01-15.どうかみんな仲良く。
アンジーが再び学園を空けて、しばらく。
(暇だ……)
リンディは所在なげに、校舎の廊下を歩いていた。校内には涼しい風が吹いているものの、日差しがそもそも熱く、薄着の生徒が増えている。なおリンディはいつも通り、ダークグリーンの簡素なドレスであった。
(アンジーもいない。ユーラニアとアプリコットは試験で忙しい……そういやラカルも遊びに来ない。生徒会は試験が落ち着くまでないし)
学園では、試験が始まっている。各授業の理解度、実技の習得度を試すものだが……合格するまで、何度でも挑むことができた。そして受かった者から順に、次の段階へ進む。一年生の場合は「神獣にする魔物の捕獲実習」だ。
(この気温が落ち着くころにゃ、学園祭。乙女ゲームの断罪イベントはそこだ……もうそんな兆候もまったくない。アンジーの手配で、シリカも1年か2年は大人しくなる。平和だ……)
リンディは中庭に差し掛かり、ぼんやりと空を見上げる。
「お前最近おかしいぞラカル!」
剣呑な声が、冷たい風の隙間から流れ込んできた。リンディが廊下の奥を見やると、ラカルにウォルタード皇子が詰め寄っているようだ。
「俺は真面目にやってるだけだ」
「そうだけど! 変だろう!」
「変なのは貴様だ、ウォルタード」
「僕はいい! お前……お前! そんなことしたって、お前の爺さんは認めちゃくれないんだぞ!?」
苛立った、どこか支離滅裂な皇子の言葉に。
「…………いつも本気を出さない腑抜けに言われても、痛くもかゆくもない」
赤毛の王子は冷淡に返し、去って行った。その先に禿頭の教師が見え、リンディはぼんやりと首を傾げる。
(様子が変なのはウォルタードな気がするな……けど、うん? 指導教員でもないペリーが、試験中のラカルと何を話すんだ? というか課題を渡してる? 少し気になるねぇ)
ラカルとペリーを眺め、リンディは首を傾げる。ラカルがペンを取り出して、その場で何やらやりとりしているようであった。その光景に一瞬、以前プリムラムに預けたエンタス公爵家の手紙の件が、重なる。
(……いや、気のせい、か)
リンディはため息を漏らした。息は外の熱い風と、校内の冷たい風に巻き込まれ、消える。
「喧嘩も大事なコミュニケーションのうち……長引くようなら、相談に乗ってやるかねぇ。だが弟子どもさえ仲良ければあたしは――――ん?」
視線を上げて中庭の先を見たリンディは、遠くに良く知る二人を見た。
(あれは――――)
「わたくしはそんなつもりじゃ!」
「じゃあどういうつもりだって言うの!」
(二人とも、何を言い争って………)
リンディが注視した、その時。
ぱんっ、と。乾いた音が。
高く、響いた。
(う、そ)
それはまるで――――破滅の足音の、ようであった。
頬を赤く腫らしたユーラニアと、平手を振り抜いたアプリコットが。
睨み合っている。
リンディはさーっと血の気が引くのを、感じた。
(どうしてなんでなんであの二人がいったいなにが――――)
混濁する思考の中、リンディの視界には左右逆の光景が、混ざる。それは見覚えなどないはずのもの……ゲーム知識にある、一枚絵。
悪役令嬢とヒロインの、決別。
「だめ……」
弱弱しく、少女のように呟く。
だがそれ以上、言葉が出ず。足も前に出ない。
叩いたアプリコットが、背を向ける。まるで悪役令嬢のように。
走り去った彼女を見送り、俯いたユーラニアが歩いて校舎へ消える。まるでヒロインのように。
かつてのアンジーとリンディのように。
(っ! 止めなくては! あの子たちの仲違いは、破滅に直結する! 学園が、ユーラニアが、アプリコットが……!)
ハッと幻影から覚め、リンディは手を伸ばす。歪む視界の中に、この60年で何度も見た、悲惨な争いの光景が過る。
「ま――――――――っ!?」
その後ろから誰かがぶつかり、彼女はバランスを崩した。
「申し訳な……学園長? 大丈夫ですか学園長!?」
リンディは顔を上げて、驚く様子のウォルタードの視線に気づき……雑に両目をこすった。すっとあたりを見回すが、アプリコットやユーラニアの姿は、どこにもない。
(間の悪い……後で探し出して、話を聞くか)
リンディは生徒を前にし、動揺を飲み込み、姿勢を正した。
「あの、学園長。どこか当たり所が……」
「老人は涙腺が弱いんだ。少しのごみで、すぐ涙が出る。忘れろ」
「あ、はぁ……」
ウォルタードが気の抜けた声を吐いている。リンディは再び彼を見て、胸の中のつかえごと、息を吐き出した。
「あんたのほうが、よっぽど酷い顔じゃないか。またラカルに振られたか?」
「そんな趣味はないよ……ああでも、くそっ」
似合わない悪態を吐く皇子を、リンディはしげしげと眺める。教師の顔をした彼女は、にやりと笑った。
「少し付き合え。暑いし、冷たい飲み物でも出してやろう」
「あ、えー……」
少年は暑そうな緑の長髪を、しばし弄り回し。
「ごちそうに、なります」
観念したかのように、答えた。
☆ ☆ ☆
学園長室のバルコニー。
(あの二人……どうして喧嘩など。教師として介入していいかは悩ましいが、気になる。だがひとまずはラカルと……ウォルタードのことに、集中するか)
〝防音〟の魔法に、飲み物食べ物を用意して、リンディはウォルタードを迎えた。
(こいつら攻略対象は、ゲームでユーラニアを断罪する。様子がおかしいというなら、警戒しておくに越したことはない。掘り下げて、話を聞いておくとしよう)
「わおっ! チップスとソーダとは! やりますねぇ学園長」
テーブルを見てはしゃぐ少年に、リンディは笑みを作って向けた。
(なるほど。海洋国家のナイト帝国は、大陸とも付き合いが深い。こういう風習も理解してる、か。あるいは、悪友どもの影響か……それとも教養として、こいつを出してもてなす意味まで、全部踏まえているのか)
リンディは椅子に深く腰掛け、自らのグラスを傾けた。ほどよく弾ける飲み心地が、少しの涼しさを感じさせる。
「やっぱり馴染みがあるか。ナイト寮の悪童どもと、よく絡んでいるそうじゃないか。ロンドルがぼやいていたぞ」
「やだなぁ、普通の友達ですよ」
「アメイジング研究部のやつらは普通じゃねぇよ」
ソーダを少し口に含んでいたウォルタードが、咽る。
「なんで、知って」
「知らないのかい? あそこの顧問はあたしだよ」
皇子が目を白黒させているのを眺め、リンディはくつくつと笑った。
「そもそも、あたしが面白魔道具を作ってたのを、生徒が参加してやりだしたのがあの部の発端だ」
「そんなファンキーなお婆様だったなんて、知らなかったよ学園長……まさにアメイジング、だ」
「そりゃあよかった。それで? 真面目になったラカルを気にしてんのはなんでだい、不良皇子。友達が遠くに行っちまうのが、気になるのかい?」
リンディが軽口を叩いて煽る。ウォルタードはそっぽを向いた。
「そんなんじゃ……そもそもあいつは、友達でもなんでもないよ」
「嘘をお言い。ロンドルとドニクス経由で、あいつがシリカ寮で孤立してることをあたしに上げたのは、あんただろう?」
リンディは目を細める。試験前の頃、リンディはそういう申し出を受けてラカルに引っ越しを提案した。彼がよく世話になってる教師のペリーはナイト寮の寮監を務めており、これも決め手になって移動が決まった。
「……そんなことはしてないよ」
ウォルタードが弱く首を振っている。視線が皿でもグラスでもない、どこかを見ていた。
「嘘が下手だね。急に相部屋にされたのに驚きもしなかった、ウォルタード?」
「…………いい迷惑だよ。あいつ、いびきがうるさいんだ」
ついぞ俯いて目を見せなくなったウォルタードに、リンディは笑みを向ける。
「それで心配してるのかい。根を詰めて勉学に打ち込み、顔色も悪くて、いびきまでかいてる。そんなラカルを」
「そこまでわかってるならなんで――――!」
顔を上げた皇子は……目を、頬を、苦しげに歪めていた。
「なんで何もしないのかって? 指導担当のプリムラム、寮監のペリーが問題ないと報告を上げた。あたしから本人にも聞いた。これ以上何をしろって言うんだ? そもそも、何がおかしいっていうんだ。あいつが頑張ってるだけじゃないか」
「なんかおかしいんだけど、うまく説明できないんだよ……! でもこのままじゃあいつは! なんとかしてよ、あなた学園長だろう!」
ウォルタードの緑の差した瞳が、揺れている。リンディは彼を、真っ直ぐに見つめた。
「……ウォルタード。あたしらが何でもかんでもやっていいなら、そうしてる。でもここにいる大人は、親じゃない。教師なんだ。一番ラカルをなんとかしてやりたいって思ってる生徒がいるのに、それを差し置いてあたしが手を出してどうする。あんたのそのもやもやはどうなる?」
「僕なんかのことは、いいんだよ!」
「よかねぇよ。あんただって、大事な生徒だ」
ぴしゃりと言い放ったリンディの言葉が、ウォルタードの肩を震わせる。彼の瞳の揺れが、止まった。
「ラカルの兆候は、単に改心して根を詰めてるのか、本当に何かおかしなことになっているのか、魔法で調べても判断つかねぇんだ。だから鍵はあんたなんだよ、ウォルタード。自分で少しずつ探るんだ」
「でも、あいつも僕も、王族で……」
「なるほど、政治的発言が禁止だから、深く話ができないと?」
ウォルタードが頷き、すぐに顔を上げる。すがるような彼に向けて、リンディはほほ笑んで見せた。
「確かに学園のルールはそうだ。揉め事を持ち込ませないためにな。だがちゃんと例外規定がある。起こった問題を解決するためなら、話しても罰は与えない。あとは」
リンディは手で、あたりを示す。
「〝防音〟は風の魔法だ。覚えて使いな」
ウォルタードの顔から、明らかに力が抜ける。
「あとでやっぱり懲罰房行き……ってしないでよ?」
「知ってるだろう?」
リンディはグラスを手にし、彼に傾けて見せた。
「ソーダもチップスも、これでひと手間もふた手間もかかってる。大陸の開拓民にとっちゃ、こうして交わすグラスは酒よりも、血よりも重い」
「信頼の証だって言いたいのかい? 僕らは本土民だけど?」
「おまけに平民って面構えじゃないね。だが繋がっている、ものがある」
ウォルタードもまた、グラスを手に取る。中の炭酸水が揺れ、小さな泡の粒が水面で弾けた。
「…………〝魔法の徒ならば、その魂は繋がっている〟、か。現地民との融和を実現した、伝説の英雄の言葉じゃないか。それを出されちゃ、敵わないね」
「あんた本当に嘘が下手だねぇ。そういう教養をすらりと出すから、周りに普段は手を抜いてるって見抜かれるんだよ。優秀な、第二皇子殿?」
「僕は争いが嫌いなんだよ、学園長。できればみんなと、仲良くしたいね」
「あたしとも?」
リンディはにやりと笑みを口元に刻み、グラスを寄せる。
「もちろん」
〝防音〟の魔法の中、内緒の乾杯が行われた。
「ラカルを頼むよ。それで……どうしてあいつを、気に掛けるんだい?」
☆ ☆ ☆
夕刻。
(〝間違った継承権を与えられて苦労してる者同士、ラカルを放っておけない〟か。確かにウォルタードは数人の兄や姉をごぼう抜きして、継承順位二位。一位の兄は愚鈍で、このままいくと内戦になるからと……あいつは自ら学園に来て、間抜けを装ってる)
ウォルタードを返したリンディは、校内を歩き回る。
(ラカルは祖父のパルガス王に継承権を与えられ、王太子である父と政治的に対立。学園に放り込まれたのは、間違いなく暗殺防止のため)
窓から入る赤い日差しを背に、ブルー寮へと続く廊下へと踏み入った。
(ウォルタードとしては無茶するラカルを止めたいし、ラカルとしては王位はともかく頑張りたいだけ、かもしれないねぇ。ま、ウォルタードの懸念もわかるし、注視しておくか。しかし)
目当ての人物の背を見つけ、リンディは相好を崩す。
「仲良く……そう、仲良くしてほしいねぇ。あの子らにも」
破滅の想像を首を振って払い、学園長は自らの生徒に歩み寄った。
「アプリコット――――」
「学園長!」
声をかけると、金髪の少女はすぐにその碧眼を見せた。振り向いた彼女は眉尻が上がり、怒っているようにも……決意を固めているようにも、見える。
「私たち、テストで競争して決着つけることにしたから」
「はぁ?」
「手、出さないでね。リンディ」
一方的に宣言し、アプリコットは寮へ戻っていった。
(ぉ……なんだって、言うんだい)
リンディは一人取り残され、呆然と立ち尽くした。




