01-08.闇から守る方法。
『では、闇魔法防護術の授業を始めます。ワタシは担当教師のペリーです。ワタシとしては闇魔法防護ではなく、〝契約防護術〟と呼称する方が美しく思いますが……用語は教科要項通りに統一します。まず初めに、これから教える内容について――――』
壇上に上がった禿頭の教師が、拡声器越しに艷やかな男声を響かせた。彼――ペリー・ブラックシップはナイト帝国の元宮廷魔術師であったが、学園の教師に転職して長い。
(あたしも契約って言われた方が納得なんだが。三国合意で、呼び方変えられちまったからねぇ……しかし懐かしい。ちょうどペリーが魔王の縁者だと疑われ、国を追われてうちに来た頃のことだったね)
「どんなものなんです? 園長先生。闇魔法って……大陸じゃ聞かなかったですけど」
「あ、アプリコット……! 授業中です!」
「学園長だ。で、ユーラニア。喋っても構わないよ」
「え……?」
リンディは手で周囲のテーブルを示す。静かなものだが、よく見ると指導教師と生徒たちは何事か話しているようである。
「授業の音は遮られない。じゃなきゃ、生徒についてる教師が指導できないだろう」
「ほんとです……ご説明のお声はずっと聞こえてます」
授業担当の声は、変わらず拡声器越しに響いている。だが話すのに支障はない。
「それでアプリコット。そっちでも契約って呼び方だったね」
「そうそう。なんです? 闇魔法って」
「かつて魔王が使った魔法だよ」
「魔王?」「魔王……」
(大陸にゃ60年前の話はほとんど伝わってないから、反応が違うねぇ)
リンディは一つ、咳払いをした。
「契約の魔法は知ってるね? 二人とも」
「神獣を従える、あれですよね?」
「あと、高度な魔法を使うためにも契約をすると、わたくし教科書で見ました」
「そうだ。その上で――――人にも使える。望まぬ契約を強いて、服従や……死の強要すら可能だ」
二人が息を呑む。特に、アプリコットは目が鋭く細まった。
「あとは既存の契約をいじったり、解除したりもできる。どれも本来不同意は無理だが、巧妙に相手を頷かせるんだ。契約防護術は、そういった望まぬ強要に対する回避手段を、主に教える」
ちょうど授業担当の声が、その辺りを説明し始めた。アプリコットとユーラニアが、緊張した面持ちでそれを聞いている。
「魔王は人や魔物に様々な契約魔法を用い、服従を強いた。60年前の大戦の痛みと被害を忘れぬため、10年ほど前に契約魔法の一部は〝闇魔法〟って呼ぶことに決まったんだよ」
「そうだったんですね……」
「歴史だー。園長先生も、知ってるんです? 魔王」
「学園長だ。知ってるも何も――――」
リンディは言葉を切り、僅かに目を伏せた。
「魔王を殺したのは、このあたしだよ」
「「ええ!?」」
「アンジーってヒロイ……特別な力を持った平民の子が、その役目に当たる予定だったんだがね。直前でシリカ帝国の皇子が、呪いで倒れた。アンジーは解呪で忙しくてね、代わりにあたしが乗り込んで倒した」
教師のペリーが魔王の下りに触れており、リンディはそれを聞きながら当時に思いを馳せた。乙女ゲーム1作目……その悪役令嬢だった自分と、ヒロインだったアンジーのことを。
(そういやゲームじゃ、魔王はいつの間にか、何者かに倒されていたってなってるな。魔王の扱い雑だねぇ。そんな弱かないんだが……いや、あんな陰湿で嗜虐趣味な奴、雑でいいか。いやがらせだけは得意で、その癖一撃で死にやがって)
「先生、すごいです……」
「というかそのアンなんとかって女、魔王ほっといて皇子にうつつぬかすとか! どうなんですかねぇ」
「アプリコット、あんたそれ誰かに言うんじゃないよ? アンジー本人の耳に入る」
「「へ?」」
目を瞬かせる二人に、リンディはにやりと笑ってみせる。
「入園式で見たろう? アンジーは、学園の教頭だ」
「「えぇ!?」」
「そんな驚くことかい?」
リンディが尋ねると、二人は顔を見合わせた。
「いやだって……その流れだとほら」
「シリカの皇子と結婚したのかと。なぜ教頭になられたのでしょう……」
「ところがどっこい。呪いから目覚めたパルガス皇子に、平民とは結婚できないって追放されたのさ。それで路頭に迷って、あたしと再会して、いろいろあって――――」
リンディは目を細める。その視線の向こうには、ヒロインとの長きに渡る苦労の日々があり……彼女は優しく口元を歪ませた。
「この学校を建てて、今に至る」
「そのいろいろが知りたいんですけど園長ぉ!」
「わ、わたくしもです園長先生!」
「学園長だ。また今度な。授業に集中おし、前置きが終わったよ。とにかく」
リンディは壇上のペリーを手で示す。
「闇魔法とは契約魔法の一種だ。発現前に黒いインクがにじむような光が漏れる魔法で、かつて魔王が乱用したことから、国際的取り決めでそう名がついている。それだけ覚えておきゃあいい」
二人が頷き、壇上へ向き直った。
『それでは――――ユーラニア・スタークラスター。お立ちください』
「へ? あ、はい!」
ユーラニアが呼ばれ、反射的に起立する。彼女の返答が、ペリーと同様に室内に響いた。
(指名質問? 提出された授業進行にはなかったが……裁量は与えているとはいえ、何をする気だろうね。ペリー・ブラックシップ)
リンディは腕を脚を組む。それから視線を泳がせるユーラニアをじっと見て、穏やかにほほ笑んで見せた。彼女の目の端がリンディのことを捉えたようで、その頬が少し緩む。
『ではユーラニアさん。さっそくですが……闇魔法防護の奥義と言えば何か。お答えください』
「……!?」
「はぁ!?」
ユーラニアは口をふさぎ、しかし目を丸くしている。アプリコットは声を上げたが、これはユーラニアとリンディの耳にだけ入った。周囲のテーブルも音はせぬものの、どよめく様子を見せている。指導教師の中には抗議の意を挙手で示す者もいたが、これは無視されているようだった。
「先生、こんなのわかるわけ!? 私たち、まだ入学したばっかりですよ!?」
「考えりゃわかるさ。わからなくても別にいいがね」
『ナイト帝国一の名家、エンタス公爵家の才女。シリカ王国の王妃候補にすら選ばれたあなたなら……答えられるのでは、ないですか?』
壇上の禿頭の教師は、その顔に笑みを貼り付かせている。リンディは少し遠いペリーの顔を見つめた。瞳が笑っていない。
(ペリー・ブラックシップ……ユーラニアに対して、思うところがあるのかい? あいつもナイト帝国出身。あの国は結束が固い一方、身内に対する目が厳しい。ユーラニアはどうにも帝国人からの扱いが妙だし。はて)
リンディの視線がユーラニアと、隣のテーブルのウォルタード皇子の間を滑る。ウォルタードは挙手していて、しかしラカルにその手を下げさせられていた。二人はいがみ合い、プリムラムに睨まれて黙り込んだようだ。
(こんな質問を新入生にしたのは……重い期待からの試練か。あるいは複雑な感情からの……いやがらせ、か)
「先生……ユーラニア、答えづらいみたい」
「ん?」
アプリコットに囁かれ、リンディは視線を上げる。姿勢を正しながらも、眉根を寄せているユーラニアが目についた。唇を引き結び、出掛かる言葉を飲み込んでいる……ようにも見える。
(あ、そうか! 政治発言になるのを気にしてんのかい! あたしとしたことが……すっかり解決してたから、エンタス公爵家とペリーが揉めたの、忘れてたよ)
リンディは額を手で押さえ、自らの失念を恥じる。
(契約防護術の奥義……この件を巡ってユーラニアの兄、ランセス・スタークラスターが、ペリーとやりあったんだ。学会まで巻き込んで大騒ぎだった。ユーラニアはその件を聞かされてて、質疑応答が再び揉め事に発展するのを恐れてるな? 家のことが出たら、政治的にはグレーだしな。気の利く子だ……しかし、大人が子どもの気遣いをそのままにしちゃあ、いけないねぇ)
『どうしました? ユーラニアさん。できれば、なにかしら答えていただきたいですが』
ペリーから促され、奥歯を噛みしめている様子のユーラニアに。
「ユーラニア・スタークラスター!」
リンディは強く、呼びかけた。
「ひゃっ」
ユーラニアが唇を引き結んで、一生懸命言葉を飲み込んでいる。リンディは追い打ちをかけるように続けた。
「ここじゃあんたは帝国令嬢じゃない、あたしの弟子だ。この程度の答えも出せないと、ちぃと困るねぇ」
「――――!」
リンディが見守る、その前で。
ユーラニアの赤い瞳が。
強く意思を灯した。
「闇魔法から身を守る奥義は――――魔力制御です」
(おっと。この、答えは)
『り、理由を。伺いましょうか』
ユーラニアがゆっくりと首肯し、堂々と胸を張って口を開いた。
「魔力にはインクのように滲む性質があり、これを用いたペンも開発されています。この点を逆手にとり、未制御の魔力に働きかけ、他者の署名を作ってしまうことが可能です。ゆえ、魔力を漏らさず制御することが、闇魔法防護のコツであると……この授業の教科書を拝見し、各事例を踏まえた上で、わたくしはそのように考えます」
(へぇ。核心部分は兄に聞いたわけじゃなく、自分で考えたと。しかし)
壇上で、教師が首を振った。
『そ、その方法は! 認められません!』
彼をじっと見据えながら、令嬢が再び言葉を紡ぐ。
「なぜでしょう? 魔力制御自体は基本的な魔法技能であり、高位の魔法使いほど闇の魔法にかかりづらいという傾向とも一致します。諸説あるとも言われていますが、認められないと仰る根拠はなんでしょうか?」
『それは――――ハッ、リンディ先生。なにか』
(ここが揉め事にしない、潮時だな。よく頑張ったね、ユーラニア)
静かに手を挙げていたリンディに、視線が集まる。リンディは座ったまま、ゆっくりと告げた。
「ユーラニアの言った方法は、ランセス・スタークラスターの提出した論文によって、理論上は可能だと証明されている……ただし闇魔法の契約強制を打ち破る魔力制御能力は、とても高度なものが要求される。あたしやプリムラムくらいしかできないし、現実的ではない……だからペリー・ブラックシップが言うように、認めれない、となるのさ」
「っ、でも先生……」
「もっと未来には可能になるかもしれないねぇ。だが今、多くの人々を守る方法としては不足だ。時代の流れとしちゃあ、あたしも魔力制御の革新を掲げたいところだが……この授業で何を正解とするかは、ペリーが決める」
禿頭の教師を、リンディはじっと見つめる。彼もまた、老学園長を真っ直ぐに見ていた。
『先生。ワタシは……』
「いいじゃないか、ちゃんとユーラニアは答えた。生徒としては、ここまでで大合格だ。それを否定せず、あんたが最も美しいと思う方法。それを教えてやんな。教師として」
『――――はい』
壇上の教師が、ゆっくりと息を吸い込んでいく。リンディは、不安げなユーラニアとアプリコットに微笑みかけてから、じっと言葉を待った。
『魔力制御。未来を感じる、素晴らしい答えで……不正解です。ユーラニアさん』
「…………はい」
『多くの人々を守った、最高に美しい防護術。それは、魔王を倒した英雄が、知っています』
ユーラニアとアプリコットが、弾かれたように振り返る。リンディは腕を組んだまま、肩を竦めて見せた。
『真っ直ぐ行って、闇の使い手を倒せ』
ペリーの言葉に、多くの生徒たちが啞然としている。
『現代の闇魔法防護術とは、悪しき魔法の使い手を正確に見つけ出す手法と、彼らを先制攻撃で打ち倒す戦術によって成り立ちます。友を望まぬ契約の魔の手から救うために、迅速に、組織的に、立ち向かうのです。闇魔法を防ぎ、あるいは解呪するよりも、攻撃こそが多くの人々を救います。これは攻性防壁法と呼ばれる学園長ご考案の素晴らしい防護術で――――ああ結構、ユーラニアさん。お座りください。みなさん、彼女を拍手で讃えましょう』
声は漏れず、拍手の音だけがしばしまばらに、徐々に大きくなって響く。顔を赤くしながら、ユーラニアは着席した。
「自信あったのに……こんな答え、ずるいです。納得しちゃいました」
「ほんとほんと。説得力ありすぎでしょ」
ユーラニアがどこか不満げに、アプリコットが楽しげに訴える。
「そりゃ結構。いい授業だったかい? ユーラニア、アプリコット」
リンディはくつくつと笑いながら尋ねた。
「「そりゃあもう」」
(よし。ならこの後の授業は……きっともう、大丈夫さね)