02-15.学園を巡って。
ドラゴンが、空を駆ける。雲はまばらで、日差しはやや強かった。
その背にはリンディとアンジー、そしてアンジーの部下の諜報員たちが乗せられていた。彼らはリンディに傷を治療され、今は意識も取り戻している。アンジーも魔力の補給を受け、多少顔色が良くなっていた。
(この男……ジリングは本物だ)
竜の背に座っている一人の男を眺め、リンディは細く息を吐いた。学園でアンジーの危機を告げた男と、間違いなく同じ姿形をしている。
(いくつかの高位魔法で調べてみたが、間違いは、ない。となると)
「学園にこいつの偽物が侵入した、か。だが可能か? リンディ」
アンジーに尋ねられ、リンディは静かに首を振る。
「学園は外部からの侵入には、魔力波長をチェックして対処している。特に〝転移〟に対しては厳重だ。登録波長にない奴が学園内部に転移してきたら、結界に激突してバラバラになる。不可能だ」
「姿を変えていたんだろう? 少なくとも、位階8以上の魔法を使用していたんじゃないか?」
「そうだ。人間が使用可能な位階7以下の魔法だと、姿と声が同時に変えられない。だが古代魔法を含めても、魔力波長を変更する魔法はないし、そんなことができる魔物も、いない」
アンジーの言わんとするところを理解しつつも、リンディは整理するように淡々と告げた。
「ほんのわずかな時間だけ、波長変更して突入すればどうだ? 一度内部に入ってからは、チェックが甘いだろう」
「それはそうだが……真似る波長の正解を、きちんと把握していなければ、無理だ。内通は」
「していませんって!?」
ジリングの訴えに、リンディは肩を竦める。
「だが現実に、侵入された。犯人はやはり、魔王だろう?」
リンディは重々しく頷く。動機、手段、その両面から間違いなかった。
「だろうな。〝変身〟の魔法を使ったとするなら、奴しかいない。ペリーのように誰かを契約で乗っ取って……」
「契約……暗示……」
アンジーが何かに気づいたかのように、呟いている。リンディが顔を上げて彼女の瞳を覗き込むと、アンジーは惑うように目を揺らしながら続けた。
「リンディ。以前の、低魔力暗示。あれで波長の情報をかすめ取ってた可能性は、ないか」
「掠め取る? いやそんなこと、できるのか?」
「…………できる。少なくとも、わたしは」
教頭が断言し、頷く。
(そう、か。暗示や催眠……契約魔法の系列はある意味、魔力波長の制御に近い分野だ。同時に、盗聴や盗撮など、情報取得に役立つ向きもある。これらの魔法は、体系的に繋がりがある……その上、魔王の得意技、だ)
リンディは俯いて思案した。
「ジリングには、低魔力暗示の調査をやらせていた。それで影響を受けた可能性は、ある」
「お、俺は何もしてませんよ!? アンジー様!」
「だろうよ。気づかないうちに、抜き取られたな」
(…………するってぇと、何か?)
慌てて首を振っているジリングを眺めながら、リンディは小さくため息を吐く。
(あの暗示の手紙。ペリーや、ラカルがやらせてた、署名。あの辺で暗示にかかった子たちの波長情報が、奴の手に渡っているのか? それを〝変身〟に組み込んで、波長ごと真似る……? いや、やはり長時間は――――)
思考の途中、リンディは気づいたことを、ポツリと漏らした。
「そうか。だから手紙をばらまき、署名を集めたのか。長時間はごまかせないから、何人もの波長情報を得て、変身を繰り返して誤魔化すんだ……!」
顔を上げれば、苦々しい表情のアンジーが、小さく頷いている。
「すぐに戻ろう。誰に化けてるかわからない魔王が、学園にいるってこったろう?」
「狙いはエル、だろうな。クッ、出し抜かれた!」
先日、エル・エリンジウムを排除すると宣った魔王を思い起こし、リンディは唇を噛み締めた。
「…………向こうも、バレるのは承知の上ってことか」
アンジーの呟きを耳にし、リンディは彼女の見つめる先に目を向けた。
「ま、魔物――――!?」
大きく目を見開く。まだ遠いが、平原にドーム状の壁で覆われた街が見えた。そこに、魔物が群がっている。
(こないだよりは少ないが……やはりあれも、魔王が操っていたのか!? 街は壁の〝透過〟をしていない……市街戦想定だな。壁が破られるまでに住民を地下に避難、地上部は破棄の構えか)
リンディの操る竜が、慎重に街に近づいていた。だが。
(空の魔物の数が多い……これじゃ〝転移〟や〝回線〟の使用可能距離まで近寄れない! あたしとアンジーだけなら、強引に突破して内部に転移できるが)
竜の背に同乗する職員たちをちらりと見て、リンディは奥歯を噛んだ。彼らは傷は治ったものの疲労が濃い様子で、当てにするのは危険であった。
(少しギャンブルが過ぎる、か。それくらいなら、〝髄白〟を出してタイミングを見計らい、街の地上部ごと奴らを一掃した方が、早い)
リンディはいくつかの切り札を思い浮かべ、対処法を練る。その肩に、手が置かれた。
「リンディ。三位一体は一日一度まで――――そういう約束の、はずだ」
「アンジー、だが!」
「わたしに任せろ。このまま空の魔物を刺激しないように、遠巻きに飛んでくれ」
ドラゴンが街と遠めの距離を保ち、ゆっくりと旋回を始める。リンディは隣に立った老女の横顔を、不安そうに見上げる。
「だがお前、戦闘なんて……」
「わたしだって、守りたいんだよ。お前と作った、学園を」
アンジーが腕を街に、魔物たちに向かって掲げている。その手に僅かな震えを見て取り、リンディは言葉を飲み込んだ。
「魔物を片づけたら、すぐに街に近づいて転移するんだ。こちらはなんとかする。お前たち! 下を向いて目をつぶれ! 絶対に上を見るんじゃないよ!」
「アンジー、いったいなに――――おぷっ」
「黙ってな。わたしだけを見てるんだ……リンディ」
リンディはアンジーに、片手で抱き寄せられた。彼女のもう片方の手が、天に掲げられていくのを……リンディは呆然と、見つめる。
「魔物ども。お前たちに、神がいるのかは知らないが――――」
空に急速に、雲が渦巻き始めた。雷雲のように黒々としたそれは、あっという間に平原中を包み込むように広がっていく。雲からは白い何かが、しんしんと降り注いでいた。
(これは、魔法……いや、まさか神獣!? 神獣の階梯は、おおよそ大きさに比例する! こんな)
雲が奥から、轟音を伝える。腹の底に響くような雷鳴をまき散らし、渦を巻く中心から……何かが、姿を見せようとしていた。
(いったいどれだけ――端が見えないぞ!?)
「今日はわたしが、祈りってもんを教えてやろう」
雲をかき分け、ソレが動いている。リンディはしばし、何が起こっているのか理解できなかったが。
目が開こうとしている。
そう気づいた瞬間、アンジーを抱きしめ、視線を決して上げぬように俯いた。
「〝視祖〟。自由にしてやれ」
アンジーの宣告の後、波のようなものが直接頭の中に響く。
(なんだ、これは!? 声……魔力の!?)
リンディは片手で頭を押さえつつ、思わず目を見開く。
その視線の先で。
地上の魔物たちが、一斉に天を見上げていた。
(だ、ダメだ! 釣られて上を見るな!)
必死に抗ってリンディは下を向き、竜には目を閉じさせ、飛ばせ続ける。地上の魔物は固まり、空の魔物は羽ばたくのも忘れ、地上に落ちようとしていた。リンディは勘を頼りにドラゴンを制御し、堕ちる魔物に当たらないよう、空を大きく旋回する。
雷光と轟音が、幾度か走った。
思わず閉じた目を、リンディは恐る恐る、ゆっくりと開く。
「これは……」
地上では――――魔物同士が、争いを始めていた。街の壁を無視し、近くの魔物に襲いかかっている。
(催眠……違う。契約を切ったのか! 魔物を操る、魔王との!)
リンディはハッとして、顔を上げた。すでに空は晴れ渡っており……いつもより皴深く、疲れた様子のアンジーの顔が、あった。
「アンジー! こんなことしたら、あんたの魂が!」
「パルガスの馬鹿を解呪して、60年前に入ったヒビが……ちぃと大きくなるだけさ。お前の魔力を、いつもよりしっかり感じるよ、リンディ」
(まずい、このままじゃアンジーは……!)
リンディはアンジーを抱きしめ、その手に魔力を込める。だがアンジーに頭を一撫でされ……押しのけられた。
「アンジー!?」
「早く街に近づいて転移しろ。こっちは〝眼爺〟を出してこいつらを連れて、戻る」
「でも!」
「行け! 学園長!」
アンジーの切羽詰まった叫びに震え、リンディは反射的に〝転移〟の魔法を紡ぐ。
その身と、ドラゴンがかき消え。
残された者たちは、巨大な目玉の化け物の上に、放り出された。
「そうだ、それでいい……みっともないわたしを、見ないでおくれ。リンディ」
「アンジー様!?」「教頭!」
膝から崩れ落ちる教頭と、その部下たちを乗せ。
目玉の化け物は、ゆっくりとドームに近づいていった。
★ ★ ★
リンディが転移する、その少し前。
エルは小さくため息を吐き、空を見上げた。
「学園に来てから。学園長は付きっ切りで、教えてくださった……学園のこと。魔王のこと。過去のこと。ゲームのこと……あの人のこと、ボクはほとんど知ってしまったかもしれない。でも」
ドームが街をすっぽりと覆っており、空はまったく見えない。内側は仄かに明るいが、夕暮れのような柔らかさであった。
「聞いたのと、実際に見るのとではやっぱり違うなぁ。学園長、教頭ともに不在時の緊急マニュアル通り……学園は素晴らしい。きちんと機能している。あの人はこれを、一人で作り上げたのか」
彼女が立っているのは、学園本棟屋上。そこに建つ展望小屋の中央。
「ボクは――――この理想郷を維持したい。今後……ボクの時代も。そのまた先も。この中なら。きっと家族が離れ離れになるなんて……そんなこと、ないはずだ。そのためには」
エルは振り返り、展望小屋二階唯一の出入り口、一階への階段を見やる。ゆっくりと、恰幅のいい男性が登ってきていた。
「リンディ・グラネートの延命が、絶対に必要だ。そうは思いませんか?」
「わ、私もそれには賛成ですが! エル様、早く地下にご避難を――――」
「ダウト」
エルが鋭く告げると、階段を上がり切った小太りの教師――ケティーラが足を止めた。
「ケティーラ・テキーラは学園長がいつまでも存命なことに、ずいぶん文句を言っていました。それに、ボクの呼び方が違います。真似られるのは魔力波長と、声や姿形だけ、のようですね」
「な、なんのことでしょう? それより、早くこちらに……」
「このままでいいでしょう。話があるから、あなたを待っていたんですよ?」
「魔王」
エルの見つめる前で、太った丸い顔が歪みを見せる。ぞるり、と彼の髪が伸び、その身を包み込んだ。
「つれないなぁ、エル」
髪の中から現れたのは。漆黒の艶やかなドレスを纏った、女。
魔王、その人であった。
「私が確保しといた君が、いつの間にかいなくてさぁ……君のお父さんが残した情報から、やっとここまで辿り着いたってのに。苦労したんだよ? 学園はリンディが神経質なくらい、守りを固めてるし。用意しといた魔物どもは、なんでかほとんど先走ってリンディに倒されてるし」
肩を竦める彼女の手には、光沢を見せる短い刃物が握られている。
「やってらんない。時間もないし、もっとお近づきになろうよ?」
エルは近づいてくる魔王に向かって、にっこりとほほ笑んで見せた。
「先走って――――そう。やはりそういうこと、だったんですね」
エルの言葉に警戒心を抱いたのか、魔王が歩みを止める。
「何が言いたい」
「父のやらかしの痕跡から、あなたは学園所属の人間の魔力波長を手に入れた、と。魔王の分霊同士での情報共有は、完全ではないようだ。リンディさんから根掘り葉掘り、あなたのことを聞き出しておいてよかったです。あなたの正体も、今の話でわかりましたしね」
彼女はねめつけるように、エルの足先から頭までを睨みつけた。
「……なぁに企んでるのさ、このヒロインが」
「ボクはその〝ヒロイン〟になるつもりは、ないってことです。リンディさんは、絶対に必要だ」
エルの口元が、にやり、と歪んだ。
「契約をしましょう、魔王。お近づきの印、に」
押し黙る魔王を、エルは目を細め、見つめる。
「〝名もなき君主〟ではなく。あなたの本名を知るこのボク、エル・エリンジウムと」
二人ただ、睨み合う中。
「お互いの目的を叶えるための、対等な契約を」
分厚い天井の向こうで、雷鳴が轟いた。




