1 求愛行動①
「おーい、帰ったぞぉ」
肩に担いだ鍬を降ろしながら扉を開く。
土間に鍬を入れるが、自分は入らないで、そのまま外にある風呂に向かうことにしようとしていると、中から声が聞こえてきた。
「トール、こっちに来て!」
我が愛しい娘、リディアの声だ。
「先に風呂に入ってから、家に入るよ」
一日農作業をしていたから、泥だらけだし汗だくだ。
このまま家に入ると、家の中に泥が落ちてしまう。
「いいからっ、こっちに来て、早く来てっ」
「どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」
いつものリディアは我儘を言わない良い子だ。
切羽詰まったリディアの声に、慌ててリディアの元に向かう。
「大丈夫か?」
家とは呼べないような狭い小屋だが、娘のことを思い、リディアには部屋を与えている。
部屋とはいっても極狭で、ベッドを置くだけで一杯一杯なのだが。
扉を開けるとベッドが目に飛び込んでくる。それと共にベッドの上で、のたうっている娘の姿も。
紗のような布を着ている。というか、布に絡まっている。
もしかして布が絡まって動けないのか?
「どうしたんだ、布が絡まったのか?」
布を取ってやろうと手を伸ばす。
「違うのっ。セクシーでしょう! ムラムラするでしょう! さあ早く抱きしめて!」
リディアが鎌首をもたげて、こっちにキラキラした目を向けてくる。
「あーうん、セクシーだな。ムラムラはしないが、抱っこなのか? 赤ちゃんだな」
「違うわっ、赤ちゃんなんかじゃないもんっ」
ブーたれるリディアを抱っこして、布を取り去ってやる。
「どうした、水蛇の姿になっているぞ」
「はっ、そうだった。セクシー下着に興奮しすぎて、水蛇の姿になっていたわっ」
大人しく抱っこされたまま、リディアは悔しそうだ。
「セクシー下着……」
布をよく見ると、上下に分かれており、ピラピラしている。
どこでこんな物を手に入れてきたのか。
「トール、大好き!」
「ああ、俺も好きだよ」
首に巻き付く水蛇をそっと剥がそうとして、余りの力強さに諦める。
水蛇時のリディアは、全長1.5メートルはあるだろう。太さは俺の腕よりも細いが、力は何倍も強い。
いつか絞殺されるかもしれないな。娘に殺されるなら本望なのか? 巻き付かれたまま遠い目をする。
俺の娘は水蛇だ。
水蛇は、そこいらにウヨウヨいる蛇とは違って、魔獣に分類される。それも高ランクだ。
水蛇の最上クラスにもなると、天災を引き起こすほどの強い力を持ち、竜神と呼ばれているらしい。会ったことも見たこともないけど。
俺は人族だから、娘とは勿論、血は繋がっていない。
【問い】なんで水蛇が娘なのか。
【回答】落ちていたから。
そう、あれは14年前、俺がまだピチピチの十代の頃だった。
リディアに巻き付かれたまま、俺は回想する。
いつもの農作業の帰り道、川岸を歩いていると、赤ちゃんを拾ってしまった。
しょうがないだろう。赤ちゃんが川に落ちそうになっていたんだから、見なかった振りなんかできない。
泣いている赤ちゃんを慌てて抱き上げ、辺りを見回すが、親というか保護者が見当たらない。
もしかして、捨て子?
ここ数年、不作ではなかったから、子捨てをするほど貧窮した家はなかったはずだが、まさか遠い村から、ここまで捨てに来たのか?
赤ちゃんは肌着しか着ておらず、身元が分かるような物は何一つない。
「どうするよ……」
俺は赤ちゃんを抱いたまま、村長の家へと行ってみた。
何かしら解決してくれるかと思ったのに、村長からは自分で対処しろと言われただけだった。
常日頃は村長だと威張っているくせに、役に立たないな。
一番いいのは、ちゃんとした孤児院に連れて行くことだろう。
だが村には孤児院どころか役所も無い。
一番近い孤児院は、隣の村を超えた城下町にある。
田舎なので乗合馬車なんてものは無いし、誰かの馬車に便乗させてもらおうにも、城下町まで行く人がいない。
徒歩で行くなら片道四日。往復で8日。この農繁期に畑を置いて出て行くことはできない。
……そしてそのまま今に至る。
だって、しょーがないだろう。赤ちゃんだぞ、赤ちゃん。一緒にいれば、情が移るに決まっているじゃないか。
こちとら孤独な一人暮らしだったんだ。そりゃあ育児は大変だけど、目の前で笑われたり、手を伸ばして抱っこをせがまれたりしてみろ。このままでいいかもなぁなんて、思ってしまうだろうが。
まあ、始めは人族の赤ちゃんだと思っていたしなぁ。
拾って二日目の夜、赤ちゃんが熱を出した。
そりゃあ驚いたし、心配もした。
赤ちゃんの世話なんてしたことはなかったし、ましてや病気の赤ちゃんの看病なんて、何をすればいいのか分からなかった。
赤ちゃんは身体中が熱かったし、息も荒かった。
なんとか熱を下げてやろうと、盥に水を入れて額や首なんかを冷やしてやっていた。
苦しいのか、赤ちゃんがコロコロと寝返りを打ちだした。それも高速コロコロだ。
あっという間に、ベッドから落ちてしまったのだ。
バシャッン!!
俺の伸ばした手は間に合わず、そのまま赤ちゃんは、足元に置いていた盥にダイブしてしまった。
「大丈夫かっ! え?」
慌てて赤ちゃんを抱え上げようとしたが、盥に赤ちゃんはいなかった。
そこにいたのは、小さな蛇。
淡く光る鱗を持った、美しい白蛇だった。
水に入ったからなのか、熱も一気に引いて元気になったようで、俺の腕に巻き付いて来た。
蛇に巻き付かれたのに、ゾッとしなかった。
それまで蛇やトカゲは苦手だったのに。
真ん丸な深紅の瞳で、そりゃあ嬉しそうに見上げてくる小さな蛇を嫌うなんてできるわけがなかった。
ああ、俺の娘は水蛇だったんだと思ったんだ。