02-02.大陸で拾った愛弟子。
ユーラニアとラカルの婚約破棄宣言を見届けた、その日の晩。リンディは寝室でワイングラスを傾けながら、いくつかの書類を見直していた。
(シリカ王国内の動きは、東方移動民族へ向いているようだが……ここのところアンジーが忙しかったから、最新情報が不明だ。今日からまた向かってもらったものの、あいつに任せることが多すぎるからなぁ。そろそろ二線級で動かしていた情報組織を活用すべきか? アンジーに比べて、確度が低いのが難点だ……偽情報をつかまされやすい。真偽判断の部隊を、別に用意してみるか。ナイト帝国の方も、注視したいしな)
テーブルに置いた紙束が、ぱさりと僅かな音を立てる。視界に入ったベッドで、健康的な素足がぱたぱたと動かされているのが見え、リンディは目を逸らす。グラスに視線を落とし、その濃い赤の色合いを楽しんだ。
(乙女ゲーム2作目の破滅のシナリオは、終わったと見ていいだろう。ただ魔王はまだ、諦めていないかもしれない。こちらから先制攻撃に打って出て、奴の残存勢力を壊滅させるべきだな。まだ〝残っているかも〟という疑いの段階だが……まずは早いところ、情報を確定させたい)
リンディはぐっと一息に、ワインを飲み干す。ついっと宙を撫で、ボトルに液体を注がせようとするも、中身は空であった。寝台の上で倒立している馬鹿の姿が目に入ったが、無視する。リンディはボトルとグラスを闇に消し、ソファーに深くもたれかかった。
(魔王。あいつの戦略目標も気になる……奴は推しキャラを守りたいと言っていた。それはおそらく、ゲームの〝2〟を進めてあたしを魔王にした上で、〝3〟までに出てくる誰か……。〝3〟は〝2〟の直後、すなわち今から2年半後に始まる。さらに、〝3〟のヒロイン・エルを殺そうとしていたことを踏まえると。正規のルートで進めると、死亡してしまうキャラクターということになる、が)
リンディは深くため息を吐く。ベッドでブレイクダンスを始めた奴のことは意識から外し、ゆっくりと首を振った。
(あの作品。選んだ攻略対象以外は、全滅するんだよな。〝2〟のキャラが、魔王となったリンディ学園長に全員味方して、それと争うことになる。〝2〟の勢力はだいたい生き残るが、〝3〟はヒロインと攻略対象1人を除いて敗死する……ルートによって状況が変わるから、候補が絞れないな)
次の酒瓶をと考え、リンディは迷うように宙を指で撫でる。
「まぁいい、少しずつ進めるか。ちったぁ落ち着きたいが、ままならないねぇ」
呟いて顔を上げると、不満げに歪んだ青い瞳が、布の中からリンディを見ていた。
「リンディー! まーだー?」
抗議の声に対してくつくつと笑い、リンディは肩を竦める。ソファーから立ち上がって歩き、寝台の端に腰かけた。
「悪かったよ。もうおねむかい? アプリコット」
布団から突き出てる頭をなでてやると、アプリコットの碧眼が気持ちよさそうに細められる。
「ううん。でもちょっとでもこう、イチャイチャしたい」
「生徒とそんなことをするつもりはない。教育ならしてやるが」
「なんでぇ!? もう遅いし寝ませんかねぇ! 淑女吊り反対!」
(吊られるようなことをした自覚はあるんだねぇ……あるいは、あたしが知らないことをまた何かやらかしたか? この娘)
リンディは薄く笑みを浮かべ、ベッドを周り込む。布の中に入り、枕に頭を埋めた。後頭部、目の反対側からじーんとしびれが届くようで、リンディの意識はすぐにでも飛びそうになる。
「すまんが、大事な話が二つある……こっちに来な。アプリコット」
「はーい…………リンディ、あったかい。体温高いねぇ」
するりと寄られ、リンディは瞼を開いた。意外に近くまで来た弟子の顔を、苦笑いで出迎える。
(さて、昼間のこと……たぶんこの子のあの妙な反応は、家族絡みだ。これは聞いておこう。神獣契約については長くなるから、こちらは後にするか)
リンディはアプリコットの頭を一撫でし、しばし目をつぶって考えをまとめた。
「今日、ペリーの妻と娘を救出したと話したときのこと。覚えてるかい?」
「うん? うん」
「あんた、妙な顔つきをしてたよ。ありゃあ、わからないことがあるけど、どう聞けばいいかわからない……そういうときの、あんたの顔だ。今、何か言葉にできるかい?」
リンディの隣で、ぽすりとアプリコットの顔が枕に埋まる。ごろごろしている彼女が落ち着くのを、リンディはじっくりと待った。
「うーん……大したことじゃ、ないと思うんだよ? ただ。なんで助かったんだろう? って。そう思ったの」
気負いなく言うアプリコットの声は感情少なく、理知的な響きが強い。リンディは彼女の頭を、そっと撫でる。
「……ああ。命を狙っていて、捕えてまでいた。なのになぜ無事なのか、と」
「そう」
(……やはり自分の過去に重ねてる、か。そりゃ疑問にも思うし、あの場では聞けないな。いつも惚けたように見せかけて、気の回る子だこと)
撫でまわしながら考えていると、リンディの手がアプリコットにとられた。
「魔王ってもっと、怖い人なんじゃないの?」
「合ってる。そうだな……」
手を握って自分を見つめる弟子から目を逸らし、リンディは考えをまとめにかかる。
(あいつがエルを害さなかったのはおそらく、狙いのシナリオに入る……つまりあたしが魔王になるまで待ちたかったから、だろう。だがゲームのことは、さすがに説明しづらい。ふむ)
どう影響するかわからないゲームシナリオについて、リンディは伝達を渋っていた。アプリコットやユーラニアら、現在進行中と思しき乙女ゲーム二作目の関係者には、話していない。
「魔王は、あたしの破滅の運命だがっていう……筋書きのようなものを、知ってるらしいんだ。未来のね。それを実現させようと、ペリーを操っていた」
「破滅……」
「この学園が滅ぼされ、あたしが魔王になるという未来らしい。エルの生存は、その未来をある程度そのまま起こしたかったから、なのだろう。その後は邪魔だから、排除する狙いがあったとあたしは見ている」
「学園を……リンディを魔王に……」
考えあぐねた結果、リンディはぼかしてアプリコットに伝えた。
「――――許せない」
低い呟きに振り返ると、アプリコットは怒りで歯ぎしりせんばかりの、力のこもった顔を見せていた。
リンディはアプリコットの手を、握り締める。
苦く笑い、彼女の青い瞳が向くのを待って。
優しい眼差しを、向けた。
「……そう思ってくれるのは嬉しいが。まずは神獣を従え、身を守れるようにしてほしいねぇ。捕えた魔物……マンティコアとの対話は、どうだい?」
話題が課題に及んだ途端、金の弟子は目を泳がし始めた。
「う”。雰囲気的には、できてる?」
「ああ、その通りだ。授業で見ていても、計測値を踏まえてもそうだ。で、あんたはどう思う?」
「あー……うー……猫ちゃん、口聞いてくれなくて」
(ゲームでは。アプリコットは事情があって……神獣契約が、できない)
アプリコットが顔を枕に伏せたのをいいことに、リンディは目を鋭くする。
(だが偶然にも、あたしはその問題をクリアした。この子は間違いなく、人間。神獣との契約は、成立する……すべての検査数値がそう言っている。あたしは間違っていない、はずだ)
強く噛んだ奥歯が、静かにごりっと音を立てた。びくりと肩を震わせるアプリコットを、リンディは優しく撫でる。
(そうだ。アプリコットは人間だ――――神獣契約。それがこの子の存在を、証明してくれる)
「リンディ?」
「……ああ。魔物は言語を解さない。〝無言の対話〟については、授業で散々やったと思うが。あんたは二つ問題がある。わかるかい?」
リンディが顔を取り繕って尋ねると、アプリコットは寝返りを打ち、首を捻った。
「ん? えーっと……多属性者であること?」
「そうだ。魔法に対する適性が高い者よりも、単属性者の方が魔物との親和性は高く出る。属性とは、魔力における言語のようなもの。まぁ訛り程度ではあるが、多属性者の方が訛りが強い」
「あー。私大陸訛りが強いから、こっちの魔物だとわかりづらいのかなぁ?」
アプリコットの回答に、リンディはくつくつと笑いを返す。
「それも問題点の一つだ。よく気付いたじゃないか」
「え、え? 気づいたって…………」
学園長は弟子を優しく諭すように、その頬を静かに撫でた。
「〝無言の対話〟なのに、あんたは言葉で会話しようとする意識が強い。物事をきちんと言葉にする能力は、人間としては得難いものだ。だが魔物との魔力の対話においては、かえって邪魔になる。向こうには、言語がないんだ。言葉にせず、気持ちをそのまま投げないと、伝わらない」
「おおっ、それは、その。難しい?」
(そう。きっとこの子には〝無言の対話〟が難しい……実力は問題ないのにできないということは、感覚的に理解できないんだ。つまり、これが正解だ、と直に教えてやるしか、ない)
リンディは問われ、真剣な目でアプリコットを見つめ返す。
「……そうだね。この方法は、授業でも指導でも非推奨だが。ちょっとやってみるかい?」
「やってみる、って……ここでってことは、リンディと試すってこと?」
「そうだ。魔力で気持ちを伝えるという過程を、後に言葉で話し合って解説。確認し合いながら進める。効率的ではあるが、いくつか問題がある。わかるかい? アプリコット」
深夜の授業が、ひそやかに進む。アプリコットが眉根を寄せて考えるのを、リンディは静かに眺めた。
「そもそも受け取る側が難しい、とか?」
「そうだ。あと一つある」
「えっと……気持ちが伝わりすぎる、とか?」
弟子の回答に、リンディは深く頷く。
「そうだ。些細なものも、かなり伝わる。心を読まれるよりも、もっとはっきりとな。あんたの心を、あたしにさらけ出すに等しい。だから、推奨されないのさ」
アプリコットの背に手を回し、リンディは彼女を静かに抱き寄せた。
「どうしてもってとき……〝無言の対話〟で躓いて、契約が怪しいときだけ、行う。つまり、今のあんただ。どうする?」
「やる。やりたい。リンディが嫌じゃなければ」
当たり前のように、アプリコットの手もリンディの背に回る。間近にある青い瞳を、リンディはどこか頼もしく思いながら覗き込んだ。
「心を見せすぎて、あたしに嫌われるかも……とか。考えないんだねぇ」
「嫌われてもいい。私はリンディを、否定しない。そもそも好かれるなんて、思ってないし」
彼女のどこまでも深い受容を感じさせる言い様に、リンディは無意識に言葉を飲み込む。
「それに嫌いだからって……リンディは私を見捨てたり、しないもの」
最後に微笑みを添えるアプリコットに、リンディは長く息を吐いてから、笑った。
「くく。まるであたしの子どものようじゃないかい。親の代わりができるとは思えないが……アプリコット。魔力測定は、覚えているね?」
「うん。あの時みたいに、魔力を込めればいいの?」
リンディは頷く。頬が少し触れた。わかりやすいようにと、手に少しの魔力を宿し、アプリコットの背を撫でる。
「そうだ。人の体は、水分が多い。それがアンタの魔力に呼応し、様々なものを見せてくれる。あたしの呼吸に合わせて、ゆっくり息をするんだ。魔力を注ぎながら波長を合わせろ……そう。それでいい」
お返しのようにアプリコットの手もまた、リンディの背を撫でながら魔力を伝えてきた。
「なんかぼーっと、する……」
「集中しな。あたしの目の奥を、覗くんだ」
「うん……」
微睡むように見つめ合いながら、リンディは静かに弟子を導き続ける。
(――――き。リン――――)
「はっきり言葉になりすぎだ。もっと優しく」
(――――――――)
「言語に隠してる、その奥の気持ちに耳を傾けろ」
(…………――――)
「そうだ、大丈夫。ちゃんと受け入れる。怖がらなくていい……アプリコット」
(……………………)
「ああ。ちゃんとできてる。それこそが〝無言〟だ。そのままお休み。夢の中で会おう」
アプリコットの瞳が閉じた。だが魔力と想いは、ずっと伝わってくる。リンディの目には、彼女の巨大な魔力が、静かに渦巻いているのが見えていた。
(魔力自体は、まるで大渦のよう。なのにそこから聞こえる声は、心地よい。穏やかで……とても、澄んでいる)
暖かに流れ込んでくる無言の声を聴きながら、リンディもまた、ゆっくりと瞳を閉じた。
(おやすみ、アプリコット。あたしの――――)




