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異世界で王子様と恋するはずが、先生がチート過ぎて恋愛フラグが立ちません!

作者: こもと

※戦闘シーンがあるので苦手な方は気を付けてごらんください。


 異世界へ行くファンタジー小説が大好きだ。


 ナルニア国物語、ピーターパン、はてしない物語、不思議の国のアリス……名だたるファンタジー小説はみな主人公が異世界へ行く。小学校の図書室に入り浸っていた私は、名作たちに影響を受けまくった。

 その流れでゲームやウェブ小説で異世界ファンタジーを大量に取り込み、成長と共にファンタジー世界への憧れを深めてきた。


 そんな訳で、私は異世界へ行きたい。


 高三にもなってそんな妄想を……と呆れられても構わない。だって、なんだかつまらない現実世界より剣と魔法の空想世界の方が魅力的なんだから。二次元並みに魅力的な異性は画面の向こうか遠いステージの上にしかいないし。

 こんな世の中では「聖女として召喚されたのに偽物呼ばわりで追放されたけど、異国の王子様と世界を救ってざまぁします♡」みたいな夢だって見たくなる。あ、転生は死にたくないから無理、怖いもん。


 そうは言っても、夢は夢だからいいものだ。まさか現実になるなんて、思ってもみなかったのに……


「ぎゃぁあぁああぁ!?!!?!」


 現在、謎の穴に吸い込まれそうになった私は力いっぱい悲鳴を上げている。


 必死に近くの掲示板の縁にしがみつくが、引っ張る力が強くて徐々に指がはがれていく。焦っているから手汗が出てきて指先が滑って上手くつかめない。迫ってくる穴への恐怖に震えながら、内心で思いっきり叫んだ。


(こんなあからさまなテンプレ展開、今どきある!?)


 昼休みを図書室で過ごした帰り、廊下を歩いていたら真横の壁に穴が開いた。穴と呼ぶのが正しいかも分からない、光のない真っ黒なそれ。大出力の掃除機みたいな吸引力で、私を吸い込もうとしてくる。


 異世界へ行くにしても本を開くとか、クローゼットを開けるとか、そういう平穏な方法にして欲しい! こんなのは嫌だ!

 いや……そもそも、この穴の向こうが異世界だなんて限らない。光のない闇の向こう側は、地獄だと言われた方が納得感がある。だとしたら、絶対に吸い込まれたくない。


「これは一体……小松っ!」


 とんでもない私の悲鳴を聞きつけたのか、廊下の向こうから副担任の平井先生が駆けてくる。ああ、よかった、助かったかも知れない。そう思って気が緩んだ瞬間、つるりと指先が掲示板の縁から外れた。


 フワッという一瞬の浮遊感。


 少し遅れて魂ごと引っ張られるような感覚が襲ってくる。数秒が何分にも感じられるようなスローモーションで、ゆっくりと遠のいていく世界。


 そこへ伸ばされた、平井先生の手。唯一の救いにも思えた手を、私は思わず掴んだ。


(平井先生の手、意外と大きくて固いな)


 そう思ったのが、地球での最後の記憶になった。





『ーーーー、ーーーーー!』


 ワアッという歓声が聞こえて、私の意識はゆっくりと浮上した。


 どうやら石の床に寝転んでいるらしく、スカートからはみ出た脚が冷たい。身を起こして脚をさすりつつ顔を上げ、驚いて固まった。


 周りを白いフード付きの服を着た人たちに囲まれている。清潔な身なりだけど、みんな顔が青白い。ブラック企業勤めの父が数日間ぶりの帰宅をした時を思い出させる、疲れ切った表情だ。


『ーーー、ーーーーーーー?』


 金の刺繍がされたフードをかぶった一番偉そうなおじいさんが何かを問いかけてくるが、何を言っているのかまったく分からない。


 周りを見回してみると、石造りの建物の中にいるようだ。コンクリート造りではない、レンガのように石を積み上げた中世以前くらいの建造物。


(まさか……ここ、異世界?)


 ということは、疲労困憊な人々は魔法使いで、私は聖女的な役目で召喚されたに違いない。


 しかし、異世界の神様よ。召喚するなら言語チートくらいはくれるべきでは? これじゃあコミュニケーションが取れない。どうしようと泳がせた目線の端で、一人の男が立ち上がった。


(え、平井先生までここに!?)


 どうやら私が手を掴んだせいで、一緒に異世界に来てしまったらしい。大学を出たばかりの新卒教諭、ベテラン担任の下で副担任を務めている彼は、長い前髪に無精ひげという怪しさ満点の風貌で、おまけに愛想もない。無感情に理路整然と喋るので一部の生徒は「AI平井」と呼んでいる。柔軟性はまるでないタイプの人だ。


 平井先生が立ち上がると、魔法使いらしき人々は『ーーー、ーーーー!』と警戒するような声を上げた。恐らく「お前、一体何者だ!」的なことを言っているんじゃないかな。そりゃそうだ、聖女を召喚したつもりが謎の男がくっついてきたんだから。


 異世界召喚のお約束として、ここで敵対すると追放ルートに入りかねない。平井先生が下手なことをしないよう止めないと! そう思って手を伸ばしたが、その手は空で止まることになった。


『ーーーー、ーーーーーーー』


 ひっ、平井先生の口から聞いたことのない言語が……!? この言葉は魔法使いたちに通じたらしく、おじいさんが驚いた表情になる。それを見た平井先生が更に何かを言い、我に帰ったおじいさんと話し合いを始めた。


 一体これは、どういうこと? 私があ然としている間に話は済んだらしく、平井先生が私を振り返る。


「小松、我々はどうやら異世界に来たようだ」


 ごく平然と、平井先生は言った。


 いや、受け入れるのスムーズ過ぎない? 普段の堅物な平井先生は一体どこへいっちゃったのよ。異世界に移動する時に頭でも打って、壊れちゃったんだろうか。疑念が顔に出ていたのか、平井先生は「ああ」と手を打つ。


「先生がこちらの言語を話せるのは、神とやらに翻訳能力をもらったからだ」

「いや、なんで平井先生がチートスキルもらってんの!」


 神よ、なんでそうなった!


 無理やり穴に吸い込んで召喚した私(恐らく聖女)には無言のクセに、平井先生には言語チートを渡すとかおかしくない? 巻き込んだお詫びなの? どんな依怙贔屓だよ。私にも何か便利スキルください。


「落ち着け、小松」

「これが落ち着いていられますか!?」

「急なことで混乱するのはよく分かる」


 平井先生が深刻そうに眉尻を下げて言う。これは「先生にも表情筋あったんだね」なんて軽口を叩けない雰囲気だ。


「異世界なんて、とても信じられないだろう」


 どうやら平井先生は、私が異世界に来たことにショックを受けたと思ったらしい。いや、勿論ショックは受けているけどね。ずっとシミュレーション(妄想)していたおかげで、それほど混乱はしてない。


「いや、先生、ちが……」

「だが、大丈夫だ。お前は先生が守る」


 長い前髪の向こうから真っすぐ見つめてくる目に、ドキッと心臓が高鳴った。一生に一度も聞けないようなロマンチックな台詞を、こんな真面目に言われるなんて。


 ……いや、平井先生は教師としての使命感が強いから言っただけで他意はないだろう。キュンとするところだった、危ない危ない。





 状況を簡単に説明すると、私は“神女(みこ)”として召喚されたらしい。


 思わず「名称で独自性出してくるなよ」とメタいことを考えてしまったが、この世界では神の御使い……つまり異世界から来た女性をそう呼ぶとのこと。ちなみに私たちを取り囲んでた白フードの皆さんは魔法使いではなく、神に仕える神官さんなのだそうだ。


 この世界には四世代に一度くらいの周期で強力な魔人……“魔王”が現れる。それを“勇者”と共に倒しに行くのが、神女こと私の役割。勇者は代々、この国の王子が務めるらしい。


 この説明を聞いた私は不謹慎にも、異世界ファンタジーの必須ジョブである勇者と王子の登場にテンションが上がった。それと反比例して、隣にいた平井先生は渋い顔になった。


「なぜ、この子が神子なんて危険なことを?」

「どうぞご心配なされず、神女様に生命の危機はございません。歴代の神女様は皆、あらゆる攻撃を跳ね返し、自他問わず死を遠ざける慈悲の力をお持ちでした」


 神女の力、思った以上にチートだった! 平井先生への依怙贔屓が激しいとか思っちゃってごめんね、神様。ちょーっと翻訳機能を入れ忘れちゃっただけで、私にも色々くれてたんだね。


 ちなみに説明しているのは私たちを召喚した神官長。先ほどの偉そうなおじいさんだ。


 言葉が分かるようになったのは、神女の装身具として代々伝わる“伝心(でんしん)腕輪(ブレスレット)”とかいうアイテムのおかげ。言語チートがなくても、これさえあれば大丈夫らしい。よかった~。


 そんな呑気に考え事をしている間に、平井先生の口調はどんどん険悪になっている。


「生命の危機だけを問題視している訳ではない。異世界人である我々にはこの国のために働く道理がない。降臨なんて体よく言っても、その実体は拉致だ……にも関わらず、敬うようなフリをして勇者と旅をしろと彼女に強要するのか?」


 平井先生の鋭い言葉に、神官長がぐうの音も出ないという様子で押し黙ってしまう。さすがはAI平井と呼ばれる男、おじいさん相手でも容赦なく論破!


 まあ、平井先生の話はド正論だけど……この世界の人たちに言っても仕方ないとも思う。解決する方法があるのに、国が滅ぼされるのを指咥えて待つ訳にはいかないだろうし。敬うのはせめてもの誠意なのでは?


 仕方ないから仲裁するか〜と重たい腰を上げた瞬間。

 バターンッ!!!と大きな音を立てて部屋の扉が開いた。


「まことに、神女が降臨したのか!」


 で、出た~! 金髪蒼眼の王子様だ~!

 ライトノベルの表紙で100回は見たようなキラキラした容姿の青年が、勢いよく部屋に飛び込んできた。そして私を見つけて、そのサファイヤのような目を輝かせる。


(うひゃ〜、眩しぃ〜!)


 思わず目を細めた私に向けて、王子様は歩み寄って来る。そんな、まだ心の準備が!

 胸の高鳴りを抑えられずにあたふたする私の前に、広い背中が立ち塞がる。平井先生だ。


「なんだ、貴様は?」


 王子様の怪訝な声が聞こえる。平井先生の向こう側なので顔は見えないが、その秀眉を歪めているのかも知れない。

 私が王子様に睨まれたら慌てて平伏するのに、平井先生はまったく意に介さず言った。


「この子の先生だ」


 先生って王子よりも偉い職業なんだっけ? と、悩むくらい堂々とした言い方だった。しかし王子様の心には響かなかったらしく、フンッと鼻を鳴らす音がする。


「センセイ? なんだそれは」

「教え導く者……教師のことだ。彼女が無事に帰宅するまでは、私が彼女の保護者にもなる」

「なんだと? 神女を守り支えるのは、勇者たる僕の務めだ! 貴様が割り込むなど……」

「王子、無礼はお止めなさい! こちらも神女様の住まう地よりお越しになったお方ですよ」


 喧嘩腰な王子様を神官長が叱りつける。平井先生に論破されていた姿が嘘みたい。このおじいさん、王族に意見できるくらい偉い人だったとは。

 王子様の「そんな馬鹿な……神の御使いだと」と呟く声が聞こえた後、乱暴な足音が響く。部屋から駆け出して行ったらしい。


「落ち着きと礼儀の足りない奴だな」


 呆れたような声を出した平井先生にイラッとして、衝動のまま握った拳を目の前の背中に叩きつけた。


「先生に礼儀でどうこう言われたくない」


 目の前に立ち塞がって王子様への挨拶さえさせてくれなかったクセに。それで礼儀を説くなんて腹立たしい。初リアル王子様、もっと堪能したかった〜!


 頭をかきむしる私の横で、なんで殴られたのか分からないらしい平井先生は首を傾げていた。





 そんなこんなで、私たちは世界を救う旅に出た。

 「そんなこんな」の中身を簡単に説明すると、以下の通り。


①魔王を倒して「核」を得ないと元の世界に帰れないことが分かる。


②しぶしぶ旅を許可した平井先生が「自分も同行する」と言い出す。


③王子様が「戦う力がない者は足手纏いだ!」と食ってかかり、二人が模擬戦をする。


 この③の模擬戦、なんだけど……。


 最初、私は大反対した。平井先生はただの歴史の教師で、どうみても戦闘能力がない。平和ボケ大国で育った人間がファンタジー世界の勇者と戦うなんて、まんま自殺行為でしかない。


 しかし、何故かやる気満々な先生は言った。


「教師として、奴に敗北を教えてやろう」


 漫画のラスボスみたいなこと言わないで恥ずかしい! どこから湧いてくるの、その自信は!

 そんな心の叫びをグッと飲み込む。よく考えてみれば先生同伴だと起きるラブも起きないだろうし、平井先生には王城で待っていてもらった方が都合がいい。痛い目を見るのは可哀想だけど、平井先生には負けてもらおう。


 そう、思っていたのに……


「うぐっ……一体、なにが」

「この程度では話にならない」


 訓練場の地面に頬を擦り付けた王子様の頭を、平井先生が踏みつけていた。その間、試合開始から数秒。私にはなにが起こったのか分からなかった。


(先生、大盤振る舞いの神様からスピード系か時空操作系のスキルまでもらったの? それか、もしかして忍者の末裔だったとか?)


 脳内が大混乱になっている私を尻目に、拘束を解かれた王子様が半身を起こす。美しい眉は歪んで、薄く開いた口は小刻みに震えている。絵に描いたような「屈辱」という感情を表した表情だ。


「僕は、この世界を担う、勇者なのに……」

「くだらないな、勇者なんて生贄の別名に過ぎない」


 平井先生は「仏陀の別名はゴータマシッダールタだ」くらいの感じで平然と言い放つ。なんで異世界の価値観に喧嘩売ってくのよー! 私は平井先生を力いっぱいド突いて吹っ飛ばし、代わりに王子様へ深々と頭を下げる。


「先生が変なこと言ってごめんなさい! 最近、先生ってば思春期みたいでちょっと厨二病が……」


 しかし食ってかかってくるはずの王子様は静かなまま。不思議に思って顔を上げると、私を素通りしてぼんやりと平井先生を見つめていた。え、なになに、どうしたの?


 それ以来、王子様の様子が少し変わった。


 なんだか「神女は私のものだ!」みたいな鬱陶しいほどの情熱があったのに、それを感じなくなった。ちょっと暑苦しくて面倒だな〜とは思っていたけど、急に向けられなくなると寂しくなる。これが失って気づく大切さ……。


 その代わり、平井先生には噛み付かなくなった。怯えてるみたいに目も合わせない。その割にふとした瞬間、平井先生をじっと見つめていることがある。なんだかむず痒くなるような空気を感じるんだけど……王子様が平井先生との距離の詰め方を伺っているせい? これがツンデレのツンとデレの間?


 気まずい王子様と私を尻目に、空気なんて読まない平井先生は通常営業だ。


「神女様、近隣の村で魔物による被害が報告されております。どうか退治できるよう、お力を貸していただけないでしょうか」

「それは大変ですね……」

「甘言に惑わされるな、小松。この旅の目標はあくまで魔王の討伐。魔王を倒せば魔物の活性化も収まるのだから、ここは先に進むのを優先するべきだろう」


 困り顔をした町人さんの目の前で、AI平井は迷いなく合理的な判断を下す。もはや平井先生はAIというより職業軍人に近い気がする。教師にあるまじき倫理観だけど、私という生徒の保護を最優先にしているからだよね。素で無慈悲ってことはないと信じたい。


 先生には悪いけど、私は慈悲深い神女様だ。


 善意の寄り道こそ救世の旅の醍醐味だと思う。せっかく異世界に来たんだから酸いも甘いも味わい尽くしたいし、なにより困っているみたいだし。そして今の私には助けられる力があるみたいだし。


「これもなにかの縁だし、助けてあげましょうよ」


 効率厨の平井先生は、思いっきり険しい顔をした。異世界に来て表情筋が自らの機能を思い出したようでなにより。一方の王子様は「弱き者を救うのも、僕の使命だ」と同意してくれた。さっすがこの世界を代表する勇者、私と同じく慈悲深い。





 さっきは偉そうなこと言ったけど、私が他人を助けるなんて思い上がりでした。すみません。


 神女は万物への慈悲が深いあまり、攻撃系のスキルをまったく持てないらしい。神女と勇者がセットで旅をする真相は、守備と攻撃を切り分けた完全分業制のためだった。


 つまり、私は勇者である王子様を応援することしかできない役立たずである。


(知ってたら「助けてあげましょうよ」なんて偉そうに言わなかったのに~)


 恥ずかしさに熱くなった頬をぺちぺちと叩いて冷やしながら、魔物の間を駆ける王子様のことを目で追う。王子様の腕が魔物の爪に切り裂かれるが、私が見ているだけで傷が治っていく。発動に呪文や祈りは必要ない。とんでもない回復チートだ。


「光よ、我れに退魔の剣を与え給え」


 王子様は魔法で出した光の剣(光魔法は勇者だけが使えるらしい)で魔物をバッタバッタとなぎ倒していく。これはTUEEEE!

 油断していたとはいえ、この王子様を踏みつけた平井先生ってどんだけ強いんだろう。そう思ってチラと隣を見てみると、心なしかしゅんとしたご本人が立っている。


「生徒指導は難しい」


 そう言ったきり、黙り込んでもう小一時間。

 どうやら私が助言を聞かなかったせいで落ち込んでいるらしい。異世界に来ても平然としていたのに、なんでこんなことで落ち込むんだか。つくづく謎な先生だ。


 そうこうしている間に、王子様が最後の魔物を切り伏せた。不思議なことに魔物は切られると黒い粒子になって消えてしまう。血みどろの死闘にならないのは精神的に助かる。


「王子様~、お疲れ様でした~!」


 私が声をかけると、王子様が振り返る。


 そして、次の瞬間。


 剣を握った王子様の右腕が、

 ポトリと地面に落ちた。


「小松、見るな!」


 素早く動いた平井先生が立ち塞がろうとするが、しっかりと見えてしまった。

 王子様の後ろに立った禍々しいオーラの男の姿も、王子様の腕が新たに生えてくるグロテスクな様子も。


「ぐぁああぁあーーー!!!」


 苦しそうな王子様の声に「ヒッ」と悲鳴のなりそこないの音が喉から出る。

 その音を聞きつけたように謎の男がこちらに目を向けた。探るような視線に身体がガクガクと震え出す。幸い視線はすぐに外れて、また王子様へ向けられた。


『なんの騒ぎかと思えば、神女と勇者か』

「ぐっ……お前は、魔人か」

『仕方ない、時間稼ぎに痛めつけて置くか』


 “伝心の腕輪”が魔人の言葉も翻訳する。こんなこと、聞きたくなかった。

 これから起こる惨劇を想像して吐き気を感じながらも、王子様を見つめ続ける。本当は目を閉じてしまいたいけど、ここで目を逸らしたら王子様が死んでしまうかもしれない。


『歴代の勇者は負けたことがございません』


 神官長は、そう言っていた。

 その意味を「勇者が強いから」だと思った私は愚かだった。負けたことがないのは「死ぬことが許されない」からだ。神女の慈悲はどんな死をも遠ざける。きっと塵になっても勇者は復活させられる。とてつもない苦痛を伴って。


 あらゆる攻撃を跳ね返すのは、あくまで神女だけ。勇者は魔王を倒すために捧げられた戦い続ける生贄なんだ。


 この世界の残酷な仕組みに震えていると、頭をポンッと軽く叩かれる。


「しばらく離れる。先生が戻るまでは待機だ」


 耳元で囁く声がしたのと同時に、頬を風が撫でる。振り向くと平井先生がいない。それもそのはず、平井先生は王子様と魔人の間にいた。


 えっ、いつ移動したの!?


 私と同じく魔人も驚きに目を見開く。その隙に平井先生が素早く拳を撃ち込むと、ドンッと鈍い音がして魔人が真横に吹っ飛んだ。

 なんとか空中で体制を立て直そうとした魔人が、今度は空気の壁にブチ当たったみたいに地面へ垂直に叩きつけられる。土埃が上がった落下地点には、いつも通り涼しい顔の平井先生がいた。


「お前は生徒の情操教育によくない」


 平井先生は言いながら、左手を空に伸ばす。グニャッと歪んだ景色に突っ込まれた手には、いつの間にか白い粒子のような光を放つ大剣が握られていた。


『貴様、なぜ勇者の力を!?』


 苦し紛れという感じで魔人が放った黒い粒子を、平井先生の握る大剣が霧散させる。勇者だけが持つとされる、闇を切り裂き魔を消滅させる光。それを惜しみなく放つ大剣を携えて平井先生は言った。


「発言は挙手してからだ」


 そのまま大剣が振り下ろされ、魔人は黒い粒子になって消えた。





「平井先生って、何者なんですか!?」

「歴史の教師で小松のクラスの副担任だが?」


 息を弾ませながら駆け寄る私に、平井先生は心底不思議とでも言いたげに首を傾げる。

 いや、それはよーく分かってるんだけど!! 普通、歴史の先生は瞬間移動したり、空間を歪めて物を取り出したり、光を放つ剣で魔人を切り伏せたりしないんだよ!!


「それよりも小松、待機だと言ったろう」

「この状況で、そんなの聞いてられないって!」


 呑気なことを言う先生をど突くと「これが第二反抗期……いや、もしや過剰適応か?」と深刻そうに呟いている。なにそれ違うし!


「うっ……」

「あ、王子様! まだ痛みますか?」


 うめき声を上げた王子様の肩を慌てて抱き起こす。彼の頭を腕枕するように支えてあげてから、ふと気づいた。


(あ、これ……キスできる距離だ)


 不謹慎な心臓が早鐘を打つ。その音に気づいたのか、まだ息の荒い王子様がゆっくりとこちらを見上げた。


 長いまつ毛が悩ましげな影をつくり、ほんのり淡く朱に染まった頰が、なんとも言えない色気を醸し出している。そしてサファイヤの瞳は真っ直ぐに私を……見てない?


 王子様の熱っぽい目線は、何故か平井先生へ向かっていた。


「……平井殿」

「殿!?」

「なんだ急に改まって」

「これまでの過ち、お許しください」


 痛むはずの身体を起こした王子様は、苦痛に顔を歪めながら頭を下げた。それを見下ろす平井先生は腕組みをして鷹揚に言う。


「過ちて改めざる、これを過ちと言う……孔子の言葉だ。過去を振り返り改めたのなら、過ちを冒してはいない。許すもなにもないだろう」


 なんで急に先生らしいこと言い出すの。横で聞いてて感心しちゃったよ。王子様なんて感極まって泣きそうになってるし。


「平井殿に言われた通り、僕は戦うための生贄なのでしょう。妾腹の王子として生まれ、存在意義を求めていたところ、勇者という巧言に踊らされて、その事実から目を逸らした……平井殿のおかげで、自身の弱さに気づけました」

「それはよかったな」

「これからの旅で、弱き僕のことも教え導いてくださいませんか。僕の、センセイとして」


 濡れた王子様の目がキラキラと輝いている。その目はまるで恋しているようで……って、嘘でしょ!? 勇者は神女と恋に落ちるんじゃないの!? 異世界まで来てまさかのBL展開!?


 ショックに青ざめた私を尻目に、夢見るような眼差しの王子様を見つめ返した平井先生は言った。


「教員は副業禁止だから無理だ」


 今度は王子様がショックで青ざめた。仕方なく「ボランティアとしてたまに教えてあげればいいんじゃないですかね」と提案すると、平井先生は納得したのか頷いた。ボランティアはいいんかい。

 

「くっ……自分はセイトだからって、いい気になるなよ!」


 王子様が私を睨みつけてから目の縁に涙を溜めたまま走り去る。そんなライバル令嬢みたいな捨て台詞やめて! このままだと平井先生を挟んだ三角関係がはじまっちゃうよ!


「あーあ……先生のせいで王子様との恋愛フラグ、バッキバキに折れちゃった」

「なんだ、その恋愛フラグというやつは?」

「はあ、分からないならいいです」


 ため息を吐くように言うと、平井先生は眉を寄せる。異世界に来てから平井先生の表情筋は随分と元気だ。こんな表情、きっと異世界に来なかったら知らないままだった。


 表情だけじゃない。私を安心させようと真摯に話してくれたり、厨二病っぽいこと言いがちだったり、何故かとてつもなく強かったり。


 そんな私が知らなかった平井先生の姿は、異世界の王子様よりもずっと素敵だった。


「先生のせいで恋ができないんだから、責任取ってくださいね!」


 言いながら、頬が熱くなるのを感じる。平井先生は悩むように目を伏せてから、ゆっくりと頷いた。


「向こうへ戻ったら弟を紹介しよう」


 ……なに言ってんの、この人?


「え、どうしてそうなった?」

「弟は小松と年齢が近いから、釣り合いが取れている。身内の贔屓目もあるが、眉目秀麗かつ成績優秀を体現した男で……」

「いくらすごかろうと、なんで先生の弟と付き合わなきゃならないの!」

「いや、できるのは紹介までだ。そこから先は自由意志に任せる。弟にも好みというものがあるからな」

「なお悪いわ!!」


 苛立ち紛れに腕を引っ叩いてやると、平井先生はなにが楽しいのか小さく笑った。そんな笑顔にさえ胸が高鳴るから悔しい。


 異世界はファンタジー小説みたいに優しくないみたいだけど……平井先生と一緒ならなんとかなるよね、きっと!



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― 新着の感想 ―
女子高生と堅物な副担任が一緒に異世界に召喚されるという設定が面白かったです。主人公が異世界ファンタジーに憧れてきたのに対して平井先生は極めて現実的かつ合理的な思考で行動するそのギャップが読んでて楽しか…
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