01-23.神の御前の断罪劇。
(この日が――――来て、しまった)
気づけば数日過ぎており、学園祭はもう終わっていた。後夜祭は一日かけ、種々の会が開かれる。最後は夜会を模してのダンスパーティだ。リンディはめかし込んで、昼の会を訪れていた。
(ゲームの断罪イベントは、このタイミングのはずだ。当日までに強引に防ぎたかったが……ここ数日、なぜか皆捕まらなかった)
ホールにはドレス姿の女生徒、燕尾服の男子生徒、あるいは男女教師が集っている。
「アンジーがいれば……なんとかなったんだが、な」
壁の華になっているリンディは、小さくため息を吐く。アンジーの神獣は監視・盗撮・盗聴などを得意としていた。
(だが、そのアンジーからどうやってか逃げ回れているペリー……姿を消したあいつを見つけてもらうのが、最優先だ。優先、なんだが……)
リンディは壁に背を預け、俯く。しばし、目を閉じた。
(…………あたしは何か、致命的な間違いを、している、ような)
不安を押し殺すように、彼女は唇を引き結ぶ。
そして深く、深く息を吐いた。
眠るように、深く。
「先生、大変だ!」
声をかけられ、リンディは目を開けた。いつの間にかすぐ前に、緑髪で白い紳士服を着込んだ皇子がいる。
「ウォルタード? よくあたしだって気づいて――――」
「僕はレディを見間違えないよ! じゃなくて来てくれ! ラカルとユーラニアが!」
「っ!」
手を引かれるまま、リンディはホールを行く。人をかき分けながらウォルタードが導いたのは、大きな広場のほぼ反対の壁際だった。
(同じ会場の反対側! 油断した……! ラカル、早まった真似しないどくれよ――――)
「もう一度言う。罪を認めろ、ユーラニア・スタークラスター!」
掴まれていた手から、力が抜ける。
ウォルタードの手をするりと離したリンディは、立ち尽くした。
(やめとくれ…………)
「罪とは、なんです?」
「お前は公衆の面前で、アプリコットを叩き、傷つけた」
人だかりの向こうから、ラカルとユーラニアの声がする。リンディに気づいたウォルタードが引き返してくるも、彼女は足が……動かなかった。
(嘘だ。それは、アプリコットが叩いた方で……)
「そうですね。何度か喧嘩してますし、それで?」
ユーラニアの声がラカルの疑いを事実と認め、リンディは目の前が真っ暗になる。
(アプリコット! 違う。違うといっとくれ……!)
「開き直りか。彼女を拘束し、辱めたこともあるそうだな?」
「酷いんだよユーラニア! 私が止めてって言っても、聞いてくれないし!」
耳を塞ぎたくなった。しかしリンディの手は、動かない。
「あのお嬢様そんな」「エンタス公爵の娘だから?」「魔王の子孫だって噂の?」「やだ、怖い……」
「それで? ラカル王子。わたくしに、何をお求めで?」
(やめるんだユーラニア! 逃げておくれ!)
「貴様はこの俺の婚約者に、相応しくない! 婚約は、破棄だ!」
ホールが一瞬しん、と静まり返る。
それは入園の日の、やり直しであった。
「お前の罪は、多くの者の証言で確かだ! 言い逃れできると思うなよ、ユーラニア!」
人壁の向こうで、まさにゲーム通りの断罪劇が、行われた。
(まって、やめてまってお願い、あたしの、あたしの学園が――――)
「しっかりしてよ、先生!」
どよめきの中。その叫びは、リンディの耳にだけ、届いた。
「担当のあなたが、ユーラニアを守らなくてどうするんだ! ラカルは僕が止める、だから! リンディ先生!」
風が巻き、声が遠くなる。ウォルタードの言葉だけが、耳に入る。
先生、というその呼びかけが。
何度も、何度も。
何度も。
「あたし、は。せん、せい――――」
暗い乙女の、瞳に。
60年の光が。
戻る。
「――――指示は出す。行くよ、ウォルタード」
「学園長!」
膝から崩れそうだった。だが足は、前に進んだ。
力など入らなかった。だが手は拳を、握り締めた。
視界は朧に暗い。だがすぐに弟子たちが、目に入った。
(ラカル……アプリコット。ユーラニア!)
対峙するラカルとユーラニア。ラカルの後ろに、アプリコットや、紙束を携えた幾人もの女生徒の姿もあった。
(あれかい? 署名を集めてたっていうのは。ついぞ見つからなかったというが……なるほど、これは)
リンディは彼女たちとラカルから、仄かに黒い光が立ち上っているのを、見た。そしてユーラニアと、アプリコットが――――。
(あの子たち。そういうことかい)
赤と青の瞳を、らんらんと輝かせ……〝魔力〟を探っているのを、見た。
「先生。どうすれば」
「先生」
(これは! 〝防音〟じゃない。より高度な〝伝言〟。さては……授業で使われているものを見よう見真似で覚えたね? ユーラニア、アプリコットも)
ちらりと視線を向けてきた弟子たちに、リンディは頷き、囁きを返す。
「魔力は低いが、闇……いや、契約魔法が成立してる。解呪が必要だが、そのためには〝本人に契約を破らせる〟という工程が必要だ。契約魔法の起点はラカルのようだから」
「殿下の目論見を崩せばいいですか? 園長先生」
「ならもう少しお芝居続ければいい? 園長」
(この子たちは、本当にもう――――)
出そうになる涙を、無理やり飲み込んで。
リンディは不敵に、笑った。
「学園長だ。やってみせな、弟子ども」
「「はい!」」
「おっと失礼」
彼女たちの決意の返答に、気の抜けた声が割り込んだ。少年が眼鏡を直しながら、女生徒の一人が持っていた紙を奪い、中身を見定めている。
「変だね、この日付。ロンドル、どう?」
取り返そうとする女生徒の手をかいくぐり、ドニクスが背の高い少年に紙を預けた。
「時間もだな。試験期間の午前中、二人が校外実習に出ていた日……これは年度が違う、去年のだ。この書類は本当に、彼女たちの諍いの目撃証言を集めたものなのか?」
(こいつら、学年も違うのにいつの間に――――)
リンディはロンドルの近くに、ウォルタードがいることに気づいた。彼はリンディの視線に勘づいたようで、器用に片目をつぶって見せる。
(あいつが呼んできたのかい……!)
「そもそも、私だってやり返してるよ?」
ラカルの後ろで、アプリコットが腰に手を当てて宣う。それを受けてユーラニアが、煽るように微笑んだ。
「そうです。人のことを壊れた魔道具のようにバシバシと叩いて……みなさんもよく、ご存知ではなくて?」
「確かに、あの平民の子乱暴だし」「こないだ蹴り入れてたよ」「俺も蹴られた!」「俺も!」
(よし。アプリコットは後で淑女吊りだ)
広がる声が、ラカルと女生徒たちに明らかな動揺を与える。
(術者だろうペリーがいない以上、契約による強制行動は……粗が出やすい。あと、少し……)
「婚約を破棄したいと仰るなら、正規の手続きを踏んでくださいまし? ラカル殿下。わたくし、受けて立ちましてよ?」
悠然とほほ笑むユーラニアに対し、ラカルは言い返せないのかたじろいで半歩下がる。
(揺らいでる、あと少しだ!)
「俺はお前など……違う、こんなことを、したい、わけでは――――」
「そうだラカル! こんなことしたら好きな子に嫌われるぞ!」
ウォルタードがラカルに詰め寄り、彼の肩を掴んで大声で叫んだ。
「お前、言ってたじゃないか! 派手な髪色の子は嫌いだって!」
「だが婚約は祖父が……いやそうじゃない、俺はアプリコットが」
「嘘つけ! だってお前!」
緑髪の皇子が、大きく息を吸い込み。
「巨乳大好きなんだろ!?」
ホールに高く、声を響かせた。魔法まで、使って。
会場の多数の女生徒の目が、曇り、危険に煌めく。
ユーラニアとアプリコットもまた、一瞬殺気の籠った目でラカルたちを見つめていた。
(男は好きだねぇ。女としちゃ、こんなものあっても邪魔なだけなんだが)
リンディはため息を吐き、凝りやすい肩をほぐすように竦める。
「そう、だ……その大きさには、夢とロマンが、ある……」
「よし、しっかりしろ、ラカル! 正気に戻れ!」
(正気を疑うが、やるじゃないか男の友情。これで――――来たね)
女生徒たちが、膝をついて床に倒れる。彼女たちから黒いインクのようなものが漏れ出て、ラカルに集まった。
「うぉっ!? これが――――」
「ウォルタード、アプリコット、下がりな! ロンドルとドニクスは会場保護! 他の者も防御魔法展開! ユーラニア!」
「はい!」
「リッチを従えたアレの出番だ! 押さえろ!」
ラカルに集まった黒い魔力は、苦しむ様子の彼を包み込む。
「ぐ、お。俺、は」
「ラカル殿下――――」
呟くユーラニアの長い髪が、空に泳ぐように浮かぶ。激しい魔力の奔流が、やがて白い輝きとなった。
「観念なさってくださいまし?」
白い光が、黒い光に向かい、縛り上げていく。固め、ねじり、折り砕くように。
だが。
「先生、この契約魔法!」
(抵抗されてる!? 魔力は段違いでユーラニアが上、術者もいない……これは、まさか)
多くの者が、見守る中で。
闇のような光の中に。
一つ、また一つと。
歪んだ瞳が。
開く。
「魔王の眷属! 契約違反の際に魂を抜き取る、執行者だ! ラカル!」
ユーラニアの白い魔法が弾かれ、消えた。リンディは思わず踏み出し、走り出す。
「せんせい」
苦しみもがく中。
彼の頬に、瞳が開こうとしていた。
「たすけて」
リンディは、その手を伸ばして――――。
『――――契約違反だ…………んん?』
奇妙に震えた声を上げる、闇から伸びた何か手のようなもの……掴んだ。
『おい、邪魔をするな人間』
「悪魔! 魔王の手先が!」
『彼女は顧客で、別に我らの王じゃないんだがネェ』
黒い光の中から、手に続いてぞろりと何かが這い出して来る。大量の目を宿したそれは、人のような形をしていた。半身だけが闇の中から出ていて、手をラカルに伸ばそうと力を籠めている。リンディはその手を強く握り締め、魔力で押しとどめた。
広場にざわめきや、悲鳴が広がる。
「皆、下がっていろ! あとはあたしがなんとかする!」
『人間にしては力が強い……契約違反の執行を、邪魔しないでほしいネェ』
「契約は不成立、無効だ!」
『成立してるとも』
「なら同意証明を出せ!」
リンディが瞳の一つを睨んで叫ぶと、手の力が緩んだ。
『…………そんなもの、いくらでも出せるが?』
(怯んだ! この隙、こじ開ける!)
リンディの影が、蠢く。竜、狼、兵の三体の神獣が。
「――――証明要求を拒否したな? 不同意手続きを執行する!」
溶けて、混ざり出した。
『執行? 人間如きが、何を――――』
「祈れ」
混ざった影が、リンディを包み込んでいく。
「 神 魔 合 体 」
影の中から、白く光に包まれたかのような、リンディが姿を現した。
「転生――――法務部・契約課・精査係。神名……」
結っていた髪は白銀となって流れ、纏う衣はドレスではなく紳士のスーツのようであった。服に緑のラインが入り、紺碧の髪留めが銀の髪を一本にまとめる。
「〝リンディ・グラネート〟」
『か、神に転生!? キサマ本当に人間か!? フギッ!?』
白い衣を纏ったリンディが、その手に力を込める。動揺する悪魔の手が、ガラスが割れたように、砕けた。
「今日のあたしは、疑わしい契約の見直しが仕事だ。そのあたしの前で、同意証明ができないと抜かしたな?」
『ま、マテ! 時間をッ』
「嫌だね、残業はお断りだ!」
リンディは両肩のポケットから、ペンのようなものを取り出す。
「契約の無効を確認! 契約違反の執行は違法だ! よってお前を――――」
迷いなく悪魔の目に差し入れ……力を込め、左右に引いた。
『ギ、ギィィィィ!?』
悪魔が、縦に裂けていく。
「排除する!」
同時にラカルの身から、引き剥がされていった。
「あたしの生徒に手を出す奴は、地獄に落ちろ」
『ガ、ぁ――――』
悪魔も、黒い魔力も、燃えカスのように宙に消えていく。
大ホールには、静けさが戻った。
「かっけぇ!」「リンディ様ァ!」「神々しぃ!」「だ、誰か画像を、記録を!」
しかしすぐに、大歓声に包まれる。
(なんとかなった、か。魔王の呪いは、大戦後に何度も解呪したからねぇ。しかし、騒がしい奴らだ……おっと)
崩れ落ちそうになったラカルの体を、リンディは抱き留めて支える。
「魔力の残滓もないね。もう大丈夫だよ、ラカル」
赤毛の少年は頬を染め、目を輝かせてリンディを見つめていた。
だがハッとし、その口元を引き結ぶ。
「先生! ペリー先生が危ないんだ!」
「危ない、だって? でもあいつは、あんたに契約を……」
「あの人は魔王の怨念ごと、死ぬ気なんだよ!」
(まさ、か)
彼の「さようなら」の言葉がリンディの心に。
剣のように、突き刺さった。




