02-13.盟友、帰らず。
暑さの抜けた風が、中庭から吹き込んで来る。
(……いつの間にか、すっかり秋か。親族参観まで、あと一カ月ちょい。時が経つのは、本当に早い。あたしも)
リンディは一人、ゆっくりと廊下を歩く。時折、生徒に手を振り、挨拶し合い、少しの雑談をし。
(年、だねぇ)
窓の外。時折見える樹木の色に、目を細める。
「リンディ学園長!」
ほど近い空間から、声と共に突如人が現れた。
(短距離〝転移〟!)
「ぶべぇ!?」
膝ほどの高さに出現したその人物は、見事にバランスを崩して廊下に倒れ込む。長い茶髪と、エプロンドレスの裾が無様に床に広がった。
「こいつぁ、驚いたな。いつの間に使えるようになった……リンドウ」
呆れてため息を吐き、リンディは倒れた彼女に近寄る。
「校則で禁じてはいないとはいえ、急に〝転移〟などしてくるものじゃないよ」
「し、しつれいしました、がくえんちょう……」
(この世界にきて一月。特殊な適性だったとはいえ、これだけ早く高等魔法にも手が出るとはなぁ。今年は才気溢れる生徒ばかりだ)
リンディが差し伸べた手をとり、竜胆が身を起こした。
「どうした。ユーラニアは?」
「あ、はい。アプリコットと一緒に、街に行くって」
「伝言ついでにあんたを、あたしに預からせるってわけか。せっかくだから聞くが」
リンディは指で宙を撫でる。僅かに風が巻き、二人の周りから音を奪った。
「ユーラニアの神獣契約。進捗はどうだ?」
リンディが尋ねると、竜胆はびしっと姿勢を正して、引き締まった表情を見せた。
「契約は、来月にはできます。ただ次の〝合成〟のプランが立たないとかで……」
「元より、神獣合成は来年度の課題だからな……あの子らは事情が特殊ゆえ、許可は出すが」
アプリコットからは計画を聞いて、これを許可している。そちらが順調なことを思い、リンディは密かにため息を漏らした。
「その状況なら、契約以後はつもりを明かしてもらいたいところだ。本当なら、今すぐ聞いてもいいんだが?」
「ゆ、ユーラニア様、内緒にしたいって……」
慌てた様子で両手を掲げる竜胆に、リンディはにやりと笑って見せる。
「〝言ったら止められるかもしれない〟という腹積もりなら、認められない。試行錯誤中だから今は黙っておきたい、というのなら自主性を尊重する。リンドウ、あんたから見てどうだ?」
「あ、いえ。ユーラニア様はただ、力不足を嘆いてる感じで」
竜胆は多少言い淀んだが、真っ直ぐにリンディを見てきた。
「わかった。なら都度、もしあたしに言ったら止められるかどうか? をユーラニアに問え。応えられないようなら、報告しろ。打ち切りにする。ユーラニアが危ないからな」
「わかりました、学園長!」
リンディは頷く。竜胆は肩の力を抜き、ほっと息を吐いた。
「それにしても……あの子はやけに焦っているというか、熱心だな。何か、知っているか? リンドウ」
「ふぇぇ!? い、言えません!」
(言えないってなんだよ。気になるじゃないか)
竜胆が慌てて目を逸らしている。リンディは彼女を半眼で見つめたが、答えは返らなかった。
「あ、や、でも! アタシも、学園長が長生きしてくださった方がいいと思ってます! 推しです!」
「はいはい。誤魔化されといてやるよ」
リンディは俯き、ため息を漏らす。
(長生き、ね。教師として、リンドウやユーラニアを不安にさせたくは、ないが……あたしは)
リンディの胸中には、漠然とした抵抗感が湧き上がっていた。
(やはり、あまり前向きにはなれない、な)
「あ。アタシからも聞いて良いですか?」
竜胆に問われ、リンディは顔を上げる。
「なんだ。質問はいつでも受け付けている」
「んっ…………やっと飲み込めてきたんです。先月聞いた、衝撃の事実」
(アレ、か?)
言われてリンディが思い出すのは、魔物が大挙してきた翌日のこと。アンジーと竜胆と三人での、秘密の会合。その席で語った……リンディの秘密、だった。
「アプリコットさんはゲームと違って、ちゃんと人間、なんですよね?」
「いつかのあの考察絡み、だな? そうだ。砂場の契約拒否理由は、魔力だけ。あの子が人間であることは、証明されている」
かつて竜胆が言い淀み、その後会合の中で打ち明けた「考察」。ゲームにおける、アプリコットの秘密。リンディはそれを改めて否定し、竜胆の黒い瞳を見据えた。
「まだ気になるのか?」
「あ、いえその」
竜胆はしばし惑ってから。
「どうして学園長は、ゲームと違うことを、したのかなって」
言葉を、零した。
「ゲームと現実は違うと言ってしまえば、それまでなのですけど……。アタシが見る限り、だいたいのことはゲームと同じで。魔王も、ゲーム通りにシナリオを進めようとしてた、んですよね?」
竜胆が饒舌に述べる。自信のなさを補うような言葉の羅列を聞き、リンディは思わず肩を竦めた。
「奴の発言と、あんたの情報を合わせると、そうなる。不満そうだな?」
「不満じゃなくて……気になって。その辺言い出すと、断罪イベントとかも結果が違いますけど」
言葉を切った竜胆は、申し訳なさそうに目を伏せる。
「でも。学園長に聞いてわかることじゃない、ですよね。すみません」
「その通りだ。あたしに言われても、さすがに困る」
「ですよねー……」
竜胆がそれきり黙ったので、リンディは窓の外遠くを見つめ、肩を落とした。
(知りたいのは、あたしの方だ。断罪イベントを避けたのは、あたしの頭にリンドウのものと思しき記憶が、この春突然入ったから。それ以前の、ゲームと異なるあたしの行動に関しては、何の説明もつかない……偶然と言えばそうだが)
春には花が散っていた、並木が目に入る。今は、葉が落ちていた。
(二つあると、気になる)
「そういえば、アンジー教頭、のことなんですけど」
「……アンジーが、どうした」
急に話題が変わり、リンディは無意識に身構える。
「そちらもその。リンディ先生が魔法で寿命を延ばされた、んですよね?」
「アンジーは、パルガス皇子が魔王と結んだ正式な契約……呪いを無理やり引き剥がした。魔力をごっそり使って、その際に魂に傷がついて……それをあたしが、長らく補填してきている」
「逆にそれ。ゲームではなんで、しなかったんでしょうね……?」
(逆、ね……言われて見れば、だが)
ゲームのアンジーは、数十年前には命を落としているはずであった。現実の彼女はリンディの処置により、生き永らえている。
「あんたの言う乙女ゲームだと、アンジーはリンディから婚約者を奪った相手だろう? 助けないのが普通なんじゃないか?」
「なるほど……というか、そんな因縁があったのに、すごい仲良いですよね? お二人」
正面から言われ、リンディは少々面食らった。思わず、指でほおを掻く。
「まぁな。パルガスのあほを巡ったとはいえ……あたしの大事な友達だ。貴族学園の頃から、ずっと」
「ゲームじゃもっと、険悪だったんですけどねぇ」
竜胆が頭が真横になりそうなほど、首を捻っている。その目がじっと、リンディの顔を見つめていた。
「お婆ちゃんになってまで、リンディ先生のこと支えてるんですもんね……今も、外国行って。80歳近いのに、すごいですよね」
「年で言やぁ、あたしも一緒だ」
「学園長は〝不滅〟じゃないですか。チートですって、反則」
(反則だってのは、まぁその通りだな……しかし80近い、か)
最近連絡のない盟友を思い、リンディはため息を吐く。
(無理させすぎだとは、思うが。あいつ、どうしてか遠出したがるんだよな。もっと傍にいても、いいのに……)
いつも自分を置いてどこかへ行ってしまう老女を想い、リンディの吐く息は深くなる。
(アンジーに何かあったら、あたしは。そろそろ、帰ってきておくれよ、アンジー。もう丸一月、連絡もなく――――)
「ですからぁ。何かあってからでは遅いんですよ、教頭に!」
〝防音〟を突き抜けるほど、その声は大きかった。リンディは思わず魔法を解除し、廊下の奥からやってきた小太りの男に注目する。その隣を、見覚えのある金髪碧眼の少女が歩いていた。
「だから今のうちに後任を考えておけと、そうおっしゃるので?」
「ええ、ええ。まずはそのためにも次期学園長に、優秀な古株の教師を知っていただこうと……」
「ボクの聞く限り、ベテランかどうかは教頭職には関係がないのですが――――お、ちょうどいいところに」
少女の青い瞳が、真っ直ぐにリンディを捉えた。
「なんだ、エル。ケティーラ、教頭がどうした?」
「こ、これはこれは学園長。新旧学園長そろい踏みですな!」
(まだ旧じゃねぇよ、古くて悪かったな)
小太りの教師を半眼で見つめ、リンディは悪態を飲み込んだ。
「教頭の後任はどうするか? というお話をいただいていました。リンディ学園長」
「ほぅ。ケティーラ、やってみたいのか?」
「そ、そのように浅ましくは申しませんが。栄誉ある教頭職、相応しいのは誰か、と。その議論は早めになさっても良いのではないかと。そう思う次第でありまして」
(後任、か……)
リンディは教師の顔を崩さず、暗澹と告げる。
「アンジー以上の適任など、いない。何かあった場合は……空席だ」
「は、栄えある魔法学園の教頭が空席などと! 諸外国に示しがつきません!」
ケティーラがいきり立つのを、リンディは冷ややかに眺めた。
「それはそうだな。外交も行う教頭は、ある意味学園の顔だ。だが能力の問題で、任せられるものがいない」
「外交ということなら、例えばこの私でも! 特にシリカ王国にはこう見えて顔が――――」
「そうではない。そうか、アンジーの業務を知らないな?」
「ひょ?」
思わずリンディは、意地悪く笑みを刻んだ。
「教頭は外交員にして、諜報員。情報を統括し、学園長を補佐する職務だ」
「え、え?」
「毎日外国に赴いては、危険な任務を遂行し続ける。一方では外国の公式行事にも参加し、会談等も行う。老齢のアンジーでも務まっているからと、軽く見ているのだろうが」
公然の秘密をぶちまけ、リンディは喋りながら小太りの教師の様子を窺う。
「あたしの知る限り。同じことができる人間は、いない。やりたいか? ケティーラ」
「わ、私、は」
「潜入工作を行いながら、堂々と外交員としても重鎮たちに会わねばならない。もちろん、公に諜報活動をしているなどとは言っていないがな? 皆知っていて……証拠を掴めていない。胃がねじ切れるような、スリリングな仕事だが――――どうした。気分が悪そうだな?」
明らかに顔から血の気が引いているケティーラに向かって、リンディは柔らかに微笑んで見せた
「あ、いえ、はは。わ、私はこれで。きゅ、急用を思い出しましたので!」
転がるように、教師は廊下を引き返していく。後にはリンディと竜胆、そしてエルが残された。
「それほどのことを、やっておられるのですね。アンジー教頭は、いったいどれだけ――――」
後継の少女が、珍しく感慨深げに呟いている。
「どれだけリンディ学園長に、心酔しておられるのでしょうか」
「……心酔? アンジーが? あたしにか?」
「少なくとも、ボクにはできませんね」
リンディはうまく問いかけが飲み込めず、視線をそらす。その先で……空中に魔力の歪みが生まれた。
(っ、また〝転移〟! こいつは――――)
「が、学園長! 教頭が、アンジー教頭が!」
葉を頭に、泥を裾につけ、傷だらけの、見覚えのある男が。
「高位階の魔物の群れの真ん中で、孤立して……!」
アンジーと共に、今はシリカの奥地にいるはずの諜報員が。
そう告げた。
「なん、だって?」
言葉を絞り出したきり、リンディは頭が真っ白になる。声も続かず、体も動かず、ただ早鐘のようになる己の鼓動だけを聞いていた。
「リンドウさん、ユーラニアさんを呼んでください」
「え、え? エルちゃん?」
「早く!」
「は、はい!」
エルと竜胆のやりとりも、どこか遠い世界のものに聞こえて。
自分の思考や呼吸すら、遠くて。
光を失い、視界が暗くなる。
「学園長。ユーラニアさんが一緒なら、リンドウさんはどのくらいもちますか?」
エルの言葉が、竜胆の魔力供給に関するものだと気づくのに、リンディはかなりの時間を要した。
「ハッ。エル、あんた……」
「こちらは任せてください。どうか、一刻も早く」
小柄な次期学園長の、青い瞳が。
真っ直ぐに、リンディを捉えて離さない。
「教頭はあなたの助けを、待っているはずです。学園長」
(アンジー、が)
リンディの目に。
光が、灯った。
(あたしを、待ってる……!)




