03-16.ささやかな友情。
★ ★ ★
「〝回線〟は特に来ない……学園は大丈夫そうですね」
エルが椅子に深く座ると、ぎしりと音が鳴った。小柄な彼女の足は床に届かず、癖のようにぶらぶらと振られる。カウンター席の隣は、メローナだ。
「平和でいいわね。昼間っからお酒なんて、最高だわ」
二人の前に、二つのジョッキがドンと置かれる。生野菜のサラダと、小鉢に入った濃い漬物も置かれた。ここは通りから路地を一本入ったところにある、食堂。夕方前の店は閑散としていたが、エルたちが入った後に数組の客が入店していた。人数の割には声が密やかで、落ち着いた雰囲気だ。
「皇帝に目をかけられているなら、毎日飲み放題では?」
「そんなことしたら、追い出されてしまうの。陛下ではなく、周りの人にね」
ジョッキに手をかけたエルは、目を丸くして隣の婦人を見つめる。彼女は知己なのか、給仕の中年女性に笑みを浮かべて手を振っていた。
「経験則、ですか?」
「まさか。それが愛妾の倣いよ。シリカ帝国……それも第二帝国の昔から、そういう訓示があるもの。それで、何に乾杯する?」
経験より歴史……まるで賢者のようなことを言う淑女が、麦酒の入ったジョッキを掲げた。
「何でしょうね。小さな冒険に?」
「そしてささやかな友情に」
二人、笑みを交わし。
「「乾杯」」
小さく、ジョッキを合わせた。ガラスの涼やかな音、一気に中身をあおるエルの豪快な飲みっぷりが響き、間もなく空のジョッキが置かれた。
「すみません、適当な蒸留酒のロック。で、〝無垢〟……〝むっきー〟はもう、階梯7になったんでしたっけ?」
「あー……エルちゃん、飲みっぷりすごいわね。先生には内緒にしてくれる? 実はこの子、階梯9になったの。もう少しで10」
「…………はい?」
ジョッキの代わりに、ロックグラスが置かれる。グラスの中の丸く大きな氷に気を良くしながら、エルは中身をぐびりと飲み込んで、メローナの答えを待った。麦酒をちびちびと飲んでいるメローナは、フォークでサラダをつつき回していた。皴が僅かに見える彼女の指先が、震えている。
「でも、契約は同じ階梯……人間はどうあがいても、7までの神獣としか」
「私の階梯は2。契約は魔力さえ足りてれば、あとは合意次第なの……ってむっきーが言ってたわ」
問いかけたエルに、メローナが少し赤い顔で応える。
「魔力だって、階梯で増えるものですよね?」
エルが質問を重ねると、回答に間が空いた。
「そこは……ああ。加齢と、使用状況でも増えるの。私は魔法を習ってから、ずっと使ってこなかったから。計算上は、むっきーが階梯15まで行っても、生涯魔力不足になることはないそうよ?」
「と、むっきーが言ってた?」
「そう」
スムーズな神獣との対話に感心しながら、エルはまた一口酒を飲む。空になったグラスを黙ってカウンターに差し出すと、お代わりが注がれた。
「〝無垢〟が常に正解を示すとは、限らないはずですが…………違うなら、先生が何か言いますね。直接は言いませんが、検査を勧めておきます」
「怒られないかしら」
「学園長なら、嬉しそうに笑いますよ。あの人、いたずらっ子大好きなんで」
「まぁ」
上品に笑うメローナを見てから、エルは漬物を一口。ぐっとグラスの中身を呷り、また空になった器をカウンターに置いた。
「次は別のを。北方の辛い奴があれば。……メローナさんは、可愛らしいですね」
「おばちゃんをからかうものじゃないわよ? エルちゃん」
「いえその。貴族の令嬢で、ボクが比較的よく知ってる人って……」
受け取った、火を噴きそうな辛口の蒸留酒を口の中で味わいながら、エルは知り合いの顔を思い浮かべる。
「学園長か、平民と〝勝負だ!〟って争ってるあの人しか、いないんで」
「ユーラニアちゃん! あの子こそ可愛いわよ」
「そうなんですか?」
メローナが満面の笑みで、エルは苦笑いになった。
「いつも私のこと、涙目で必死になって探してくれるの。つい戻ってしまうわ」
「おいていかないであげてくださいよ……」
「私迷子になんてならないって、言っても信じてくれないの。そんなに頼りないかしら?」
「メローナさんは、道にある細かいものをよく観察してます。あれで道を覚えてるし、監獄街の地図くらいもう頭の中にできてるんじゃないです?」
「まだ3分の1くらいは、昔のまんまねぇ」
エルが指摘すると、メローナがこともなげに答える。
「小一時間しか歩いてないのに」
「エルちゃんこそ、秋に初めて街に来たんでしょう? なのにもう、街のガイドが務まるわ」
「まだ知らないところがいっぱいです。さっきの壁の穴みたいなの、また教えてください」
「いいけど、何に使うの?」
「いたずらとか」
「いいわね」
もう一度二人で笑い合い、そして二人とも器の中身を一気に飲み干した。
「酒臭いガキと一緒とは、君にあるまじき有様だな……メローナ」
お代わりに悩んでるところに、そんな声がかかる。二人が振り返ると、青い髪で糸目の紳士が立っていた。場末の食堂に来るような恰好ではなく、品の良い初老の男といった印象だ。最低でも伯爵位の貴族ではないか、とエルは想像した。
「この声と言い方、どこかで……」
「バロッサ様!? お久しぶりで……まったくお変わりなく」
「そういう君も、老けたとは思えんな。私の相手をするのに、十分だ」
バロッサという男は、メローナに近づいてその手を強引にとった。エルは男の不審な挙動と印象に、慌てて周りを見渡すも……間の悪いことにカウンターの中にも、ホールにも店の者がいない。客も騒ぐことなく、ただじっとこちらを見ていた。
「数日でいい。来い」
「いけません。私、そのお仕事はもう20年はやっておりませんの」
「約束だろう。求めるとき、私の傍にいると。身受けの時、そう言ったはずだ」
「学園から去るとき、そのお約束は〝果たされた〟とバロッサ様は仰いました。確かに」
ぱしっという音と共に、男の手が払われる。
彼はその手をじっと見つめてから。
メローナを睨み。
「ならば改めて、約束しろ――――」
その手に炎を灯した。
「この変態めッ!」
エルはスツールから飛び降り、素早く男の向う脛を蹴る。よく歩き回るため、またこんな時のために、エルは金属を仕込んだ靴を履いており――――。
「ぐあっ!?」
がつっと良い音と、男の悲鳴が響いた。
「メローナさん! 〝無垢〟!」
「っ! そっか!」
メローナも席から降りながら、首筋に手をかける。そこにはほとんど透明になった、〝無垢〟がおり――――。
「えいっ!」
「ぎゃあ!?」
彼女はその端を両手で持って、振り抜いた。見事にばちーんと音を立て、男の顔に斜めに当たって、彼を店の入り口付近に吹っ飛ばす。階梯9の神獣の頑丈さは大したもので……鉄の棒で殴られるよりも、強い衝撃だっただろう。
「お、おのれ……」
「意外と頑丈……あれ?」
男が床に膝をつき、左手で顔を押さえている。彼の顔面が、ぐらぐらと揺らいだ。
まるで不気味な、陽炎のように。
「ハッ、エルちゃん! こっち!」
「え、メローナさん!?」
メローナに手を引かれ、エルは奥の扉に駆け出す。血とアルコールが、一気に全身に回った気がした。
「約束しろ約束しろ約束しろォ! 貴様ら、追え! 逃がすな!」
背後で多数の立ち上がる音がする。エルたちは中年の従業員に、さらに奥の勝手口を示され、そこへ走る。
「このっ! どこの馬の骨だいこいつら!」
「メローナ! 早く逃げるんだ!」
「く、くそ! お前たちは表から回れ!」
男に雇われた、追手たちだろうか。店の主人たちとのやりとりを聴きながら、エルとメローナは裏路地を行く。だが表通りに出る直前、数人の男が駆け込んできた。
「後ろも!?」
背後から迫る者たちを見て、エルは慌てる。息を呑むと、一気に心拍が上がった。
「エルちゃん、こっち!」
だがメローナが冷静に彼女の手を引き、近くの勝手口を数度ノックしてから開けて、堂々と侵入する。二人が入ったところで、住人が戸に閂をかけて、メローナに向かってにやりと笑った。彼女は頷いて見せてから、雑然とした暗い室内を突っ切り、そのまま近くの階段を上がる。エルもまた、鼓動の乱れを感じながら、階段を駆け上がった。
「ここのお宅の屋根から逃げられるわ!」
「何でそんな道、知ってるんですか!? 今の人は何!?」
「内緒!」
スカートの裾をつまんで、淑女が軽やかに窓から躍り出る。エルも周囲に素早く目を走らせ、彼女に続いた。
冬の曇りがちの空から、薄い光が差していた。
★ ★ ★
さんざん、屋根を飛び回った後。
「さっきの男の声……あの顔は、魔法での変装」
風が冷たく吹き抜ける中、身を隠して路地を移動する。エルは呼吸を整えながら、あたりを見渡し、呟いた。追手は周囲になく、そろそろ大通りに出られるはずである。
「なんであの男、メローナさんを」
「昔の通りなら、だけど。バロッサ様は誰かと触れてないといけない日が、あるそうなの」
「はい?」
エルは隣のメローナを見上げた。彼女は呆れたように、肩を竦めている。
「半日から数日。ぴったりとくっついて、離れてくれなくて」
「はぁ。そりゃあ強い癖ですねぇ。王侯貴族なら醜聞だ」
「私のところに来るときは、特に問題なかったけど。急に街中で発作が起きることもあるって」
彼女の重い声に、エルは嫌な想像が頭をよぎり、思わず顔を歪めた。
「さっきの様子だと、そういうときは……」
「人を殺してでも、やるでしょうね。魔法、使おうとしてたし」
「っ――――メローナさん、肝座ってますね」
「そんなこと、ないわ」
すっと伸びた手が、エルの肩に触れた。
彼女の手は。
小刻みに、震えていた。
「メローナさん……」
「あなたとむっきーがいてくれるから、よ――――」
話しているうちに、表通りに差し掛かる。荷車や、行き交う人々……先ほどの男たちの姿はない。だが出ようとしたメローナが、足を止めた。
「…………いけない。こっちよ」
「メローナさん?」
彼女は強引にエルの手を掴んで、引っ張り。
「メローナさん、急にどうし――――わっ!?」
小さな穴に、エルを押し込んだ。
そこは先ほど見た……崩れた壁の場所。
向こう側は陸地が僅かにあり、すぐに底の見えない川が広がっていた。下流の方には木の橋がかかっており、向こう岸までは大声が届くかどうかという距離がある。
「やっと捕まえたぜ」
「乱暴はやめて。あの方と一緒にいればいいんでしょう?」
エルの背後の穴……そこにメローナの足があり、その向こうから複数の人間の声がした。見れば彼女の向こうには車輪があった。表通りで見かけた、荷車だ。追跡者は思ったよりずっと多く、街の中に潜んでいるということだろう。
「何がおかしいの」
「約束しないならどうでもいいって言ってたぜ。旦那は」
「すこぉし反省してもらおうって、お話だ。ついてこい」
卑しい笑い交じりに、声が聞こえる。
「ガキはどうした?」
鋭く低い声での、指摘が混じった。エルは慌てて、周囲を見渡す。高い壁、崩れた穴、陸地はすぐに終わり、あとは川だけ。橋は少し遠い。人は……いない。
「…………別れて逃げたから、知らないわ」
「あぁん? あいつは痛めつけとけって、命令でよ」
「嘘じゃねぇだろうな。おい、そこをどけ」
エルはぐっと息を飲み込む。声に続き、メローナの小さな悲鳴が聞こえて――――。
「何をするの、離して!」
「この穴の向こうに、隠したんじゃ――――」
「何もいねぇ。向こうは川だ」
「ああ。なら放っておけ。ここは水量が多くて、底も深い。向こう岸なんて、大人でも辿りつけねぇ」
「違いない。流れも早いし……下流で死体が上がりそうだな」
また笑い声が響く。
「悪趣味ね。私はどこに連れていかれるの?」
「なに、別に変なとこじゃねぇ。そこで貸し切った宿だよぅ。俺らと旦那以外、誰もいない、な」
不機嫌なメローナの言葉に続き、足音が遠ざかって行った。
「流れが速い、だって?」
下流の木造の橋の下、暗い影から小さな顔が水面に出る。
「あいつら、シリカ人だな。ナイト帝国じゃ泳ぎは必須。小さい頃、パパが教えくれてて助かったよ」
橋脚に捕まり、エルは深く息をした。
「監獄街は観光客が少ない……この街で貸し切りにされてる宿なんて、調べればわかりそうだな。ボクが、やるべきことは――――」
彼女の脳裏には、穏やかにほほ笑む学園長の顔が浮かんだ、ものの。
「違う。とにかく、急ごう」
エルは首を振り。
「ボクの友達を――――助けるんだ」
再び水の中へ潜り込んだ。




