01-07.悪役学園長の弟子。
魔力測定会の翌朝。
「測定も終わったし……あと近日中にあるのは、部活や生徒会への参加。授業の選択、か」
リンディは学園長室の自分の執務机で、書類をぼんやりとチェックしていた。
(やることが多いねぇ。シリカ王国の動向調査は人を出したが、乙女ゲームの展開回避はあたしがやらにゃいけない。歯がゆいのは)
リンディは書類をぱさり、と机の上に投げた。少し冷えたティーカップを持ち、中身を飲み干す。
(あたしはゲームの主要キャラクターじゃないってことだ。シリカ王国の学園攻めについては、自分で覆す用意もするが……それがゲームシナリオのせいで、上手くいかない可能性もある。破滅を回避する正攻法は、主役であるアプリコットやユーラニアの選択自体を、変えることだろう)
カップを置き、リンディは盛大にため息を吐いた。
「こんなやり方……教育者としてはよかぁないね。あの子たちの道を、曲げちまう。せめて、本人たちの望む未来に、寄り添ってあげないとね……。あの子たちを、味方のいなかったあたしみたいに、しちゃあならない」
まるで呟きに応えるかのように、学園長室の扉がノックされた。
「お入り」
「おはようございます、学園長」
「おはよう園長先生!」
銀髪を青いリボンで括ったユーラニアと、金髪を赤い布でまとめたアプリコットが戸を開けて入ってきた。制服の上から青いマントを羽織った規定通りの恰好で、二人とも身だしなみには問題がなさそうである。
「学園長だ。おはよう二人とも。リボンも緩んでなさそうだ。二人でチェックしたのかい?」
「「はい!」」
「そうかい。相部屋にして、不都合はないかい?」
「楽しいです!」「アプリコット、頼りになります」
(そりゃあよかった。部屋は空いてたとはいえ、ユーラニアをナイト寮から無理やり引っ越させた甲斐があるってもんだ)
二人の返事に、リンディは満足そうに頷いた。席を立ち、部屋にもう二つある執務机を手で示す。
「二人とも、荷物を置いて座りな」
「あれ? 私たち、特級の教室に行くんじゃ……?」
「何寝ぼけたこと言ってるんだい。そりゃここだよ、こーこ」
アプリコットが、目を点にしている。一方のユーラニアは、戸惑いながらも机にカバンを置いた。
「先生がご指導くださるんですか?」
「そうだ、ユーラニア。特級の指導教師は、そもそもあたししかいない。授業は他の級と一緒だ」
「授業は別の人ってことは、学園長は何を教えてくれるんです?」
「指導教師の話はしたろう、アプリコット。付きっ切りで勉強見てやるんだよ。特に実技だ。あんたらは多重属性のせいで、魔法が使いづらい。属性特化すれば別だが、それじゃ面白くないだろう?」
「そりゃあまぁ」
照れたように笑みを浮かべるアプリコットを見届け、くつくつと笑いながらリンディは席に戻る。
「そうだ。教科書は見たかい? これまで魔法に触れてこなかった子にゃ、ちぃと難しいだろう」
「私は大丈夫かなー」
(大陸は魔法も発達してるし、直感的にわかるんだろうねぇ。となると、ユーラニアは)
リンディが視線を向けると、ユーラニアはおずおずと口を開いた。
「あの。一通り予習したのですけれど。想像しづらいところが、たくさんあって……」
「ならちょうどいい。最初の授業に連れてく前に、ちょっとした実技指導と行こうじゃないか」
リンディが空をついっと撫でると、書類の束やペンが二人の机に飛んできた。席に着いたアプリコットとユーラニアが、目を丸くして互いに顔を見合わせている。
「この部屋には、便利な魔道具……魔力で使える、魔法未満の器具がたくさんある。使い方は一番上の紙の通りだ。だがちゃんと扱えないと、そのペンは文字すら書けない」
紙やペンをしげしげと眺める二人に、リンディは薄く笑みを向けた。
「それであたしの仕事を手伝っておくれ、二人とも」
「「――――はい!」」
元気な返事にリンディは頷きを返し、悪戦苦闘する少女たちを見守った。
☆ ☆ ☆
二人が慣れない魔道具と格闘して、しばらく。リンディは彼女たちを連れて、廊下を歩いていた。
(最初は契約防護術の授業だね。今年もまた、引率することになろうとは)
魔法学園ジェンティアンブルーは、各国の学び舎と違って教師数が非常に多い。生徒一人につき、教師一人がいる割合だ。教師たちは、授業担当と指導担当に分かれている。指導教員は1人につき1~3人程度の生徒を受け持ち、生徒が授業に出るときはついて回る。
「先生がついてきてくれる学校なんて、大陸でも聞いたことないなぁ」
「実技が多いからねぇ。事故防止も兼ねて、必ず指導者がつく。あんたたち二人は、このあたしってわけだ」
「光栄です……!」「贅沢でウキウキしちゃう!」
喜ぶ二人を見て、リンディは目を細める。
(贅沢、ね……このくらいでいいんだよ、教育なんてなぁ。人間にゃ自主性が絶対必要だが、それを子どもに育ませるには大人が必要不可欠なんだ。強い信頼関係にある大人がいてこそ、みんな自由に羽ばたける。あたしらには――――それがなかった)
心中で遠い過去を見ながら、リンディは扉を開く。
(笑い合ってくれる大人も、涙したときに寄り添ってくれる人もいなかった。まったく、貴族社会なんてくそくらえ、だ。捨てられるもんじゃないが、早く忘れたいねぇ……)
廊下から室内に滑り込み、後から続くアプリコットと、ユーラニアを招き入れた。
「お、広い……」「すごい、パーティみたい!」
二人が驚きの声を漏らす。広がる赤いカーペットの上に何十も丸テーブルが置かれ、それを数脚の椅子が囲っている。装飾は簡素だが椅子もテーブルも重厚感があり、色合いにも気品を感じさせた。
「契約防護術の授業は必修だからねぇ。人数が多いから、大ホールを使うのさ」
「契約」「防護術?」
アプリコットとユーラニアが、順に声を上げた。
(あっと……そうだ。呼び方変わったんだ。慣れないねぇ)
「なんだ、そんなことも知らんのか」「そんなことも知らないのかい?」
比較的近くのテーブルから、二つの声が掛かる。
一つは赤髪の少年、ラカルのものだ。テーブルに頬杖をついて膝を開いて座っている彼は、じっとアプリコットを見つめていた。もう一方はウォルタード。肩口にかかる一本に縛った緑髪を払いのけている。皇子が見ているのは、ユーラニアのようだ。
彼らは隣同士のテーブルに着いていた。もちろん、二人のテーブルには他に誰も座っていない。近くには、おろおろしている桃色の髪の教師が立っていた。
「ラカル殿下?」「ウォルタード皇子」
「……ちっ」「ふん」
ユーラニアに声をかけられ、ラカルが舌打ちしている。アプリコットに視線を向けられたウォルタードは、興味なさそうに顔を逸らした。
(なんなんだいこの子たち)
「学園長先生ぇ~! 二人が言うこと聞いてくれません!」
生徒たちの妙な態度を半眼で見つめていたリンディに、今度は新任教師の声がかかる。
「プリムラム・プリムローズ。あんたも一番上の地級指導員なんだ、しっかりおし」
「そんなこと申されましてもぉ! 同じテーブルについてー!」
「それは嫌だねえ」「断る」
「うぅ……」
(完全に舐められてるねぇ、プリムラム)
リンディは少女二人を待たせ、進み出た。拗ねた王子と冷ややかな皇子を見比べる。
(この二人は地級の中でも一番厄介だろうが……あたしの目から見てもプリムラムなら、問題はないはずだ)
魔法学園では一学年を5つの級に分けている。このうち特級は学園長が選任指導するクラスで、非公開だ。残り四つは地水火風で、この順で高低を付けられている。とはいえそれぞれ合致した属性の生徒が入るわけではない。地級には複合属性持ちや、魔力が高くて扱いに難のある生徒が入る。逆に、魔力が低ければ地属性適性でも風級に入れられる。魔法は行使後に物が残りやすい地や水の魔法の方が制御が難しく、すぐ消えてしまう火や風は扱いやすい。級はこの法則になぞらえて順位付けされており、生徒たちは成績に関係なく振り分けられる。
(何せプリムラムは、魔女に次ぐ力の持ち主だ。何か起こっても絶対対処できる)
このような組み分けが行われる理由は、生徒をトラブルから守るためだ。生徒が上の級に所属するのに実力は必要ないが、指導教員は別である。
すでに魔法が使えて身分も高貴なラカルとウォルタードは、精鋭教師がひしめく厄介者クラスにぶち込まれた、というわけだ。
(まぁ魔法使いとしての腕前と、教師の経験や貫禄ってやつぁ……また別か。しょうがないねぇ)
リンディは腕を組み、ラカルをじっと見据えた。
「今日は良い子じゃないか、ラカル。体は大事ないかい?」
「心配などいらん……学園の授業は真面目に受ける」
(おや、懲罰が効いたかねぇ。はねっ返りが、素直だこと)
ラカルはめんどくさそうではあったが、それでも顔を上げてリンディの目を見た。
「じゃあプリムラムの指導も、真面目に受けてほしいねぇ」
リンディは呼びかける。だが案の定、ラカルはそっぽを向いた。
「シリカのお坊ちゃんが、人の言うこと聞くわけないでしょ? 学園長先生」
煽るように言うウォルタードを、ラカルが一瞬横目で睨んだ。リンディは肩を竦める。
「お坊ちゃんはあんたも同じじゃないか、ウォルタード。プリムラムを困らせて、何がしたいんだい?」
「一緒にされちゃ困るなぁ。僕は先生を困らせてるつもりはないよ? そいつと違ってね」
(一緒だろうが馬鹿たれ)
リンディはため息を一つ吐き、プリムラムの桃色の瞳に視線を合わせた。
「プリムラム・プリムローズ。あたしからのお願いだ。テーブルは満席になる計算だ。〝転移〟と〝捕縛〟で整理しとくれ。平たく言うと……」
老学園長は、にやり、と笑って見せた。
「あたしが座るのに、邪魔なんだよ」
新任教師の目が。
強く輝いた。
「――――お任せを、リンディ様」
プリムラムがその細腕をするりと振る。星の光のような煌めきが舞い、ラカルがぼんっと音を立てて爆発し、ピンク色の煙を撒いた。次いでウォルタードの隣の椅子も音を立てて爆発し、煙と共にそこへラカルが現れる。
「は、な!?」「なにこれ、動けないんだけど!?」
細やかな煌めきが、二人の体に張り付いている。少年たちは体を揺らすが、椅子から立ち上がることができない。
「ラカル・シリカ。ウォルタード・ナイト。闇魔法防護術の授業時間中、離席を禁じます。良いですね?」
「ぅ……ああ」「は、い。プリムラム、先生」
大人しくなった二人に対して頷いてから、プリムラムが顔を上げる。彼女に向かって、リンディは微笑みを返した。
「運がなかったねぇ、ラカル、ウォルタード。プリムラムは新任だが、元特級のあたしの教え子で――――あたし以上の魔法使いだ。いろいろ教えてもらうんだねぇ」
くつくつと笑いながら、リンディは振り返る。
「特級……! わたくしたちの、先輩! すごいです!」
「んあぁぁぁ! 憧れで胸がキュン死する!」
(喜んでるのはいいが、それどんな状態だいアプリコット)
頬を紅潮させ、興奮した様子のアプリコットとユーラニア。彼女たちの様子に、リンディはあきれ顔を、プリムラムは照れ顔を浮かべた。
「さ、そろそろ時間だ。防護術の授業、しっかり受けるんだよ。ユーラニア、アプリコット」
「「はい!」」
声を揃える二人に、リンディは満足げに頷く。
(プリムラムは、あたしの役に立つんだって聞かなくて学園に残ったが……この子たちは、どうなることやら)