02-11.弟子の自立。
エル・エリンジウムを学園長の後継者にする――――リンディがそう宣言した日の、午後。
「――――そうかい。授業は良い体験になったようだねぇ、エル。ペリーの講義はどうだった?」
ユーラニア、アプリコットについて回ってのその日の指導を終え、リンディは本棟、学園長室付近まで戻ってきた。隣を歩く、小柄な金髪碧眼の少女に、今日の感想を尋ねる。
「父は……あまり授業が得意ではありませんね」
「そう感じるのは、エルが授業対象者ではないから、じゃないかい?」
「対象じゃない……ボクが闇魔法防護術をすでにある程度知っているせい、でしょうか?」
「やはり、すでに学んでいたか。そういうことだよ」
リンディは頷いてみせた。エルは納得がいった顔である。
「ペリーは難しいことを噛み砕くのは苦手で、平易なことをさらにわかりやすく伝えるのが得意だからな。初学者向けの指導と、基礎学問の解説に向いている」
「そうですね。小さい頃から、父にはたまに会うたびに、いろんなことを教わりました。ずっと、家庭教師の人なんだ、と思ってたくらいです」
(複雑な家庭環境とはいえ、それはどうなんだい。ペリー、アーリィ)
先日の顔合わせでも淡々とした様子だった夫婦を思い出し、リンディは浮かんだ不安を苦く笑って押しのけた。
「学園長、ちょうどいいところに」
後ろから声をかけられ、リンディは振り返る。アプリコットと竜胆、妙にソワソワした様子のユーラニアの向こうに、生徒会2年生二人組の姿があった。
「ロンドル、ドニクス。生徒会の用事かい?」
「そっちは年が明けるまでは暇なもんです。参観期間のことですよ。うちは両親とも来ます」
「自分のところもだ、学園長」
「わかった。他に同行者はいないかい?」
「はい」「いない」
眼鏡の会計と長身の書記が、応える。
(ドニクスの実家は一応ジャスの貴族だが……新興の成り上がり。台所事情が厳しいのは去年と同じだろうから、対応も同様とするか。ロンドルは皇帝の隠し子で……実母が別にいるはずだが、これは来ないと見て良いということだな。来るならトラブル間違いなしだが、それがわからぬ子じゃあない。口にしないなら、問題ないのだろう)
参観期間は学園にとって、客のもてなしと営業を兼ねたイベントである。所属生徒の親族以外にも、紹介で様々な者がやって来る。滞在者向けの宿や飲食はタダで、別に授業料などを生徒からとっているわけではない。だがこの場で、学院街の様々な商談が進むのだ。
リンディは近年、商売の席にはなるべく顔を出さないようにしている。ただし近しい生徒の親族や、トラブルの多い高位貴族の相手は自ら行っていた。
「ところで学園長。そちらが噂の〝後継者〟殿ですか?」
「なんだいドニクス。お前もウォルタードみたいに、小さい子が好みだと言い出さないだろうね?」
「オレはプリムラム先生一筋です! ご紹介いただいても? 学園長」
(それはそれで媚び売っておこうって腹かね。抜け目ないこった)
リンディはくつくつと笑いながら、隣のエルの背に手を添えた。
「エル・エリンジウム。ペリー・ブラックシップの娘だ。学園で預かる指針だが、あたしの意向と本人の希望、両親にも承諾してもらって、二代目の学園長として育てるつもりでね」
「初めまして。エルと申します」
ウォルタードの時とは異なり、エルがただ丁寧に頭を下げた。顔を上げてからにっこりと彼女が笑い、対面する二年生二人は姿勢を正す。
「背が高いのがロンドル。ナイト帝国の出だ。ウォルタード皇子の世話焼き兼、生徒会書記」
「ロンドル・キャッスルです。レディ」
「おや丁寧だねぇ。眼鏡のはジャスの子爵、ドニクス。父親が伯爵だ」
「ドニクス・レッドストライプ。マメノウ領を賜ってるけど……領民は数えるほどなんだよねぇ」
照れたように笑うドニクスを目にして、エルがリンディのことを見上げてきた。視線の意味を理解し、リンディは小さく頷いてから口を開く。
「建国45年のジャスは、まだまだ人手が足りない。放置気味の領地の管理者として、今も爵位の投げ売りをしてるのさ」
「お若いのにと思いましたが、そういうことですか。ジャス統治機構……議会には権威がないと聞きますし、求心力を高めたいのですね」
「おや、オレより賢そうなお嬢さんだ。学園長の後継者と聞いたときは、まさかと思ったけれど――――」
「え、園長先生!」
突然割り込んだ声に顔を上げて見れば、ユーラニアが顔を赤くし、リンディのことをじっと見ていた。口元はなんとも言えないもやもやを表すように歪み、視線には決意と惑いが同時に見える。
「学園長だ。どうした、ユーラニア」
「り、リンドウさんをしばらくお借りしたいです!」
「リンドウを……?」
アプリコットの横でポカンとしている茶髪の少女を眺め、リンディは腕を組んだ。
「学園の中ならいいが、街には連れ出さないように。あたしからの魔力供給が切れる。今日だけかい?」
「いえっ、その。当分の放課後は……」
(この言い出し方。神獣絡みだろうが、切羽詰まってる……しかし、どうしたんだろうねぇ、急に)
リンディは咳ばらいを一つし、右手の人差し指を立てる。
「親族参観期間になったら、あたしはあちこち動く。そうなるとリンドウは連れ回すことになるから、それまでが期限だ。リンドウ、手伝っておやり」
「は、はい」「ありがとうございます!」
「それで。何をするんだい?」
「そ、それは――――」
リンディが問うと、ユーラニアは黙り込んだ。返事を待っていると、彼女の視線が揺れながら、エルに向かう。その赤い瞳には、苦渋のようなものが滲んでいた。
(……ん? なんだろうね、あの目は。アプリコットならわかるが……エルに対抗心を燃やしている? あー……そういやあたしの後を継ぎたいと言ってもいたね、ユーラニアは。だがそうだとすれば、神獣契約を進めることは目的に一致しない……はて)
リンディは息を深く吐き、各々の顔を眺める。ロンドルとドニクスは静観。竜胆は気づかわしげにユーラニアを見ており、エルもまた注視しているようだった。アプリコットは……なぜか興味なさそうである。
最後に、リンディはユーラニアを見つめて口を開いた。
「言いたくないなら、目標は黙っていてもいい。だがリンドウに、万が一があってはならない。都度、目的をこの子に説明しろ。リンドウ、説明が分からなかったり納得できなかったら、協力を拒否し、あたしに報告するように」
「うぇ!? は、はい。リンディ学園長」
竜胆に頷いて見せ、またリンディはユーラニアに視線を戻す。
「リンドウの信用が得られなくなった段階で、この子は返してもらう。いいね? ユーラニア」
「……………………はい、先生」
「よろしい」
応えるユーラニアを、リンディはじっと見つめた。焦りか緊張か……彼女の赤い瞳には、そんな揺れが浮かんでいる。
「あ、先輩方。しばらくわたくし、生徒会には出られませんので」
「ああ」「それはまぁ、いいよ。仕事ないし」
快諾する二年生たちに、ユーラニアは丁寧に頭を下げていた。彼女は竜胆の前に立ち、改めて頭を下げる。
「お願いします、リンドウさん。わたくしを助けてください……!」
「え、えぇ~……それはまぁ、いいですよ……?」
「ありがとうございます! では早速!」
「あ、ちょ、えぇ!?」
ユーラニアが竜胆の手を取り、引っ張っていく。幾度か振り返る竜胆と、肩に力の入った様子のユーラニアを、リンディは無言で見送った。
「……アプリコット」
リンディは視界の隅で揺れる、金の髪がふと気になった。もう一人の弟子が、遠くなる二人の背中をじっと見つめている。
「何か察しはつくかい?」
「私、言うほどユーラニアのこと詳しくないよー? でもたぶん」
リンディが試しに尋ねると、アプリコットは楽しそうに笑顔を見せる。
「あれ、リンディのためだよ」
「…………あたしの? そりゃいったい、どういう――――」
「さぁ? 具体的なことはわかんない。けど、そういう目をしてる。ユーラニアは認めないだろうけどね」
(は? 認めない? そりゃどういうことだい。わからん……)
弟子の明るい横顔を見て。
(…………あまり、良い心地がしないね)
リンディは視線を逸らし、無意識に胸を押さえた。
☆ ☆ ☆
その日の夜、寝室。
(……リンドウを自分の部屋に移してまで、とは。ユーラニアは何をする気なんだか。今のところ、リンドウは納得してるとのことだったが)
リンディはグラスとボトルの乗ったテーブルに、紙束を投げ置く。
「まったく。あたしを一人にして、何しようってんだ。ま、自主的にやろうってんだ。目指す先を隠してという点も含めて、決意の表れともとれる……教師としては、喜ばしい限り、か」
アプリコットもユーラニアもそれぞれ励むつもりなのか、今夜は二人とも寮の自室に帰っている。エルも父親のペリーの元へ戻ったため、今日のリンディは一人であった。
(そうだ。教え手としては、何の不満もない。自ら考え、あの子らがその道を進むというのなら。あたしはその背中を、押すだけだ。いつも通りに…………)
ため息とともに視線を下げたリンディの目に、先ほどまでしたためていたメモ書きが映る。エル、竜胆、アプリコット、そしてユーラニアへの指導内容がびっしりと書き込まれていた。特に、神獣契約に失敗した二人に対する、詳細が。
「神獣……そういやユーラニア、リンドウをあたしの寿命を延ばすためだけの神獣にするとか言ってたな?」
つい昨日の朝のことを、少し遠い目をして思い浮かべる。アプリコットも巻き込むと言っていた令嬢は、いつにも増して熱心だった。
「しかし寿命、ね。あたしの場合正しくは、いつまで〝不滅〟でいられるかがわからないだけだが……」
リンディは死んでも蘇る。その上、体の時間は18歳頃で止まったままで、まったく成長していなかった。
その仕組みは。
リンディ自身でも、解き明かせていない。
リンディは弱く首を振り、グラスを手に取った。
「もしあの子が、あたしの命を繋ぐことに成功して。あと10年も生きることが、できれば。あたしはエルが後継者として立つのを、見届けることが、できる……」
グラスの静かな水面に、自身の顔を映す。透明度の高い赤の中のリンディは、複雑な歪みを見せていた。
(すべてがうまくいけば、まさに理想的だ。この学園を守り抜き、あたしがいなくなった後に繋げられる……)
ワインを一気に飲み干し、リンディは顔を上げる。部屋の窓の向こう、その暗闇をぼんやりと見つめた。
「ま、うまくいけば、か。アプリコットと同様、ユーラニアの状況も見ていくとしよう。親族参観まで、あとおよそ2カ月。それまでに二人の神獣契約が片付いていれば……それはそれで、ありがたい」
リンディはため息を吐き、深く椅子の背もたれに体を預ける。だるそうに魔法を使い、新たな酒をグラスに注がせた。
ふと酒瓶のラベルが目につく。ジャスで見かけて買った彼女好みの一本だったと、気づいた。
(アンジー。一昨日出たばっかだが……またしばらく、帰ってこない、かな)
諸外国に調査に出た教頭は、当分戻らぬ予定であった。空になった酒瓶がひとりでに飛び、部屋の影に消える。リンディはワイングラスを掲げ、その側面から眺めた。
向かいの、彼女がいつも座る一人掛けソファーは、空で。
大きく広いベッドも、整えられたまま。
「しょうがないねぇ。今日は起きとくが、眠くなったらプリムラムでも呼んで、簀巻きにして引きずり込むか」
カラッとした独り言が、耳に痛いほど静かな部屋の空気に、飲まれる。
リンディは再びグラスを傾け、その中身をあおった。
元より、酒には強い方ではあったが。
酔う気配もなく。
眠れる気も、しなかった。




