03-09.学園長の恋心。
午前の実習が波乱含みで終わり、昼休みの間。
「ママは本当、モテますよね」
(こいつ、先日のアンジーの一件から、すっかり遠慮がなくなって……教師になる前に戻りやがったな)
リンディはプリムラムを迎え、学園長室でくつろいでいた。遠慮なく皿の上のパンを食べ始める彼女を見ながら、リンディは追加の料理を呼び寄せる。
「何の話だい、プリムラム」
「聞きましたよ? ついさっき、シリカの王太子とユーラニアさんが、リンディママを巡ってバチバチにやりあったって」
「歪んでないかい? その情報。誰に聞いたんだよ」
「リンドウさん」
(あいつめ……)
先ごろ自分を救った少女を思い起こし、リンディは心の中で悪態を吐く。
「後始末については、どうなったんですか? 怪我させたって聞きましたけど」
「魔力が一時的におかしくなっただけ、傷は特にない。学園としてはお帰り願う案件で、いたけりゃ黙ってろって婉曲にくるんで通達済みだ」
「お返事は?」
「ん」
リンディは机の上に乗った便箋を掴み、プリムラムに雑に回した。
「うわ気持ち悪い。何がいいたいんですか? これ」
「〝あたしに会いたいから帰らない〟と訳してよかろ」
それは丁寧な筆づかいで美辞麗句を並べ立て、ひたすらリンディを賛美しつつ、謝罪と懇願を込めた返答だった。「リンディの傍にいたい。謝るし何でもするから捨てないで」という文脈である。学園ではなく、リンディの傍というところが強調されており、読まされたリンディ当人の疲労はかなりのものとなった。意外に真面目に読んでいるプリムラムも、げっそりとしている。
「ま、そいつは敵だ。真っ向から叩き潰すか、絡め手で放逐するか、そのどちらかでしかない」
「向こうもこれ、リンディママを屈服させて傍に置こう、みたいなのが滲み出てますね。やだなぁこんな、勝つか負けるかみたいな恋愛感情」
「こんなのも恋愛の一種、か。あたしはごめんだね……するんなら、もうちょっと互いを尊重したいもんだ」
がたり、と椅子が蹴られる音が、学園長室に響く。リンディが立ち上がったプリムラムを見やると、彼女は興奮とも驚愕ともつかぬ顔をしていた。
「こここ恋!? リンディママがついに! 誰! 誰と!?」
「落ち着けプリムラム、あたしはそんなこと言ってないし、そんなものする気はないと――――」
言いかけ。
リンディは。
口をつぐんだ。
プリムラムの桃色の瞳に、他の女を想起して。
「ほ、ほんとにいるんだ……アンジーママも喜びますよ!」
「あ。あいつ嫉妬深いから、むしろ殺されるんじゃ」
「とんでもない! アンジーママなら爆笑してから、一等いいブランデー取り出して! 〝最高じゃないか〟って言います!」
(そんな馬鹿な)
最近若返って、猫耳まで生えるようになった教頭を思い起こし――リンディは噴き出した。しばし咽てから、肩で荒く息をし、自分を落ち着ける。
「でも誰だろ……最近リンディママに周りにいる子だと、ラカルくん? ウォルタードくんはママには興味なさそうだし」
(いやラカルだってないだろ)
勝手なことを言うプリムラムを半眼で睨みつつ、リンディは心を落ち着けるためにお茶を含んだ。
「リンドウさん? は違うかぁ。アプリコットさんか――――」
「プリムラム、あたしをからかうんじゃないよ」
「――――ユーラニアさん」
「っ」
名前を出されただけで、リンディはつい息を呑む。プリムラムの瞳が、嬉しそうにすいっと細まった。
「うーん、綺麗な子ですけど。どうして? アプリコットさんの方が、ありそうなのに」
「そもそも女同士だってところは無視かい」
「リンディママが好みそうな相手、なんて。男女はもちろん、人間って枠を超えて考えないとわからないですし」
(この子、アンジーといいあたしといい、いったいどういう目で見てるんだい……?)
リンディはじっと見つめられ、大きくため息を吐いてカップをソーサーに戻した。
「誰にも言うんじゃないよ」
「それはまぁ。え、ほんとに? なんで?」
「そんなの……わかるわけ、ないだろう。恋なんて、したことなかった」
そう口にすると途端に、胸の奥が熱くなった。腹の底はふわふわとし、落ち着かない。
「ふーん? でもユーラニアさんなんだ……ママに似てるから、とか?」
「似てる? あたしが、ユーラニアと? どこがだい」
「全体的に?」
リンディは鼻で笑い……だが視線を落とした。リンディは60年前の乙女ゲーム一作目の悪役令嬢、ユーラニアは現代の二作目の悪役令嬢である。共通点は、確かに多い。
(でも、あたしは諦めて……情けなく、這いつくばった。60年、無様に生きて)
自身の人生を振り返りつつ、それにユーラニアを重ねる。彼女はリンディの後押しがあったものの、自ら飛躍し、破滅の回避に大きく迫った。
それが、眩しく見えて。
(――――美しい)
リンディの脳裏に蘇るのは、先日の光景。高位の魔物に立ち向かったり、断罪劇で立ちあがったり、ラカルと握手を交わした……彼女の姿。自分にはなかった、運命と向き合うその気高さに、惹きつけられるようであった。
(あたしは。学園を失いたくなかった。そのためにあの子の破滅を……そう思っていた。でも、違うんじゃないかい? そう。学園のことだけ考えるなら秘密裏に仕掛け、シリカを先に攻め落とせばそれで済んだ話。なのにあたしは)
あの日。自ら掬い上げた、銀の令嬢の。
怯えの奥にある、強い意思を秘めた、赤い瞳が。
まだ、忘れられない。
(あの子を救いたかった。悲しい想いを、させたくなかった……それだけじゃ、ないのか?)
幻の赤い瞳に、真向から視線を合わせ。
リンディは顔を、上げた。
「プリムラム」
「なに?」
「あたしはこの気持ちを、墓場まで持っていく。誰にも言うな」
「そんな!? それじゃあ、ママは――――」
「言うな。いつまで生きるかわからないあたしじゃ、寄り添う資格はない」
リンディはぴしゃりと言いつける。彼女は魔力の特性により〝不滅〟であり、年も取らない。だがいつまでそれがもつかは……誰にもわかっていないのだ。
「もし」
プリムラムは一度、不満げに口先を尖らせてから、言葉を続けた。
「もし、ユーラニアさんが公言通り、ママの寿命を延ばせたら」
それは、ユーラニアの見せた決意、そして目標だった。神獣・竜胆を育て、リンディの寿命を延ばすための力を授けると。できるわけがない、と思いつつも、リンディが許可した道筋。
「その時は、言って。ユーラニアさんに、好きだって」
「…………無茶苦茶言うねぇ、プリムラム」
リンディは顔を俯かせ、想いを馳せる。
その延命が、実現した未来のことを。
これでもっと共に生きられる、と。
そう喜ぶ彼女に、かける言葉は。
確かに一つしか、なかった。
「言ってやるとも。みっともなく、恥を捨てて、縋るように……祈るように」
言い捨て、震えを伴って息を吐く。歓喜のような、怯えのような振動が胸の奥でうずいていて、おさまらなかった。泳ぐように視線を上げれば、顔を輝かせたプリムラムが待ち受けている。
「っし、やった! 私、ユーラニアさんに協力してきます!」
拳を振り上げる愛娘に、リンディは頬を緩めて呆れたため息を漏らした。
「おいまてまてまてまて。そもそもあんた、何しに帰ってきたか忘れたのかい?」
「おっと。さすがに覚えてますよ。ラカルくん、そろそろだと思いますし」
「そろそろ?」
ちょうど尋ね返したところで……扉をノックする音が、響いた。
『リンディ先生、ラカルです』
(ここで待ち合わせたのかよ)
リンディは小さく咳ばらいをし、声を上げた。
「お入り、ラカル」
「失礼する」
折り目正しく堂々と、扉を開けて赤毛の少年が入ってきた。椅子の勧めを誇示した彼は、一通の封筒をプリムラムに差し出す。
「祖父への書簡です。内容は、打ち合わせ通りに」
「はい、確かに。あとはオットー伯爵令息を領に送り、そこからアンジー教頭と二人で、シリカ王都に向かいます。返事を書いてもらって、戻ってくればいいんですね?」
「ダメだった場合も連絡を寄越しておくれ。ナイト帝国側から焚きつけて、なんとかする。しかし……詳しくは聞いてないが、よくあの息子、帰るのに承服したね? 随分怖がってた気がしたが」
「エルさんが説得したって聞いてます。私も詳しくは」
プリムラムが立ち上がり、ラカルを代わりに椅子に押し込める。彼女は封筒を振りながら、学園長室の扉へと向かった。
「じゃ、私はシリカに戻りますので。ラカルくん、ペリー先生の言うこと、よく聞くように」
「あ、はい。先生……なんで俺は、座らされたんでしょう」
桃色髪の教師は含むような笑みを漏らし、そのまま出て行った。リンディはラカルと二人、残される。小さくため息を吐き、宙を指で撫でた。
「昼食がまだだって、見抜かれたんじゃないかい? 食べてお行き。ソーダは甘さ控えめ。少しピリッとした……ホットドックはどうだい」
「ぉ……ごちそうに、なります」
肉を挟んだパンの乗った皿と、空のグラスがラカルの前に置かれる。ほどなく宙を舞う瓶から、透明な液体がグラスに注がれ、しゅわしゅわと泡と音を立てた。
(ラカルがあたしを、ねぇ)
大人しく食事を摂る彼を見つつ、リンディは先ごろのプリムラムの言葉を思い出す。
(そんな目じゃ、ないな。イブロスと違って、いやらしさがない。巨乳好きという割には、こいつあたしの胸を見ないんだよな。前は見られてたような、気もするが)
ものは試しと胸の下で腕を組み、背もたれに寄り掛かってみる。しかし目の前の少年は、特にリンディに目をくれる様子もなかった。
(不思議と、信頼できる男だ。入園すぐにユーラニアと揉めた時の子と……同じ人間とは思えないね。ペリーの導きがよかったのだろうな……当時の奴には思惑があったとはいえ、ペリーがラカルの世話を焼くのを、止めなくてよかった)
リンディは目を細め、生徒の成長を噛みしめるように微笑む。彼が食べ終わるのを待って、ハンカチを用意してやり、手と口元を拭うラカルにゆっくりと声をかけた。
「面倒をかけて悪かったね、ラカル。シリカ側から、正式に婚約破棄を勝ち取ろうとすれば……イブロスが邪魔するだろうし、だいぶかかるだろう。だがパルガス王の裏書があれば、ナイト帝国側に訴えかけることができる。帝国からの破談なら、少なくともエンタス公爵家は協力的だ」
「公爵閣下が前向きなら……どこに、問題があるのでしょう」
「皇帝だよ。肝いりの国際結婚だったらしい」
「そういうこと、か……」
「どうかしたかい? ラカル」
俯いた少年に、問いを投げる。黙る彼が顔を上げるのを、リンディは落ち着いて待った。
「父に……煽るように、念を押されたので」
「なるほど、愉快そうに話してるわけじゃないと思ったら。脅されたかい?」
「ユーラニアを連れて帰ってくれば、国に居場所もできるだろう……そんなふうに言ってました」
「そういや、その点も問題だが」
リンディは言葉を切り、ラカルの青い瞳をじっと見つめる。
「破談になったあんたが国に帰れば、暗殺者と戦う日々になるだろう。少し早いが……進路希望を、聞いておこうじゃないか」
「俺は――――ここで教師になりたい」
迷いなく言い切った彼に、リンディは深く頷いて見せた。
「いいじゃないか。理由は?」
「俺みたいな奴でも、教育ってのは変えられるんだ。王なんかより、ずっと価値がある」
リンディは薄く笑いながらも、静かに首を振る。
「そう言うもんじゃないよ。教育に耐えられる者ばかりじゃない。彼らを生かせるのは、王だけだろう」
「そんなことはない。エルが言ってましたよ。リンディ学園長なら、弱者にもきっと光をもたらせるって」
「買い被りすぎだろう……勉学にも労働にも意欲もなく、意義も見いだせない者。あるいは、鞭を打ってすら動かない……そんな者たち。彼らに施せる教育など、あるものかね」
呟くように、リンディは吐き捨てた。それはリンディの思う、弱者の定義。学園にいられず、街にもいつけず、国に帰るしかなかった者たち。
「理由……次第ではないでしょうか」
「理由?」
リンディが問い返すと、ラカルはあいまいな笑みを浮かべて頷いた。
「その。上手くは言えませんが」
「いや、いい。理由、か」
深く腕を組み、足を組んで、リンディは俯いて思案する。
(事実ではなく、その原因……あるいは)
燃えるような赤髪の少年がもたらした、一言は。
(心に寄り添う、ということか?)
静かに胸の奥に、落ちた。




