01-24.名もなき君主の帰還。
後夜祭昼の部、断罪騒ぎの後。
(操られた生徒たちは無事……暗示の影響が一番強かったのはラカルで、他は問題なかった。署名者に対して被害者が少なすぎるのは気になるが、これは後日調査だな。で)
ドラゴンの背に乗り、一人高空を往くリンディは。
(闇魔法防護の最先端たる攻性防壁法……要訣は何よりも、使い手の発見だ。これに長く携わった者なら当然に、術師発見の妙を知り尽くしている)
小さくため息を吐いた。
「逃げる手段が豊富なのも当然、か。アンジーの神獣から逃れるため、透明化をするだけの神獣を合成し、隠し持っていたとは」
リンディはラカルを取り戻した直後、連絡を受けた。彼が断罪劇を演じ始めた頃、ペリー・ブラックシップの姿が確認できるようになった、と。
(明らかに、罠だ。誰を誘っているのかは、あたしが行けばわかるだろう。違うなら、またペリーは姿を隠す。けれどもこれがすべて、そもそもに奴の仕業なら……)
思い起こすのは、60年前。リンディの作った初めての神獣に、魔法も効かず、配下の魔物をすべて倒され……一撃で踏みつぶされた、魔王の姿。そしてその瞬間の、絶望の顔。
(ターゲットはあたし。戦略目標は、あたしの体を得て復活すること……だろうな。乙女ゲームの三作目のように)
リンディはもう幾度振り返ったかわからない、ゲームのシナリオを思い起こす。自分の建てた魔法学園をシリカ王国によって破壊された、ゲーム1作目の悪役令嬢リンディは、闇堕ちして〝3〟で魔王となる。
(今一つ、魔王になるというのがわからなかったが……こういうことか。魔王自身がおそらく〝1〟で誰か……ひょっとしたら悪役令嬢リンディに負けた後、契約魔法などによって自らの魂を現世に残すんだ。その一部をリンディに憑りつかせるという寸法だろう。現実では60年前にあたしに破れ……同様に、あたしを乗っ取るつもり、ということか。しつこくて陰湿で、嫌な女だよ)
学園南方にある、半島。森の続くそこの、さる洞窟のそば。一月ほど前に実習で使ったそこが、ペリーが確認された目的地だった。近くなってきたのでリンディはドラゴンに指示を出し、高度を落とす。
「さてペリーは…………いる、な」
洞窟前の開けた場所に、確かにフード姿の教師がいた。
(ペリーを殺したくは、ない。魔王がその陰にいるというのなら、なんとかして引きずり出す。契約魔法が噛んでるなら、その解除が優先だな。必ず――――助けてやるぞ。あたしの教え子)
リンディはドラゴンを影に戻し、そのまま飛び降りる。膝を深く曲げて着地し、ゆっくりと立ち上がった。
「待たせたな。ドレス選びに時間がかかっちまってよ」
いつものダークグリーンの簡素な服。しかし化粧し直しの暇はなかったので、今のリンディは60年前と同じ顔をしていた。
「やはりその装いが素敵ですな。学園長」
「あんたには何の罪もない。ペリー・ブラックシップ」
リンディは言葉を被せるように放つ。ペリーが緊張した面持ちで、そのつぶらなとび色の瞳を向けてきた。
「低魔力の暗示でラカルを操ったことは、わかっている。だがこれを罪に問う法や規定は、ない」
「法がないから罪もないと? 先月、ここで転移魔法罠を張ったことについては?」
「証拠が掴めていないのもそうだが、そもそもここは無法地帯。学園が管理しているところでもないから、そこで何をやっても罪には問えない」
リンディは言いながら、魔力視で様子をうかがう。洞窟や周囲の森には仕込みらしき魔力が見えたが、罠の類はまだ、なかった。
「罪とは、法に規定されるもの。そして法に従って、罰は与えられる」
「仮に法の縛りがなければ、人を殺しても罪などないと? ラカルくんは、命を落とすところだったのでは?」
「あたしがあいつを見捨てるはずがないと、顛末まで予測しておいてよく言うな」
リンディはくつくつと笑ってみせる。
「ああ、そうとも。殺しをただ罪と認めると、生き物を殺して食べる必要がある我々人は、すべて罪人となる。罰はどうすればいい? 人類を一掃すればいいのか? 一掃した者の罪はどうなる? そして罰は誰が与える?」
「詭弁のようにも思いますが?」
食い下がるペリーに対し、リンディは不敵な笑みを浮かべる。
(この感じ……闇魔法の魔力もない。ペリー自身は正気、か。さてはやはり、契約を果たす一方で被害を出さぬようにと立ち回ったな? 最後にどうするつもりか、それだけが読めないが…………さて、だとすればどう原因を引きずり出したものか)
強引な手も含めて考えつつ、リンディは肩を竦めて見せた。
「あんたの感想に過ぎない。罪などない。原罪などない」
「ワタシを許されると?」
「許しなどない。だが職務はある」
リンディは顔を上げ、じっとペリーを見つめる。
(そういえば……あのフードは、何のためだ? 中になにか、あるのか?)
リンディは少しの魔力を込め、密かに指先で宙をなぞった。
「年度途中で抜けてなどくれるな、闇魔法防護術の教師よ」
「ワタシはこれから……罪人となる。戻る場所は、ありません」
「必要ない。今から魔王の魂を、お前から引っぺがす。そうすれば――――」
「…………やめてください」
魔法の突風が吹き――――彼のフードが、外れる。
(なん、だ。あれは……髪?)
露わになったペリーの頭、主に後頭部で、黒い何かが蠢いていた。リンディは目を見張り、唇をわななかせる。
(まさか魔王の、一部!? あれも契約の魔法の一種か……?)
「10年前。かの〝名もなき君主〟は、ブラックシップの血族と交わした契約に基づき、ワタシに憑りつきました。わかりませんか?」
「血族っ! あんたに何かがあったり、契約が取り消されたら……」
「娘に、行くでしょう」
リンディは息を呑み、思わず半歩下がった。髪らしきものが、ペリー自身の首にかかろうとしている。それ自体が意思を持ち、余計な真似はするなと脅しているのだと……リンディは悟った。練り上げていた魔力を霧散させ、いくつか準備していた魔法を取り消す。
(なんて、ことだ。そんなの、無理だ。ペリーを説得する方法なんて、ない。契約を取り消すこともできないし、かといってこいつを殺せば、同じことに――――)
娘も殺せば、魔王の呪縛は去る……そんなことが頭を過り、リンディは首を振る。彼女は魔王の影響を失くしたいのではない。単に自らの破滅を防ぎたいのでも、ない。
(あたしは。あたしの教え子たちが。学園が。みんなが。大事なんだ……なのにこれじゃあ、誰も、守れ、ない)
「では、最後の仕事をして、契約を果たしましょう。ワタシは契約により、学園長。かの君が曰く、あなたに定められているという、破滅の運命を実現するため。こまごまとしたことを、やってきました」
「…………やめろ」
リンディが低く呟く。だがどこか楽しげなペリーの言葉は、止まることがなかった。
「入園すぐのとき、アプリコットさんとラカルくんを、引き合わせました。ラカルくんは破滅の筋書き通り、婚約破棄の騒ぎを起こしてくれたものの……しかしどうにもその後がうまくいかない。あなたが介入を始めたため、アプリコットさんやユーラニアさんに接触するのは諦め、ラカルくんに狙いを絞りました」
「……………………やめてくれ」
俯いたまま、駄々をこねるように頭を振る。だがリンディの懇願は、ペリーには届かなかった。
「闇魔法規定に抵触しない魔力で、彼に暗示と契約をかけ、縛った。暗示を擦り込んだ課題の紙を用意し、名前を書かせるだけでしたから、簡単な仕事でした。最後の後夜祭での仕上げのために、彼がアプリコットさんに執着し、ユーラニアさんの罪を問う……そのための些細な仕込みも重ねました。もちろん、この場所に転移罠をしかけ、あの子たちを二人っきりにしたのも、その一環です」
彼の言葉を聞くうちに、リンディの瞳には涙すら浮かぶ。
「ペリー、もういい」
吐き出した弱々しい声が、初秋の風に消えていく。
(こいつは、どんな思いで。爺のせいで押し付けられた、魔王を背負って。そいつの言うことを聞いて、あたしに破滅の運命を歩ませようと)
「ラカルくんに断罪劇を指示し、ワタシは姿を消す。そうするとあなたは、アンジー教頭に命じてワタシを探さざるを得ない。ああ、エンタス公爵に学園視察にこられてはと提案したのも、ワタシです。あなたたちはちょうどよくワタシの素性を知り、対処せざるをえなくなった。アンジー教頭は学園から離れ……ワタシの仕込みは妨害されることなく、実を結ぶ」
「もういいんだ」
つんとしたものが、リンディの鼻の奥に集まった。奥歯を噛んで、涙を堪える。
(娘のため? なら、あたしと同じじゃないか。生徒たちが大事な、あたしと。それを責められるか? 無理だ、そんなの)
「ラカルくんにワタシがどうするつもりかを吹き込んでおき、最後はあなたを誘導するだけ。ご自分の生徒であるワタシを、あなたは見捨てられない。そう、それで契約は完遂される。実際のところ……筋書きの成就は、契約のうちではないのです」
「なんだと?」
「これからワタシの体は、名もなき君に譲られる。ワタシを切り捨てられないあなたは敗北し……破滅の運命は、成立する。そう、かの君の狙いは、あなたです。学園長」
「ペリー!」
終わりの近づきを感じ、リンディは声を上げる。
(っ!? これは)
そして体の動きが、嫌に遅いことを理解した。
「この説明。遅効性の魔法を乗せておりまして。これをかけることが、最後の仕事でした」
手が出ない。
足が出ない。
首も動かない。
間に合わない。
何かから解放されたような。
歓喜と解放の涙を浮かべ。
晴れやかな顔の彼の。
旅立ちに。
「――――お別れは、もう済ませてありましたね? 学園長」
リンディは何をすることも、できなかった。
「よせ!」
動く舌も……にこやかに告げる彼を翻意させる、魔法の言葉を、紡がない。
「あなたは希望の光だ。学生の頃も。10年前も。そして今も――――」
ぶわっと黒い髪が広がり、禿頭の教師を包み込む。それは徐々に色を変え、形を変え、ペリーの上から人の姿を象った。
リンディは息を震わせて。
教え子の変貌を。
見守るしか、なかった。
「アンタがガッチガチに学園の防備を固めるからよぉ。化けて侵入もままならねぇ。ハゲに回りくどい真似させなきゃならなかったぜぇ」
黒の奥から、女の声がする。
色白。肩から胸が大胆に開いた、漆黒のドレス姿。蛇のような黒髪が蠢く……かつてリンディが60年前に見た、人物。
「感動的だなぁ? リンディ・グラネート。アタシとの再会、喜んでくれたかい?」
彼女は〝名もなき君主〟。
「魔王――――!」
リンディが殺したはずの、魔王その人であった。




