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ユモレスク

作者: 諏訪 惠
掲載日:2026/02/26

広場の噴水にコインを投げ入れると、会いたい人に再会できる。そんなジンクスがある。

ある男が、汽車に乗って思い出を拾いに行く小さなお話。

1.

 タタン、タタンと軽快なリズムに揺られながら、青年は流れていく景色を眺めていました。のんびりと草を食む牛たちは汽車になど目もくれず、ときどきパタリと尾を打ちます。黄色い花は色濃く開き、青く広がる空に咲いているようです。

 青年は歌を口ずさんでいました。聞いたこともない、デタラメなメロディです。考えることもなく青年の唇からこぼれる音に、車掌さんが尋ねました。それはなんていう歌だい?さぁ、まだ名前がないんだ。それだけ答えるとまた車窓の外に目を向けてしまった青年に、肩をすくめた車掌さんが片道切符をきりました。

 退屈な田舎の風景を飽きもせずに眺める青年を、まばらに座った乗客たちが不思議そうに見ています。どこまでも続く牧草地を見つめる横顔は、どこか嬉しそうでした。青年が口ずさむメロディが、汽車が奏でるリズムに乗って、広い草原を渡っていきます。

 青年をのせた汽車は、街に向かって進んでいました。街の駅には大きな広場があって、青年は今日そこでひとりの女の子と会うのです。青空に高く飛沫をあげる噴水の前で、小さな青い宝石の指輪を、その子の薬指にはめる約束をしているのでした。


2. 

 広場にはたくさんの人がいました。色とりどりのアイスクリームも、木陰を伝う語らいも、ボールを追いかける子どもたちも、何もかもが青年を祝福しているようです。真上に輝く太陽の陽ざしに目を細めながら、青年はポケットの中でくるりと指輪を回しました。

 吹きあげられた噴水の水は、きらきらと輝きながら溜まりへ還り、白く泡立ちます。澄んだ水の底には、何枚ものコインが沈んでいました。青年のポケットに入っているものと同じものもあれば見たこともない異国のものも、ずっと昔の古いコインもあります。

 再会あれと願いを込めて、広場を去る人々が投げ込んでいくのでした。

 昼下がりの時間が過ぎても、夏の広場はまだまだ明るく、人々のざわめきも絶えません。噴水の淵に腰をおろして、青年は口笛をふきました。汽車のリズムで刻むメロディは、楽しげなざわめきに吸い込まれて消えていきます。ひとりの子どもが差し出したアイスクリームを、笑って少し齧りました。

 昼間の熱を冷ます心地いい風が吹くようになると、広場はますます活気づきます。噴水の向こう側では手品が始まり、大きな歓声があがりました。陽気に楽器を吹く男たちの帽子には花が投げられ、甘い焼き菓子の屋台に子どもたちが駆けていきます。青年はその風景を眺めながら、つまさきでリズムをとっているのでした。

 薄紫に染まった空を、小鳥の群れが飛んでいきます。ずっと遠くまでそれを見送った青年は、ぱしゃりと噴水の溜まりに手をひたしました。冷たい水の感触がすこやかな胸までじんわりと広がると、青年は立ち上がりました。そしてタタン、とひとつステップを踏んでから、駅のホームへと足を向けたのでした。

 青年のいなくなった広場では、とりどりのコインに紛れて、ひとつの指輪が噴水の底に沈んでいきました。


3.

 タタン、タタンと汽車が揺れるリズムに合わせて、デタラメなメロディが流れていきます。聞いたことのない旋律に首をかしげて、少女が尋ねました。

 それはなんていう歌なの?

 さぁ、まだ名前がないんだ。

 膝に抱いた少女の背中をやさしく叩きながら、途切れることなくメロディは紡がれていきます。それがなぜだか楽しくて、少女は足をぶらぶらさせました。

 おじいちゃん、なんだか嬉しそうね。

 駅の広場の真ん中に、高い噴水がありました。溜まりの底をのぞいて見ると、さまざまなコインに紛れて、ひとつの指輪が沈んでいます。迷うことなくそれを掬いあげて、老人はほほえみました。

 いつだって、人はすれ違うものだけれど、最後はここにたどり着くんだよ。

 永遠の約束も再会の願いも、それが果たされるいつかさえも、汽車のリズムに揺られてやってきます。途切れることなく浮かびくるメロディに名前をつけるとき、それを幸せと呼ぶのです。


幸せは、一定のリズムで流れている。

幸せは、忘れた頃にやってくる。

そんなこともあるのです。

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