03-08.愛の炎に炙られて。
親族授業参観初日、午前。一年は校庭を広く使い、属性魔法の個別演習を行っていた。〝風〟の実習は終わり、多くの生徒が成果を出した。次は〝炎〟で、その前に休憩と相成っている。
生徒や親族たちとは少し離れ、リンディはエルとカイを迎え、〝防音〟の魔法を敷いた。
「そういえば……政治の話って、しちゃだめなんでしたよね? 学園長」
「そりゃ生徒向けだ。ま、親族同士でも揉め事になったら、お帰りになってもらうがね……それで? 何を見せるって?」
「ブレイル皇帝に、あのメローナって方が新たな教育で進歩できるってとこを、お見せしましょう」
エルが堂々と宣って、胸を張る。それきり黙るので……リンディは半眼になって、彼女を見た。
「どうやって?」
「えっ」
言葉を詰まらせて、エルが狼狽を見せる。リンディが見つめる中、彼女は頬を引くつかせた。
「その……弱者層向けの学校の構想。まだ何も考えてらっしゃらない……?」
「それ自体はずっと学園の課題だったから、一定の知見はある。即効性のある案は見つかってない」
「あ、れ。ボク、やらかしました? これ……」
リンディはそっと、ため息を吐く。視線を上げると、偉丈夫がにかりと笑っていた。
「大丈夫ですよ、カイ殿。ただ急すぎる。念のため、〝落伍者〟って定義あたりから議論をしたいね」
「具体例があそこにあるってのに、机上の論議を優先するのかい? リンディ」
カイが肩越しに親指を向けている。その先には、ワランド侯爵令嬢のメローナの姿があった。リンディは少しのため息を漏らしてから、先帝の顔を見上げる。
「しますとも。教育とは、体系だった知識と技術の伝達です。行き当たりばったりではいけない。十分に抽象的な知識体系を整備し、それを個別具体例に落とし込むのです。そうしないと、例外や間違いに対応できない」
「なるほど、そこは専門家に任せっとすっか」
「ところで、二人はもう用事は済んだので?」
リンディが尋ねると、エルとカイが顔を見合わせ、少しの笑みを見せた。
「オットー伯爵令息とは話せました。ケティーラ先生とも」
「次はパルガスの孫だ。が……イブロス自身がしばらくついてるだろうし、後回しかね」
イブロス王太子は、ラカル王子の親として学園に来ている。二人は政治的には不仲なはずだが、見る限り一応親子として振る舞っているようだった。リンディの視線の先では、仲睦まじいとは言い難いが、何がしか会話している様子の二人の姿がある。
「その点、様子を窺ってみます。この後の〝炎〟の演習では、ユーラニアとラカルが組むんですよ。あたしはそのままユーラニアにつくので……少し話しましょう」
「ユーラニアさん、炎魔法苦手でしたっけ?」
「あの子は水と地が得意なんだよ。他二つが、少しずつ苦手だ」
「へー」
リンディが答えると、エルが感心したような、あるいは意外そうに声を上げた。
「イブロスと話すんなら、オレらも様子を見させてもらおう」
「何かありそうだったら、すぐ割り込みますんで」
「頼もしいこって」
イブロスがリンディを篭絡しないか……二人はその点を心配しているようだった。かつて自分を振ったパルガス王に似た彼を見て、リンディは弱く首を振る。
(そうそう何かあったりしないだろ……しないよな?)
☆ ☆ ☆
「こうしてお近づきになれるのは……喜ばしい限りです。リンディ様」
〝炎〟の実習が始まり、ひと段落ついたところで……早速これである。親族席寄りに近づいたリンディに対し、イブロス王太子が自ら立って出迎えた。
「あたしなどより、我が子に着目してほしいね。イブロス殿」
その赤い瞳を見ていられず、リンディは体ごと向き直って、ラカルたちの方を向く。ラカルは真っ当に、ユーラニアに炎の出し方を教えていた。
「十分見せていただきましたとも……ふふ。つれない態度も素敵だ」
「っ」
右肩の後ろから、息と声を感じ、リンディは背筋に泡立つおぞけを抑える。
「お詫びについては……後日正式に。あなたのためなら、体はいつでも開けておきますので、お呼びつけください。レディ」
「詫びがしたいというなら、そもそも礼を欠かないでほしいね……今のあんたのそれだって、淑女扱いする相手への態度じゃなかろう」
「魅力的な女性に囁くのは――――当然の礼儀です。愛している、とね」
耳元で告げられ……リンディはすっと、おぞけがおさまるのを感じた。
(愛……愛だって?)
彼女の知る、愛。家族にも、婚約者にも与えられなかったそれは……80年近く生きてようやく、教わったもの。アプリコットが、はっきりと。アンジーが、しとやかに。そしてユーラニアが――――。
「…………愛が薄っぺらいのは、父親譲りか。イブロス」
別の赤い瞳が目に入り、リンディは静かに返す。背後の吐息に少しの動揺が混じり、彼が身を離したのを感じた。
「かつて婚約者だったあたしの前で、平民の女に囁いていたあいつと……瓜二つだ。父親の所業を詫びるといったその口で、よりにもよってあたしに同じことをするのかい? あたしがそれを許していないと――――わかっているんだろう? 若造」
リンディは僅かに、顔を横に向けて背後に視線を流す。イブロスは俯き……身を震わせていた。その左手が――――燃えている。
「あんた、何を……っ」
右手を掴まれ、リンディは反射的に魔力で彼の魔法を抑えにかかる。炎は消えたが魔法はくすぶっており、掴まれた手首を振りほどけない。
「父と俺は違う!」
「何が違うと言う!? 妻子ある50間近の男が、80近くのババアに迫っておいて!」
「妻だと? あんなやつら、ただ子を産むためのモノだ。愛などない。ただ地位と金に溺れ、俺に縋り付くだけの女どもなど!」
「女のあたしが――その発言を許せると、思っているのか?」
「許しなど請わない! 俺はあなたに会いたかった! 兄の参観で、母についてきたあの日! 40年前に見かけたあなたに! なのに父は俺を学園に入れなかった! やっと……やっと!」
(この――――力が、強い! ハッ)
燃えるイブロスの右手が回り、リンディの左頬をガッと掴む。黒い髪が少しだけ焦げ、炎は抑え込めたが……二か所の魔法を抑え込むに手一杯で、体に回せる魔力が一気に減少した。
(クッ、神獣を出すか? 合成して、穏便な奴を……)
グッと力を籠めて引き寄せられ、リンディの思考は中断される。回る視界が驚愕する幾人かを映し……すぐに赤い瞳以外のものが、入らなくなった。
「許せないと言うなら、いくらでも詫びよう」
(いやだ)
目が合った瞬間、体が強張る。自由が効かず、力が入らない。
「あなたのためなら、何でも捧げよう」
(いらない)
顔が迫る。イブロスの唇から漏れる言葉と息が、自分の口元にかかった。
「どうか俺を、俺だけを見て欲しい、リンディ――――」
(おまえじゃない、だれか――――)
おぞけが、震えが止まらない。
過去の……自分を振った、パルガスではなく。
リンディは。
この男が、怖かった。
(たすけて……!)
目を閉じ、その瞼の裏で祈るのは。
別の、赤い瞳の持ち主。
「アンタ、アタシのリンディに何してるんだい」
とんっ、と小さな音を聞いた気がした。
鼻先を、流れる髪がくすぐる。
目を開くと、黒い流れが見えた。
その向こうには、黒いドレスの――――。
「ま、おう……?」
「リンディ様、こちらへ!」
振り向いた相手を見て、声を聴き、焦点が合う。
彼女は茶髪、黒目のメイド姿。
異世界からきた神獣――――竜胆。
「き、サマ! 何をした!」
竜胆に手を引かれ、下がる最中。イブロスの鋭い声がした。苦しみに震えるようにも聞こえ、見れば彼は左目を手で押さえている。
「御免あそばせ? お客様。アンタのやんちゃな魔法を、そのままお返ししただけです。体の中を流れた魔法がどうなるかは……アタシの預かり知るところじゃぁございません」
(なんだ、そりゃ。神獣は魔法が効かないだけ……反射の魔法なんて存在しない。この子は、いったい)
竜胆の手を握り返し、リンディは状況を整理する。随分注目を集めているようで、カイとエルも近づいてきている。
そして。
「よくやりました、リンドウ」
背後から歩み寄り、リンディと肩を並べたのは。
銀髪の弟子……ユーラニア。
「はい、ユーラニア様」
竜胆がリンディから手を離し、下がって礼をとる。一方のユーラニアはリンディにさらに近寄り、彼女の肩を抱いて引き寄せた。
「ゆ、ユーラニア!?」
「リンディさん……このわたくしがいながら。あんな輩を近づかせてしまって、ごめんなさい。怖い思いをさせて……なんとお詫びすれば良いのか」
「そそ、そんなのは、別に、その」
リンディは顔を真っ赤にし、しどろもどろに答える。目を逸らしたいが、体が固まって思うように動かず、覗き込む赤い瞳と見つめ合った。
「お前の差し金か、ユーラニア!」
「ええ、イブロス王太子殿下。ふふ、わたくしが気に食いませんか?」
ユーラニアが悠然とほほ笑み、イブロスの方を流し見る。その所作を目前で見せられて、リンディの心臓がどくんと跳ね上がった。
「いいんですよ? こんな地位と金目当てで、あなたの息子と婚約してる女。破談にして、ご放逐いただいても」
「キサ――――――――ああ」
ユーラニアのあおりを受け……イブロスはなぜか。
笑った。
「なるほど」
姿勢を正して立った彼は、後ろを振り返る。ユーラニアが身構え、リンディの肩をさらに強く掴んだ。リンディは。
(今の、様子がおかしい――――このっ、思考がまとまらない……!)
高鳴る鼓動に気を取られ、イブロスの変化に集中できない。
「係の方、医務室はどちらかな?」
「あ、その。はい」
王太子につけていた護衛兼監視が、迷ってリンディを見つつ、彼の案内を始めた。
リンディは彼の背中を。
黙って見送った。
☆ ☆ ☆
昼食時になり。
(疲れた……)
リンディは学園長室で一人、執務椅子に全身を預けてぐったりしていた。
ぞんざいに手を伸ばし、机に乗った皿の上のパンを手に取る。厚手の生地はほどよくトーストされており、耳は固く、中はふわりとしていた。口に含んで噛むと、まず風味豊かなパンの食感。次いでしゃくり、と気持ちの良い生野菜の歯ごたえと、厚みのある弾力があった。顎に力を入れてかみ切ると、口の中にじゅわりとうまみと油が広がる。炙った肉の脂、塩コショウが小麦と野菜にうまく調和し、味覚を楽しませた。
(ん……60年経って、すっかり貴族の倣いも忘れられたかね。パルガスの奴に見られたら、一発で婚約破棄されそうだ)
胸の上に散ったパンくずを、雑に払い落とす。後で魔法で掃除するのだからと、リンディは自分に言い訳しながら、パンをもう一口。
(パルガスそっくりだと思ったが……違うものだ)
食欲の失せそうな先の事件を思い出し、リンディはぱくぱくとパンに食いつき、食べきる。次の一つに伸びそうになる手を堪え、まずはお茶で口の中を潤した。
「各人の戦略目標は……これで出そろったな」
ついっと宙を撫でると、リンディの前に紙とペンが舞った。ペンが走り、今回の「ユーラニアとラカルの婚約」を巡る相関図を描き出す。
「学園……あたし、ユーラニア、ラカルは婚約破談の意向。シリカには寄り添わず、ナイト帝国寄り。その帝国は、先帝のカイ殿が学園との共同歩調で、狙いは魔王残党のせん滅。ユーラニアの父、ヤナトは立場上婚約には賛成だが、本心はシリカ……イブロス王太子と縁を切りたい考え。奴の最優先は、皇帝ブレイルだ」
小さくため息を吐き、また紅茶を一口。多めに口に含んでから、リンディはゆっくりと飲み下し、内側から鼻に昇る香りを味わった。
「そのブレイルは、学園に対して不信気味。メローナのような落伍者が生まれることを見据え、学園無き後の世界を鑑み、シリカと手を結びたい意向。対するイブロス王太子は、ナイト帝国との協力が建前で……個人としての狙いは、このあたし、か」
カップを置き、リンディは震えの来た手を握り締める。細く息をし、先ほどの出来事を頭から振り払った。
(あたしは……)
だが、どうしても。
ユーラニアの、赤い瞳が。
その手の感触が。体温が。
頭にこびりついて……離れない。
(あたしは、どうしちまったんだ)
深く、思考に意識が沈んだ、その時。
「私を呼びましたかね! リンディママ!」
ノックもなく、部屋の扉が開かれた。
「……………………お呼びでないよ、プリムラム」
「あれ?」
桃色髪の教師……リンディの娘が、戸をあけ放ったまま固まっていた。




