01-14.その人の隣は、誰のものか。
ユーラニアが魔力を〝観た〟、その日の夜半。リンディの寝室には、白髪の老女が訪れていた。
「報告は以上だ、リンディ」
シリカ王国、ナイト帝国の調査から戻った、アンジー教頭である。彼女のきびきびとした声が、寝室に静かに響く。リンディは栓を開けぬままのワインボトルと、空の二つのグラスを眺めた。
「シリカの急激な軍備拡張。どう観測されている?」
「王国内だと、東の移動民族への対策だろうと言われている」
「国外では?」
「帝政に戻りたいんじゃないか、とさ」
「あんたの意見は」
テーブルを見つめるリンディの目に、乾いた肌の手が映る。教頭アンジーはグラスとボトルを持ちあげ、放り投げた。それは音もたてずに、部屋の闇へと消える。
「乙女ゲームとやらの通り、学園攻めだ。間違いない」
「…………そうかい」
リンディが顔を上げる。テーブルに腰かけたアンジーの姿が、意外に近くにあった。伸ばされた彼女の手に、頬を摺り寄せる。ざらついた感触に、リンディは優しく目を細めた。
リンディは深く息を吐き、ソファーのひじ掛けに手を置き、爪先でこつこつと叩く。
「ナイト帝国やジャスを焚きつけると、併呑して帝政に戻りたいシリカの過激派を刺激しちまう。シリカが自分でしている言い訳通り、移動民族に頑張ってもらおうじゃないか」
「その裏で、こちらに兵を送ってくる可能性もあるぞ?」
「二正面作戦がやりたいなら、好きにさせな。大事なのは大義名分。先に移動民族対策に動き出したら、シリカって国は止まれない。学園に手を出し始めてたら公表してやれ。貴族たちが離反して国が崩れる」
「パルガスがどんな思惑を持っていようとも、先に国が動き出してたら急には止まれない、か」
「そういうこった」
するり、とリンディの頬から手が離れていく。彼女は名残惜しそうに、テーブルを降りた老女を見つめた。
「もう行くのか、アンジー」
「…………60年。お前を待たせすぎた。リンディ」
「アンジー?」
背を向ける彼女に、リンディは問いかける。
「あの学園の日々から、お前はずっと走り続けた。そろそろ少しは、休んだっていいはずだ」
「なんだよ、アンジー。急に……」
「お前が大事にしてきたこの学校、壊させやしない。早急に片を付ける」
アンジーの横顔と首筋に、深いしわが刻まれた。
「やり直そうとは言わない。やり残しを片付けよう、リンディ。このままじゃおちおち、墓にも入れない」
(っ…………アンジー、が。あたしを、置いて、先に……)
軽口に嫌な想像が駆け巡り、リンディは胸元を強く手で押さえる。
「どうせ行くなら、墓の中なんかじゃなくて――――」
リンディは首を振る。どうしても目線が上げられず、ため息と言葉を零した。
「バカンスにしとくれ。あんたに死なれるなんて、想像もしたくない」
「っ……悪かった。シリカが片付けば、二人揃って学園を離れても大丈夫だろう。連れていきたいところが、たくさんあるんだ」
「楽しみ――――ああ、待て待て。悪いが、あと一つだけ用事があるんだ」
「なんだ?」
どこかわざとらしくおどけて見せる教頭に、学園長は苦労して笑みを作って向ける。
「一目、次の大魔女を見ていけよ」
☆ ☆ ☆
「すぅ――――はぁ…………」
各寮の一階には、室内遊技場がある。運動場というほどではないが、体を動かすこともできた。
「消灯時間も近いってのに、熱心だね。ユーラニア」
リンディは、一人魔力を練り上げる弟子の背に声をかけ、歩み寄る。彼女の肩がびくりと震え、顔が上がった。
「園長せ――――」
「学園長だ。まだ振り向くな。こっちを向くならゆっくり、そーっとだ」
「へ? 何が…………っ!?」
横顔を向けたユーラニアが開こうとする口を必死になって閉じ、その瞳を大きくしている。
「よぉ、小娘。わたしが教頭のアンジーだ」
(こいつ、相変わらず生徒に対しては、どこか棘があるな。しかも化け物みてぇな魔力、バリバリ出してやがる。威圧すんなって……これだから指導や授業を任せらんねぇんだよなぁ)
リンディは背後のアンジーを振り返り、半眼で睨みつける。教壇に立たず、年のほとんどを外交折衝で過ごす教頭は、肩を竦めていた。
「あ、の。学園長、先生」
「ひょっとしたらちょっと――――共感できるんじゃないかと、そう思ってねぇ」
こちらを向き直ったユーラニアに、リンディは微笑みかける。彼女の緊張した面持ちが、少し和らいだ。
「あたしがあんたみたいに〝魔力視〟に目覚めたとき。こいつを見て最初に思ったことを……当ててみな。当たったら何でも一つ、いうこと聞いてやるよ」
「ほんとですか!?」「……おい、リンディ」
喜色を乗せた弾むような声と、リンディの肩を掴んだアンジーの低く唸るような声が、前後から浴びせられた。リンディは肩にかかった手を優しく撫で、少し笑みを漏らす。
「もちろんだとも。さぁ、答えを聞かせておくれ?」
「絶望です」
間を置かず答えられ、リンディは目を見張った。
「見ろアンジー! すごい子だろう!」
「はしゃぐなリンディ。可愛い顔しやがって」
顔に満面の笑みを浮かべて喜びを表現するリンディだったが、アンジーの声はどこか不機嫌そうであった。彼女はリンディの脇を抜け、ユーラニアに歩み寄る。
「まったく、とんだ約束しやがって。おい小娘、滅多なことを言うなよ?」
「そんな破廉恥なこと言いません!?」
(え。どんなこと言う気だったのさこの子)
顔を赤らめるユーラニアを見て、リンディは出掛かった言葉を飲み込む。二の句が継げずに黙ってみていると、彼女はおずおずと口を開いた。
「その。ちょっと部屋に帰りづらくて……」
「ああ、アプリコットの魔力が見えちまうから、か。それで?」
「きょ、今日だけでいいんです。その、学園長先生のお部屋に……お邪魔できたら、な、と」
恥ずかしがりながらお願いを告げるユーラニアの言葉に、リンディは頷いてみせた。
「まぁそれなら構わないよ」
「…………ユーラニア、だったな」
アンジーが一つ大きなため息を吐き、振り返る。彼女は背を向けたユーラニアを、横目で鋭く見つめていた。
「今日は代わってやる。じゃあな」
一方的に告げ、彼女はリンディの肩を叩くと、遊技場の出口へ向かっていった。
「お、おい。アンジー」
「なるべく早くに戻る。取られちゃ敵わん」
訝しげに目元を歪め、リンディはアンジーを見送る。
(なんなんだあいつ。随分不機嫌だったな……)
「先生。教頭先生とは……どんなご関係、なんですか?」
静かになった遊技場で、ユーラニアの言葉がぽつりと零れた。
「60年前からの、友達さ。あの頃は男を取り合って、張り合って」
リンディは弟子に向かって、肩を竦める。大きめのため息を吐き、振り返って彼女を見た。
「その力を見て、目の前が真っ暗になった。だが……ああ。ここはあたしとあんたで、違うんじゃないかと思うんだが、ユーラニア。あんたはアプリコットとの力の差に絶望して――――どう思った?」
「わたくしは……」
今度は即答せず、ユーラニアが迷いを見せる。リンディは彼女の答えを、じっと待った。
「生きててよかった。そう、思いました。こんなに高い壁が、あるなんて、と」
(本当に……強い子だ。それにたぶん、誇り高いんだな。恥も外聞も捨てて、パルガス皇子に泣きついたこともあるあたしとは……大違いだ)
リンディは眩しそうに、目を細める。見つめられているユーラニアは、次第に頬を赤く染めた。
「学園長先生は、どう思われたんですか? 教頭先生を、見て」
「死にたくなった」
ユーラニアの問いに、ほろりと崩れたように想いが零れ出る。あるいはそれは、古いかさぶたのようで。
「でもそれが……生きる理由になった。少なくとも、60年分」
リンディはほっとしたように、呟いた。
「先生は、強いん、ですね」
しかし弟子の呟きに、学園長は首を振る。
「何を言うんだい、あたしゃ強くなんてないさ」
「え、でも。神獣魔法を作られて……魔王だって、倒されたんですよ、ね?」
戸惑いを見せるユーラニアに向かって、リンディはもう一度はっきり、ゆっくりと首を振った。
「倒したのは違いない。けど、何度も何度も挑んで、その末のことだよ。ちょっと魔法が使える程度の娘が勝てるほど、魔王は弱かなかったからね」
その当時を見つめるかのように、リンディは虚空を忌々しげに睨みつける。
「何度も、って……あ。先生は〝不滅〟なのでしたっけ」
「おう、酷いもんだがねぇ。死なないわけでも、頑丈なわけでもないのさ。ただ死ぬほど傷ついたり、拘束されてどうにもならなくなったり、心が折れた時。近くの比較的安全な場所に、再生される」
「へ?」
(リスポーンっつっても……伝わらないか)
どう伝えたらいいものかと思い悩みながら、リンディは足の爪先を上げ、遊技場の床を幾度かとんとんと踏み鳴らした。
「とにかく捕まったりしてもやり直せるから、何度も何度も挑戦したのさ。どろっどろになりながら、がむしゃらに……それで気付いたら、あの魔王は消滅して、あたしは生き残ってた」
うまい表現が見つからず、肩を竦めてリンディは続ける。その言葉は、どこかやけっぱちであった。
「今だってあたしは、あの頃と変わらない。死んで再生するときの苦痛に怯えながら、それでも魔王が生きてる恐れに勝てず、向かっていった60年前と。そう、あたしは臆病で、怖がりなんだ。強かなんか、ないよ」
「リンディ、先生……でも」
リンディは顔を上げ、ユーラニアの赤い瞳を見つめる。その目は不安そうに、揺れていた。
「〝でも〟も〝しかし〟もない」
短く、吐き捨てる。ユーラニアの肩が、びくりと震えていた。
(あたしは……どうして、こんな。同類がいると、安心しちまったのかね……こんな幼い子に、なんて話を。刺激が、強すぎるだろうに)
リンディは一度、強く奥歯を噛みしめる。だがどれだけ強く意思を込めても、口はまた開いた。
「一人で寝てると夢見が悪すぎて、勝手に死んで再生してることだってあるんだ。朝泣きながら目覚めたら床に寝てて、部屋中血みどろなんだよ。みっともないったら、ない――――」
「そんなことありません!」
続きを吐き出そうとしたところに、悲鳴のように高い声がぶつけられた。
「ぉ、ユーラニア……」
「先生はただ! 傷ついていらっしゃる、だけです」
「ぁ――――」
重ねられたユーラニアの声が染みわたり、リンディの言葉が、止まる。
「お一人でなければ、寝ても大丈夫なんですか? さっきの」
話の矛先が変わり、リンディは目を泳がせた。ゆっくりと肩で息をしてから、顔を上げる。
「…………まぁね。でなけりゃ、あんたのお願いを聞いてあげられないじゃないか。さすがに悪夢で死ぬ様を、弟子に見せる趣味はない」
「じゃあ……わたくしが、おそばにいますから」
一歩、距離を詰めたユーラニアが。
そっとリンディの左手を、とった。
「どうかこれ以上、ご自分を傷付けないで」
(青い言葉だ。綺麗な言葉だ。でも固くない。尖ってない。まるで水のように……染みる)
彼女の両手に包み込まれた自分の手から、力が抜ける。肘、脇、肩、背中、首、そして頭の芯からも、何かが抜けて。ほうっとため息になって、出て行った。
「朝まで離さないから、覚悟おしよ? ユーラニア」
「へ?」
近くの弟子に、師が力なく笑いかける。
「あたしは、抱き枕派なんだ」
ユーラニアは。
「あー……わたくしも、です」
綻んだような笑みを、返した。
★ ★ ★
「ユーラニア…………リンディ? どう、して」
二人が立ち去った後。遊技場の奥の影から。
「そこは、私の、場所なのに」
震える声が、闇に零された。




