01-22.静かに破滅が、忍び寄る。
☆ ☆ ☆
60年前。この〝本土〟は死で溢れていた。
人同士が争って死んだ。
魔物に襲われて死んだ。
学園でそれを感じたことはなかった。
社交界は煌びやかだった。
だが郊外は、死と戦いで満ち満ちていた。
破滅し、追放されたリンディはそれを、思い知らされた。
何度も何度も、魔物に殺されて。
何度も何度も何度も、魔王に立ち向かって。
侯爵令嬢の日常が、血と戦いに染まり上がるまで。
その日々は、終わらなかった。
否。
唐突に。終わって、しまったのだ。
「――――足りない。殺し足りない……!」
彼女の恨みと憎しみを、晴らし切る前に。
☆ ☆ ☆
エンタス公と面会した、翌朝。
(そんなことはない! あたしは、もう――――)
ぱちりと目を開く。リンディの視界には闇が映ったが、体の前面に圧を感じ、身じろぎした。
(うつ伏せ……ああ、夢、かい。アンジーは昨日、ペリー捜索に出しちまったから……)
リンディは身を引き起こし、まだ暗い室内を見渡す。驚くほど隙間なく、赤黒い有様だった。
「何度死んだか、わからねぇな。一人で起きてるつもりだったんだが……我ながら、だらしないねぇ」
お気に入りの調度品がどれもこれも血まみれで、リンディは胸の奥から大きなため息を吐く。
(追放されて、何度も死んで。死ねないならいっそって、魔王に挑んで。あいつの契約魔法を見様見真似て……魔獣魔法を作って。それでも勝てなくて、魔物を素体に魔獣魔法を使って……契約で何度も失敗して、死んで。でもなんとか、魔法の効かない〝神獣〟を編み出せた。そしたら、あっさり勝っちまって……)
赤黒い室内は、どこか夢の内容を思わせて。リンディは淡々と俯瞰するように、過去を振り返った。
(やることがなくなって帰ってみれば、家は廃墟で。領も荒れ果ててて、人もいなかった。隣の帝都も遷都してたらしく、貴族学園も崩れてて。ああでも、アンジーがいたな。あいつ、いつからあそこにいて、いつから……泣いていたんだろう)
当時のアンジーはまだ若かったが、飢えて痩せて傷ついていた。リンディは彼女に抱きしめられたその感触を思い出しながら、また深く息を吐き出す。
(ボロボロになってたアンジーが唐突に、〝学校建て直そう〟って言ってくれなきゃ)
リンディは両手のひらを見つめる。
「あたしはまだ、命を奪い続けていたんだろうか」
震える手に血の跡はなかったが、真っ赤にしか見えなかった。
魔王のいなくなった後。人の世界は、さらに荒れた。裏切り者たちが弾圧され、疑われた者が吊るし上げられ、対立と断絶が深まった。領に戻るまでのリンディも、何度も争いに巻き込まれた。
本土中央に魔法学園が建てられた後は、そこが徐々に人々の懸け橋となった。しかし完全に世情が落ち着いたのは、30年ほど前のこと。それまではリンディもまた、学園を守るために戦い続けていた。
(もう、あんな真似は……したくない。けど学園が滅びれば、またあんな時代がやってくる。万が一にも、乙女ゲームの〝3〟みたいに……あたしが魔王になるか、あるいは別の手段で、奴が復活したら。暗黒の世界が、また訪れる)
リンディは目を瞑る。脳裏に浮かぶのは、昨日の話。
「…………意図がわからないが。もし。もしもペリーが暗示の魔法の使い手で。それを各地にばらまいていて……しかも、もし。もしもだよ」
奥歯を噛みしめ、震えながらも……リンディの独り言は、止まらない。
「ラカルを操り、断罪イベントを起こされたら。それを引き金に、諸国と学園の争いが起きたら。それは止めなきゃ、ならない。けど」
リンディは両の拳を握り締め、力強く床を叩いた。
(いやだ――――殺したくなんて、ない! あいつは、あいつはあたしの教え子だぞ! 大事な)
目を見開く。リンディは、裂ける体の痛みを感じながら。自身に迫る、抑えがたい疲れと絶命の苦しみを感じながら。
「あたしを人間でいさせてくれる! 大事な教え子たちなんだ!」
それでも叫び――――部屋の赤を、上塗りした。
☆ ☆ ☆
(部屋の掃除に時間がかかっちまった……片づけられない学生じゃあるまいに。78にもなって、嫌だねぇ。あ……そろそろ79か)
学園の廊下を歩き、時折生徒たちに手を振る。リンディは、学園祭は静かに始まっており、普段に比べて教室も廊下も華やかであった。生徒たちは忙しくも楽しげに、祭りを楽しんでいるようだ。リンディはそんな中を、あてどなく彷徨っていた。
(とすると、アンジーも誕生日だ。今年は何を用意してやろうかねぇ……そういや、他にも何人か同じ日のがいたか? ゲームだと確か、アプリコットとユーラニアも同じ日のはず……。アプリコットは前に聞いたら、誕生日なんて知らねぇと言っていたが。なら祝ってやるか)
ひとしきりくつくつと笑った後。リンディの顔に、影が落ちる。
(アンジーはあと……何回祝って、やれるだろうか)
かつてアンジーが廃墟でリンディを抱いて泣いた、その日から。二人の誕生祝は、始まっていた。それは50回は越え、60には満たない。
(あたしだって、いつまで生きるかはわからないが……ともかく、アンジーは別だ。時間が止まってる、わけでもない。今はどこも、悪くない。すごく元気だし、頭もはっきりしてるし、遠征外交なんて無茶も、まだまだ余裕でできている。けど、それも、いつかは……)
リンディが角を曲がると、静かな通路に出た。
「〝その日〟が来た時。せめてあたしは……あんたを、追いかけたい。なんとしてでも、自分を殺して」
光差す廊下に、呟きが静かに響く。
(……いけない。夢見が悪すぎたかね。こんな弱気な戯言聞かれちまったら、アンジーに怒られちまうよ。あいつは怒って、笑って、それからいい酒を強請って……)
リンディは盛大にため息をついて、それから顔を上げた。いつの間にか、学園長室のあたりに帰ってきていたようであった。
「早く帰ってこないかな。アンジー……」
「あ、学園長」
ほど近くの引き戸が開き、中から顔を出した眼鏡の少年に声をかけられた。
「ドニクス? どうした。祭りの当日は、暇だから回るって言ってなかったか? プリムラムに振られたか?」
「振られましたがそうではないです! 何度でも諦めず挑戦しますし」
(いや諦めてやれよ。ストーカーとかしてないから、見逃しはするが……)
リンディが苦笑いを向けると、空いた扉の隙間、高い位置から別の少年が顔を出した。
「学園長。届け出のない出し物というか……どうも署名を集めてるらしい者たちが、いるそうでな。これから調査する」
「署名? そういうのは、見なかったねぇ」
「そうか。では失礼する。ドニクス」
「わかったよロンドル。行ってきます、学園長」
「ああ」
リンディは下がり、生徒会室から出てきた二人を見送る。
(〝署名〟…………)
腕を組み、リンディは深く思案する。ゆっくりと、また別の角を曲がって歩き出した。
(契約魔法には、お互いの名前、そして同意が必要不可欠だ。署名活動に偽装して、契約魔法に巻き込むという方法は……ジャスで行われたことがあると、一度耳にしたな。とはいえ、見つかって闇魔法基準値を満たしていれば、一発で牢にぶち込まれる。リスクが大きい。例の低魔力の暗示魔法だと、さした効果が出ないだろう。狙いがわからない……)
大きくため息を吐きつつ、リンディは階段を降り、また廊下を行く。
(こんなことばかりだ。洞窟に仕掛けられた、転移魔法の罠。ばらまかれた暗示魔法。ラカルの様子がおかしいこと、姿を消したペリーの行動。どれも、校外実習にぶつけられた、例の山賊どものような……いやがらせの域を、出ない。危険性はもちろんあるが、どうも本気じゃないというか。微妙というか――――)
ハッとし、リンディは足を止める。中庭に差し掛かっており、強さの緩んだ日差しが、降り注いでいた。
「奴の。魔王のやり口に、似てる」
彼女が思い出したのは、60年前の大戦。操った魔物を大挙させれば、すぐにでも人類を滅ぼせただろう強力な魔法の使い手……魔王。だが人々に大々的に宣戦布告した後は、散発的に攻撃をしかけるだけだった。討伐軍はのらりくらりと躱し、賊のようにたまに人々に襲い掛かる。当時の国々が本腰を上げたのは――――魔王の信奉者たちが、人間の間に多量に出た、後であった。
(魔王は人を襲っているのかと思ったら、その陰で契約魔法を使い、自らの仲間を増やしていた。契約違反者の魂を刈り取る〝悪魔〟を仕込んで、縛り付けて……。そうして人間同士を争わせる一方、何かを求めることもなく、人を滅ぼし切るわけでもなく、ただ混乱を助長していた)
リンディは思考を振り払い、首を振る。
「仮に。奴の信奉者が、その遺志を継いで動いているのだとして。結局目的が分からない。懸念を持っているのは、あたしくらい…………待てよ? 逆か?」
何かに気づき、彼女は目を大きく開いた。
(乙女ゲームのシナリオを、実行しようとしている……?)
リンディの目が、泳いだ。中庭の草木の中を、右往左往する。
(そうだ。あたしに宿ったこの記憶……〝リンドウ・ユミ〟の情報。あたしの前世がそのリンドウってことなんだろうが、前提からして、違う可能性もある。もしも。この情報が、暗示魔法のように……ばらまかれた、ものなら?)
リンディは眉根を寄せ、額を手で押さえた。頭が痛むようで、彼女は大きくため息を吐く。
「ばかばかしい、が。否定しきれない。あたしがその懸念に対し、回避に動いているように。同じ情報を得て、実行に移そうという者がいれば……いれば…………いや、誰だよそれ。アンジーやアプリコットみたいな、ヒロインにだって……利益がないのに」
中庭の先にアプリコットの姿を幻視し、リンディは首を振った。
(いや。魔王本人には、利益があったのか? 何らかの。あたしからは、見えていないだけで……うん?)
目を瞬かせても消えないアプリコットの姿に、リンディは思わず首を傾げた。彼女は数カ月前、ユーラニアと争った時のように立ち尽くしていて――――しかしその表情は困惑しているようで、相手もまた、違った。
「アプリコット……ラカル?」
リンディは呟き、中庭に踏み入る。徐々に二人の声が、耳に届き始めた。
「ご――――ごめん! あなたのことは、そういうふうに見られないから!」
「あー……だろうな。これはけじめのようなものだ。気にしないでくれ」
「友達! 友達ってことで! それじゃあ!」
アプリコットが耳まで顔を真っ赤にし、振り返って何処かへ走り去る。
(あっぶな! ラカル、アプリコットのこと好いてたのかい……危うくゲーム通りになるかと。けど、けじめって、なんだ?)
「――――失敗した」
リンディが見つめる先で。
少年が、低く呻いた。
「失敗した失敗した失敗した……次の、次の手を。すぐにでも実行して……だが日取りが……」
「……ラカル?」
明らかに様子のおかしい王子に、リンディは思わず声をかけた。彼はハッとした様子で顔を上げ、リンディの姿を認めると顔を綻ばせ、それから真っ青になる。
「お、おい。どうした、大丈夫か? 今にも倒れそうだぞ」
「違う、違うんです。今のは、違う……」
「何の……ってアプリコットか。それはいいから、あんたちょっと休んだ方が――――」
リンディはさらに近づく。震える彼に、手を差し伸べて。
「……………………へ?」
突然目の前が、暗くなった。
遠く、祭りの喧騒が聞こえる。
忘れていた息をすると、仄かに汗のにおいがした。
青さと、情熱を感じさせるような、においが。
「俺が敬愛しているのは、あなただけだ。先生……リンディ・グラネート」
ラカルの声に続き、すぐに視界が戻る。リンディはようやく、少しの間抱きしめられていたのだと、そう理解した。
「お、おい。ラカル」
「やるべきことがある。あなたのために、俺は――――」
短いマントを翻し、彼が堂々と立ち去る。その背中に向けられたリンディの手は、力なく垂れ下がった。
「なんなんだよ、いったい…………」
彼の様子のおかしさや、疑いすらも忘れ。
リンディはしばし、呆然と立ち尽くした。




