03-18.悪童たちの涙。
扉が開け放たれたままの、学園長室。窓から差す日差しが、赤くなり始めていた。
「メローナが……さらわれた、だと!?」
アプリコットに、つかつかとブレイル皇帝が近寄り――――。
「リンドウ!」
「はい!」
リンディの声に従って、彼の前に、お仕着せエプロンドレスの神獣が立ちはだかる。彼女と睨み合い、ブレイルは足を止めた。
「どういうことだ! 学園を信頼して、預けていたというのに!?」
振り向いて喚く皇帝に、リンディは鼻で笑い返す。
「嘘つけ。本当に信じているなら、手勢をつける提案くらいしただろう。あんたからそんな話を聞いた覚えはないね。それで、アプリコット。エルはなんと?」
「監獄街を散策してたら、変な男たちに追い回されたって」
(追い回された? って、これは〝回線〟……この距離で内緒話?)
リンディが怪訝そうな顔をしていると……耳元に、囁き声が届いた。
「リーダーがたぶん、イブロス王太子だって。変装の魔法を使ってたけど、声が一緒ってエルが言ってた」
「イブロスがメローナをさらった? 事情がわからんな」
「昔、バロッサって名乗ってメローナさんを身受けしたらしいよ? で、今更迫って拒絶されて、彼女をさらったんだって」
(さっきも様子がおかしかったから……ないではないが)
内緒話を終え、リンディは〝回線〟を切る。
(監獄街の隅、だろうな。街の端のあたりだと、学園内から〝回線〟が届かない。もう少し情報を聞いて、迅速に動かねば……だが、気になるな)
腕を組み、思案する。リンディが思い浮かべるのは……金髪碧眼の、小さな後継者。
(エルにしては、こちらへの要求が、ない。手落ちか? あるいは)
「どけ!」
ブレイルがリンドウやアプリコットの脇を抜け、ユーラニアを一睨みし、扉を出る。
「ど、どこへ行かれるのです! 陛下!」
「学園がもたもたしているのなら、自ら手を尽くすまで!」
ヤナトの静止に激昂で応え、廊下に出た彼の体が、霞んだ。
(〝転移〟! 何をするつもりだ? まさか、本当に自分で乗り込む気か?)
リンディは小さく息を吐き、一同をぐるりと見渡した。焦りを隠せない様子のヤナトやアプリコット、そしてユーラニア。緊張した面持ちの竜胆とウォルタード。落ち着いた顔で、瞳に強い意思を見せている……カイとロンドル。
「事態が事態だ、本来なら1分1秒を争う。手勢を引きつれ、監獄街まで飛んでローラー作戦をすべきだ。だが」
リンディの声に、皆が振り返った。各々の目を見てから、リンディは続きを口にする。
「アプリコット。エルはあたしには、何か?」
「へ? ううん」
「誰に何をしろと言った?」
「その。情報を伝えろって、それだけ」
「やはりな」
リンディが呟くと、カイがにやりと口元を歪め、ロンドルがハッとして顔を上げた。
「今は何もしない――――そうですね? 学園長」
「はぁ!?」「えぇ!」「なんでぇ!?」
ウォルタード、ヤナト、アプリコットが驚いている。彼らを眺め、静まるのを待ってからリンディは頷いた。
「ヤナト。ブレイルが何をしようとしているか、思い当たるか? あいつが単身乗り込むとか」
「いえ! 皇帝はそこまで精強では……その」
(これは、何か隠してるな? いったい。まぁ皇帝自身が派手に動かなければ、なんとでもなるが)
黙り込んだヤナトから視線を外し、リンディはカイを見る。
「さすがにオレも知らねぇ。ところでリンディ。敵は?」
「ブレイルがいないので言いますが……イブロスで間違いないようです」
「そうか。じゃあオレらは動かねぇほうがいいな」
「そ、それはなぜなのです、先帝陛下!」
ヤナトが慌てている。リンディは肩を竦め、口を開いた。
「まず、現場のエルが救援を要請しなかった。あの子は主犯のことも知っているから……あえてそうしたんだ。ヤナト、想像しろ」
「な、なにをです」
「この誘拐の、目的だ。金か? 体か?」
「そ、それは」
(先ほどのイブロスならば、体目的というのは普通にあり得る。だがエルがそれを警告しなかったということは……答えは最後の一つ)
「人質、ですね学園長。学園に対する」
ロンドルの指摘に、リンディは頷いて見せた。数人が、息を呑んでいる。
「その通りだ、ロンドル。メローナをあたしが預かってる件は、イブロスがいる会談で決まったんだ。その上で、仮にイブロスが、メローナのことをよく知っていて……その事情に詳しいと、すれば」
「学園と帝国に亀裂を入れるために、使う。人質にして……しかし、具体的な動きは、どうなるでしょう」
「もう仕掛けているかもしれない。ブレイルを留めなかったのは、失敗だったな」
リンディは呟き、小さく息を吐く。ロンドルはそれを聞いて、息を呑んでいた。
「まさか、父に接触して――――」
「監獄街の門を、解放しろ。リンディ・グラネート」
ロンドルの声に、割り込んで。
扉から入ってきた皇帝が朗々と、リンディに言葉を叩きつけた。
「どういうことだ、ブレイル」
リンディは睨む彼の瞳を、静かに見つめ返す。ブレイルが早々に戻ってきたこと自体に、嫌な予感しかしなかった。
「人手を使い、メローナを探し……奪還する」
「こ、皇帝陛下ぁ!? 彼らを動かすのですか! それは、それだけは!」
ヤナトがブレイルに詰め寄る。彼は汗が止まらないようで、涙が混じっているようにすら見えた。
「公爵! これは皇帝の専任事項だ! 口を慎め!」
「……!」
(専任事項……帝国軍を連れて来やがったか! 元々ほど近くに待機させていて、進軍させようと言う腹だな!)
睨むリンディの視線の向こうで、一度は黙り込んだヤナトが、ブレイルに縋り付く。
「しかし陛下! こんなことをしては、学園との関係は! 万が一のことがあれば、我が公爵家など国内でも立場を失って! 娘にも、危害が!」
ユーラニアの目の前で、懇願した公爵は。
「うるさい、ヤナト! そもそも我らの関係を破綻させたのは!」
蹴り飛ばされ、床にうずくまった。皇帝はリンディに向かって、人差し指を向けてきている。
「貴様だ! リンディ学園長!」
リンディは眉根を寄せ、ブレイルの指を真っ向から見据えた。
「どういうことだ」
「メローナを身受けし、学園に引き入れ! その後、この俺に差し向け! 長年スパイとして使って来たのは! 貴様だろう!」
リンディは。
皇帝の、その言葉が。
とても。
気に障った。
「――――――――阿呆が」
リンディが呟き、ぎらりと瞳を光らせる。皇帝はかひゅっと息を漏らしたきり、言葉と呼吸ができなくなったようだった。ヤナトはしりもちをついたまま下がり、青い顔をしたユーラニアに支えられている。平然としているのは、アプリコットとカイの二人だけだ。
「アンジー教頭を抱える我が学園に、他の諜報員が必要だと。あんたはそう言うのか?」
リンディは机を回り込み、凍り付いたように固まるブレイルに近寄る。
「誰もが諜報員だと知りながら、情報を抜くことを止められない……あたしのアンジーがいるのに。それなのにメローナをわざわざ間諜に仕立て、あんたのところに潜り込ませた、だと?」
彼の襟口を掴み、引き寄せる。ブレイルは膝立ちになり、彼の額に己の額を寄せ、リンディは間近でその緑の瞳を睨みつけた。
「その面白くもねぇ戯言は――――誰に吹き込まれた。えぇ? 当ててやろうか、ブレイル」
「そ、それは、私が――――」
「イブロスとのお友達ごっこは、楽しいか? ブレイル」
リンディはブレイルを押し込み、身を離す。彼が床に手を着いて咽るのを眺めながら、耳に手を当てた。
「司令部。聞こえるか」
『リンディ様! 南方にナイト帝国軍を確認しましたが』
「結構。防衛体制。門を閉じ、誰も入れるな」
『はい! 防護ドーム、展開します!』
〝回線〟での通信を終え、リンディはため息を吐き出す。
(学園は帝国軍に知らんぷり。あとはこのアホ皇帝をなだめればよかろ。エルが……ユーラニアではなく、アプリコットに知らせた、ということは。そのこと自体がメッセージ。イブロスをこちらで引き付け、救出は任せた方がいい、か。状況は、できるだけ知っておきたいが……)
「まて、待ってくれぇ!」
今度は皇帝が、膝をついたままリンディにすり寄ってきた。彼女は半歩下がり、ブレイルを見下げる。
「門を開けてくれ! メローナを探さないと!」
「馬鹿者。帝国軍なんて目立つもの入れたら、すぐに見つかってメローナは殺されるぞ?」
「なぜだ!? 犯人はあの美しいメローナが狙いなんだろう! すぐに助け出さないと!」
ブレイルが汗を光らせ、乱れた服もそのままに訴えてくる。明らかに、錯乱していた。
「落ち着け。あんたの聞かされた筋書きじゃ、学園がスパイにしていたメローナを捕まえたってことじゃないのかい? そしたら次はどうすんだよ」
「次……次?」
呆然と呟き、彼の瞳が大きく開く。リンディは軽く頷き、ブレイルの目の真ん中をじっと見つめた。
「誘拐犯は、さらうだけじゃない。要求をする。あたしらが犯人なら、要求先は帝国……つまりブレイル、あんただろうが。うちが何を要求するんだ?」
「信頼、回復、とか」
「誘拐しておいてか?」
「わ、私は……僕は……メローナを」
「しっかりしろ、ブレイル!」
膝立ちでブレイルに近寄ってきたヤナトが、脇から割り込んだ。彼はブレイルを振り向かせ、その襟首をつかみ、唾をまき散らしながら喚く。
「兵を引かせるんだ! 君が死に物狂いになって支えた帝国が! 争いが嫌だって、吐きそうになりながら皇帝やってた君の国が! こんなことしたら、なくなってしまうぞ!」
「でも、メローナ、が」
「なぜなんだ! 君の妃たちだって、十分君に尽くしてくれている! なぜ彼女だけなんだ!」
ヤナトの訴えは、必死だった。
滑稽で情けなく。
とても公爵とは思えぬ姿であったが。
リンディは彼の姿に……学園にいた頃の、二人の友情を確かに、見た。
「なぜイブロス王太子なんだ! このワタクシではないのだ! 君はなぜ、我々を見ない!」
「だってヤナトは、マリーやウィンリィたちは! その子は! 争うだろう! メローナだけだ! ひっそりと僕に寄り添って……息子は、大人しく――――」
「ロンドルが君に迫ったことを、もう忘れたのか! 目を覚ますんだ!」
裏切り者を処刑し回り、荒れ果てていた当時のナイト帝国。そこからやってきた、公爵令息と皇子。最初の二人はしょっちゅう喧嘩して――――いがみ合っていた。
「争わない人間なんて、いなかったんだ!」
それが肩を並べるようになったのは……いつの頃からだっただろうか。
「ワタクシたちが、テストの点を! 新しい魔道具を競い合ったように! そこからは逃れられないんだよ! どれだけ嫌でも!」
リンディは目を細め、悪童たちを見つめる。大人になっても、子どもができても、彼らの見せる顔は変わらない。
皇帝や公爵の仮面を、被っているだけで。
リンディが手を焼いた、あの頃の。
生徒のままの顔を、まだ持っていた。
「でも、僕は、僕は……」
「それでも耐えられないなら! 皇帝なんてやめてしまえ!」
ヤナトが肩を掴んで、ブレイルをゆする。皇帝の目にも、涙が滲んでいた。
「君に向いてないのなんて、わかり切っていたじゃないか! もういいだろう! 君も、ワタクシも、いい年じゃないか……! 子どもだって大きくなって! 偉くなってはしゃぐのなんて、もういいんだよ……!」
「ヤナ、ト……」
何かが抜け落ちたように、ブレイルが友の名を呼ぶ。
前髪が垂れ下がり。
肩が落ち。
彼の頭が。
ヤナトの肩に、乗った。
「ごめんよ、僕は…………」
「父上……」「お父さま……」
二人の様子を見て、ウォルタードとユーラニアが複雑そうな顔をしている。ウォルタードの肩には、ロンドルの手が置かれ……ユーラニアの背を、アプリコットの手が撫でていた。
「やめてもらっては、困りますね……皇帝陛下」
開け放たれたままの学園長室の扉の向こうから、厭味ったらしい声が飛び込んできた。赤い髪は燃えるようで、まるで山火事か何かを思わせる。赤い瞳は明らかに、皇帝たちの有様を嘲笑っていた。
申し訳程度の冷静さと。
侮蔑のような笑みが。
その顔に、刻まれている。
「約束、忘れていませんよね?」
「イブロス……!」
リンディは奥歯がごりっと鳴るのを聞きながら、かみ砕くように王太子の名を呼んだ。




