01-16.教え子。
ウォルタードとラカル、そしてアプリコットとユーラニアの対立を見た、その夜。
(教師としては、絶対に喜ぶべきだ。アプリコットも、ユーラニアも、自立しようとしている。喧嘩だって、仲のいい証だ。けど)
リンディはブルー寮のサロンでソファーに深く座り、ひじ掛けに頬杖をつく。髪に塗った墨と雑にしていた化粧を落とした彼女は、まるで60年前の少女のような顔をしていた。
(あの子たちが対立したら……きっと乙女ゲームの破滅は、始まる。取り返しのつかないことに、なる。だがこれ以上干渉すれば、導き手としては失格――――あたしは、どうすれば)
お気に入りのハーブティーを口に運ぶも、苦みしか感じず顔をしかめる。そういえば子どもの頃は苦手な味だった、とリンディはカップの中身を無理やり飲み干した。
「…………お悩みですか? リンディ様」
カップを置いてリンディが首だけ振り向かせると、背後のプリムラムが眉尻を下げていた。お仕着せエプロンドレス姿の新任教師に向かって、リンディは肩を竦めて見せる。
「そこはお代わりを聞くところじゃないのかねぇ?」
「お酒がご入用なご様子かと、思いまして」
「サロンは飲酒禁止だ」
「では」
星のような輝きが舞い、リンディの前にメッセージを描いた。〝転移〟の同意を尋ねるものだ。リンディは宙に指でサインを書く。ぽんっという音と共に、景色が一変した。サロンから、リンディの寝室へと。
ヘッドドレスとエプロンを外しながら、プリムラムが正面のソファーに向かう。彼女の周りを星々が舞い、酒瓶とグラス、少しのつまみが乗った皿を呼び寄せた。
「アンジー様は、ご用意できませんでしたが」
「そりゃ残念。代わりを務めてもらおうか」
「大役ですね」
二人が手に取ったグラスに、宙を舞うボトルが赤の濃い液体を注ぐ。座って差し向った二人は、遠くでグラスを傾け合った。チンッと音だけが軽く響く。
「頼んでいた、エンタス公からユーラニアに送られてきた手紙の解析。どうなった?」
「おおよそは。結論を急がれますか?」
一口酒を含んだ二人は、瞳を鋭くして向かい合った。
「〝闇魔法〟の国際規定ぎりぎりの魔力で描かれた、擬似契約書ってんなら……今まで通り、念のため行っていた検閲を続けるだけだ。確証が得られるまで待とう」
「他の疑いについては潰せました。あとはただのいたずらか、意図してのものか、の違いだけです」
「エンタス公に限れば、意図したものだ。ただ悪意じゃないね。そこが難しい」
リンディが唸ると、少しの間が空いた。
「娘さんの……ユーラニアさんのためですか?」
控えめな声で尋ねるプリムラムに、リンディは深く頷いて見せる。
「そうだ。一人で旅立った愛娘の緊張をほぐし、元気づけたかったんだろう。あの文面だと仕込まれてた暗示は、〝自信補強〟じゃないかい?」
「はい」
(もしかすると、エンタス公は乙女ゲームでも、娘に暗示入りの手紙を送っていたのかもしれないな……それが災いの種になるとも知らず。プライドを傷付けられてアプリコットとぶつかったユーラニアは、自分の間違いを認められなくなり、破滅の道へと向かう。今はそうじゃない、違う、はず、だ……)
ゲームの情報、昼に見た二人の対立を思い出し、リンディは目を伏せた。
「他の生徒向けのものには、そうとは思えないのがいくつか」
懸念を示す新任教師に、リンディはため息で応える。以前ユーラニア宛てに来た手紙のような、魔力の籠ったインクで書かれた郵便物が、これまでにいくつか学園に届いているのだ。
「とにかく、出所の特定が必要だ。優先度は低いが、アンジーも探ってくれている。誰かがこの、抜け道のような方法を思いつき、それをばらまいているとあたしは見るが…………どうした? プリムラム」
どこか物憂げな顔を見せていたプリムラムに尋ねると、彼女はグラスの中身をぐっと飲み干した。
「その。10年前。闇魔法が定義されたとき、リンディ様はご懸念を示されました。魔力基準値ギリギリで暗示をかけ、人を操ることが可能だ、と。気づかれないように重ね掛けすればいいだけだから、誰でも使えてしまう。取り締まらないのは危険性が高い、とも」
「よく覚えてるねぇ。それで?」
リンディは指でついっと宙を撫で、新しいボトルを用意する。空のボトルは部屋の闇へ消え、二人のグラスには新しい赤が注がれた。
「その前に、同じことを言った人が、いるんです」
グラスを手に取ったリンディの動きが、止まる。視線を上げてじっと見つめるも、プリムラムは答えに窮しているようだった。
「あたしは聞き覚えがないねぇ。誰だい?」
「ペリー先生です」
リンディが促してようやく出てきた回答は、彼女にとっては少し予想外のものだった。
(10年前だと……あいつがナイト帝国宮廷魔術師の座を追われ、転職してきてすぐの頃か。妻子にも捨てられ、自棄になって、闇……契約魔法に傾倒していた時期は、確かにあった。だがペリーが? 今さらなんのために?)
しかし酒を飲み、思考をまとめるうちに……ペリーの背景と現状が、僅かに繋がりを見せる。
「ペリー先生は以前から、私用で外国に行かれることも多いです。ナイト帝国以外にも……。自分で作った課題の教材を与え、熱心に生徒を指導したりもしていますが、その。あの手紙のことを、前提に考えると……」
(ウォルタードがしきりに、様子がおかしいと言っていたラカル。そのラカルに近いペリー。やつは闇魔法及び、その防護術に詳しく、帝国に対しては複雑な思いを見せている。暗示の手紙と同じ手法を使えば、暗躍は容易……)
朧げな線が見えかけたものの、リンディは首を振り、それを否定した。
(だが報復するくらいなら、帝国をいい国にしようと奮起するだろう。あいつは、そういう男だ)
「リンディ様」
「ペリーが犯人だという前提で見れば、そりゃ可能と言うしかない。だがそれだけだ。動機も、目的もない。信頼できる男に、勘繰りは不要だよ、プリムラム」
「ですが」
なおも食い下がる教え子の桃色の瞳を、リンディはじっと覗き込んだ。
「何かしでかすにしても……人に迷惑をかけるくらいなら、自分の身を差し出す奴だよ。学生の頃から、ずっとそうだった。悪童どもを信じて、キラキラした目で庇うんだ。あたしはあいつを、信じる。どうしても気になるんなら、様子を見といてくれ」
リンディは疑いと信頼を天秤にかけ、信じることを選んだ。
プリムラムは、口を開いては、閉じ。視線を落としては上げ、明らかに不満の色を浮かべた瞳を見せた。だが真っ直ぐ見つめ続けるリンディの気迫に折れたのか、肩の力を落とし、頷く。
「……わかりました。ペリー先生は、こちらで注視しておきます。リンディ様」
「任せる」
リンディは苦く笑う。
プリムラムも表情を引き締めつつも、どこかほっとした様子を見せていた。
「気にすることが多くて、一人じゃやってらんないね」
リンディは酒を飲み込み、深くため息を吐いた。いくらアルコールを摂っても、その意識は懸念から離れない。
「ユーラニアさんと、アプリコットさんのことですね? 最近前よりずっとこう、ライバルというか、張り合っていますけど」
(ライバルねぇ。そんなだったか? 最初から結構、親友って感じだったが)
自分以外の者からの二人の見え方に、リンディは少し首を傾げる。そして首を振った。昼間の光景を思えば、プリムラムの指摘には納得するしかなかった。
「今日喧嘩してたよ。アプリコットがユーラニアを平手打ちしてさ。その上、なんか試験で決着付けるんだと」
「はぁ。え? アプリコットさんが? どうして」
尋ね返され、リンディは肩を竦める。グラスの中身をあおって顔を上げると、プリムラムは目を瞬かせていた。
「あたしにゃとんと想像がつかん。前はたびたびここにも来てたが、最近はそれもないし」
ぐるりと自身の寝室を眺めてから、リンディは肩を竦める。ベッドはここ数日、使われていなかった。
「え。アプリコットさんが? リンディ様に会いにこない? リンディ様がダメと言われたわけでは……」
「あんた、あたしが一人寝できないの知ってるだろう? 断るわけないじゃないか」
リンディは拗ねたように言う。すると、プリムラムが唇を尖らせた。
「私はダメって言われました」
「夢見が悪くて死ぬんじゃなくて、ベッドから蹴り出されて死にそうになるからだよ。それとも、寝相が直ったとでも? プリムラム」
「私は広いベッドで寝たいんです」
彼女に鋭く蹴られたわき腹の痛みを思い出し、リンディは苦く笑った。近年幾人か添い寝した人物を思い起こし、優しかった一人の顔が浮かぶ。
「こいつめ。ユーラニアを見習え」
「…………ん? ユーラニアさん? アプリコットさんではなく? また女の子引きずりこんだんですか? リンディ様」
プリムラムが食い気味に聞くので、リンディは顔を歪めた。
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ。あの子、魔力視に目覚めただろう?」
「ああ。だからアプリコットさんとたまには離れたくて、ここに来ていたと」
「そうだ。まぁそれも、先週あたりから止まってねぇ。アンジーも帰ってこないし、あたしゃ眠くて敵わない」
「あー…………」
何か納得したように、メイド姿の新任教師が大きく頷いている。リンディは不快そうに頬を歪め、プリムラムを睨みつけた。
「なんだい」
「念のため、お二人には探りを入れておきます。でもたぶん、丸く収まりますよ?」
軽く言うプリムラムに、リンディは思わず鼻白む。無事に済めばそれに越したことはないが、破滅の結末が頭を過り、とても楽観視できなかった。
「はぁ。正直、たぶんじゃ困るんだが……なら頼む。あたしが行っても、答えてくれなくてね」
「そりゃ答えませんって」
「うん……?」
リンディは首を傾げ、じっとプリムラムを見つめる。だが彼女は、笑顔を返すだけだった。
「それより、今晩はどうされますか?」
「あんたの蹴りは痛いから嫌だ」
「なら起きてますから」
嫌に押し込むプリムラムに、リンディは追い払うように手を差し向ける。
「明日仕事だろうが」
「三日くらい徹夜しても平気です」
「気にしろ。肌に出るぞ?」
「そぉーなんですよぅ。20過ぎてから荒れやすくて……」
そう言いつつ、プリムラムは新たな酒を呼び寄せていた。リンディがグラスを傾けると、そちらにも新しいアルコールが注がれる。
「あたしの教えた手入れはしてるんだろう? なら酒の飲み過ぎか、食事が適当なんだよ」
「リンディ様、昔みたいに――――」
「自分でやんな。十分教えたろう?」
「んぅ……」
面倒くさがりの新人に、リンディはくつくつと笑って見せた。
(昔。昔……か。ああ、この子だって、手のかかる子だった。それがあたしより強い魔法使いになるんだから、世の中ってのはわからなくて……面白い)
グラスの中の、揺れる白い水面をじっと見つめる。
「おい、白じゃないか」
「ナイト帝国の北で作られる、アイスワインですって。甘いんですよ?」
「甘口かよ――――おぉ、これは」
口に含んだ瞬間リンディは、静謐な香りの中からぶわっと甘さが突き抜けてきたのを感じた。まるで朝の果樹園が見えるようで、彼女はグラスを掲げ、しげしげと側面から眺めた。
「いいでしょう?」
「悪くない」
腹の底に、ふわふわとした温かさが広がるのを感じながら、リンディは優しく目を細めた。
(これだから、教師ってのはやめられない。いつだって教え子たちが、世界を広げてくれる。もう78だってのに、まだ新しいものを見られるとは)
もう一度、グラスを掲げる。その向こうには、満面の笑みを浮かべる教え子の顔が見えていた。
(……ゲームがなんだ。教師やって50年。あたしはあたしの人生と、勘と。それから)
リンディは肩の力を抜く。眉尻が下がり、頬が緩んだ。
「あんたたちを、信じてみようかね」
「ええ。いつでも、ご用命を。リンディ様」
グラスを緩く傾けると、ガラスのかち合った澄んだ音が、響いた。




