美は分かれ道に達するまで、一度も笑顔を絶やさなかった。
カーテンの合間から降り注ぐ日差しに目がくらむ。和麻はベッドからニュルっと起き上がり、デジタル表示の目覚まし時計を確認する。そして今度は跳ね起きた。
「やべっ!」
時計の指す時刻は八時十五分。和麻は目をこすり、急いで支度にとりかかった。
「チィ、待ち合わせまで十五分しかねーじゃねーか」
階段を駆け下り、急いで顔を洗う。
「あ、今日はデートだったわね」
母親がまったりと食パンを焼きながら笑っている。
「余計なお世話だっての」
「はいはい。ご飯は出来てるわよ」
歯を磨いたら、一分で着替えを済ませ、家を飛び出す。口にはイチゴジャムの塗ってある食パンをくわえておく。走りながら食べれるのは便利だ。
今日は日曜日。夜美との初デート(?)の日である。寝坊した理由は昨晩なかなか寝付けなかったからだ。
携帯電話の指す時刻は八時二十七分。ギリギリ間に合うかどうかだ。和麻は無理やりパンを口に押し込み、バス停を目指した。
「んう……」
夜美は寝ぼけ眼で時計を見る。五時三十二分。
「いけない。寝坊しちゃった」
夜美はベッドから跳ね起き、準備していた服に着替える。自分なりに一番似合う服を選んだつもりである。
母親はまだ寝ているようだった。
「お弁当、作らなきゃ」
顔を洗って、エプロン装備。今日は待ちに待った和麻との約束の日。うんと美味しい弁当を作って、和麻に喜んでもらうのだ。だが少し遅めに起きてしまったため、待ち合わせの場所に間に合うかどうか怪しいところだった。
「うそっ、白ご飯残ってない……」
昨日の残りはほとんど空だった。仕方がないのでお米を炊きなおす。もう少し早めに起きるんだったと、いまさらながらに後悔する。
メニューはこの前事故の所為で食べてもらえなかったおかずである。カレーコロッケや、
鶏もも肉をつかった油淋鶏など、どれも和麻が大好物だという料理をふんだんに盛り込む。
「あら、おはよう」
「あ、おはようお母さん」
調理開始から一時間ほどたった時、母親が声をかけてきた。夜美の張り切り具合を見て微笑む。これほどまでに嬉しそうな顔を見るのはめったにない、といった顔だった。
「今日はお友達と遊びに行くんだったわね」
「うん。お弁当作ろうと思って」
時刻は七時ジャスト。どうやら間に合いそうだ。夜美は最後の逸品に取り掛かる。
「朝ごはんも食べなきゃだめよ?」
「うん、分かってる。ご飯炊きあがったら作るよ」
作る、と言っても卵かけごはんである。卵とネギと醤油があれば簡単に作れるのだ。しかも美味しい。
夜美は愛情たっぷりの弁当を詰め、卵かけご飯をしっかり食べると、家を出た。
「はあ、はあ。悪い夜美、寝坊しちまった」
バス停で待っていた夜美に、和麻は駆け寄る。やはり遅刻である。
「私も今来たところです。昨日は眠れませんでしたから、私も朝寝坊しちゃいました」
和麻の遅刻など全く気にしていないようで、夜美はにこやかに笑っていた。
「バスはまだみたいだな」
目的のテーマパークへはいくらか距離があるため、バスで移動する。バス停に集まったのはそのためである。
「もうすぐ、来ると思います」
夜美はとてもはしゃいでいた。今日一日、ずっと和麻と遊べるのだ。昨日から興奮して眠れないくらい、夜美はこの日を待ちわびていた。洋服だって、他所行きの時しか使わなかった値段の高いものを選んできたのだ。
和麻の視線に気づいた夜美は、両袖を広げて問いかける。黄色のシャツに水色のスカート。明るく、涼しい色を基調とした綺麗な格好だった。
「似合ってますか?」
「えっ、あ、えと、ああ。すごく似合ってるよ」
今日の私服は可愛いな、などと思っていたら、突然その話題である。和麻はしどろもどろに答える。
「エヘヘ。今日のために、選んできたんですっ」
「そっか。俺もなんかいいやつ着てくればよかったな」
そんな他愛のない話をしていると、バスがやってきた。時間と行き先の終点から、このバスで間違いは無い。
ちょうど席が並んで空いていたので、そこに座る。夜美も和麻も、それほどバスに乗車した経験は無いので、とても新鮮である。
「ガム、食うか?」
まだ眠気が抜けていない和麻は席に着くとポケットからガムを取り出す。眠ってしまったら夜美に申し訳ない。
「頂きますっ」
しかし夜美はそれを口に含んで、なんともいえない顔をした。
「これ、辛いですね……」
「あ、悪い。苦手だったか? 食べきれないなら、出していいぜ」
「いえ、平気です」
眠気覚ましと言えばブラックブラック。凄まじい勢いで覚醒できる。しかし万人向けではない。
それでも辛いのは最初だけであるので、あとは普通に噛むことができた。
バスでの移動時間は大体一時間半程度と言ったところか。高速バスなので信号で止まることは無い。
「天崎さんは、遊園地に行ったことありますか?」
「修学旅行で行ったっきりかな。母親と二人ってのも寂しいし」
実際にそう思ったので今回は夜美を誘ったのだ。
「私も家族では行ったことありません。お父さんは、私が生まれてすぐに死んじゃいましたから」
夜美も和麻と同じく、母子家庭なのだ。意外と似たり寄ったりな事実に、和麻は驚いた。
「それにしても、いい天気だな」
話が終わってしまったので、話題を転換する。
「そうですね。雨が降らなくてよかったですっ」
楽しみにしていた日が、実は降水確率百パーセントだったりすると、結構傷つくものだ。特に夜美の場合はかなり深く絶望してしまうに違いない。天気予報では晴れると言っていたのであまり心配はなかったが、やはり晴れてくれると安心できる。
「これより、高速道路に入ります。シートベルトをお締め下さい」
車内アナウンスに従い、シートベルトを着用する。案外高速バスは結構揺れるので、着けないのはあまり好ましくないのである。
都会のハイウェイをバスは疾走する。やがてバスは目的地であるテーマパーク『パラダイスアイランド』に辿り着いた。
「うわー、大きいですね」
夜美の感想通り、それはとても巨大な遊園地だった。さらにオープン直後ということもあり、人が大勢集まっていた。
「はぐれないようにしないとな」
「じゃあ、えと、その……これでいいですか?」
夜美は少し恥ずかしそうにうつむいた後、和麻の手を握りしめる。夜美の手が触れた瞬間、和麻はドキッとした。
「あ、ああ。そうだな。これだと、はぐれることもないよな」
思えば夜美と手をつなぐのは初めてだった。緊張が二人の間に迸る。
二人はそのまま、入口のゲートへと足を運んだ。受付では笑顔の女性従業員のひとがせわしなくチケットをちぎっては渡している。
「わくわくしますっ」
「俺も初めてだからなあ」
徐々にテンションが上がってきた。園内から聞こえてくる楽しげな音楽や、アトラクションの数々が心をゆする。
「さ、入るか?」
「はいっ!」
がやがやした人ごみを縫って受付へと進む。夜美と和麻の二人分のチケットと、夜美の手をしっかり握りしめ、はぐれないように歩いた。
「はい。特別チケットですね。ではこのパスポートを受け取ってください。このパスポートで今日一日、アトラクション乗り放題となっております」
優しく受付のお姉さんの説明を聞き、破られた半分のチケットを手にする。
中に入ると、改めてその広さに驚く。
「広いですねーっ」
噂に聞くと、東京ドーム一つのエリアだけで七個分もあるそうだ。広大な敷地の中に、これでもかというくらいのアトラクション、ショップ、イングリッシュガーデンなどが凝縮されている。
和麻はとにかく位置情報を掴むためにパンフレットを広げる。このパラダイスアイランドは四つのエリアに分かれており、それぞれ異なったカテゴリのアトラクションを遊ぶことができる。このテーマパークの人気の一つともいえる特色だ。
「うーん、まずはどのアトラクションで遊ぼうか?」
ろくな情報も無しにここへきてしまったため、どんな乗り物があるのかは皆目見当もつかなかった。
「あれ、乗ってみたいですっ」
夜美は入ってすぐに見つけた、壮大なジェットコースターを指さす。やはりそうくるか、と和麻は頭を抱える。ジェットコースターは、あまり得意な方ではないのである。
「よし、それじゃ行くか」
だがせっかくの遊園地なので楽しまなければもったいない。夜美の要望でもあるので、乗ることにした。
しかし見るからに激しそうなジェットコースターである。急降下の落差はなんと六〇メートル。それもほぼ垂直だった。乗っている客の絶叫が恐怖を煽る。
しかしそれでも夜美は楽しそうにしている。ジェットコースターに耐性がついているのか。人はみかけによらないものだ。
「はい。パスポートですね。どうぞ」
ジェットコースターの乗り場も混雑していた。さすが人気のアトラクションの一つ、その名も「ストレートジェットバーン」だ。国内でも一、二を争うジェットコースターだそうだ。
「ジェットコースター、初めてです」
安全バーをおろして、ベルトを装着。運のいいことに最前列の席だった。
間もなく、ジェットコースターが動き出す。緊張が高まる。夜美は和麻の手を握りしめていた。
トンネルを抜け、視界が開けた。眩しい太陽に目がくらむ。
「くるぞ……っ」
もう頂点がそこまで迫っている。レールの先が見えなくなった。ここから究極の六〇メートル落下が始まるのだ。
「うわあああああああああああああああああああああああ!!!」
まさしく絶叫と呼ぶにふさわしい。加速が始まって一秒、和麻は見事に絶叫していた。
「大丈夫ですか……?」
「ああ。なんとか」
夜美と和麻は次のアトラクションを目指す。絶叫マシーンで撃沈した和麻は、パンフレットを取り出す。実はまだあと三つのエリアに一つずつジェットコースターは存在する。
「楽しかったか?」
「はいっ。とっても楽しかったですよ」
和麻も絶叫してはいたものの、それなりに楽しんでいた。やはり遊園地というものは人のテンションを高揚させるなにかがあるに違いない。
「えーっと、今が『サマーエリア』だから、……ん?」
夜美が何やらキョロキョロと辺りを見回している。何やらアトラクションを探しているのかと思ったが、夜美は目線の高さで目を彷徨わせている。
「どうかしたのか?」
「へっ? あ、いえ、その、なんでもないです……」
周りにはお土産やレストラン以外には歩いて通り過ぎていく人ごみしか見当たらない。しかしよく見ると夜美はキョロキョロ見回すというより、じっと何かを見つめていた。
夜美の視線の先を追っていくと、ちょうど同じ年齢くらいの男女が歩いていた。あこがれの視線のようなまなざしで夜美は見入っている。
「あの、……天崎さん」
「ん?」
「……腕、組んでもいいですか?」
顔を真赤にして夜美は言う。言われて和麻も真赤になる。夜美は一度でいいから腕を組んで歩いてみたくなったのだ。
「まあ、その、駄目じゃないけど」
「じゃあ、えと、……失礼します」
少し控え目に和麻の腕にすがりつくようにして寄り添う。別に通り過ぎていく人は何も気にはしていないのだが、どうも無駄に緊張する。
「えっと、それじゃ、行きましょう、天崎さんっ」
「あ、ああ」
二人は腕を組んだまま歩きだす。歩幅が自然と同じになる。
「緊張……しますね…エヘヘ」
「そうだな……ハハ」
顔が火照っている。今自分は女の子と腕を組んで歩いているのだと意識してしまう。そしてそれは夜美も同様だった。
天崎さんが、腕を組んでくれた。それだけで夜美は嬉しかった。
「あ、天崎さんっ、あれ見て下さいっ」
夜美が指さした方向には次のアトラクションがあった。
「よし、じゃあ次はあれに乗るか?」
「はいっ!」
腕を組んで寄り添ったまま、二人は大観覧車に向かって歩きだした。
「次は何に乗りましょうか?」
「うーん、そうだな。『ウィンターエリア』の『アイスシャトル』ってのが面白そうだ」
まだまだ残暑が続いているこの季節である。避暑地のような役割を果たすということもあって、冬をテーマにした『ウィンターエリア』は人気上昇中だった。
「行ってみたいですっ」
夜美も乗り気だったので、行くことにする。が、しかしその時だった。
ぐう~。
「……そろそろ、ご飯にしないか?」
勢いよく腹がなってしまったので、和麻は提案した。ムード玉砕の効果音だったが、待ってましたとばかりに夜美は喜ぶ。
「そうですね。お昼、食べましょう。お弁当作ってきましたっ」
夜美は辺りを見回して、広くて座れそうな場所を探す。和麻は適当な園内レストランで食べようと思っていたが、夜美の弁当があるのならそっちを食べるに決まっている。タダだし、なにより折り紙つきの味だ。
「あの辺にしようぜ」
「わかりました、行きましょう」
和麻が指さしたのは芝生の一角部分だった。ちょうど木の陰に隠れていていて、日差しが当たらないようになっている。
「レジャーシートも持ってきました」
「準備がいいな」
「エヘヘ。昨日の夜から、忘れないようにバッグに詰めておきましたから」
少し照れた様子で夜美は微笑んだ。
夜美の弁当を開けると、食欲を掻き立てる素晴らしいにおいが立ち込めてきた。午前中アトラクションで遊びつくしたため、とてもお腹がすいていた。
「天崎さんのお好みに合わせておかずを作ってみました。お口に合うかどうか分かりませんが、どうぞ食べてみてください」
「マジか。どれどれ」
おかずの一つをつまんで口に放り込む。大好物の油淋鶏だった。
「うまい……!」
「本当ですか? 嬉しいですっ」
甘い中にちょっとだけある辛味が鶏肉を引き立てる。中華料理でも夜美の腕は健在であった。
「たくさん食べてくださいねっ」
味には正直不安があったが、和麻が喜んでくれたので自信がついた。
「天崎さんが目を覚ましたら、絶対作るんだって、決めてたんです」
「そっか。……ありがとうな。すげえうまいぜ」
「え? あ、そんな……。お礼なんてよしてください。私が天崎さんに出来ることって、これくらいしかありませんから」
まさかお礼を言ってもらえるとは思っていなかったらしく、夜美はしどろもどろにそう答え、真赤な顔でうつむいた。
「トンカツも入ってるじゃん。……うん、うまい」
和麻の好みを熟知した弁当だった。
「ソースも二種類あるんですよ」
「張り切り過ぎだぜ」
「エヘヘ。確かに、作り過ぎちゃったかもしれません」
本当は和麻がどれだけ食べるか分からなかったので、多めに作ったのだ。
他にも作りたかったが、それはまたの機会でもいいはずだ。これからどんなお弁当を作ろうか、夜美にとっては嬉しい悩みである。
「ふぅ、ご馳走さま」
「お粗末さまです。美味しかったですか?」
「ああ。最高だったぜ」
「そうですか。喜んでもらえてよかったですっ」
体力補充はバッチリである。午後も十分に園内を闊歩できるはずだ。
レジャーシートをたたんで夜美のバッグにしまうと、二人はまた歩き出した。
「涼しかったですね」
「ああ。気持ちいいとこだったな」
やはり暑いこの季節の冬ものアトラクションは気持ちのいいものだった。このまましばらく『ウィンターエリア』で過ごすのも悪くないかもしれない。氷のエリアと言うことで、かき氷やアイスクリームなども他より多めに販売されているようだ。
「かき氷、食べるか?」
「いいんですか?」
「好きなのを選んでいいぞ。買ってやるから」
「じゃあ、私はイチゴにします」
「よし」
人込みをかき分けて屋台を探す。その時だった。
「きゃっ」
夜美が突然声をあげる。和麻が振り返ると、ちょっとごつい男が立っていた。
「おいおいお嬢ちゃん。よそ見して歩いたらだめじゃねーか?」
夜美の肩と男がぶつかったようだった。
「あっ、あの、すいませんでしたっ」
「謝って済むんなら警察はいらねえよなあ?」
どうやら男は許す気はないようだった。それを理由に夜美に詰め寄る。
「ちょっとあんた! 手え出そうってんなら許さねえぜ?」
とっさに和麻は夜美の前に立ち、男と夜美を遠ざけた。夜美は怯えた表情で和麻の背中にしがみつく。
「なんだお前は? 俺ぁ今そこのお嬢ちゃんと話をしてんだけどなあ?」
「てめえに話すようなことなんざ一つもねえよ。さっさとどっかに行ってくれるか?」
静かに、ただそれだけを言い放つ。和麻からは荘厳な威嚇が放たれていた。
「誰に口きいてん――」
「ちょっとあなた、何やってるんですか?」
男が口を開こうとした時、事態に気づいたガードマンのような人が走ってきて、男を止めにかかった。周りで見ていた人々も、ホッとした息をつく。
チッ、と一つ舌うちをして、男は立ち去った。和麻がケンカしても勝てる相手ではなさそうだったので、ガードマンに感謝だ。
次の瞬間には何事もなかったかのように人々は歩き始めていた。何人かは和麻の勇気ある威嚇に感心したまなざしを送っていた。
「怖かったです……ありがとうございます、天崎さん」
「心配すんな。もう大丈夫だぜ」
しばらく夜美は和麻から離れなかった。昼前よりも強く腕を組んで、身をぴったり寄せて歩いている。
五分ほど歩くとちょうどいいかき氷の屋台があったので、購入することにした。
かき氷を無事に購入し、近くのベンチに座って食べる。甘く冷たい氷の上にかかった練乳とシロップが何とも言えない。夜美の顔にも笑顔が戻っていた。
「夜美はかき氷は好きか?」
「はいっ。甘いものはなんでも好きですからっ」
なるほど。覚えておいた方がいいだろう。
かき氷を食べ終わると、再び歩き出す。陽が暮れるまでみっちり遊ぶのだ。
時刻が三時になる頃には、既に七つもアトラクションに乗っていた。が、まだまだ壮大な数のアトラクションが残っている。これだけのってもまだ迷うほど数があるのだから相当広い。客もなかなか飽きないのだから大繁盛だ。
「ちょっと、トイレに行ってきていいですか?」
「ああ。じゃここで待ってるよ」
和麻が次のアトラクションを選んでいると、夜美はそう言ってトイレへと駆けていった。そのうちに和麻はパンフレットに目を戻す。花壇の石に腰かけて、夜美を待つことにした。
「こんにちは。天崎くん」
「ん?」
そんな和麻を呼ぶ声があった。和麻が顔をあげた先にいたのは――。
「あれ、吉野。何でここにいるんだよ?」
円の譲ってくれたチケットで夜美と遊びに来ているのだから、したがって円がここにいるのはおかしいはずだ。
「お前来る予定なかったんじゃねーのか?」
和麻の問いに円は微笑を浮かべる。
「そうだったんだけど、友達に誘われちゃってね。パスって言ったんだけど、聞いてくれなくって。でも、来てよかったわ。案外楽しいものね」
「なるほどね」
和麻が納得すると、今度は円の方から問いかける。
「天崎くんは、誰と来てるの? 黒木くん? それとも一人?」
「んなさびしいことするか。夜美とだよ」
言うのが恥ずかしかったが、夜美が戻ってきたときにどうせバレてしまうので嘘はやめた。
案の定円は大爆笑だった。
「わーお。デート? 天崎くんも大胆な事するのね。あっははは」
「うるせえな。まあ夜美には夏の間の礼もしてなかったしな。ちょうど良かったんだよ」
「ふーん。……でも、今はいないの?」
「トイレ休憩だよ」
「ああ、なるほどね」
「そっちこそ、そのお友達とやらはどこに行ったんだよ?」
和麻がそう聞くと、円は困った顔をした。どういうことだろう。
「それがねー、はぐれちゃったのよ。どこを探してもいないの」
「おいおい。高校生でしかも委員長が迷子じゃ、話にならねーぞ?」
「うるさいわね。迷子って言うのは位置情報を見失っている人のことよ? 私はいまどこにいるのか分かってるんだから迷子じゃないわ」
苦しい言い訳にしか聞こえないが、まあこの際気にしないようにしよう。委員長のメンツを守るという意味で、和麻はそれ以上追及しないことにする。
「はいはい。そうかよ」
「一緒に探してくれないかしら?」
位置情報を把握していると言っても、このテーマパークの広さは伊達ではない。一人で探すのは至難の技だろう。
「迷子センターみたいなのないのか?」
「あると思うんだけど、場所が分からなくて」
迷子じゃないか。苦しかった言い訳さえも通じなくなってしまう。
「はあ、しょうがねえな。夜美が戻ってきたら探してやるよ」
渋々ながら受け持つ。円は素直にありがとうと礼を言った。
が、しかし。
「遅いな、夜美のやつ」
「お腹壊しちゃってるのかも」
円も隣に腰をおろして言った。先ほどのかき氷が問題だったのかもしれない。量もそれなりに多かったので不思議はなかった。
「大丈夫かな。もしかしてトイレがどこにあるか迷ってんじゃねーのか」
「かもね。ここ広いし」
やはりトイレのそばまでついていくべきだったのか。和麻は少し後悔した。
「電話とか、無理なの?」
「そうだな。かけてみるか?」
和麻はジーンズのポケットから携帯電話を取り出して、夜美の番号にコールした。
その電話の先から聞こえてきた声に、和麻は凍りついたのだ。
『てめえはさっきの小僧か?』
和麻の顔から血の気が引いていく。その様子を見て円が不思議な顔をしている。
「て、てめえ! 何してやがる!」
『まだ何にもしてねえから安心しやがれ』
下卑た声で男は笑う。和麻ははらわたが煮えくりかえりそうな気分だった。
「夜美はどこだ!」
『てめえの連れてたクソ娘ならここだ。ちょいと罰を受けてもらうからなあ。ハハッ』
かすかに受話器から夜美が呼ぶ声が聞こえた。
『あ……きさん!た…けて…さ……お……むえ…あの……うこ…です!』
それだけ聞こえ、その直後短い悲鳴になった。別の男の声でどなり散らすような言葉が聞こえてきた。恐らく男の仲間だろう。さらに別の女の子の声まで聞こえてきたので、人質も一人ではない。和麻は焦りながらも高速で頭をフル回転させた。
「ねえ、どうしたの?」
隣から聞こえてくる円の声は無視し、男に対して続ける。
「てめえ何する気だ!」
「だから、罰を与えんだよ。ぶつかっておいてタダ済まされると思うなよ?」
「ふざけんなてめえ!」
男はそれ以上何も答えず、ブチっと電話を切った。ツーツーツーという無機質な信号音を残して、夜美の携帯との回線は切れたのだった。
「ねえ、何があったのよ?」
「夜美が連れ去られた。クソふざけた男に」
「なんですって! どうしてまた」
「受話器に出た男は、つい一時間ほど前に前に会った男だ。夜美に、ただ肩が当たっただけで因縁つけてきやがった」
たったあれだけのことで、何故ここまで付きまとうのだろう。意図が分からなかった。
「最悪ね」
「大方その辺は口実だろう。奢らせるくらいの軽いもんだといいが」
万一身代金を要求されるとも限らない。一刻も早く探すしかない。
「とにかく探しましょう。何か手掛かりは無いのかしら」
「そう言えば夜美の声が少しだけ聞こえたな。よく聞き取れなかったけど…」
「なんて、言ってた?」
「最初の部分は、多分、『天崎さん、助けてください』だと思うんだ。その後が、『お、むえ、あの、うこ』だったかな」
うまく聞き取れたのはその部分だけだった。他の声やノイズが入って聞きとりづらかったのだから仕方がない。
「うーん、何かの暗号なのかな。それとも、とぎれとぎれの文章だったのかな」
必死に円も答えを考えている。なにかそれに準じた場所は無いか、和麻もパンフレットを広げる。
だが、そんな意味不明のひらがなの集まりでは、場所を特定することは出来ない。うまく聞き取れなくては、情報は何の役にも立たないのだ。
「くそっ、俺がついていながら……っ」
「とにかくこんなところで話してたって何にもならないわ。探しましょう」
二人は大したあてもなく駆けだす。急がなければ何をされるか分からないのだ。
走りながら和麻は呟いていた。
「また、俺の前で……こんな……。くそっ」
埃っぽい空気が蔓延している。薄暗がりの中、夜美は黙ってじっとしていた。
「…………」
大丈夫。大丈夫。と心の中で何度も復唱する。きっと天崎さんが助けに来てくれる。大丈夫。きっと助かる。
その時、唐突に鈍い音がその空間にこだました。
「あーあ。フザけた電話だ」
どうやら男の一人がコンテナの隅を蹴ったらしい。先ほど和麻からかかってきた電話の事をぼやいている。
そして夜美のすぐそばから、体をこわばらせる気配が伝わってきた。
と、いうのは、夜美以外にもこの場所で拘束されている人がいるのだ。夜美の隣にもう三人、夜美と同じように頑丈な縄で手足を縛られている。全員女の子だった。男が何か行動を起こそうと立ちあがるたび、不安そうな声が上がってくるのだ。
現在、夜美たちを拘束している男は四人。いずれも強そうな体格で、中には入れ墨をしている男もいた。
こんな重苦しい雰囲気の中、夜美は不思議なことに冷静だった。騒げば何らかの処罰が待っている。ここは素直に黙っているべきだ。その夜美の堂々とした風格に、男たちは少し意外そうな顔をしていた。
夜美はトイレから出たその瞬間、今日の昼間ぶつかった男に拘束されてしまった。悲鳴を上げることもできず、ここに連れてこられたのだった。恐らく他の三人も同じように強引に因縁をつけられ、それを理由に無理やりここへと縛り付けられてしまったのだろう。
「お前、怖くないの?」
男の一人が夜美に向かって口を開いた。夜美は答えず、まっすぐに男の顔を見つめる。
「たしかさっきここの場所を叫んでたのもお前だったなあ。ああ?」
「…………」
「チッ、なんとか言えや!」
黙ったままの夜美にシビレを切らしたのか、男が大声を上げる。
「くそっ。まだ待つんですか? さっさとやっちゃいましょうよ。もう待ち切れないっすよ」
夜美に詰め寄った一人が、もう一人の男に何やら提案をしていた。言葉づかいから伺うところ、話し相手の男はリーダーのような存在らしい。
「まあ待て。あと一人、仲間がここへカモを運んでくるはずだ。まだ昼間でもある。パレードがはじまりゃ、ここらの人間はみんなそっちに行くからな。それからでもたっぷりできるだろ。てめえは相手でも選んでろ」
そうリーダーが言うと、男は納得したように頷く。一体男たちは何をしようと言うのか。
「お願い、早く来てっ、天崎さんっ」
男たちには聞こえない声で、夜美は小さく呟いた。
「暗号は解けた?」
「いや、まだだ」
和麻と円の二人は、パラダイスアイランドを激走していた。時刻は四時を回ったところである。パンフレットを握りしめ、和麻は必死に頭を回転させる。
「お、むえ、あの、うこ……くそ、どういう意味だ?」
パンフレットに目を走らせても、そのニュアンスに似たアトラクションや建物は存在しない。人のいない場所なのだろうが、和麻にはどこに何があるのか、よく分からなかった。
どこだ。どこだどこだ。目を走らせる。どこを探しても人ごみ。人のいない場所は見当たらない。
「くそっ!」
焦ってはいけないと思うほど、体が状況を焦ってしまう。もし夜美の身に何かがあったら、そう思うと感情が高ぶって何も考えられなくなってしまうのだ。
「落ちついて、天崎くん。冷静に考えれば分かるはずよ。そう難しい暗号なんて考えるはずないもの」
とっさにそう難しい暗号を考え出すことは出来ない。それは分かっているのだが、答えが簡単なところにあればそれだけ、その暗号のつぼにはまってしまう。無駄に難しく考えすぎてしまうと、もうそこから抜け出せないのである。
「あの時の電波は微弱で聞き取りにくかった。ってことはどこか電波の阻害される場所ってことにはならねーかな」
「その考え、ありかも。探してみましょう」
肩で息をしながら二人は走る。足の筋肉にはすでに乳酸がたまっている。しかしそんなことで立ち止っている暇はなかった。
和麻はパーク内の案内板を見つけ、それに目を走らせる。近くに電波塔など、別の電波が出ている場所なら、十分に電波の阻害はあり得るのだ。
そして見つける。広いパーク内の全域に迷子のお知らせなどの園内放送をいきわたらせるため、大きな電波塔がパーク中央のセントラルゾーンに設置されていた。ここからはあまり遠くない距離だった。
「たしか電波塔のそばには、『オーム園』と呼ばれるイングリッシュガーデンがあったはずだ」
「なるほど。『お、むえ』はオーム園って言いたかったのね。そこにいってみるわよ」
「ああ!」
条件は満たしていた。しかし和麻もここは半信半疑だった。
何故なら人気のない場所という、憶測ではあるが誘拐の鉄則を無視した場所だったからだ。セントラルゾーンにはいくつものオブジェやレストランなどの建物が隣接し、昼も夜もにぎわっているのだ。特に夜の場合、パレードのスタート地点であり、フィナーレを迎えるゴール地点になっている。そんな場所で誘拐をするだろうか。
だが他に手掛かりは無い。それに夜美のヒントとも一致している。ここへ行くしかないのだ。和麻は荒い息を整える間もなく、オーム園へと駆けだした。
「もう五時か。パレードの第一幕が始まってしまう」
夜美と一緒に見ようと思っていたアイランドパレード。一刻も早く夜美を見つけるしかないのだ。
パレードのファンファーレが聞こえた時、ちょうど和麻たちは電波塔に辿り着いた。既に周りは人ごみでいっぱいになっており、探すのは困難に思えた。
「あえて人ごみの中に隠したってのか」
和麻は電波塔の横にあるオーム園の看板を見つけて、呟いた。
オーム園というのは、オウムやインコなど、鳥たちがたくさん生息しているイングリッシュガーデンだった。パレードで人は減っているものの、休憩には持って来いの場所である。
「夜美、いるか! 夜美!」
「霧野さーん! どこー?」
必死に夜美を呼ぶ。しかしどこにも夜美はいなかった。和麻の心がまた焦り始める。
「どうして……ここじゃないのか?」
「そんなはずないわ。ヒントだって当たってるはずよ」
けれどどこを見回しても、夜美の姿は影も形もない。一体どういうことだ。
「夜美―っ、どこだー!」
返事など返ってくるはずもなかった。和麻はどうしようもなく、床に手をつく。
「くそっ! どうして……」
「諦めちゃだめ! 他を探すわよ!」
だが和麻はもう動く気力が残っていなかった。手掛かりなしで探せというのは、無謀にもほどがある。ましてやこんな広いテーマパークで、それも何千人という人ごみの中をどうやって探せというのだ。
「ごめんな。夜美。やっぱり、俺、ダメだ」
和麻が小さく呟いた時、二人のある声が聞こえてきた。
「おいおい。ピーちゃんのエサが切れてるじゃないか」
「ああ、それ余りが残ってなかったんですよ」
「ああ本当? そらあ仕方ないな。パレードが終わって人が引いたら、ちょっと倉庫から出してくるよ」
倉庫。ぴくっと和麻の体が震える。どうやらオーム園の従業員のようだ。ピーちゃんというのはパンフレットにも載っている、芸能人のモノマネが得意なオウムである。
「倉庫って遠いんじゃないですか? 僕が行ってきますよ」
「大丈夫。オータムエリアまでなら、楽勝だよ」
オータムエリア。秋をテーマとしたエリアであり、ちょうどウィンターエリアに行こうとした時に和麻たちも通ったところだった。
オータムエリア、倉庫。『お、むえ、あの、うこ』。
「オ(ータ)ムエ(リ)アの(そ)うこ!」
急に叫んだ和麻に、隣にいた円はビクッと体をこわばらせる。瞬間和麻は従業員の二人を問いつめていた。
「その倉庫、どこら辺ですか?」
「え? 倉庫なら、オータムエリアの風車の近くだよ。倉庫だけ、駐車場の横に大きくはみ出しているからねえ」
「ありがとう!」
情報を聞くや否や、和麻は脱兎のごとく走りだす。風車なら通った時に見つけたので知っている。完全にヒントとつながった。ここが外れたら、もう終わりだ。
後ろから聞こえてくる「待ってよぉ!」の声には振りむくことなく、和麻は無我夢中で走り続けた。
「そろそろいい時間だな」
突然男は立ちあがって顔をほころばせる。待ってましたと言わんばかりに他の男は声を上げる。
あれから一人また女の子が連れてこられ、合計五人。そして連れてきた男も増え、五人。高い位置の窓からさすオレンジの光はもうかすかなものに変わり、やがて消えた。遠くでパレードの音が聞こえる。もうじきここにもやってくるだろう。
「な、なにを、するんですか?」
一人の女の子が、リーダーらしき男に問いかける。不気味な笑い声とともに男は答えた。
「楽しい時間の始まりだぜ。まずはてめえからだ」
夜美を指さし、男はにんまりと大きな口を開く。さすがに夜美も身じろぎをする。
「なんですか?」
「おい。服を脱がせろ」
「へっ?」
突然男二人に腕を掴まれ、身動きが出来なくなった。縛られていた縄は解かれたが、これでは逃げることは出来ない。
「いやっ、止めて!」
スカートのホックに手をかける男。夜美はようやく何が起こるか理解した。
「おら、抵抗すんなよ」
「やだ! くっ!」
同時に上着のボタンも外され、黄色のシャツが顔を出す。これを脱がされたら――。
「やめてーー!!」
「叫んでも無駄だ! ここいらの人間はみんなお祭り騒ぎでセントラルに行ってんだよ。助けを呼んだって誰も気やしねえ! ハッハッハ!」
「そいつはどうかな?」
その一言で、一気に倉庫の中が静まり返った。続いて、響く足音。
「てめえら、ずいぶんとふざけたことしてくれてるじゃねーか」
和麻は走ってきたにもかかわらず、少しも疲れたそぶりを見せずに、言い放った。
「天崎さんっ!」
隙をついて夜美は男の手から離れる。外れかけていたスカートホックを元に戻し、和麻のそばにかけていく。
「変なことされなかったか?」
「はいっ。大丈夫ですっ」
和麻が来たという安堵感で夜美の心はいっぱいだった。
「くそお! 何だてめえ!」
「ボンクラどもには名乗る気はねーな」
指を鳴らして威嚇する。こう見えても和麻は結構ケンカに強い。
だが相手も相手。さすがに五人がかりでは勝てるはずもない。後の四人をどうやって助けるか。和麻は考えていた。
しかし考える余裕もなく、相手は殴りかかってきた。出口まで走るように夜美に促し、和麻も身構える。さっきの一言でキレるとは、なかなかの単細胞である。
「天崎くん、もうじき警察が来るわ!」
「了解!」
倉庫の入り口で心配そうに戦いを見ている円に返事を返す。警察が来るまでの辛抱だ。
迷路のようなコンテナの道を利用して、和麻は五人と絶妙な位置関係を取る。一人相手ならなんとかあしらうことは出来るのだ。ならば、一人ずつ相手をすればいいだけのこと。
だが一つ問題があった。
「こいつらが痛い目見るぜ。いいのか?」
残っていた女の子たちを人質に取られてしまったのだ。下手に動くと何をするか分からない。だが動かなければやられる。和麻は賭けに出た。
コンテナを上り、反対側へと降りる。薄暗い倉庫では人を見失いやすい。それを逆手にとり、人質を守っている男の反対側へと回り込む。案の定気づいていない。
「勝った……!」
静かに呟いてから、後ろのコンテナの上から男に蹴りを入れる。ドロップキックをもろに食らった男は思い切り地面に頭から倒れる。しばらくは眠ってもらえるだろう。
「早く、逃げろ」
足の縄だけ解き、四人を解放する。突然人質側の男が声をあげて倒れたため、他の男たちはパニックになっていた。和麻もその場を退散し、倉庫の中には男たちのみとなった。
あとは警察の仕事である。
キラキラと光るパレードのセントラルゾーン。華やかなメロディとキャラクターたちが夜を祭りへと変貌させる。辺りは真っ暗だが、このパラダイスアイランドはまだまだ活気に満ちている。
「まさかみんなまで捕まってたなんて」
フルーツドリンクを飲みながら、円はぼやく。そばには夜美と一緒に捕まっていた三人と夜美、そして和麻。みんな並んでパレードを見ている。
「円のトイレ待ってたらあいつらが来たのよ、びっくりしちゃった」
「天崎くんに感謝ね」
「ありがとう。カッコよかったよ」
和麻は何も言わない。今和麻は夜美を救うことができたという達成感を味わっている。
「やっぱり天崎さんはすごいですっ。ヒーローですっ」
夜美は腕を組んだまま離さない。こうしていることが、今夜美が一番安心できて、リラックスになるのだ。
「夜美に手出しはさせねえさ」
ぼそっと和麻は呟いた。だがその顔は笑顔に満ちていた。
パレードが終了するのは十時だったが、それでは帰宅するのが深夜を過ぎてしまうので、一時間早く帰宅することにした。円たちはパーク内で夕食を食べて帰るということだったので、別れた。
「また、いつか一緒に来てくれますか?」
帰りのバスを待っている時、夜美が呟いた。その声に和麻は顔をあげて答える。
「また、来たいか?」
あんなことがあったばかりである。トラウマになっても何ら不思議はない。夜美の顔も沈んだままだろうと思っていたのだ。しかし夜美は笑って頷いた。
「もちろんですっ。今日はすっごく楽しかったですよ」
「……そうか。じゃあ、またいつか来ような」
「はいっ」
夜美が元気に笑った時、ちょうどバスが来た。忘れ物は無いか再び確認し、バスに乗り込む。シートに座った瞬間、どっと疲れが出てきた。
「疲れたな……」
高速道路に入って、和麻は急に帰るのが惜しくなった。
久々にはしゃいだ、テーマパーク。その上夜美の誘拐事件。一つだけでも疲れそうなのに、よりにもよって二つ同時進行である。和麻は夜美の方を見た。できるなら、もう少し遊びたかった。夜美を探しまわった一時間。その空白の一時間があれば、まだ乗っていなかったアトラクションにも乗れたはずだ。
「……夜美?」
夜美は和麻の肩にもたれ、すやすやと寝息を立てていた。思わずドキッとしてしまうほど、夜美の寝顔は幼く、可愛かった。和麻の腕を抱き寄せるように眠っている。
夜美も疲れていたのだ。なにせこんなにはしゃいだことなどなかったのだから。
「すー、すー。…………天崎……さん」
夜美が寝言を言った時には、和麻もバスの中で目を閉じて寝息を立てていた。




