01-02.60年越しの仕返し。
ナイト帝国の公爵令嬢ユーラニアに、シリカ王国の王子ラカルが婚約破棄を突きつける――――そんな場面に出くわし、ショックで前世の〝ゲーム〟知識を思い出したリンディ。
(さて。悪いがこっちにも事情ってもんがある。少し派手にしつけて、場を納めなきゃならないねぇ)
彼女は振り返り、ラカル王子と……輪の隅でこちらを見ている金髪の少女、アプリコットに視線を向けた。
「確認だが。アプリコットには何の用事だったんだい?」
「む。困った様子だから、声をかけただけだ」
(困りごと、ね。けどそれはあんたじゃなくて……ゲームの通りなら、それこそユーラニア絡みなんだよねぇ)
リンディは横目でちらりと、令嬢を見る。彼女の制服のポケットからは、細い赤い布が覗いていた。半信半疑な様子のラカルに視線を戻し、リンディは再び口を開く。
「アプリコットは確かに遠方から来たド田舎平民だが、あんたらよりひと月早く入ってる。勝手がわからないはずはない……アプリコット、何か王子の手を借りなきゃならんことが?」
「いえ、ございません恐れ多い! …………いま私、田舎者だって下げられませんでした?」
横から返ってきた応答に、リンディはやれやれと首を振って見せた。
「問題はなかったようだねぇ。となると用ってのは言い訳で、アプリコットは美人だし――――宮廷の女にはない魅力ってやつに、あてられたかい? ラカル」
金髪少女の抗議を無視してリンディが水を向けると、ラカルは数度瞬いてほのかに頬を赤くした。彼の様子を見て――リンディは深く顔に笑みを刻む。
「おやまぁ! 普段なら青い春の訪れは祝ってやるところだが、台無しだよ! やはりあんたには罰が必要だねぇラカル!」
「っ!? なんだとババア! 貴様、俺を愚弄しているのか!」
一転して別の赤を顔に昇らせたラカルが、非難の声を上げる。どこか裏切られたかのような悔しさを、瞳ににじませた彼を――リンディは遠慮なく指さした。
「婚約者がいながら他の女に懸想し、声をかけた。それを諫言されたら逆上し、婚約を破棄しようとした。あんたそう言ったんだが――わかってないのかい? 王子」
ラカルがハッとしてから目を白黒させ、顔を赤く青くしている。さすがに言葉が詰まって、言い訳は出てこないようであった。
「政治発言はご法度だ。往来でなんてもってのほか。それがこの学園のルールで、入園時にしつこく聞かされたはずだ。疑いようもなく、ラカルが発端。ユーラニアの抗弁は致し方ないことだ。アプリコットも直接の関係はない……となれば」
リンディはユーラニアから手を離し、一歩踏み込む。その黒い瞳で、王子を鋭く見つめた。
「あんたに落とし前をつけてもらうしか、ないじゃないか。ラカル」
「ふ、ふざけるなっ! 何の権限があって」
「おやまぁ」
リンディはまた、笑みを深くする。観衆からいくつか「ひっ」という声が聞こえたが、無視した。
「あたしが誰だか、まだわかってないようじゃないか。心当たりがないのかい?」
老女の迫力に気圧されたのか、ラカルが半歩下がる。瞳に涙すら浮かべながら、彼は声を上げた。
「知るか! 学園の給金目当てで教壇にしがみついてる老害だろう? そんなやつに――――」
「おっとよくできた! あたしが教師だってことまではわかってるじゃないか。しかも古株の老害だと。そぉら、あと一声だ坊や」
リンディは手を真っ直ぐに伸ばしてから手のひらを上に向け、撫で誘うように指をしならせた。
「この魔法学園で最も古い教師の名前を、言ってみな!」
「っ!? ま、さか。魔女リン――――」
「大魔女とお呼び! そう、でもよくできたねラカル。あたしはリンディ、学園長のリンディさね」
高らかに名乗る。リンディは青くなるラカル王子に、穏やかな笑みと言葉を手向けた。
「が、学園長がなんだ!」
(おや、意外に気骨があるねぇ)
踏み出して喚く王子を、リンディはくつくつと笑いながら見つめる。
「なんだとはなんだい。この老いぼれを、どうかしようって言うのかい?」
「そうだ、もう許さん! 俺は優秀なんだ! 侮辱するやつには容赦しない!」
ラカルは大仰に腕を振った。その手先に炎が灯る。――――魔法だ。
(血の気が多いこって。能ある姉たちに囲まれた、甘やかされた末子……女に舐められたと思うと、すぐ頭に血が上る、か。哀れな子だ)
だがリンディは……ほほ笑んで見せるだけ。
「なんとまぁ怖いねぇ。それで?」
「あとは、そ、祖父にも報せて!」
「知らせて?」
「こんな学園、滅ぼしてやる!」
ラカルの悲鳴のような叫びの後。
「へぇ」
リンディはそう、呟いた。
朝の広場が、しんと静まり返る。
誰も動けず。
息もできない。
リンディ以外の誰もが、肌を焼くような空気に身を竦ませた。
「かっ、あ……」
血の気を失って白くなったラカルが、苦しげに呻く。彼の魔法の炎も、吹き消されたようになくなっていた。リンディは小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「いま、の。いったい……」
リンディの背後から、荒い息と共にユーラニアの声が届いた。
(やっちまった……78にもなって。あたしもまだ未熟だねぇ。いくら地雷を踏み抜かれたからって、子ども相手に殺気が漏れちまうとは。ごめんよ、みんな)
少し年季の入った校舎を、リンディはそっと眺める。そして左足の爪先を上げ、石畳をとんとんと叩いた。
「うちを攻めるか……ラカル。ここ、元はシリカだったって知ってるかい?」
「それ、は」
まだ息の整わない様子の王子が、あえぐように返答する。理解はしていると見て、リンディはにっこりとほほ笑んだ。
「あたしが周りをぼっこぼこにして、かすめ取ってやったんだよ。それがきっかけで、シリカ帝国はバラバラになって王政に戻った。だから可哀そうじゃないか、ええ?」
老女がぱちん、と指を鳴らす。
「王に頼んで学園を滅ぼすってこたぁ……あんたんとこの弱兵を」
綺麗に響いた音の波紋の後、門の、校舎の、そして本人の影が……揺らいだ。
「この学園の神獣たちと、戦わせようっていうのかい?」
現れたのは、青黒いオオカミのような巨獣、赤茶けた重厚な金属の巨人、そして……白銀の鱗をきらめかせた、ドラゴン。
彼らは影を抜けると、各々咆哮を上げた。
「な、な!?」「ひぃ、出たー!」「やだもうおうちかえる!」「悪いことしてません許してー!」
広場を悲鳴が彩る。ラカルは腰が抜けたのか、しりもちをついた。
(おっと。普段から脅かし過ぎたかね……上級生たちは今度、優しくしてやらないと)
リンディが王子を一睨みすると、その襟首を赤茶の鉄巨人がつまんだ。
「ひ、ひぃー! お助け!?」
間抜けな悲鳴を上げる彼の姿に、凛々しかったその祖父……かつてのパルガス皇子が、重なって見える。
(この子の情けない姿を見ても、弱い者いじめみたいで……スカッとはしないね)
リンディは優しく艶やかに、ほほ笑んだ。
「取って食ゃしないよ。いつもの懲罰コースに放り込んどいとくれ」
命令に首肯した巨人が、王子をつまみ上げたまま歩き出す。
「懲罰……」「あいつ終わったな……」「生きて戻ってこれないんじゃ……」
「ほら散った散った! 見世物は終わりだよ!」
リンディの声を合図に、顔を青くして慄いていた生徒たちが道を開ける。巨人は避ける生徒たちの合間を縫って、ずーんずーんと音をさせながら立ち去った。
(入学し立ての子にはちと罰が重いが。破滅したあたしが建てて、50年守ってきたこの学園を引き合いに出されちゃ……加減はできないんだよねぇ)
春の風に少しかさついた頬を撫でられながら、リンディは因縁の片鱗を見送った。